商店街の朝は、革の匂いがする。
魚屋の生臭さや、パン屋の甘い湯気に混じって、うちの店先からは、濡らした革と油と、少し焦げたゴムの匂いが流れていく。
「野口靴修理店」
父が若いころ、自分で彫ったという木の看板は、雨風に削られて、もう角が丸い。
その下で私は、朝いちばんに店のシャッターを上げる。
半分まで持ち上げたところで、通りの空気がひやりと足もとへ入ってくる。
それだけで、ああ今日もここで一日が始まるのだ、と、少しだけ諦めに似た気持ちになる。
私は靴修理をしている。
正確には、父がやっていた店を、いま私がどうにか続けている。
続けている、と言うと前向きだが、本心では、潰さないようにしがみついているだけかもしれない。
父は半年前に倒れた。
命は助かったが、右手がだめになった。
釘を打つ、糸を締める、革を薄く漉く、その小さな精度が戻らなかった。
だから三十八にもなって町へ戻ってきた私が、店に立つことになった。
私はもともと、この店を継ぐつもりなどなかった。
高校を出て町を出たときには、もう二度と戻らないつもりでいた。
工場に勤め、営業もやり、運送会社にもいた。
どれも長くは続かなかった。
続かなかった理由はいくらでも並べられる。
上司が合わなかった、仕事が単調だった、将来が見えなかった。
けれど、そういう言い訳を並べたあとに残るのは、結局、自分がどこでも踏ん張れなかったという事実だけである。
戻ってきたとき、父は店の作業台に向かったまま、こちらを見もせずに言った。
「帰ったのか」
おかえり、ではなかった。
よく戻ったな、でもない。
ただ、帰ったのか、である。
私はその言い方に腹が立った。
人がどんな気持ちで戻ってきたと思っているのだ、と。
だが考えてみれば、父は昔から、そういう人だった。
言葉に余白がないくせに、気持ちは余りすぎている。
そのくせ、それをうまく出せない。
褒めるときすら、棘が抜けない。
「その縫い方なら、まあ見せられる」
「前よりはましだ」
「遅いが、雑ではなくなった」
子どものころから、私はそういう言い方ばかり聞いて育った。
母がいたころは、まだ間に誰かが入ってくれた。
「お父さん、それ褒めてるんだよ」
と母は笑って言った。
けれど母が死んでからは、家の中の空気が急に乾いた。
父は黙るようになり、私はますます話しかけなくなった。
食卓に並ぶのは総菜屋の揚げ物か、スーパーの弁当だった。
父は黙って食べ、私は黙ってテレビを見るふりをした。
同じ屋根の下で暮らしているのに、まるで間借り人みたいだった。
私は父の仕事も嫌いだった。
嫌い、というより、見ていると腹が立った。
人の履き古した靴を抱えて、底を張り替え、ほつれた革を縫い、泥の染みまで丁寧に拭き取る。
そんなことをして何になるのだ、と若いころの私は思っていた。
新しい靴を買えば済む話だろう、と。
父はそんな私に、あるとき言った。
「新しい靴を買える人間ばかりじゃない」
それだけだった。
説教でもなく、ただ事実みたいに言った。
私はそのときも、その言い方が癪に障った。
何でも知っている顔をして、こちらの浅さだけを照らすような言い方だったからだ。
だが本当は、私が自分の浅さを見たくなかっただけなのだろう。
父が倒れてから、私は店に立つようになった。
最初は散々だった。
婦人靴のヒールを斜めに削りすぎ、学生靴の底材を間違え、接着剤の乾きが甘くて、一度貼ったソールをやり直したこともある。
父は店の奥の椅子に座り、その作業を黙って見ていた。
その視線が私はたまらなく嫌だった。
見張られている気がした。
試されている気がした。
けれど、その目がなくなると、今度は何を頼りにしていいかわからなかった。
情けないものである。
私は父に反発しながら、ずっと父の手を基準にしていたのだ。
ある雨の日、常連の寺本さんが黒い仕事靴を持ってきた。
かかとの内側だけ極端に減った、重たい革靴だった。
私は修理を終え、寺本さんへ渡した。
すると店の奥から父が低い声で言った。
「それじゃまた沈む」
客の前で、である。
私は耳まで熱くなった。
寺本さんは気まずそうに靴を見た。
私は父を振り返った。
「何がだよ」
「内側を残しすぎだ。歩き癖を見ろ」
その言い方が、あまりにもいつもの父で、私はかっとなった。
人の前で恥をかかせる。
できないことだけを言う。
昔からずっとそうだった。
運動会で転んだ日も、テストの点が悪かった日も、就職を辞めて戻った日も、父は慰めるかわりに、まず足りないところを言った。
それが腹立たしかった。
いや、違う。
ほんとうは、あの人の言葉ひとつで傷つく自分が、子どもみたいで悔しかったのだ。
私は寺本さんのいる前で言ってしまった。
「だったら自分でやればいいだろ」
店の空気が止まった。
寺本さんの手が、靴の上で止まった。
父は私を見た。
その目に、一瞬だけ驚いたような、いや、傷ついたような色が浮かんだ。
だが私は、その瞬間を見ないふりをした。
「口ばっかり出して。やれないくせに」
父は少し黙った。
右手は膝の上で、ほとんど動かなかった。
それから父は、絞り出すように言った。
「客の靴だから言ってる」
それがまた駄目だった。
父はいつもそうだ。
人の気持ちの前に、仕事の正しさを置く。
私は怒鳴るように言った。
「そういう言い方しかできないから、みんな離れるんだよ」
言った瞬間、引っ込めたいと思った。
けれど言葉というものは、いちど口を出た途端に、持ち主のほうを置いて遠くへ行ってしまう。
寺本さんは小さく会釈して、気まずそうに帰っていった。
父はそれ以上何も言わなかった。
ただ、湯呑みを持つ左手が、少し震えていた。
その日から父は店に出なくなった。
体調が悪いのだと近所には言ったが、ほんとうは私のいる場所にいたくなかったのかもしれない。
私も謝れなかった。
謝るというのは、自分のほうが傷ついていたのではなく、傷つけた側でもあったと認めることだからだ。
私は父の言い方が大嫌いだった。
けれど、怒ったときの自分の声が、あまりにも父に似ていた。
そのことを認めるくらいなら、黙っているほうがまだましだった。
六月の終わり、父がまた倒れた。
前よりもひどく弱って、病院の白いベッドに沈んだ。
私は見舞いに通った。
通ったが、話すことはほとんどなかった。
「店、今日は三足きた」
「そうか」
「寺本さん、また来た」
「そうか」
「学生のローファー多い」
「時期だな」
会話はそこで終わる。
不器用な親子というのは、必要な報告だけで、どうにか関係をつないでしまう。
そして、その報告の隙間にある肝心なことは、最後まで言えない。
父が死んだのは、その一週間後の夜だった。
電話で起こされ、病院へ駆けつけたときには、もう間に合わなかった。
私は泣かなかった。
泣けなかった、のほうが近い。
悲しいというより、やはり間に合わなかった、と思った。
謝ることも。
腹が立っていた本当の理由を言うことも。
父に似ている自分が怖かったことも。
何ひとつ、間に合わなかった。
店を休んだのは二日だけだった。
三日目の朝、私はいつものようにシャッターを上げた。
父なら休むなと言う気がした。
その思い込みが正しかったかどうか、もう確かめようはない。
作業台の上に道具を並べる。
金槌、釘、糸、包丁、革用のやすり、ブラシ。
店の奥の引き出しを整理していると、小さな紙切れが落ちた。
メモ帳を乱暴にちぎったような紙だった。
父の字だとすぐわかった。
太くて、少し右下がりの字。
そこには、修理の覚え書きらしい短い文が並んでいた。
「雨の日の革は急がせるな」
「沈んだ靴は、沈んだ歩き方をしている」
「見える傷だけ直しても、また同じところが減る」
私はへえ、と思った。
父らしい職人の癖書きだと思った。
けれど、最後の一行で指が止まった。
「修司は手は悪くない。腹が先に立つだけだ」
修司は、私の名前だった。
胸の奥で何かがひやりとした。
私は引き出しを探り、ほかにも紙がないか見た。
輪ゴムでまとめたメモが、奥からいくつも出てきた。
「縫い目は揃ってきた」
「客の話を聞く顔は、俺よりやわらかい」
「釘を打つ前に、靴をよく触る。悪くない」
「戻ってきたとき、負けた顔をしていた」
そこで、息が止まった。
父は知っていたのだ。
私がどんな顔で町へ戻ってきたか。
どれだけ自分を情けないと思っていたか。
知っていて、何も言わなかったのだ。
いや、言えなかったのだろう。
あの人はたぶん、「よく帰ってきた」と言う代わりに、作業台の空いた場所をそのままにしていた人なのだ。
「頼む」と言う代わりに、道具の置き場所を変えずに待っていた人なのだ。
紙を持つ手が震えた。
さらに一枚、さらに一枚と読む。
「修司は客に説明するとき、言葉を探す。そこは俺にない」
「店は、直す場所というより、また歩けるようにする場所だ」
「俺の言い方は悪い」
その一文で、視界が揺れた。
父は知っていたのだ。
自分の言葉が人を傷つけることを。
私がその言い方で、ずっと縮こまっていたことを。
知っていて、直せなかったのだろう。
人は、愛情がないから不器用なのではない。
愛情をどう渡していいかわからないまま、年を取ってしまうことがある。
そのことが、たまらなく悲しかった。
束の最後のほうに、あの日のことらしいメモがあった。
「寺本さんの靴、客の前で言うべきじゃなかった」
「言い方が悪い」
「だが、あの靴はまた沈む」
「修司は怒ると、俺にそっくりだ」
そこまで読んで、私はもうだめだった。
作業台に肘をついて、みっともなく泣いた。
金槌の頭が涙でぼやけた。
古い木の台に、ぽたぽたとしみができた。
父はわかっていたのだ。
私が何に傷ついていたのかも。
それなのに、うまく言えなかったのだ。
そして私もまた、父が何を言えなかったのかを、最後まで聞こうとしなかった。
親子というものは、ときどき似ているせいで駄目になる。
似ているからこそ、相手の下手さを見つけるたび、自分の下手さまで突きつけられる。
私はひどく泣いた。
泣きながら、父の背中を思い出していた。
まだ右手が動いたころ、店の灯りの下で、擦り減った靴底を削っていた背中。
冬の朝、かじかんだ手に息を吹きかけてから、学生靴のかかとを打っていた背中。
そして私が町を出る朝、玄関まで来なかったくせに、私の古いスニーカーの底だけは前の晩に黙って貼り直していた、その不器用な背中。
あれが、この人の言葉だったのだと思った。
最後の一枚のいちばん下に、少し細い字で一行だけ書いてあった。
「店は残せ。技術じゃなく、歩き方を預かる場所だから」
私は何度もその文を読んだ。
靴修理は、ただすり減った底を替える仕事だと思っていた。
古くなったものを延命するだけの、地味な仕事だと。
けれど父は、もっと別のものを見ていたのだろう。
その人がどこで踏ん張り、どこで躓き、どんな重さを引きずって歩いてきたのか。
靴には、その人の暮らしが出る。
それを預かるのだと、父は言いたかったのだ。
翌朝、私は店を開けた。
寺本さんが、あの黒い仕事靴を履いてやって来た。
「少し沈む感じがある」と言うので、私は頭を下げて、もう一度預かった。
内側の減りを見直し、詰め物を調整し、歩き方の癖に合わせてわずかに傾きを直す。
父の言った通りだった。
前のままでは、また同じところから傷んでいた。
寺本さんは修理の終わった靴を履いて、店の前を二、三歩歩いた。
それから振り向いて言った。
「お父さんの仕事に近づいたね」
私はうつむいて、「まだです」と答えた。
ほんとうに、まだだった。
けれど、まだ、でいい気もした。
継ぐというのは、そっくりになることではない。
言えなかった言葉ごと、受け取って先へ持っていくことなのだろう。
商店街の朝は、今日も革の匂いがする。
魚屋の水が流れ、パン屋の扉が鳴り、うちの店の前では、磨き終えた革靴がやわらかく光っている。
私は作業台の前に立ち、父のメモを引き出しへ戻す。
もう増えることのない字だ。
けれどその紙は、いまも店のどこかで、父の代わりに口をきいている気がする。
金槌を持つ。
革に触れる。
釘を打つ前に、靴底をそっと撫でる。
誰かが今日も、これを履いて歩いていく。
少しでもましな歩き方で、明日へ行けるように。
それができるなら、私は父から受け取ったものを、ようやく自分の手でつないでいけるのかもしれない。
シャッターの外では、学生がひとり駆けていく。
その靴音はまだ少し頼りない。
けれど、まっすぐだった。



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