【泣ける話】訪問看護師の娘が見つけた母の薬袋|病気を隠した母の祈り

Dreamy sunset in a serene apartment 家族の話

私は、他人の家の玄関を開ける仕事をしている。

訪問看護師というのは、そういう仕事だ。

「こんにちは」

と声をかけ、靴をそろえ、血圧を測り、薬の残りを確認し、眠れたか、食べられたか、痛みは増えていないかを聞く。

人は病院では患者になるが、家では生活者に戻る。

仏壇の花が枯れていること。

冷蔵庫の奥に賞味期限の切れた豆腐があること。

洗濯物の干し方が、先週より少し乱れていること。

そういう小さな変化を拾うのが、私の仕事だった。

拾ってきたつもりだった。

けれど、母のことだけは、何も拾えていなかった。

母は古い団地の三階にひとりで住んでいた。

エレベーターのない団地で、階段の踊り場には、誰かの自転車と、色の抜けた鉢植えが置いてあった。

雨の日はコンクリートが湿り、夏は手すりが熱を持ち、冬は鉄の扉が冷たく鳴った。

母の部屋は、六畳と台所だけの小さな部屋だった。

窓を開けると、遠くの小学校からチャイムが聞こえた。

私は月に二度ほど顔を出していた。

本当は、もっと行けた。

行けたのに、行かなかった。

忙しかったから。

そう言えば、いくらかまともな人間に見える。

けれど本当は、母の部屋に行くたび、自分が親不孝だと、はっきり分かってしまうのが怖かったのだ。

私は母の部屋でも、つい仕事の目をしていた。

台所の水切りかご。

冷蔵庫の中身。

ゴミ箱の量。

カレンダーの予定。

そんなものばかり見て、母の顔をちゃんと見ていなかった。

母はいつも笑っていた。

「仕事、大変やろ」

「ちゃんと食べとる?」

「人の世話ばっかりしとったら、自分が空っぽになるよ」

私はそのたびに、

「分かってる」

と答えた。

分かってなどいなかった。

分かっている顔だけが、年々うまくなっていった。

ある日、母の台所で薬袋を見つけた。

白い紙袋が、食器棚の下にいくつも重なっていた。

日付は新しいものもあれば、古いものもあった。

袋の角は丁寧に折られていて、母らしかった。

私はそれを見て、胸がざらついた。

「これ、何?」

母は鍋の火を弱めながら言った。

「ただの胃薬」

「こんなに?」

「年寄りは薬が増えるもんや」

「どこの病院?」

母は少し間を置いた。

「近所の内科」

私は薬袋を手に取った。

名前の欄には、母の名があった。

けれど、病院名は聞いたことのないものだった。

薬の名前も、胃薬だけではなかった。

私は職業柄、それを見れば、ある程度のことは分かる。

分かってしまう。

それが、その日だけは憎かった。

「なんで言わなかったの」

私の声は、仕事のときの声になっていた。

やさしいふりをした、逃げ場をふさぐ声。

母は笑った。

「言うほどのことやないから」

「言うほどのことかどうかは、私が見れば分かる」

その言い方が、どれほど傲慢だったか。

今なら分かる。

あのときの私は、母の娘ではなく、看護師の顔をした小さな裁判官だった。

「病気、隠してたの?」

母は振り向かなかった。

背中だけで、笑ったように見えた。

「隠すほど、立派な病気やないよ」

私は腹が立った。

心配しているのに。

娘が心配しているのに、どうして母は、いつも私の心配を軽く扱うのだろう。

そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

隣の佐伯さんだった。

同じ団地に長く住む人で、母より少し年上の女性だった。

「お母さん、これ。昨日の煮物」

そう言って小さな器を差し出した佐伯さんは、私を見るなり、少し気まずそうな顔をした。

私はその顔で、ますます嫌な予感がした。

「佐伯さんは、知ってたんですか」

母がすぐに言った。

「この子には言わんでええって、私が頼んだんよ」

その一言で、私の中の何かが硬くなった。

私だけが知らなかった。

他人には頼れて、娘には頼れなかった。

訪問看護師として、知らない家の玄関はいくらでも開けてきたのに、母は私にだけ、自分の玄関の内側を見せなかった。

「そうやって、また私を外に置くんやね」

言ってから、しまったと思った。

母の手が止まった。

味噌汁の湯気だけが、細くのぼっていた。

「外に置いたつもりはないよ」

母は静かに言った。

「中に入れたら、あんた、自分のせいにするやろ」

私は黙った。

「私は病気より、それが怖かったんよ」

その言葉が、私は嫌だった。

図星だったからだ。

私は昔から、悲しいことがあると、まず自分の罪を探す人間だった。

母が疲れていれば、私が来ないせい。

患者さんが亡くなれば、私の観察が足りなかったせい。

誰かが黙れば、私が何かを間違えたせい。

私はそうやって、自分を責めることで、世界を少しだけ理解した気になっていた。

「泣かないよ」

私は冷たく言った。

「仕事で、そういう人たくさん見てるから」

母は振り向いて、少しだけ悲しそうに笑った。

「そうやね」

その「そうやね」が、なぜか私には敗北に聞こえた。

それから私は、しばらく母の部屋に行かなかった。

電話はした。

でも短かった。

「薬、飲んでる?」

「飲んでるよ」

「病院、行った?」

「行ったよ」

「無理しないで」

「そっちこそ」

会話はいつも、薬袋の口みたいに、きっちり折られて終わった。

二か月後、母は救急搬送された。

連絡をくれたのは、佐伯さんだった。

「お母さん、階段の踊り場で座り込んでて」

私は訪問先から病院へ走った。

救急外来の白い光の中で、母は小さく横たわっていた。

驚くほど軽そうだった。

医師の説明を聞いた。

病気は、思っていたより進んでいた。

母は、ずっと通院していた。

検査もしていた。

薬も飲んでいた。

ただ、私にだけ言わなかった。

私は母のベッドの横に立ち、何を言えばいいか分からなかった。

看護師なのに。

毎日、人の家で「つらかったですね」と言っているのに。

自分の母には、その一言さえ出てこなかった。

母は目を開けた。

「来たん」

「来たよ」

「忙しいのに」

私は首を振った。

「なんで言わなかったの」

また、その言葉だった。

私は何度同じ刃物で母を刺すのだろう。

母は少し息を整えてから言った。

「あんたが悪い顔になるから」

「悪い顔?」

「自分を責める顔」

私は黙った。

「お母さんが病気やと知ったら、あんたはきっと、もっと来ればよかった、もっと気づけばよかったって、自分を叩くやろ」

母は私を見た。

「私は、それを見たくなかった」

病室の窓の外で、団地と同じような夕焼けが沈んでいた。

私は、母が私から病気を隠したのだと思っていた。

けれど母は、病気を隠したのではなかった。

私の中にいる、私を責める人間から、私を隠そうとしていたのだ。

数日後、母は少し容体が落ち着き、いったん団地へ戻ることになった。

私は休みを取り、母の部屋を片づけた。

台所の壁には、服薬カレンダーが掛けてあった。

月曜日から日曜日まで、小さなポケットが並んでいる。

朝、昼、夕、寝る前。

母は几帳面に薬を入れていた。

ただ、金曜日の夜だけ、空になっていなかった。

その日は私が電話した日だった。

私は、電話口で母にこう言った。

「薬、ちゃんと飲んでる?」

母は、

「飲んでるよ」

と答えた。

嘘だった。

いや、嘘というより、私を安心させるための小さな布だったのだろう。

私はそれを見て、また母を責めそうになった。

でも、その前に、自分の声を思い出した。

あの日の私の声は、確認ではなく、検査だった。

母は娘に看てもらいたかったのではない。

娘に裁かれたくなかったのだ。

食器棚の下には、まだ薬袋が残っていた。

白い袋。

少し黄ばんだ袋。

折り目のついた袋。

私はそれを一つずつ確認した。

空の袋は捨てようと思った。

そのとき、一番古い薬袋の底から、小さなメモが出てきた。

母の字だった。

丸くて、少し幼い字。

そこには、こう書かれていた。

「あの子が今日も、人の家でやさしくできますように」

私は息を止めた。

次の袋にも、メモがあった。

「あの子が夜勤明けに、ちゃんと眠れますように」

その次にも。

「あの子が患者さんの死を、自分のせいにしませんように」

涙が落ちた。

薬袋の白い紙に、丸い染みができた。

私は袋をめくり続けた。

「あの子が一人で泣く日、誰かがそばにいますように」

「あの子が私に怒っても、そのあと自分を嫌いになりませんように」

「あの子がご飯を食べますように」

「あの子が幸せを遠慮しませんように」

最後の薬袋には、震えた字でこう書かれていた。

「私の病気が、あの子の罰になりませんように」

私は畳の上に座り込んだ。

声を出さずに泣こうとした。

けれど、無理だった。

団地の薄い壁の向こうで、誰かのテレビの音がしていた。

小学生の笑い声が、階段の下から上がってきた。

母の部屋には、味噌と古い洗剤と、少しだけ薬の匂いがした。

私はその匂いの中で、ようやく子どもみたいに泣いた。

母は、私に何も残していないと思っていた。

通帳も少し。

古い茶碗が二つ。

色あせたカーディガン。

それくらいだと思っていた。

けれど母は、薬袋の底に、毎日祈りを隠していた。

病気の記録ではなく、私の明日を。

その夜、私は母のベッドの横に座った。

母は浅い眠りから覚め、私の顔を見た。

「見つけたん」

私はうなずいた。

「勝手に見てごめん」

母は小さく笑った。

「見つかるように入れといたんよ」

私は泣きながら笑った。

「ずるい」

「母親は、少しくらいずるくていいんよ」

私は母の手を握った。

薄くて、温かい手だった。

「お母さん」

「うん」

「私、怒ってごめん」

母は首を横に振った。

「怒れる相手がおるのは、ええことやよ」

「でも、もっと早く聞けばよかった」

「今、聞いとる」

母はそう言った。

それだけで、私は少し許された気がした。

完全にではない。

人はそんなに都合よく、自分を許せない。

でも、ほんの少し。

畳に落ちた夕日の分くらいは、許された気がした。

母はそれから、長くは生きなかった。

けれど最後の日まで、私は母の団地へ通った。

訪問看護師としてではなく、娘として。

血圧を測る前に、まず一緒にお茶を飲んだ。

薬を確認する前に、窓を開けて、遠くのチャイムを聞いた。

母はときどき、

「あんた、仕事みたいやね」

と言った。

私は、

「仕事より下手やよ」

と答えた。

母は笑った。

その笑い方は、薬よりもよく効いた。

母が亡くなったあと、佐伯さんが一冊の古いノートをくれた。

「お母さん、これ、あなたに渡してって」

表紙には、母の字でこう書かれていた。

「訪問記録」

私は胸が詰まった。

中を開くと、日付と短い言葉が並んでいた。

「娘、電話あり。声が疲れていた。無理に明るくしていた」

「娘、来訪。靴を脱ぐとき、ため息。煮物を持たせる」

「娘、怒る。怒る元気があってよかった」

そして、最後のページにこうあった。

「本日、娘が来た。看護師ではなく、娘の顔をしていた。ありがたい。もう心配は少しでよい」

私はそのページを、何度もなぞった。

母は最後まで、私を看ていた。

患者は母だったのに。

記録されていたのは、私のほうだった。

今も夜勤明け、どうしようもなく疲れた朝に、薬袋のメモを一枚読む。

「あの子が幸せを遠慮しませんように」

私はまだ、遠慮する。

幸せにも、人のやさしさにも、眠ることにさえ。

けれど、母の祈りを読むたびに、少しだけ布団に深くもぐる。

少しだけ、温かいものを食べる。

少しだけ、自分を責める声を小さくする。

団地の階段を上る母の足音は、もう聞こえない。

それでも私は、ときどき思う。

母はまだ、どこかの白い薬袋の底で、私の明日を祈っているのではないかと。

そして私は今日も、誰かの家の玄関を開ける。

「こんにちは」

そう言う声が、母に似てきたことを、まだ誰にも言えずにいる。

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