商店街の朝は、少しだけ寝起きの顔をしている。
魚屋の氷だけが威勢よく鳴って、八百屋の並べた大根にはまだ土がついている。パン屋のガラスは内側から曇っていて、その向こうで焼きたての湯気がぼんやり揺れている。
その通りの真ん中より少し奥に、うちの店はある。
野口時計店。
祖父の代から続く、小さな時計屋だ。
ガラス戸を開けると、金属と油と、少し湿った木の匂いがする。壁掛け時計、置時計、古い目覚まし時計、修理待ちの腕時計。いくつもの針がばらばらの速さで進んでいるくせに、なぜか店全体としては、ひとつの静かな呼吸みたいにまとまっている。
子どものころ、私はその音が好きだった。
好きだった、というより、安心していたのだと思う。
家の中で誰ともまともに話さない日でも、店の時計たちは黙らなかった。人間の機嫌より、針のほうがよほど正直で、私はずいぶん長いこと、そちらを信用して生きてきた。
いま、その店を継いでいるのは私である。
継いでいる、というのはいかにも覚悟のある言い方だが、実際には、どうにか潰さずに保っているだけかもしれない。スマートフォンで時間を見て、壊れたら買い替える時代に、町の時計屋なんて、古いことわざみたいなものだ。なくなると少し困るが、普段は誰も気にしない。
母は、そんな店をずっと支えていた。
表で客に笑い、奥で帳簿をつけ、仕入れ先に頭を下げ、祖父が死んだあとも、店の時計をひとつも止めなかった人である。
父は早くに家を出た。
だから私は、母と二人で育った。
二人で育った、という言い方も少し違うかもしれない。母は店を守るので精一杯で、私はその脇で、勝手に大きくなったような気がしている。
けれど、母はきちんと私を見ていたのだろう。
それを認めるのが、私はずっと嫌だった。
懸命な人を見ると、自分の怠けたところまで明るみに出される気がする。私はそういう卑しい子どもで、そういう卑しい大人になった。
母には、一本の古い腕時計があった。
小ぶりな銀色の腕時計で、革のベルトは端が擦れて少し白くなっていた。文字盤には細い傷がいくつも走っていて、光の当たり方によっては、時間より傷のほうがよく見えるくらいだった。
新しい時計はいくらでも店にあるのに、母は出かけるとき、いつもそれを巻いた。
高校生のころ、一度だけ私は聞いたことがある。
「なんでそんな古いの使ってるの」
母は自分の手首を見て、少し笑った。
「約束を忘れないようにね」
私はその先を聞かなかった。
聞けばきっと、まじめで、少し重たくて、私の自由の邪魔になる話が出てくる気がしたからだ。
若い私は、物にくっついた思い出や、言葉の奥にある気持ちというものを、妙に面倒くさがっていた。
時計は時間がわかればいい。
店は儲かればいい。
人は用件だけ伝えればいい。
そういうふうに生きていけると、本気で思っていた。
いま考えると、あまりに浅い。
けれど浅い人間というのは、自分が浅いことにいちばん最後まで気づかない。
私は時計の学校に行き、修理の技術を覚え、一度は都会の大きな修理会社へ出た。
だが長くは続かなかった。
精密さは褒められても、客の顔が見えない仕事は、どこか空っぽだった。いや、そう言うと聞こえはいいが、要するに私は、思うほど器用でも、思うほど強くもなかったのである。
結局、町へ戻って店を手伝うようになった。
そのとき母は、喜びすぎもしなければ、責めもしなかった。
「戻ってきてくれて助かる」
そう言っただけだった。
それが優しさだと、私はそのときわからなかった。
助かる、という言い方が、まるで私の都合や敗北や迷いを全部知ったうえで、そこには触れないようにしてくれているのだと、いまならわかる。
けれど当時の私は、その平静さが少ししゃくに障った。
もっと喜んでくれればよかったのだ。
もっと感謝されれば、自分の不甲斐なさが薄まる気がしたのだろう。
人は、自分が恥じているものほど、他人の反応で埋め合わせたくなる。
私はそういう、見苦しい息子だった。
母が倒れたのは、去年の秋だった。
命に別状はなかったが、入退院を繰り返すようになり、店に立つ時間はずいぶん減った。私は修理も接客も帳簿も、全部ひとりで回すことになった。
忙しかった。
朝はシャッターを上げ、昼は電池交換やベルト交換に追われ、夕方は修理の見積もりを書き、夜は伝票をまとめる。
忙しさは、本当に人を鈍くする。
けれど同時に、忙しさというものは、自分の鈍さを正当化するのにも都合がいい。
私はその便利さに甘えた。
母は退院してからも、ときどき店へ来た。
店の奥の小さな椅子に座って、帳簿を少し見たり、客に笑ったりするだけだった。客は母の顔を見ると安心したように言った。
「お母さんがいると店が落ち着くね」
「無理しないでくださいよ」
母は笑って、いつもの腕時計を撫でた。
「大丈夫。いるだけだから」
その“いるだけ”が、ある時期の私にはひどく重かった。
私は疲れていたし、苛立っていたし、何より、母の前では自分がまだ半人前に見えるのが嫌だった。
ある日の夕方、立て続けに修理が重なって、私は余裕をなくしていた。
置時計の振り子がうまく戻らず、常連の老人は急ぎだと言い、電話では仕入れ先が納期の話をしていた。母は奥の椅子で黙って帳簿を見ていた。
その沈黙が、なぜだか私を追い詰めた。
客が帰ったあと、私は言った。
「もう無理して出てこなくていいよ」
母は顔を上げた。
「無理はしてないよ」
「でも、こっちのペースが乱れるから」
言ってから、自分でも、なんて言い方だと思った。
けれど、私はすぐに訂正しなかった。
ほんとうはその時点で謝るべきだったのだ。
疲れてるだけだから、違うんだ、と。
けれど人は、まちがった直後ほど、引き返すのに妙な勇気がいる。
母は少し黙っていた。
それから自分の腕を見た。
あの古い腕時計が、その日も細い手首に巻かれていた。
「乱れる、って」
「気を遣うんだよ。座ってるだけでも」
もう二度目は、完全に私の意志だった。
私は相手を傷つけるとわかっていて、言ったのだ。
母は目を伏せた。
怒らなかった。
ただ小さく頷いて、
「そう」
と言った。
その静かさが、いちばんこたえた。
怒られれば、こちらも被害者の顔ができる。
けれど母は、私にその逃げ道をくれなかった。
「今日は帰るね」
それだけ言って、立ち上がった。
私は呼び止めなかった。
ルーペを目に当てたまま、動けなかった。
いや、動かなかった。
やさしさは、たいてい一秒で済むのに、その一秒を出し惜しみするのが私の悪い癖である。
母が店に来なくなったのは、それからだった。
私は体調のせいだと思うことにした。
そう思えば、自分の言葉が決定的だったかもしれないという可能性から、少し逃げられるからだ。
病院へ行けば、母は笑った。
「忙しいんでしょう」
「まあね」
「ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
そんな会話しかできなかった。
ほんとうは、あの日のことを謝りたかった。
けれど病院の白さの中で言い出すには、私の言葉はもう遅すぎた。
謝罪というのは、遅れるほど相手のためではなく、自分の安心のために見えてくる。
そのことも、私はどこかで知っていた。
だからこそ、余計に言えなかった。
冬の初め、母は亡くなった。
病院の白い枕の上で、ずいぶん静かな顔をしていた。
看護師が何か言っていた。
親戚も来ていた。
私は頷いたり書類に名前を書いたりした。
けれど、母の死そのものより、自分が最後までちゃんと謝れなかったことのほうが、ひどく現実味を持って胸に残った。
葬儀のあとの店は、妙に広く見えた。
店の奥の椅子が空いているだけで、こんなにも空洞になるのかと思った。
時計たちはいつも通り鳴っていた。
人が死んでも針は進む。
当たり前なのに、その無神経さがひどく腹立たしかった。
数日後、母の遺品を整理していて、あの腕時計が見つかった。
小ぶりな銀色のケース。
擦れた革ベルト。
留め具は少し緩んでいた。
私は職人の癖で、まず機械を見た。
ゼンマイはまだ生きていた。少し整えれば動く。
裏蓋を開けたとき、薄く折られた紙が挟まっているのに気づいた。
私は息を止めた。
時計の中に紙を入れるなんて、普通はしない。湿気で駄目になる。母がそんなことを知らないはずがない。
だから、わざとだったのだ。
紙を開くと、母の字があった。
丸くて、少し右上がりの、見慣れた字。
――もしこれをあなたが見つけたなら、私はちゃんと話せなかったのだと思います。
店の中で、秒針の音が急に大きくなった気がした。
手紙は短かったが、私には長かった。
母が若いころ、この店を継ぐかどうか迷っていたこと。祖父が亡くなる前の夜、この腕時計を渡しながら言ったこと。
「時間を守るためじゃない。約束を忘れないために持ちなさい」
その約束は、店を残すことではなかった。
店に来る人の時間を、粗末にしないこと。
遅れた人には事情がある。
止まった時計には、止まるまでの日々がある。
修理に持ち込まれるのは、ただの機械ではなく、その向こうにある誰かとの約束や、忘れたくない時間だ。
だから時計を直すというのは、針を動かすことではなく、その人の時間にもう一度居場所をつくることだ。
そう祖父は言い、母はその約束を守るために、あの古い腕時計を巻き続けていたのだと書いてあった。
私はそこまで読んで、すでに視界が揺れていた。
けれど本当にこたえたのは、その先だった。
――あなたにも、ちゃんと話そうと思っていました。
急いで継がせたかったのではありません。
ただ、あなたが忙しそうにしている顔を見るたび、約束を忘れているのは私ではなく、もしかしたらあなたのほうかもしれないと思って、言えなくなりました。
あの日、「ペースが乱れる」と言われたとき、少しだけ悲しかったです。
でも、あなたが疲れていたこともわかっていました。
人は疲れると、いちばん大事なものから順に見えなくなるから。
もし間に合うなら、この時計を一度、あなたの手で動かしてください。
それができたら、もう怒っていません。
約束は、忘れても、思い出せばやり直せるから。
私はそこで、とうとう泣いた。
みっともなく、店の作業台に額をつけて泣いた。
あの日の母の手首を思い出していた。
細い手首に巻かれた、傷だらけの銀色の腕時計。
私はずっと、あれを古臭い執着だと思っていた。
違ったのだ。
母は時間を見ていたのではない。
守れなかったことを忘れないために、巻いていたのだ。
そして忘れていたのは、母ではなく、私のほうだった。
客が時計を持ってくるとき、その人は壊れた機械だけを抱えてくるのではない。
死んだ夫にもらった時計かもしれない。
受験の日に父に買ってもらった時計かもしれない。
待ち合わせに遅れて、そのまま止まってしまった一日かもしれない。
私はそれを、忙しさの中でただの品物にしていた。
母が守っていた約束を、私はいつのまにか置き去りにしていたのだ。
その夜、私は腕時計を分解した。
油を差し、摩耗した部品を整え、汚れを拭き、細い針を傷つけないよう慎重に戻した。
文字盤の傷は消えなかった。
ベルトの擦れもそのままだった。
けれど中だけは、もう一度静かに息をしはじめるように整えた。
真夜中を過ぎたころ、秒針が、小さく確かな音を立てて進み出した。
その音を聞いたとき、また少し泣いた。
人は死ぬ。
言えなかったことは、そのまま遅れていく。
約束も忘れる。
けれど、ときどきこうして、止まったものがまた動き出す。
そういう瞬間があるから、人生は嫌なくせに、捨てきれない。
翌朝、私は店を開けた。
商店街は相変わらず少し眠そうで、魚屋の氷だけが元気だった。
私は店の奥の椅子を、ほんの少しだけ表へ近づけた。
母がよく座っていた場所だ。
それから、修理の終わったあの腕時計を、自分の手首に巻いた。
少し緩い。
けれど、不思議と落ち着いた。
昼すぎ、常連の老婦人が古い置時計を抱えて入ってきた。
「これ、主人がいたころからのなの。まだ直せるかしら」
私はその時計を両手で受け取った。
前より少しだけ、ゆっくりと。
「見てみます」
それから少し考えて、付け足した。
「急がなくて大丈夫ですか」
老婦人は、ほっとしたように笑った。
「ええ。待ちます」
待ってくれる時間もまた、約束のひとつなのだと、そのとき私は思った。
店じまいの前、私は奥の椅子を一度だけ見る。
もう誰も座っていない。
それでも、あの場所にはまだ、母の腕時計の秒針の音が残っている気がする。
約束というのは、守れた日より、守れなかった日によく姿を見せる。
けれど、だから終わりなのではないらしい。
思い出したあとからでも、人は少しずつ結び直せる。
私は手首の時計をそっと撫でる。
秒針は今日も、遅れず、急がず、きちんと進んでいる。
その小さな音のぶんだけ、これからは誰かの時間を、もう少し丁寧に預かっていこうと思う。
たぶんそれが、母とようやく交わせた、遅すぎるけれど本物の約束なのだ。



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