私は、子どもを愛してなどいない。
そんな恐ろしい告白をすれば、世間は私を冷酷な人間だと罵るだろう。
あるいは、職業倫理に欠ける恥知らずだと石を投げるかもしれない。
けれど、ひよこのアップリケが縫い付けられたパステルカラーのエプロンをまとい、園児たちの前で大仰な裏声を張り上げている私の内臓は、とうの昔にひからびている。
私はただ、毎月の給料と、「優しくて立派な保育士さん」という薄っぺらな社会的体裁のために、心を持たないからくり人形のように微笑み続けているに過ぎない。
二十五人の幼児が放つ無秩序な叫び声と、理不尽な要求。
保護者たちの身勝手なクレーム。
それらをさばくため、私は「効率」という名の刃物を振り回す。
泣き叫ぶ子どもを抱きしめる時も、私の目は常に壁の時計の針を追っている。
私はただ、この絶望的な「忙しさ」を回すための歯車なのだ。
そして、その忌まわしい「忙しさ」は、私を育てた父から受け継いだ、呪いのような血の証でもあった。
私の父は、小さな町工場で鉄を削って生きてきた男だ。
母を早くに亡くし、男手一つで私を育てたという美談の裏で、父は常に不在だった。
授業参観も、運動会も、保育園のお遊戯会すら、父の席はいつも空席だった。
「忙しいんだ。仕事だから仕方ないだろう」
油と鉄屑の匂いを染み込ませた作業着姿で、父はいつもそう言った。
私はその言葉を憎んだ。
私の寂しさを、大人の正当な理由で切り捨てる、その傲慢な響きを憎んでいた。
だからこそ、私は親の愛情に飢えた子どもたちを救うふりをして、保育士になったのかもしれない。
それなのに、今の私はどうだ。
自分の人生の余白をすべて仕事で埋め尽くし、かつて憎んだ父と同じように、「忙しさ」を免罪符にして他者を切り捨てている。
数年前に工場を畳み、軽い脳梗塞を患って足を引きずるようになった父とは、すっかり疎遠になっていた。
実家は隣町にあるが、顔を出すのは盆と正月くらいのものだ。
様子を見に行かなければという微かな良心は、常に「持ち帰りの仕事があるから」「行事の前で忙しいから」という都合の良い言い訳によって、いとも簡単に押し殺されていた。
事件が起きたのは、秋の運動会を目前に控えた、狂騒の木曜日だった。
園庭で、言うことを聞かない園児たちの整列に声を枯らしていた時だ。
ふとフェンスの向こう側に目をやって、私は心臓が凍りつく思いがした。
金網の向こう側に、ヨレヨレのジャンパーを着た父が立っていたのだ。
父は、フェンス越しにじっとこちらを見つめていた。
その手には、小さな茶封筒が握られている。
同僚の保育士たちが、不審者を見るような目でチラチラと父を窺っていた。
私は猛烈な羞恥心と、計画通りに仕事が進まないことへの苛立ちで、頭の血管が切れそうになった。
私は園児たちから離れ、フェンスへ向かって大股で歩み寄った。
「ちょっと、何してるの。こんなところで」
「おお……いや、近くまで来たから」
「私、今仕事中なの。見ればわかるでしょ?」
「運動会の前で、ものすごく忙しいの」
「暇を持て余してるお父さんとは違うんだから」
わざと、棘のある言葉を選んで投げつけた。
かつて私が言われた言葉への、見苦しい復讐だったかもしれない。
父は私の剣幕に少しだけ身を縮め、しわくちゃの茶封筒を金網の隙間から押し込んだ。
「これ。この前、家に来た時に忘れていったぞ。……破れてたからな」
「後にしてよ、もう!」
私は封筒をひったくるように受け取り、背を向けた。
父が何かを言いかけたような気がしたが、私は振り返らなかった。
自分の抱える「忙しさ」こそが絶対の正義であり、それに割り込む者はすべて悪であると、狂信者のように思い込んでいたのだ。
その夜、疲れ果ててアパートに帰り、ぐしゃぐしゃになった茶封筒を開けた。
中から出てきたのは、私の仕事用の「名札」だった。
フェルト生地で作られた、チューリップ型の名札。
ひらがなで私の名前が刺繍されているものだ。
先週末、数ヶ月ぶりに実家に立ち寄って着替えをした際、エプロンのポケットから落としてしまったらしい。
チューリップの葉の部分がほつれ、大きく破れていたため、新調しようと思って放置していたものだった。
しかし、封筒から出てきたその名札は、黒い太糸で縫い合わされていた。
ぞっとするほど、不格好な縫い目だった。
等間隔からは程遠く、フェルトを無理やり引き寄せたような、暴力的なまでの不器用さ。
老眼と、脳梗塞の後遺症で震える指先を必死に動かし、太い針を通したであろうことは、その歪な糸の軌跡から痛いほどに伝わってきた。
『破れてたからな』
フェンス越しに言った父の声を思い出し、胸の奥がチクリと痛んだ。
しかし、私はその痛みを、「余計なことをして」という舌打ちで強引に上書きし、名札を引き出しの奥に放り込んだ。
父が倒れたと病院から連絡があったのは、それから三日後のことだった。
幸い命に別状はなかったが、肺炎をこじらせており、しばらく入院が必要だという。
私は慌てて実家へ向かい、入院用の荷物をまとめるために、埃っぽい父の寝室に入った。
箪笥の引き出しを開け、下着やタオルを紙袋に詰め込んでいた時、奥の方から古びた一冊のノートが出てきた。
表紙には『れんらくちょう』と丸いひらがなで印刷されている。
私が通っていた保育園の、当時の連絡帳だった。
シミだらけで、カビの匂いがする。
どうしてこんなものが、下着の奥に大切にしまわれているのか。
私は、何かに憑かれたようにそのページをめくった。
前半には、若き日の担任保育士の丁寧な文字と、それに答える父の素っ気ない「拝見しました」「変わりありません」という走り書きが並んでいるだけだった。
忙しさを理由に、私という人間に向き合おうとしなかった父の冷徹な記録だ。
しかし、ノートの後半、当時使われずに白紙のまま残されていたページに差し掛かると、突如として、インクの新しい、震えるような文字が現れた。
『九月十日。今日も園のフェンスの外から様子を見た。』
『元気に走り回っていた。子どもたちに囲まれて、笑っていた。』
『昔、私が忙しさにかまけて、見てやれなかった笑顔だ。』
『十月二日。名札を忘れていった。少し破れていたので、縫ってみた。』
『昔、運動会のゼッケンを縫ってやれなかったことを思い出した。あの時はすまなかった。』
『今なら少しは時間が作れると思ったが、手がうまく動かない。』
『十月五日。また園に行ってしまった。忙しそうだった。怒らせてしまった。』
『あの子は昔の私と同じように、何かに追われている。』
『忙しいのは立派なことだが、どうか、私のように大事なものを見失わないでほしい。』
『謝りたかったが、邪魔をしてはいけないと思って帰った。』
それは、宛先のない、不器用な懺悔だった。
言葉を持たず、ただ鉄を削ることしか知らなかった男が、老いて衰え、ようやく手に入れた「時間」を使って書き綴った、遅すぎる贖罪の記録。
私自身が幼い頃に書き込まれるはずだった連絡帳の余白を、父は数十年という時を経て、不器用な愛で埋めようとしていたのだ。
ノートを持つ手が震え、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちた。
私は、なんという残酷なことをしてしまったのだろう。
父の不器用な歩み寄りを、「忙しさ」という名の見えない刃で、メッタ刺しにしてしまった。
私が忌み嫌っていたはずの父の冷たさを、私自身が最も色濃く継承し、そして、父自身に向けて振り下ろしていたのだ。
病室は、点滴の落ちる微かな音だけが支配する、静寂の空間だった。
ベッドの上で眠る父は、驚くほど小さく、薄い皮膚の下で浅い呼吸を繰り返していた。
その寝顔は、かつての威圧感など微塵もなく、ただの疲れ果てた老人のものだった。
私は、自分の胸元に視線を落とした。
新しいパステルカラーのエプロンには、あの不格好に縫い合わされた、いびつなチューリップの名札が安全ピンで留められている。
同僚からは「どうしたのそれ」と笑われたが、私にとっては、世界中のどんな勲章よりも価値のあるものだった。
私は、パイプ椅子を引き寄せ、父のベッドの傍らに腰を下ろした。
「お父さん」
かすれた声で呼んでみたが、返事はない。
それでよかった。
劇的な和解も、涙ながらの抱擁も、今の私たちには必要ない。
私はただ、父の点滴に繋がれていない方の、ゴツゴツとした冷たい手を両手で包み込んだ。
あの日、フェンス越しに突き放してしまった手を、今度こそしっかりと握りしめる。
時計の針は進み続けている。
明日の朝になれば、私はまたあの喧騒の中に身を投じ、偽善者の笑みを浮かべて「忙しい」日々を送るのだろう。
けれど、もう二度と、大切なものを見失うことはない。
この胸に咲く、不格好な太糸のチューリップが、私に本当の体温を教えてくれるからだ。
窓の外では、秋の夕陽が町を静かに赤く染め上げていた。
私は父が目を覚ますまで、この満たされた静寂の余白の中で、ただ静かに祈るように座り続けることにした。




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