【泣ける短編】祖父の遺品に残された通帳|役所職員が受け継いだ本当の財産

静かな夕暮れの日本の庭 家族の話

祖父が亡くなった朝、私は市役所の福祉窓口で、一人の老人に申請書を返していた。

「ここに印鑑が必要です。それから、通帳の写しも添えてください」

老人は耳が遠いらしく、私の説明を聞くたびに、何度も顔を近づけた。

後ろには順番を待つ人が並んでいた。

私は時計を見た。

「必要なものをそろえて、もう一度来てください」

親切に言ったつもりだった。

けれど、老人は書類を鞄へ戻しながら、

「もう一度、か」

と、小さくつぶやいた。

そのとき電話が鳴った。

祖父が、住宅街の古い家で亡くなったという知らせだった。

縁側に座り、庭の柿の木を見たまま、眠るように息を引き取っていたらしい。

膝の上には、茶色い封筒が置かれていた。

表には、私の名前が書かれていた。

     *

祖父は、住宅街のいちばん端にある平屋で一人暮らしをしていた。

門柱は傾き、雨樋は何度直しても外れた。

私は住宅改修の助成金や、見守りサービスの利用を勧めた。

けれど祖父は、

「まだ自分でできる」

と言って断った。

「役所の世話にはならん」

とも言った。

市役所に勤める私への当てつけだと思っていた。

祖父は、私が十二歳のときから親代わりだった。

母は病気で亡くなり、父は借金を残して姿を消した。

祖父は大工を続けながら、私を育てた。

毎朝の弁当には、卵焼きが二切れ入っていた。

一切れしかない日は、仕事が減っているのだと分かった。

私は気づかないふりをした。

子どもは大人が思うほど鈍くない。

ただ、気づいたあとに何を言えばよいのか知らないだけである。

十八歳の春、祖父は青い通帳を私に見せた。

「お前にかかった分は、ここに残してある」

私は、育てた金額を記録しているのだと思った。

いつか返せという意味だろう、と。

「分かった。働いたら返すよ」

祖父は驚いたように私を見た。

何か言いかけたが、結局、通帳を閉じた。

祖父は肝心なところで黙った。

そして私は、その沈黙の中へ、いつも自分に都合の悪い言葉を入れた。

     *

市役所への就職が決まった夜、祖父は赤飯を炊いた。

古い茶碗に山盛りにして、

「役所に入ったら、紙ばかり見て、人を見んようになるな」

と言った。

祝いの言葉にしては、ずいぶん棘があった。

私は箸を置いた。

「じいちゃんは役所が嫌いなんだろ」

「嫌いとは言っとらん」

「世話にならないって、いつも言ってるじゃないか」

祖父は黙った。

私は、その沈黙を軽蔑だと思った。

それから家を訪ねる回数が減った。

電話が来ても、

「今、忙しいから」

と切った。

忙しいという言葉は便利である。

会いたくない人にも、本当は会いたい人にも、同じように使える。

     *

葬儀のあと、祖父の家へ戻った。

縁側には飲みかけの番茶があり、新聞は朝刊のままだった。

祖父が膝に置いていた茶色い封筒を、私は仏壇の前で開いた。

中には、あの青い通帳と便箋が入っていた。

通帳には、私が小学生だったころからの入金が記録されていた。

千円。

二千円。

五百円。

祖父の仕事が少ない月は、入金も止まっていた。

高校入学の前には、大きな金額が振り込まれていた。

摘要欄には「就学援助」とあった。

そのほかにも、医療費助成、制服購入補助、給付金。

私は祖父が自分の稼ぎだけで、すべてを支えてくれたと思っていた。

便箋には、角張った字が並んでいた。

「お前にかかった金を記録していたのではない。

お前が誰から助けられたか、忘れんように残した。

制服も、教科書も、冬の靴も、いろんな人の税金で買えた。

お前が恥ずかしがると思い、言わなかった。

あのころの俺は、助けてくださいと言うことができた。

それが俺のした、いちばん立派な仕事だった」

私は通帳を持つ手に力を入れた。

祖父が制度を嫌っていたのではなかった。

支援を受けたことを、隠したかったのでもなかった。

便箋は続いていた。

「役所の世話にはならんと言ったのは、まだ自分でできる間は、もっと困っている人へ回してほしかったからだ。

だが、断ることが偉いわけではない。

必要なときに受け取るのも、生きる仕事だ。

紙の向こうにいる人を忘れるな。

役所まで来た人は、来るだけでずいぶん勇気を使っている」

最後の文字は震えていた。

「通帳の残りは、住宅街の子どもの学用品に使ってほしい。

返すのではない。

次へ渡すだけだ。

お前を育てたのは、俺一人ではない。

だから、お前も一人で誰かを救おうとするな」

私は畳の上へ座り込んだ。

祖父が残したのは、育てた金の請求書ではなかった。

誰かから受け取ったものを、次の誰かへ渡すための順番だった。

そのとき初めて、朝の老人の、

「もう一度、か」

という声を思い出した。

     *

休み明け、私は窓口の来庁記録から、あの老人が午後にもう一度来ていたことを知った。

しかし、通帳の写しが用意できず、申請せずに帰っていた。

私は上司に相談し、連絡先を確認して電話をかけた。

「先日は、説明が足りませんでした」

受話器の向こうで、老人はしばらく黙った。

「また行っても、いいのかね」

その言葉に、胸の奥が痛んだ。

「はい。今度は私が一緒に確認します」

数日後、老人は古い鞄を抱えて窓口へ来た。

私はカウンターの外へ出て、隣の椅子に座った。

印鑑の場所を確かめ、通帳の必要なページを一緒にコピーした。

手続きが終わると、老人は深く頭を下げた。

「紙のことは難しいな」

「私も、まだ分からないことがあります」

そう言うと、老人は初めて笑った。

     *

祖父の通帳に残っていたお金は、地域の社会福祉協議会を通じて、子どもたちの学用品に使われることになった。

通帳そのものは、今も私の机の引き出しにある。

残高はもう一円もない。

それでも私は、窓口で誰かに書類を返しそうになるたび、その青い表紙に触れる。

紙の向こうにいる人を忘れるな。

祖父の声がする。

私は、必要な制度を説明し、書けない人の隣に座る。

受け取ることを恥じる人には、昔の私たちも受け取ったのだと伝える。

祖父から私へ。

私から、まだ名前も知らない誰かへ。

受け取ったものは、返さなくてもよい。

次の人へ、渡せばよい。

それが祖父から受け継いだ、残高のない財産だった。

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