泣ける話 短編|母のメモに隠れていた最後の気遣いと白いハンカチ

柔らかな光の病院の廊下 泣ける話

母が死んだあと、私は白いハンカチを一枚だけ捨てられずにいる。

 

 別に高価なものではない。

 

 市立病院の売店で買った、ごくありふれた綿のハンカチだ。

 

 角に、小さな青い花の刺繍がある。

 

 洗うたび、少しずつやわらかくなって、少しずつくたびれていく。

 

 そういう、生活の中で静かに擦れていく種類の布である。

 

 私がそのハンカチを捨てられないのは、母が最後までそれを枕元に置いていたからだ。

 

 もっと正確に言えば、その意味を、母がいなくなってから知ってしまったからだ。

 

 人の気持ちは、わからないうちはただ面倒なだけなのに、わかった途端に刃物みたいになる。

 

 私はいまでも、ときどきその切れ味に指を切る。

 

 私は市立病院で清掃員をしている。

 

 朝は早い。

 

 外来の患者がまだ来る前、玄関ホールの床を拭き、待合室の椅子を整え、病棟のごみを回収し、手すりの消毒をして回る。

 

 誰かの命を直接救う仕事ではない。

 

 だが、どうでもいい仕事でもない。

 

 弱っている人は、案外、床の汚れや窓の曇りに敏感になる。

 

 自分の体が思うようにならないとき、人はせめて目に入るものぐらい整っていてほしいと思うのかもしれない。

 

 だから私は、床だけはきれいにしておきたいと思っている。

 

 そう言うと少し立派に聞こえるが、本当のところ、私はこの仕事に流れついただけだった。

 

 若いころは別の町で暮らしていた。

 

 結婚もした。

 

 けれど長続きはしなかった。

 

 夫婦というものは、他人同士がうまくやれたときだけ呼ばれる名前なのだろう。

 

 うまくやれなくなれば、ただの二人に戻る。

 

 私はその、戻ったあとの人間だった。

 

 実家へ帰ったとき、母は玄関先で私の荷物を見て、ため息まじりにこう言った。

 

 「帰ってくる場所があるだけ、あんたはまだましだよ」

 

 慰めだったのか、皮肉だったのか、いまだによくわからない。

 

 母は昔から、そういう言い方をする人だった。

 

 やさしいくせに、やさしさをまっすぐ渡せない。

 

 私はそのへんが、ひどく母に似た。

 

 だからたぶん、ぶつかるときは、まっすぐな相手より痛かったのだと思う。

 

 母は長いこと、町のクリーニング店で働いていた。

 

 朝早くからアイロンをかけ、昼には配達へ出て、夜は台所で洗いものをしながら、よく咳をしていた。

 

 私は子どものころ、その背中ばかり見て育った。

 

 母はあまり甘やかす人ではなかったが、冷たい人でもなかった。

 

 熱を出せば枕元におかゆを置いてくれたし、運動会の日には、見栄えのしない弁当をちゃんと持たせてくれた。

 

 ただ、「好きだよ」とか「無理しないで」とか、そういう言葉は、ほとんど口にしなかった。

 

 代わりに、「戸締まり見たの」とか、「靴下裏返しだよ」とか、「ちゃんと食べな」とか、そういうことばかり言った。

 

 私は若いころ、その細かさが嫌だった。

 

 もっと素直な言い方ができないのか、と何度も思った。

 

 けれど、いまになればわかる。

 

 あの人にとって世話を焼くということは、たぶん愛情そのものだったのだ。

 

 母が病気になったのは、五年前だった。

 

 最初は咳だった。

 

 ただの風邪だろう、と本人も私も思っていた。

 

 だが咳は長引き、痩せ方が少しずつおかしくなり、検査をしたら、笑えない名前の病気がついた。

 

 それから母は、自分が通っていた病院に、患者として入るようになった。

 

 私は清掃員として毎日その病院に入り、昼休みや仕事の合間に母の病室をのぞくようになった。

 

 「どう」

 

 と私が聞けば、

 

 「見てわからないの」

 

 と母が返す。

 

 「口は元気だね」

 

 と私が言えば、

 

 「それがなくなったら終わりだよ」

 

 と母が言う。

 

 そんなやりとりを、ずいぶん続けた。

 

 よくある親子らしい会話とは、少し違っていたかもしれない。

 

 けれど私たちなりには、あれで穏やかだった。

 

 母は昔から、気を遣うことで人を困らせる人だった。

 

 熱があるくせに「平気」と言う。

 

 洗濯物を持っていこうとすると「そんなことしなくていい」と言う。

 

 欲しいものがあるくせに「別にいらない」と言う。

 

 そのくせ、いらないと言ったあとで、少しだけ寂しそうな顔をする。

 

 私はそれが苦手だった。

 

 言いたいことがあるなら言えばいい、と何度も腹を立てた。

 

 だが母は、自分の痛みや願いを、人の前へ正面から出すのが苦手な人だったのだろう。

 

 遠慮と癖と諦めが、あの人の中で、もう分けられないものになっていたのかもしれない。

 

 だから、あの日のことも、たぶん母なりの気遣いだったのだ。

 

 その日は雨だった。

 

 午後の手術室前の床を拭き終えて、私はいつものように母の病室へ寄った。

 

 病室は静かだった。

 

 窓の外に、濡れた中庭の木が見えた。

 

 母は眠っていた。

 

 頬が少しこけて、口元だけが妙に頑固そうだった。

 

 ベッド脇のテーブルには、飲みかけの白湯と、薬の袋と、見覚えのある白いハンカチが置いてあった。

 

 そして、その横に小さなメモが一枚あった。

 

 母の字だった。

 

 少し右上がりで、ところどころ力の抜けた字だった。

 

 そこにはこう書いてあった。

 

 ハンカチ もういらない
 あしたから 来なくていい
 仕事に集中しなさい

 

 三行だった。

 

 たった三行なのに、胸の中で何かが嫌な音を立てた。

 

 来なくていい。

 

 その言葉は、思っている以上に、人のつまらない部分を簡単に刺す。

 

 私は毎日、十分か十五分でも顔を出していた。

 

 義務だとも、立派な孝行だとも思っていなかった。

 

 ただ、そうしないと、自分がひどい娘になる気がしたのだ。

 

 いや、違う。

 

 もっと正直に言えば、会っておきたかったのである。

 

 母はいつも、明日もそこにいるような顔をしていたが、その「明日」がどんどん当たり前ではなくなっているのを、私は知っていた。

 

 だから仕事の途中でも、モップの柄を壁に立てかけて、病室をのぞきに行っていた。

 

 それなのに、その紙には、もう来なくていい、とある。

 

 気を遣ってくれているのだと、その場で思えればよかった。

 

 だが、そのときの私は疲れていた。

 

 連日の残業で眠りも浅く、病院の乾いた空気と薬品の匂いにも、少しずつ心を削られていた。

 

 そこへ、あの三行だった。

 

 母が目を覚ましたとき、私はつい、きつい声で言った。

 

 「そんなに迷惑なら、もう来ないよ」

 

 母はすぐには意味がわからないような顔をした。

 

 それから私の手元のメモに目をやって、小さく眉を寄せた。

 

 「は?」

 

 「見たから。

 

 来なくていいんでしょ。

 

 仕事に集中しろって」

 

 母は何か言おうとした。

 

 その一瞬、私は待てばよかったのだ。

 

 待って、母の言葉を最後まで聞けばよかった。

 

 けれど私は、腹の立った気持ちのほうを先に口へ出した。

 

 「気を遣ってるつもりなんだろうけど、そういうの、ほんと感じ悪いよ」

 

 母は黙った。

 

 その沈黙が、かえって私には肯定のように見えた。

 

 いま思えば、違ったのだろう。

 

 ただ、うまく言葉を探していただけなのだろう。

 

 でも、そのときの私は、自分の痛みしか見ていなかった。

 

 「来てほしくないなら、そう言えばいいじゃない」

 

 そう言ってから、しまった、と思った。

 

 けれど口に出た言葉は、たいてい、出たあとでしか重さを持たない。

 

 母はしばらく私を見ていた。

 

 それから、ベッド脇の白いハンカチを指で折り直しながら、小さく

 

 「そう」

 

 と言った。

 

 その言い方が、思っていたより静かで、私はかえっていたたまれなくなった。

 

 その日は、それで帰った。

 

 帰り道、何度も言いすぎたと思った。

 

 歩道に溜まった雨水を見ながら、明日謝ればいい、とも思った。

 

 人は、明日があると思うと、今日の残酷さを安く見積もる。

 

 翌朝、母は急変した。

 

 意識が戻らないまま、三日後に死んだ。

 

 私はその三日のあいだ、病室で何度も母に話しかけた。

 

 謝ろうと思った。

 

 「昨日はごめん」と言えば、それで少しは違ったかもしれない。

 

 だが、眠っている人間に向かって謝ることは、どこか卑怯な気がした。

 

 聞く側が返事をできないところでだけ殊勝になるのは、やはりずるい。

 

 だから私は、「今日は晴れたよ」とか、「洗濯物、取り込んできた」とか、「売店のプリン、まだあるよ」とか、どうでもいいことばかり言っていた。

 

 肝心のことは、最後まで言えなかった。

 

 葬儀が終わり、実家の片づけをしていたとき、母の箪笥の引き出しから封筒が出てきた。

 

 表に私の名前はなかった。

 

 ただ、母の字で、病院のときのこととだけ書いてあった。

 

 胸が、いやなふうに鳴った。

 

 中には、見覚えのあるメモ帳の切れ端が入っていた。

 

 あの日、病室で見たものと同じ紙だった。

 

 そこにはこう書いてあった。

 

 ハンカチ もういらない
 あしたから 来なくていい

 

 そこまでは同じだった。

 

 けれど、その下に続きがあった。

 

 見ると帰れなくなるから
 あんたが困る
 しごと中の顔で
 泣かせたくない
 売店のハンカチは つかって

 

 私はその場に座り込んだ。

 

 しばらく息ができなかった。

 

 つまり母は、私を拒んでいたのではなかった。

 

 来たら私が帰れなくなると思っていたのだ。

 

 病室で弱っていく自分を見たら、私がそのあと仕事へ戻れなくなると、そう思っていたのだ。

 

 清掃の仕事は、遅れたからといって誰かがすぐ代われるものではない。

 

 持ち場を空ければ、ほかの人にしわ寄せがいく。

 

 母はそれを知っていた。

 

 だから、私を遠ざけようとした。

 

 最後まで、私の生活のほうを守ろうとしたのである。

 

 売店のハンカチは、母が入院してまもないころ、私が買ったものだった。

 

 点滴の管をつないだ手元が寒そうに見えて、「病院って乾くでしょ」と何気なく渡した。

 

 母は「子ども扱い」と笑った。

 

 けれど、ちゃんと受け取って、最後まで枕元に置いていた。

 

 そのことが、紙の文字より痛かった。

 

 私は泣いた。

 

 きれいな泣き方ではなかった。

 

 喉が先に詰まり、鼻水が出て、声まで子どもみたいになった。

 

 どうしてあの人は、「ありがとう」とか、「でも毎日はつらいから少し休みな」とか、そういうふうに言えなかったのだろう。

 

 どうして、こんな遠回りな書き方しかできなかったのだろう。

 

 けれど同時に、どうして私は、あの人の不器用さを、最後までわかってやれなかったのだろうとも思った。

 

 わかっていたはずなのに。

 

 この人は、気遣いが裏目に出る人だと、ずっと知っていたはずなのに。

 

 なのに私は、知っていることと、許すことを、別々に持っていた。

 

 母のやさしさは、いつも少し形が悪かった。

 

 その形の悪さを、私は長いこと愛情として受け取れなかった。

 

 けれど、愛情というものは、きれいな形ばかりではやって来ないのだろう。

 

 下手な言い方でしか差し出せない人もいる。

 

 押し返されるのが怖くて、わざと冷たい顔で渡す人もいる。

 

 母はたぶん、その類の人だった。

 

 そして私は、その類の人に育てられたから、自分もまた、似たような不器用さを身につけてしまったのだと思う。

 

 母が死んでから一週間ほど、私は仕事を休んだ。

 

 けれど、いつまでも休んでいるわけにはいかなかった。

 

 生活というものは、人の悲しみに案外容赦がない。

 

 ごみは出るし、洗濯物は溜まるし、腹は減る。

 

 それが残酷でもあり、救いでもある。

 

 復帰した朝、私はあの白いハンカチを制服のポケットに入れた。

 

 病院の廊下は、いつもどおりだった。

 

 外来の椅子は少し斜めで、自販機の前には小さな紙くずが落ちていて、夜勤の看護師の申し送りの声が遠くにした。

 

 私はモップをしぼり、黙って床を拭いた。

 

 すると、通りかかった看護師が立ち止まって、

 

 「戻ってこられてよかったです」

 

 と言った。

 

 私はうまく返事ができず、少し頭を下げただけだった。

 

 でも、その言葉は妙に胸へ残った。

 

 戻ってこられてよかった。

 

 それは、母の言葉の続きのように聞こえた。

 

 来なくていい、と書いた母が、本当は私を生活へ戻そうとしていたのだと、そのとき初めて腑に落ちたのである。

 

 生きている者は、生活を再開しなければならない。

 

 それは薄情だからではない。

 

 残された側が、ちゃんと食べて、働いて、眠っていくために必要なことなのだ。

 

 母は、その再開の最初の一歩を、あのぶっきらぼうなメモで作ろうとしたのかもしれなかった。

 

 昼休み、私は誰もいない休憩室でハンカチを広げた。

 

 青い小花の刺繍は、少しほつれていた。

 

 端のほうに、ごく薄い茶色いしみが残っていた。

 

 薬か、お茶か、それとも母の手のぬくもりの跡か、もうわからない。

 

 私はそれを丁寧にたたみなおして、またポケットへ入れた。

 

 そして午後も、いつもどおり廊下を磨いた。

 

 床には私の顔がぼんやり映った。

 

 泣いている顔ではなかった。

 

 かといって、もう平気な顔でもなかった。

 

 ただ、これからも生きていく人間の顔だった。

 

 そんな顔を、母がもし見たら、たぶん

 

 「ちゃんとやりな」

 

 とだけ言うだろう。

 

 それで十分なのだと思う。

 

 白いハンカチは、今日もポケットの中で、声もなく折りたたまれている。

 

 まっすぐではなかった母のやさしさも、言いすぎた私の後悔も、その中に一緒にしまわれている。

 

 それでも私は、朝になればまたモップを持つ。

 

 床を拭き、椅子を整え、窓の曇りをぬぐう。

 

 病室の前を通るたび、少しだけ胸は痛む。

 

 けれど、その痛みごと抱えたまま、私は働く。

 

 そうして生活を再開しつづけることが、たぶん、いなくなった人に対するいちばん静かな返事なのだと思っている。

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