父が死んだ日の夕方、私は中学三年生に連立方程式を教えていた。
窓の外では、冬の雨に濡れたバスが、郊外の駅前ロータリーを鈍い魚のように回っていた。
黒板に二本の式を書きながら、私は生徒たちに言った。
「片方だけ見ていても、答えにはたどり着けない。二つを結びつけるんだ」
今にして思えば、ずいぶん偉そうなことを言ったものだ。
私は父の言葉と父の沈黙を、最後まで結びつけることができなかったのに。
授業中、ポケットの携帯電話が三度震えた。
母からだった。
私は画面を伏せた。
受験前の大事な授業だったし、母の電話はたいてい、灯油を買ってきてほしいとか、父が鍵を失くしたとか、そういう急がない話だった。
あとでかけ直せばよい。
人は大切なものほど、「あとで」という棚に置いても腐らないと思っている。
授業が終わり、最後の生徒を送り出してから電話をかけると、母は泣いていた。
父が、塾の向かいにある駅前のベンチで倒れたという。
救急車が着いたときには、もう意識がなかった。
父のコートのポケットには、使いかけの小さな手帳と、私の好きだった栗羊羹が入っていた。
*
父は、駅の裏にある町工場で四十年働いた。
指の節は太く、爪の間にはいつも黒い油が残っていた。
口数の少ない人で、何を尋ねても、
「まあ、なんとかなる」
としか言わなかった。
私が大学を辞め、塾講師になると告げたときも、父はしばらく黙ったあと、
「先生か。偉くなったな」
と笑った。
私は、その言い方が嫌いだった。
大学も卒業できなかった人間が先生を名乗るのかと、皮肉を言われた気がしたのである。
「父さんみたいに、同じ工場で一生を終えるよりはいいよ」
私はそう言った。
言ってから、父の顔を見なかった。
父も何も言わなかった。
それから私たちは、話さなくなった。
正確に言えば、父は何度も電話をくれた。
「飯は食ってるか」
「塾は寒くないか」
「駅前の本屋、閉まるらしいぞ」
どれも、今でなくてもよい話だった。
私は授業の準備や面談や模試の採点に追われていた。
忙しいんだ、と何度も言った。
父はそのたび、
「そうか。邪魔したな」
と言って電話を切った。
その言葉さえ、私は責められているように感じた。
父は言葉を選ぶのが下手だった。
そして私は、父の言葉の中から、自分が傷つく意味だけを選ぶのが上手だった。
*
葬儀の三日後、母から父の手帳を渡された。
黒いビニール表紙の、百円ショップで売っているような手帳だった。
中には工場の予定が並んでいた。
「八ミリボルト 二十本」
「第二倉庫 ベルト交換」
「母さん 薬」
几帳面な小さな字だった。
ページをめくると、途中から私の予定が書かれていた。
「四月十二日 新学期講習」
「六月二十日 保護者面談 遅い」
「八月 夏期講習 電話しない」
「十二月 受験前 邪魔しない」
胸の奥に、冷たいものが落ちた。
「どうして、父さんが俺の予定を知ってるの」
母は台所で、父の湯呑みを新聞紙に包んでいた。
「塾のホームページを見てたのよ。電話しても迷惑にならない日を探してたみたい」
私は手帳を閉じた。
それくらいで泣くものかと思った。
いまさら泣けば、私は自分を許すために泣くことになる。
そんな涙は、あまりに身勝手だった。
*
塾へ戻った夜、私は父が倒れたベンチに座った。
雨は上がっていたが、木の座面はまだ湿っていた。
父の手帳を開くと、最後のページだけが空白になっていた。
いや、空白だと思っていた。
ページの折り目に、細く畳まれた紙が挟まっていた。
塾の生徒募集のチラシだった。
裏側に、父の字でメモが書かれていた。
「約束のこと。
あいつが小学校のとき、駅前で泣いていた。
算数のテストで零点を取って、明日から学校へ行かないと言った。
分からないことは恥ではない。
分かるまで、誰かに聞けばいい。
そう言ったら、あいつは、大人になったら、分からない子の隣に座ると言った。
本人は忘れていると思う。
でも、ちゃんと約束を守っている。
今日は顔だけ見て帰る。
忙しそうなら、声はかけない」
最後に、少し離れて一行だけあった。
「先生になって、偉くなったな」
同じ言葉だった。
あの日、私が皮肉だと思った言葉。
父は、最初から一度も私を笑っていなかった。
父は私に会いに来たのではない。
約束を守っている私を、道路の向こうから見に来たのだ。
声をかければ邪魔になると思い、雨のベンチに座って、授業が終わるのを待っていた。
私は顔を上げた。
塾の二階には、まだ教室の明かりがついていた。
あの窓の向こうにいた私は、黒板ばかり見ていた。
父は最後まで、こちらを見ていたのに。
発車ベルが鳴った。
改札へ向かう人々の中で、私は手帳を胸に押しつけた。
安いビニールの角が、肋骨に食い込んだ。
痛かった。
その痛みだけが、もう触れることのできない父の指のようだった。
私は声を殺して泣いた。
父さん、と呼んだ。
返事はなかった。
けれど、生きているあいだにも、私は父の返事を聞こうとはしなかったのだ。
*
春、一人の少年が塾に入ってきた。
数学が苦手で、答案を返すたび、
「どうせ僕は馬鹿だから」
と笑った。
その笑い方が、昔の私によく似ていた。
ある夜、授業が終わっても、少年は席を立たなかった。
「先生。分からないって、恥ずかしいですか」
私は立派なことを言おうとして、やめた。
父の言葉を借りるなら、きれいに借りたくはなかった。
私は少年の隣の椅子を引き、腰を下ろした。
「恥ずかしくないよ」
少年は顔を上げた。
「分かるまで、ここにいる」
少年は黙って鉛筆を握り直した。
窓の外では、最終バスが父のベンチの前をゆっくり曲がっていった。
私は机の引き出しから手帳を取り出し、父が残した最後の空欄に、今日の日付を書いた。
その下に、二行だけ書き足した。
「約束のつづき。
父さん。今度は、私が隣に座る」
返事はなかった。
けれど私は、もうそれを悲しいとは思わなかった。
約束というものは、二人で交わすだけのものではない。
一人がいなくなったあと、残された者が守りつづけることもある。
私は少年のノートを開き、最初の式を指さした。
「ここから、もう一度やろう」
あの日、父にかけ直せなかった電話の代わりに。
今度こそ、目の前の誰かを置いていかないために。




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