私は、人に暮らし方を思い出してもらう仕事をしている。
作業療法士という仕事は、歩けるかどうかだけを見るのではない。
箸を持てるか。
服のボタンを留められるか。
洗濯物をたためるか。
湯のみを持って、自分でお茶を飲めるか。
そういう小さな動作を、私は毎日、真面目な顔で数えている。
人は、大きな夢を失う前に、まず小さな朝を失う。
歯を磨くこと。
カーテンを開けること。
いつものカップで、いつもの飲み物を飲むこと。
私はそれを知っていた。
知っていたはずだった。
けれど、母の朝が少しずつ消えていく音だけは、聞こえていなかった。
母は、白いマグカップを使っていた。
私が高校生の頃、母の日に買ったものだ。
安物だった。
駅前の雑貨屋で、赤い値引き札がついていた。
白地に小さな青い花が二つ描かれていて、取っ手のところに少しだけ欠けがあった。
私はそれを、照れくさそうに渡した。
「安かったから」
余計なことを言った。
母はそれでも、両手で受け取って、
「これで毎朝コーヒー飲むわ」
と言った。
本当に、それからずっと使っていた。
取っ手の欠けを親指でなぞりながら、母は毎朝、薄いインスタントコーヒーを飲んだ。
私が夜勤明けで実家に寄ると、母は決まって言った。
「一杯だけ飲んでいきなさい」
私は決まって断った。
「時間ない」
「冷める前に」
「だから、忙しいって」
忙しい。
便利な言葉だった。
それを言えば、母のさみしそうな顔にも、台所の椅子にも、湯気の立つマグカップにも、背を向けられた。
私は患者さんには言えた。
「焦らなくて大丈夫ですよ」
「ゆっくりでいいですよ」
「一緒にやりましょう」
けれど母には、いつも急いでいた。
母は私が帰るたび、玄関まで見送りに来た。
そして必ず、
「信号、急がんでいいよ」
と言った。
私は笑って、
「子どもじゃないんだから」
と返した。
母は、
「子どもやなくても、急いだら転ぶ」
と言った。
それもまた、私はうるさいと思っていた。
母の言葉はいつも、私を引き止める紐のように感じられた。
本当は、ほどけかけた私を結び直すためのものだったのに。
母が入院したのは、秋の終わりだった。
病名を聞いたとき、私はなぜか冷静だった。
冷静というより、仕事の顔に逃げたのだと思う。
医師の説明を聞きながら、治療方針や副作用や退院後の生活を頭の中で整理していた。
ベッド柵。
ポータブルトイレ。
食事動作。
自宅復帰の可能性。
そういう言葉が、次々に浮かんだ。
母の手が膝の上で小さく震えていることに、私は気づかなかった。
いや、気づいていたのに、見ないことにした。
見たら、娘になってしまうからだ。
娘になると、私は役に立たない。
「大丈夫。ちゃんと段取りするから」
私が言うと、母は笑った。
「また忙しくなるね」
その言葉に、私は少し苛立った。
「そういう言い方しないで」
母は驚いた顔をした。
「私、何か悪いこと言った?」
「いつもそう。忙しい忙しいって、私が冷たいみたいに」
言ってから、しまったと思った。
母は黙った。
病室の窓の外では、枯れかけた銀杏の葉が、黄色い紙くずみたいに舞っていた。
しばらくして母は、
「冷たいなんて、思ったことないよ」
と言った。
でも私は、その言葉を受け取らなかった。
受け取るには、私はあまりに忙しすぎた。
いや、忙しいことにしておきたかった。
母はそれから、私の忙しさを気にするようになった。
「今日は来なくていいよ」
「仕事優先して」
「無理せんで」
それはやさしさだった。
けれど私は、それを拒絶のように受け取った。
母は私を必要としていない。
私がいてもいなくても同じなのだ。
そんな馬鹿げた勘違いを、私は大事に抱えた。
自分が傷つく理由が欲しかったのだ。
入院中、母のベッドサイドには、あの白いマグカップが置いてあった。
病院の売店で売っている新しいカップではなく、家から持ってきた古いものだった。
「持ってきたの?」
私が聞くと、母は照れたように笑った。
「これがあると、朝って感じがするから」
私は、
「割れたら危ないよ」
と言った。
他に言い方はいくらでもあったはずなのに。
懐かしいね。
まだ使ってたんだ。
ありがとう。
そんな言葉は、私の中でいつも支度が遅い。
口から出るころには、もう間に合わない。
母の病状は、少しずつ進んだ。
手に力が入りにくくなり、スプーンを落とすことが増えた。
私はリハビリ室で、母に上肢の訓練をした。
タオルをたたむ。
洗濯ばさみをつまむ。
ペットボトルのふたを開ける。
小さな輪を棒に通す。
そして、コップを持ち上げる。
母は真面目に取り組んだ。
「先生、厳しいね」
母は冗談めかして言った。
私は笑えなかった。
「今やっておかないと、退院してから困るから」
「退院できるかな」
「できるようにするの」
私は正しいことを言っていた。
正しいことほど、人を傷つけることがある。
その事実を、私はまだ知らないふりをしていた。
母はマグカップだけは、途中で手を止めた。
「重いね」
「軽いカップに変えようか」
私が言うと、母は首を振った。
「これで飲みたい」
私は職業的に考えた。
安全性。
持ちやすさ。
疲労の少なさ。
そういう正しいことばかりが先に立った。
「無理しないで。別のにしよう」
母は少しだけ寂しそうに笑った。
「あなたは仕事になると、ほんとに正しいね」
その言葉が、胸に刺さった。
正しい。
私はたぶん、正しさで母を傷つけていた。
それでも私は、正しさを手放せなかった。
間違えたら、母を失う気がした。
実際には、正しくしていても、人は失われていくのに。
ある日、私は大きなミスをした。
訪問予定の調整と、病院のカンファレンスと、母の面会が重なった。
母から電話が来た。
「今日、来られる?」
「ごめん、今日は無理。明日行く」
「少しだけでいいんだけど」
「本当に忙しいの」
電話の向こうで、母は黙った。
数秒の沈黙。
私はその沈黙に耐えられず、
「何か急ぎ?」
と聞いた。
母は小さく笑った。
「ううん。急ぎじゃない」
それが、母との最後の普通の会話になった。
翌朝、母の容体が急変した。
私が病院に着いたとき、母は眠っているような顔をしていた。
枕元には、白いマグカップがあった。
中には、飲みかけの薄いコーヒーが冷めて残っていた。
看護師さんが、ためらいがちに教えてくれた。
「昨日、お母様、ずっとカップを持っていらっしゃいました」
「何か、言ってましたか」
「娘が来たら、一緒に飲むって」
私はその場で崩れそうになった。
昨日、母は私と朝を飲みたかったのだ。
治療の相談でも、遺言でも、深刻な話でもない。
ただ、私に来てほしかった。
一杯のコーヒーが冷めるくらいの時間だけ。
葬儀が終わったあと、私は母の荷物を整理した。
病院の紙袋の中に、タオル、カーディガン、歯ブラシ、そして白いマグカップが入っていた。
取っ手の欠けは、昔より丸くなっていた。
底に、茶色い輪じみがついていた。
私はそれを洗おうとして、手を止めた。
スマートフォンが一緒に入っていた。
母のものではない。
病院のスタッフが、
「お母様から預かっていました」
と言って渡してくれたものだった。
中には一本の動画が保存されていた。
録画メッセージ。
撮影したのは、母だった。
画面の中の母は、病室のベッドに座っていた。
膝の上に白いマグカップを置いていた。
顔色は悪かったが、口元だけはいつもの母だった。
「これ、見てるということは、私は少し先に行ったんやね」
母はそう言って、困ったように笑った。
私は床に座り込んだ。
動画の中で、母はマグカップの取っ手を撫でていた。
「あんた、忙しい忙しいって、よく言ってたね」
私は息を止めた。
「お母さん、あれを責めてたんじゃないよ。忙しくできる場所があることは、幸せなことやと思ってた」
画面が少し揺れた。
母の手も、声も、震えていた。
「でもね、たまには冷めてもいいから、座りなさい」
涙が落ちた。
「仕事で人の生活を大事にしてるあんたが、自分の生活を置き去りにせんように。それだけが心配でした」
母は少し咳をした。
それから、マグカップを持ち上げようとして、途中で諦めた。
けれど、笑った。
「このカップ、重くなったねえ。でも、これで飲む朝が好きでした」
少し間があった。
「高いものじゃなかったね。あんた、渡すとき、安かったからって言ったね。覚えとる?」
私は泣きながらうなずいた。
母には見えないのに。
「でも私は、うれしかった。安いものを選んだあんたが、レジの前できっと迷ったと思うと、かわいくてね」
母はマグカップの取っ手を、また撫でた。
「あんたがこれを選ぶくらい、まだ不器用な子どもだった頃を思い出せるから、私はこれが好きでした」
私は声を出して泣いた。
母は続けた。
「最後に来られなかったこと、気にせんでいいよ。あんたは来なかったんじゃない。ずっと、いろんな人のところへ行ってたんやから」
私は首を振った。
違う。
そんなふうに許さないで。
責めてくれたほうが、まだ楽だった。
母は画面の中で、私を見つめるように言った。
「でも、ひとつ約束して。朝、ちゃんと飲みものを飲むこと。座って飲むこと。できれば、誰かと飲むこと」
少し間があった。
「それが無理な日は、このカップで飲んで。私はそこにいるから」
動画はそこで終わらなかった。
母は最後に、少し照れたように笑った。
「作業療法士さん。人の暮らしを戻すなら、自分の暮らしも捨てんでね」
そこで画面は暗くなった。
私はスマートフォンを抱えたまま、長いこと動けなかった。
悲しみというのは、もっと鋭いものだと思っていた。
けれど実際には、冷めたコーヒーのように、静かに底へ沈む。
泣いても、叫んでも、底に残る。
それでも、その底に、少しだけ甘さがあることを、私はその日知った。
母のマグカップは、今も私の台所にある。
私は朝、そこにコーヒーを入れる。
インスタントで、薄くて、母の味に似ている。
忙しい日は、つい立ったまま飲みそうになる。
そのたびに、私は椅子に座る。
座って、両手でカップを持つ。
それだけのことに、最初は泣いた。
今も、少し泣く。
けれど泣きながらでも、飲めるようになった。
仕事では、患者さんに言う言葉が少し変わった。
「正しい方法」だけを押しつけるのを、少しやめた。
軽いカップにしましょう、と言う前に、
「いつものカップで飲みたいですか」
と聞くようになった。
ボタンを留める練習をする前に、
「その服を着て、どこへ行きたいですか」
と聞くようになった。
箸の持ち方を見る前に、
「何を食べたいですか」
と聞くようになった。
その人が失いたくない朝を、まず聞くようになった。
私は母を救えなかった。
そう思う日は、まだある。
けれど母は、私の朝をひとつ救っていった。
白いマグカップの底には、落ちきらない光が少し残る。
私はそれを飲み干してから、家を出る。
玄関で靴を履く前に、台所を振り返る。
窓辺のマグカップは、いつも静かにそこにある。
まるで母が、
「行ってらっしゃい」
を言うためだけに、今日も朝を残してくれているように。



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