母の病気を知ったのは、私が患者に「痛みを隠さないでください」と説明している最中だった。
廊下を通り過ぎた車椅子に、母が乗っていた。
頬は痩せ、膝には見覚えのある灰色のひざ掛けが掛かっていた。
母は私と目が合うと、叱られた子どものように顔を伏せた。
私は病院で理学療法士をしている。
人の歩き方を見れば、どこをかばい、どの筋肉が弱っているか、おおよその見当がつく。
少なくとも、白衣を着ている私は、そういう立派な人間のつもりだった。
けれど人間は、他人の小さな歩幅の変化には気づけても、母親の嘘には簡単につまずくらしい。
母は半年前から、電話のたびに「少し腰が痛い」と言っていた。
病院へ行くよう勧めると、決まって笑った。
「年を取れば、体の一つや二つは痛むものよ」
画面越しに話すとき、母はいつも台所の椅子へ座っていた。
立って見せてと言えばよかった。
歩いているところを見せてと言えばよかった。
しかし私は仕事の疲れを理由に、十分ほど話すと電話を切った。
母の痛みを、老化という便利な箱へ押し込んだのである。
病名は、進行した膵臓がんだった。
腰の痛みは、骨への転移によるものだった。
母は隣町の病院へ通い、私には知らせないでほしいと頼んでいた。
けれど痛みが強くなって自宅で倒れ、私の勤める病院へ搬送された。
「いつから知っていたの」
病室で尋ねると、母は窓のほうを向いた。
「春から」
「どうして黙っていたの」
「言ったら、あんた、仕事を休むでしょう」
「当たり前じゃない」
母は困ったように笑った。
「だから言えなかったのよ」
その言葉に、私は腹を立てた。
母のために何もできなかった半年を、母の気遣いだけで済ませてほしくなかった。
「私をそんなに頼りないと思っていたの」
「そうじゃない」
「じゃあ、どうして」
母は何か言いかけた。
けれど私は答えを待たず、病室を出た。
理学療法士になった年、私は初めて担当した患者を肺炎で亡くした。
もっと早く起こしていれば。
もっと歩かせていれば。
泣きながら同じ言葉を繰り返す私に、母は何も言わず、雨で濡れた白い仕事靴をストーブの前で乾かしてくれた。
翌朝、母は小さなお守りを差し出した。
白い布に、青い糸で二つの足跡が縫われていた。
「神社に、こんなお守りがあったの」
「なかったから、作ったのよ」
中には近所の神社でもらった紙札を、折って入れたらしい。
「歩けない人が、また歩けますように」
私はそのお守りを白衣のポケットへ入れ、八年間持ち歩いた。
母が入院した日、私はそれをベッド脇へ置いた。
「今度は、母さんを守ってもらうから」
母はお守りを握り、悲しそうに笑った。
私は母を歩かせなければならないと思った。
担当医と母の理学療法士に確認し、痛みの範囲内で足首や膝を動かした。
母は黙って私に従った。
けれど、それはリハビリというより、私が何かをしていると思い込むための儀式だったのかもしれない。
ある夕方、担当者から借りた歩行器を病室へ運ぶと、母は首を振った。
「今日は、もう歩かなくていい」
「数歩だけでも動かないと、もっと歩けなくなるよ」
「もう、いいの」
「よくない」
私は娘ではなく、理学療法士の声で言った。
「本人が諦めたら、何もできない」
母はしばらく私を見ていた。
「そうね。ごめんなさい」
その夜、母の容体が急変した。
私が駆けつけたときには、母の手はもう冷たくなり始めていた。
最後まで私は、その手を握ることができなかった。
握れば、母がもう歩けないことを認めるような気がしたのだ。
葬儀から数日後、病棟の看護師から白い封筒を渡された。
「お母様が、あなたに渡してほしいと」
中には、入院した日に母がもらった未使用の問診票と、あのお守りが入っていた。
表の「現在、最も困っていること」という欄には、
《娘に病気を隠していること》
と書かれていた。
「治療について望むこと」の欄には、
《痛みを減らして、娘の前では普通に歩きたい》
とあった。
私は紙を裏返した。
《あなたを頼りないと思ったのではありません》
《あなたが一生、「母を救えなかった」と背負うことが怖かったのです》
《初めての患者さんが亡くなった夜のことを、私は覚えています》
《あなたは、できなかったことを全部、自分のせいにする子でした》
《歩けない人を歩かせるのは、立派な仕事です》
《でも、もう歩けない人の隣に座ることも、同じくらい大切な仕事だと思います》
文字は、そこから大きく揺れていた。
《歩かなくていいと言った日、本当は運動をやめたかったのではありません》
《ただ、あなたに手を握ってほしかった》
《あのお守りに入れた願いは、患者さんのことだけではありません》
《あなたが、自分を責めすぎませんように》
最後に、小さな文字で記されていた。
《あなたが今日も、誰かのそばにいられますように》
私は問診票とお守りを胸に抱き、病院の廊下で泣いた。
母を歩かせることばかり考え、母の隣に座ることを忘れていた。
治そうとすることに夢中で、母が差し出していた手を見ていなかった。
今も私は、理学療法士を続けている。
けれど「必ず歩けます」とは、言わなくなった。
歩けないかもしれない人にも、治らないかもしれない人にも、まず隣へ座る。
そして必要なら、何も言わず、その人の手を握る。
母のお守りは、今も白衣のポケットに入っている。
仕事を始める前、私は布越しに二つの足跡へ触れる。
どうか今日、治せない誰かを一人にしませんように。
どうか母が、もう痛みのない場所を、好きなだけ歩いていますように。
それが今の私にできる、いちばん静かな祈りである。




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