父の転勤で、別々に暮らすことになった姉弟。
最後の家族写真を嫌がっていた姉が、弟の言葉で気づく「空いた場所」の意味を描いた短編です。
読了目安:5分
家族写真の空いた場所
引っ越しの段ボールは、家をだんだん他人のものにしていった。
本棚が空になると、壁が広く見えた。食器棚がなくなると、台所の音がよく響いた。父の転勤先へ、母と弟の蒼太は一緒に行く。
私は高校二年で、卒業まで伯母の家から学校へ通うことになった。
「すぐ会えるよ」
母はそう言った。
すぐ、という言葉は便利だと思う。
来週も、来月も、いつかも、みんな同じ顔で言えてしまうからだ。
蒼太は、引っ越しの話が決まってから、私に前よりよく話しかけるようになった。
「ねえちゃん、向こうに来ないの?」
「卒業したらね」
「卒業って、いつ?」
「来年」
蒼太はしばらく指を折っていた。
「長いね」
そう言われると、私も急に一年が長く思えた。
引っ越し前日の夕方、父が古いカメラを持ってきた。
「最後に、ここで写真を撮ろうか」
母はすぐに笑って、「いいね」と言った。
蒼太も、さっきまでゲームをしていたくせに、妙に張り切った。
「四人で撮る?」
私は首を振った。
「いい。写真なんか」
父の手が止まった。
「嫌か」
「嫌っていうか……撮ったって、どうせ私はいないじゃん」
言ってから、自分でも少し意地悪だったと思った。
でも、止められなかった。
母が何か言おうとしたけれど、父はカメラを下ろした。
「そうだな。無理に撮ることはない」
それだけだった。
父は怒らない人だ。
怒らないかわりに、困った顔をする。その顔を見ると、私はいつも、父のためではなく、自分の居心地の悪さから謝りたくなる。
その夜、蒼太は私の部屋に来た。
「ねえちゃん、明日、見送りに来る?」
「行くよ」
「写真、撮らないの?」
「まだ言うの」
「だって、ねえちゃん、消えちゃうみたいだから」
蒼太は泣いていなかった。
泣いていないから、余計に困った。
「消えないよ。学校が終わったら、遊びに行く」
「でも、うちの新しい家に、ねえちゃんの部屋ないよ」
私は返事ができなかった。
父の転勤が決まったとき、私だけ残ると言ったのは自分だった。友達も、部活も、今の学校も手放したくなかった。
正しい選択だったと思っていた。
けれど、正しい選択は、ときどき誰かの寂しさを置いていく。
蒼太は部屋の壁を指差した。
そこには、小学校に入る前に撮った家族写真が飾ってあった。父が私を肩車して、母が笑い、蒼太はまだ母に抱かれている。
「これ、持っていくの?」
「たぶんね」
「じゃあ、ここ、空っぽになるね」
写真を外したあとの壁には、四角い色の違いが残る。
日焼けしていない、白い場所。
蒼太はそれを見ながら言った。
「空っぽのところって、ずっと空っぽ?」
私は、その夜は答えられなかった。
翌朝、トラックが家の前に来た。
蒼太は何度も靴を脱いで、何もない部屋を歩き回った。自分の声が響くのがおもしろいのか、少し笑っていた。
父は最後に、壁から家族写真を外した。
その下に、白い四角が残った。
私は急に、昨日の蒼太の言葉を思い出した。
空っぽのところって、ずっと空っぽ?
「お父さん」
私は言った。
「写真、撮ろう」
父がこちらを見た。
母も、蒼太も、動かなかった。
「でも、四人そろってない」
蒼太が小さく言った。
私はスマホを取り出した。
「今はそろってるよ」
タイマーをセットし、玄関の靴箱の上に置いた。
父は一度だけ、私の肩に手を置いた。
四人で並んだ。
引っ越し先へ行く三人と、ここに残る一人。
それでも、写真の中では、ちゃんと四人だった。
撮影音が鳴ったあと、蒼太がスマホの画面をのぞき込んだ。
「ねえちゃん、消えてない」
「消えないって言ったでしょ」
「うん。でも、写真で見るとほんとだね」
母は何も言わず、少しだけ目を細めた。
父はカメラを持ったまま、玄関の外を見ていた。
「また撮ろう」
父が言った。
「新しい家でも。こっちでも」
私はうなずいた。
トラックが角を曲がって見えなくなるまで、蒼太は後ろの窓から手を振っていた。
一週間後、伯母の家でスマホに写真が届いた。
新しい家の冷蔵庫に、あの日の写真が貼られていた。
その横に蒼太が描いたらしい、四人の絵がある。
少し離れたところに描かれた私にも、ちゃんと同じ色の家があった。
壁に残った白い四角は、空っぽの場所ではなかった。
次に何を飾るか、待っていてくれる場所だった。
この短編のテーマ
離れて暮らすことは、家族でなくなることではありません。同じ場所にいられない寂しさを抱えながらも、つながりを選び直していく家族の姿を描きました。
こんな人に読んでほしい話です
- 引っ越しや進学、転勤で家族と離れて暮らした経験がある方
- 兄弟姉妹との距離が変わる時期にいる方
- 家族写真を見ると、当時の気持ちを思い出す方
心に残るポイント
写真は、ただ過去を残すためのものではありません。離れていても「四人でいる」と確かめるために、新しく撮ることもできます。空いた場所を悲しむだけでなく、次の思い出を待つ場所に変える小さな救いを込めました。




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