祖母が入院したのは、梅雨の匂いが病院の白い壁にまで、じっとりと沁み込んでくるような六月の終わりだった。
私はその病院で働く作業療法士だった。
祖母が患者として運ばれてきたと聞いたとき、私は驚いた、というより、胸の奥に長いこと置きっぱなしにしていた鈍い石を、誰かにそっと指で押されたような気がした。
ついに来たのだ、と思った。
来てほしくないものほど、ほんとうは前から気づいている。
気づいていながら、見ないふりをする。
人間というものは、案外そういう卑怯なところで暮らしている。
祖母の痩せ方。
電話口で妙に明るすぎる声。
買い物袋を持つ手のふるえ。
立ち上がるとき、胸を押さえる一瞬。
そういう小さな破綻を、私は何度も見てきた。
けれどそのたびに、忙しいから、今度行こう、休みができたら、などと、自分で自分に言い訳をしていた。
病院の廊下は、いつもと同じようにワックスの匂いがしていた。
看護師が早足に行き交い、点滴台の車輪が床を鳴らし、どこかの部屋でテレビがついている。
世界はいつも通りで、だからこそ、祖母がこの中にいることだけが不自然だった。
病室の扉を開けると、祖母は少しだけ上体を起こして、こちらを見た。
「おや、来たがけ」
その言い方が、あまりにも普段通りで、私は返事につまった。
「来るよ」
「仕事中やろ」
「少しだけ」
祖母は笑った。
その笑い方が、昔から変わらなかった。
私が小学校のころ、算数のテストで六十八点をとって泣いたときも、祖母は同じ顔で「百点ばっかりが人生じゃないちゃ」と笑った。
あのころはそれが腹立たしかった。
今は、その無責任なくらい柔らかな顔つきが、ありがたくてたまらない。
けれど、そのありがたさを素直に受け取れるほど、私は大人でもなかった。
「なんで言ってくれなかったの」
口をついて出たのは、思いやりより先に、責める響きだった。
祖母は一瞬だけ視線を落とし、枕元の小さなお守りに指をかけた。
紺色の布に金糸で文字が縫い込まれた、ありふれたお守りだった。
祖母がずっと持っているそれを、私は子どものころ一度だけ見覚えがあった。
「言ったら、あんた来るやろ」
「行くよ、当たり前でしょ」
「仕事あるがに」
「そんなの、どうにでもなる」
そう言った瞬間、自分の言葉の軽さが嫌になった。
どうにでもなるはずのことを、私はずっと、どうにもしてこなかったのだ。
何ヶ月も顔を見せなかった。
休みの日は疲れて寝て、たまに実家の近くまで行っても寄らずに帰った。
祖母は一度も責めなかった。
責めない人に対して、人はかえって残酷になる。
「隠すなんて、ひどいよ」
祖母は少し黙ってから、静かに言った。
「ひどいかねえ」
「ひどいよ」
「そうかもしれんねえ」
その素直さが、私は苦手だった。
私が怒れば怒るほど、相手が柔らかくなる。
すると怒っている自分のほうが、ひどく醜く見えてしまうからだ。
「私、家族なのに」
祖母はそこでようやく私をまっすぐ見た。
「あんたは家族やよ。大事な」
「じゃあ、なんで」
「大事やからやよ」
その返事の意味が、すぐにはわからなかった。
祖母は言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「あんた、人の痛いの、自分のことみたいに持って帰るやろ」
私は黙った。
祖母の言う通りだった。
リハビリで患者さんが歩けなくて泣いた日、私は家に帰ってからもその顔が離れなかった。
認知の進んだ人に怒鳴られた夜は、自分が責められているわけでもないのに眠れなかった。
うまく救えないたび、救えるふりをして働いている自分が嫌になった。
それを祖母は、見抜いていたのだろう。
「仕事で毎日しんどい思いしとるに、わたしまで背負わせたら悪いと思うた」
私は思わず笑ってしまった。
乾いた、情けない笑いだった。
「買いかぶりすぎだよ。私そんな、立派じゃない」
「立派かどうかは知らんけど、やさしい子ではある」
「やさしいなら、もっと会いに来てるよ」
言ったあとで、しまったと思った。
けれど祖母は怒らなかった。
「来んでも、わたしはうれしかったよ。元気に働いとるなら」
「よくないよ、それ」
「そうけ」
「そうだよ。そうやって、何でも一人で決めて。心配かけたくないとか言って、勝手に我慢して。ずるい」
祖母は少しだけ目を見開いた。
私はそこでようやく、自分が祖母に怒っているのではなく、自分自身を責めたいのに、その矛先を祖母に向けているだけだと気づいた。
本当にずるいのは、私のほうだった。
「私だって、そばにいたかった」
声が掠れた。
「知ってたら、もっと、何か……」
その先が言えなかった。
何か、の中身が自分でもわからないからだ。
会えたかもしれない。
支えられたかもしれない。
でも、それは全部、あとからならいくらでも言えることだった。
祖母は私の手を見ていた。
仕事柄、消毒で荒れた指先だった。
「あんたの手、つかれとるねえ」
私は返事をしなかった。
祖母は少し笑った。
「小さいころは、ぷくぷくしとったに」
その一言で、不意に記憶が開いた。
小学生の冬、私はしもやけで真っ赤になった手を、祖母の膝の上に乗せていた。
祖母はストーブの前で私の指を一本ずつ包み込み、「手はな、人を助けるもんやよ」と言った。
あのときは意味がわからなかった。
温かかったことだけ覚えている。
「覚えとる?」
祖母が言った。
「……何を」
「遠足の日のお守り」
私は息をのんだ。
忘れていたはずの記憶が、そこで急に輪郭を持った。
祖母が「転ばんように」と私の鞄につけてくれたお守りを、私は友だちに見られるのが嫌で、いらない、と投げたのだった。
祖母は何も言わずに拾って、自分の財布にしまった。
そのときの私は、自分が誰かを傷つけたことにさえ気づいていなかった。
「まだ持っとったん」
「そりゃあ、あんたにもろうたもんやから」
「あれ、もらったんじゃないよ。押しつけたの」
「おんなじことやよ」
私は泣きそうになった。
人は勝手だ。
自分が忘れていた場面を、相手だけがずっと宝物みたいに持っていたと知ると、それだけで胸がつぶれそうになる。
数日後、祖母の状態は少しずつ落ちていった。
私は担当ではなかったが、空き時間を見つけては病室へ寄った。
寄るたび祖母は、「食べとる?」とか「寝とる?」とか、そういうことばかり聞いた。
自分の苦しさについては、ほとんど話さなかった。
一度だけ、夜勤明けの朝に寄ったとき、祖母は酸素の管をつけたまま、窓の外を見ていた。
雨上がりで、中庭の紫陽花が濡れていた。
「きれいやねえ」
祖母が言った。
「うん」
「死ぬのはいややけど、きれいなもん見たら、まあいいかと思う日もあるねえ」
私は思わず、やめてよ、と言った。
祖母は少し驚いてから、小さく笑った。
「そうやね。ごめん」
また、その「ごめん」だった。
私はそのたびに、自分が追いつめられる気がした。
謝るのは私のほうだった。
けれど謝ったところで、病気は治らないし、時間も戻らない。
人は取り返しのつかない場面ほど、何を言えばいいかわからなくなる。
主治医から説明を受けたのは、その翌日だった。
もう長くない、と言われた。
母は泣いていた。
私は泣けなかった。
泣くには、まだ現実が整いすぎていた。
白い説明室、机、椅子、書類、医師の整った言葉。
あまりに整いすぎた場所では、人の心はかえって置いていかれる。
祖母が亡くなったのは、その三日後の明け方だった。
電話で呼ばれ、駆けつけたときには、もう白い布が顔にかかっていた。
私はそれをすぐにめくれなかった。
ベッドの脇の椅子に、祖母のカーディガンがかかっていた。
そのポケットから、あのお守りが少しだけ見えていた。
私はそれを握って、ようやく泣いた。
泣きながら、自分でも馬鹿みたいだと思うようなことを考えていた。
もっと悪い人が先に死ねばいいのに、とか。
祖母みたいな人がいなくなるのは、どう考えても間違っている、とか。
そんなことを考えても仕方がないのに、そう考えずにはいられなかった。
葬儀のあと、母が遺品を整理していて、一枚の紙を私に渡した。
「これ、あんた宛てみたい」
病院の問診票だった。
氏名、生年月日、既往歴、緊急連絡先。
その無機質な紙の裏に、祖母の字があった。
少し震えた、でもたしかに祖母の字だった。
私は台所の椅子に座って、それを読んだ。
ゆきへ
病気のこと、言わんでごめん。
怒るやろなあと思います。
でも、あんたはやさしいから、知ったら自分を責めるやろと思いました。
わたしは、おばあちゃんやから、あんたにしてやれることが少ないです。
せめて元気なあんたを守りたかったです。
小さいとき、ころんで泣いとったあんたに、お守り渡したら、いらんて言われたねえ。
あのとき、この子は強い子になると思いました。
でも、強い子は、見えんところでたくさん泣くことも知りました。
しんどい人の手をにぎる仕事をしてくれて、ありがとう。
手は、薬より効くことがあるね。
あんたの手に助けられた人は、きっといっぱいおるよ。
わたしはもう大丈夫やから、
こんどは自分のことも、少し大事にしてください。
かなしい日は、お守りをにぎってください。
おばあちゃんは、死んでも心配性やから、たぶん、ずっと祈っとる。
祖母より
読み終えるころには、紙が涙で波打っていた。
祖母は最後まで祖母だった。
自分が死ぬことより、そのあと私が壊れないかどうかのほうを気にしていた。
そんなふうに愛されていたのに、私はずっと、愛されている証拠ではなく、足りなかった時間の証拠ばかり数えていた。
後悔というものは、失ったことそのものより、自分の鈍さに対して生まれるのかもしれない。
なぜ気づかなかったのか。
なぜもっと会いに行かなかったのか。
なぜ、あんな言い方をしたのか。
その「なぜ」は消えない。
たぶん一生消えない。
けれど、消えないままでも、人は明日働いてしまう。
朝が来れば制服に袖を通し、笑って挨拶をして、誰かの腕を支え、立ち上がる練習を手伝う。
生きるというのは、案外その程度の、こまごました継続でできている。
今、私は祖母のお守りを名札の裏に入れている。
患者さんの手を取るたび、そこに小さな重みを感じる。
どうしようもなく疲れる日がある。
誰の役にも立てなかった気がして、ロッカーの前で立ち尽くす日もある。
そんなとき、私は名札の裏に触れる。
すると不思議なことに、叱られているようでもあり、撫でられているようでもある。
先週、新しく入院してきた高齢の女性が、訓練の途中でぽつりと言った。
「迷惑ばっかりかけて、もう生きとっても仕方ないわ」
私は少し考えて、その人の手を握った。
「そんなことないです」
ありふれた言葉だった。
けれど、その人は少し泣いて、ほんの少しだけ指に力を返してくれた。
祖母の言葉どおり、手は薬より効くことがあるのだと思った。
病院の玄関を出ると、雨が上がっていた。
雲の切れ目に、夕方の薄い光が差していた。
私は空を見上げて、お守りを握った。
祈る、ということが、いまだによくわからない。
奇跡を起こすわけでもない。
死んだ人を戻すわけでもない。
過去を書き換えるわけでもない。
ただ、今日をもう一日だけ、だれかにやさしく生きてみようと思わせる。
祈りとは、たぶん、そのためにある。
そして私は知っている。
自分がずっと、祈られていたことを。
祖母はもういない。
それでも、ときどき私の手のなかで、あのお守りだけが、まだぬくもっている気がする。



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