雨の路地というものは、どうしてあんなに、人の言えなかったことに似ているのだろうと思います。
晴れた昼間なら、ただの抜け道にすぎない細い道が、雨の夜になると急に、胸の奥のやわらかいところへ通じているみたいに見える。
濡れたアスファルトにネオンがにじみ、排水溝へ吸いこまれていく水が、誰かのため息みたいに細く鳴る。
私はそういう夜に、よく思い出すのです。
母のことを。
そして、あの録音のことを。
私はラジオ局でADをしています。
アシスタントディレクター、なんて言うと少し格好がつきますが、実際のところは、雑用の綺麗な言い換えみたいなものです。
台本を印刷し、出演者の到着を確認し、収録ブースの時間を押さえ、ディレクターに呼ばれれば走り、ミキサーに頼まれれば走り、誰かが忘れ物をすれば取りに戻る。
ラジオは声の仕事ですけれど、その声がちゃんと放送まで辿り着くには、無数の名もない手足が必要で、私はいまのところ、その手足のほうでした。
この仕事は好きでした。
音だけで、誰かの夜を少しだけやわらかくできるところが。
声ひとつで、見たこともない相手の孤独に、細い灯りを置けるところが。
でも同時に、私は少し怯えてもいました。
声というものは、形がないくせに、ひどく残酷だからです。
文章なら読み返して直せることも、いちど口から出た声は、その人の体温ごと、他人に渡ってしまう。
私はそれが怖くて、仕事では人の声を扱いながら、自分の本音だけはずっと喉の奥へしまい込んでいました。
母に対しても、そうでした。
母は昔から、秘密の多い人でした。
浮気をしていたとか、借金があったとか、そういう派手な秘密ではありません。
もっと地味で、もっと厄介な種類の秘密です。
自分のつらさを言わない。
助けてほしいを飲み込む。
ほんとうに言いたいことほど、笑って別の話にしてしまう。
そういう秘密です。
父は私が小さいころに出ていきました。
詳しい事情は知りません。
母は「縁がなかっただけ」と言って、それ以上は語りませんでした。
私はひとりっ子で、母はスーパーの惣菜部門で働きながら私を育てました。
朝は早く、帰りは遅い。
惣菜売り場の油の匂いを服につけて帰ってきて、それでも台所へ立ち、私の弁当箱を洗い、次の日の米を研ぐ。
そのくせ、弱音は言わない。
疲れた、と言ったのを、私はほとんど聞いたことがありません。
帰宅すると、母はよくラジオをつけました。
小さな台所に、古い卓上ラジオがひとつ置いてあって、味噌汁を温める音の横で、パーソナリティが天気の話をしたり、リスナーの葉書を読んだりする。
私は子どものころ、その声たちに少し嫉妬していました。
母は私より先に、ラジオのほうへ「ただいま」と言うようなところがあったからです。
「声があると、部屋が一人じゃなくなるでしょう」
母はそう言って笑いました。
あのころの私は、その言葉の意味を少しもわかっていませんでした。
さみしい、という言葉を言わない人は、さみしくないのだと思っていたのです。
私がラジオ局に就職したとき、母は喜びました。
といっても、大げさに褒めるわけではなく、「あんた、とうとう声の出る箱の中に入ったのね」と、妙な言い方をした。
私は笑いましたが、本当は少し嬉しかったのです。
母が自分の好きなものと、私を並べて見てくれた気がしたからです。
最初のころ、私は仕事の話をよくしました。
どんな番組に入ったとか、芸人が本番前は意外と静かだとか、深夜のスタジオは蛍光灯の音まで聞こえるとか。
母は楽しそうに聞いて、「そのうち、あんたの声も流れるの」と聞いたりした。
私は「裏方だから」と笑って答えました。
でも、そういう会話は長くは続きませんでした。
就職して二年目くらいから、私は忙しくなりました。
深夜の生放送。
週末の特番。
改編期のばたばた。
帰宅が午前二時になることもあれば、そのまま仮眠室で朝を迎えることもある。
生活が崩れると、人はまず、いちばん甘えていい相手への言い方を間違えるものらしいです。
母は相変わらず、私の部屋の電気がつくのを待っているようなところがありました。
「ごはん温める?」
「ちゃんと寝てるの?」
「顔色悪いよ」
たぶん、それはただの心配でした。
でも、くたくたに疲れて帰った夜の私には、小言にしか聞こえませんでした。
ある晩、私はとうとう言ってしまったのです。
「いちいち監視しないでくれる?」
母は少し黙りました。
それから、「監視じゃないよ」と言った。
私は止まりませんでした。
「こっちは仕事してるんだよ」
「暇じゃないんだから、毎回そんなふうに構われても困る」
母はそこで、いつものように笑いました。
困ったときに使う、小さな、うすい笑いでした。
「そうだねえ」
その言い方が、かえって私を苛立たせました。
怒ればいいのに。
言い返せばいいのに。
そうすればこっちだって、こんなに悪い人間にならずに済むのに。
でも母は怒らない。
怒らずに、引く。
それが、私にはずるく見えたのです。
そのころから、母はときどき体調を崩すようになっていました。
咳が長引いたり、立ちくらみがしたり、食欲が落ちたり。
洗面所に長く座りこんでいる日もあった。
私は気づいていました。
でも深く聞きませんでした。
聞けば、なにか面倒なことになる気がしたのです。
病院へ付き添うとか、仕事を調整するとか、そういう“ちゃんとした子ども”の役目が、自分の前に現れてしまう気がして。
私はそれを、見ないふりでやりすごしていました。
そういう自分の卑怯さを、忙しさで包んで。
ある雨の夜、収録終わりで局を出ると、母から珍しく音声メッセージが入っていました。
留守電というより、録音に近いものでした。
母はスマホが苦手で、電話をかけるつもりが録音になってしまうことがよくあったのです。
再生すると、最初に雨音が入っていました。
それから、少し息の上がった母の声。
『あんた、いま仕事中だよね』
そこでいちど、間があく。
『べつに、用事じゃないの』
『ただ、ちょっとだけ……』
また間があいて、遠くで車の音がした。
『このまえ、言いすぎたかと思って』
私はその場で立ち止まりました。
局の裏手の路地に、雨が街灯に白く降っていました。
録音は続きました。
『監視なんかじゃないのよ』
『帰ってくる音がすると、安心するだけ』
『あんたがラジオの仕事してるの、ほんとはすごく嬉しいの』
私は息を止めました。
母はさらに続けました。
『私ね、あんたが小さいころ、寝たあとで、よくラジオに話しかけてたの』
ここで母は、小さく笑いました。
『変だよね』
『でも、返事のない相手に喋る練習みたいなものだったのかもしれない』
その言葉を聞いた瞬間、私は母の小さな台所を思い出しました。
夕方の油の匂い。
湯気で曇った窓。
流しの横の古いラジオ。
母はあの狭い場所で、一人の夜を、声に向かって越えていたのです。
私はそれを、ただの癖だと思っていた。
録音はまだ続いていました。
『ほんとはね、病院、行ってるの』
『黙っててごめん』
『たいしたことないって言われたけど、ちょっと怖くて』
『でも、あんた忙しいから、言えなかった』
その瞬間、私は路地の真ん中で立ち尽くしました。
秘密。
母の秘密は、またこういう形だったのです。
自分の怖さを黙って、相手の忙しさを理由にする。
私はすぐ電話をかけ直しました。
けれど繋がりませんでした。
何度かけても、呼び出し音だけが鳴る。
雨がひどくなってきて、私は仕方なくタクシーを拾い、実家へ向かいました。
母は家にいませんでした。
近所の人が、救急車で運ばれたと教えてくれました。
私はその足で病院へ行きました。
母は病室で、酸素マスクをつけて眠っていました。
肺炎でした。
前から症状はあったのに、無理をしていたらしい。
医師は「重いですが、処置はしています」と言いました。
私は母のベッドの横で、あの録音を何度も聞きました。
イヤホンをせずに、小さな音で。
雨音。
息づかい。
少し照れたような母の声。
それを聞くたび、私は胸の中の何かが、ゆっくり崩れていくのを感じました。
母はずっと、私に気持ちを渡そうとしていたのです。
ただ、その渡し方が下手だった。
心配は小言みたいになり、寂しさは世話焼きに見え、怖さは秘密になる。
私はそれを、束縛だと誤解していた。
ほんとうは、母の「帰ってくる音がすると安心する」は、愛情のほとんど全部だったのに。
母は三日後に亡くなりました。
意識は最後まで、はっきり戻りませんでした。
私は「ごめん」とも「ありがとう」とも、ちゃんと言えませんでした。
その代わりにしたことといえば、ベッドのそばで母の手を握り、あの録音を何度も再生したことくらいです。
まるで、母の声で母を呼び戻せるとでも思ったみたいに。
葬儀のあと、私はしばらく仕事に戻れませんでした。
音を扱う仕事なのに、声を聞くのがつらかったのです。
ブースで笑うパーソナリティの声も、リスナーの明るい投稿も、全部どこか遠く、薄っぺらく感じた。
そんなある日、先輩ディレクターが言いました。
「おまえ、素材整理くらいならできるか」
古い収録データや未使用音源を分類する、地味な作業でした。
私は黙って頷きました。
ひとりでヘッドホンをつけ、誰もいない編集室で、何時間も音声を聞き分ける。
その仕事の途中で、私はふと思い立って、母のあの録音をパソコンに取り込みました。
仕事のためではありません。
消えないようにしたかったのです。
再生してみると、スマホで聞いていたときより、ずっと細かい音が入っていました。
雨の路地を通る自転車のベル。
ビニール傘をたたく雨粒。
遠くの商店街の有線放送。
そして、母が言葉と言葉のあいだで、何度も息を飲み込む小さな音。
私はそこで、録音の最後に、これまで気づかなかった小さな声が入っているのを見つけました。
ほとんど聞き取れないほどの、小さな独り言でした。
波形を拡大し、何度もノイズを落として、ようやく聞き取れた。
『あの子の声、ラジオで聞けたらいいのにねえ』
私は、そこで完全に泣き崩れました。
母は、私の仕事をちゃんと見ていたのです。
見ていて、誇らしかったのです。
でもそれを、直接は言えなかった。
私もまた、母のことを、ちゃんと受け取ろうとしなかった。
秘密にしていたのは、母だけではありませんでした。
私は私で、母に感謝していることも、怖かったことも、仕事で少し誇らしく思っている自分のことも、何ひとつ言わずにいたのです。
受け取り損ねていたのは、愛情だけではなかった。
母の人生そのものだったのかもしれない、と、そのとき思いました。
しばらくして、私は深夜の小さなコーナーを任されるようになりました。
本当に短い、三分ほどの朗読枠です。
スポンサーもなく、目立たない。
でも私は、その最初の回で、名前を伏せたまま、一通の手紙を読みました。
母への手紙でした。
『帰ってくる音を待ってくれていたこと、あとから知りました』
『監視じゃなくて、安心だったのですね』
『私はそれを、ずっと受け取り損ねていました』
読んでいるあいだ、私はひどく震えました。
でも、不思議と声は途切れませんでした。
たぶん、あれは私の声でありながら、ずっと母に言えなかった言葉そのものが、代わりに読んでくれていたのだと思います。
生放送が終わったあと、外へ出ると、夜の街に雨が降っていました。
あの夜と同じような、細い雨でした。
局の裏手の路地に立って、私はしばらく空を見ていました。
返事はもちろんありません。
けれど、受け取り直す、ということはあるのだと思いました。
言われたその瞬間にはわからなかった愛情を、遅れて拾いなおすこと。
手遅れであっても、無意味ではないのだと。
いまでも私は、仕事帰りにラジオをつけます。
部屋が一人じゃなくなるから、ではありません。
誰かの声は、ときどき、もう会えない人の気持ちまで運んでくるからです。
母の録音は、いまも消していません。
雨音の向こうにある、あの少し息を飲む癖まで、私はもう覚えてしまいました。
そして、疲れて帰る夜ほど、ときどき再生するのです。
『帰ってくる音がすると、安心するだけ』
その言葉を聞くたび、私はようやく、遅すぎる返事を胸の中でするのです。
ただいま、と。




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