印影ののこる家

仏壇に向かっている姿 泣ける話

叔母のことを、私は長いあいだ嫌いだと思っていた。

思っていた、というより、そう決めてしまっていたのだと思う。

人は一度だれかを「こういう人間だ」と箱に入れてしまうと、そのあと相手がどんな顔をしても、箱の外へ出してやるのが面倒になる。

私はそういう怠慢を、わりに几帳面な顔でやる人間だった。

役所に勤めて十二年になる。

市民課から住宅課へ回され、いまは高齢者世帯の住み替え相談や、空き家の相続手続きの案内などを担当している。

窓口に来る人は、たいてい書類より先に疲れた顔を出す。

私はその顔を見て、必要な紙を出し、必要な欄に丸をつけ、必要な言葉だけを選んで説明する。

そういう仕事は、得意だった。

感情を少し脇へ避けて、順番に片づけること。

泣いている人に、まず印鑑をお願いします、と言えること。

それが冷たいことなのか、親切なことなのか、もう長いこと分からなくなっていた。

夕方になれば生活保護の電話が鳴り、閉庁間際には住民票の記載について怒鳴る人が来る。

帰宅する頃には、他人の困りごとで脳味噌がいっぱいになっていて、自分の家のことを考える隙がなかった。

いや、違うな。

隙がないのではなく、考えたくないから仕事で埋めていたのだ。

叔母は、母の姉だった。

私が十一歳のとき、母は病気で亡くなった。

父はそれより前に家を出て、そのまま戻らなかった。

だから私を高校卒業まで育ててくれたのは、その叔母だった。

恩がある。

そんなことは、もちろん分かっている。

分かっているのに、私は三年前から、叔母とろくに口をきいていなかった。

きっかけは、ほんの些細な一言だった。

母の三回忌のあと、住宅街のはずれにある叔母の家で、私は仏壇の前に座っていた。

古い木造の二階建てで、玄関の引き戸は少し重く、廊下は歩くたびにみしりと鳴る。

庭には母が若いころ植えた沈丁花があって、春先になると、家じゅうがその甘い匂いで満ちた。

私はあの匂いが苦手だった。

やさしい匂いのはずなのに、どこか逃げ場のない感じがして、子どものころから胸が詰まった。

その日も、線香の匂いに沈丁花の残り香が混じっていた。

台所では煮物の鍋が弱火で鳴り、時計の秒針だけが妙に大きく響いていた。

叔母は仏壇に手を合わせたあと、押し入れから古い巾着袋を持ってきた。

紫色の縮緬で、口のところがすこし擦り切れていた。

叔母はそれを私の前に置いた。

「これ、あんたが預かっといて」

中には印鑑と通帳、それから保険証券の控えが入っていた。

私は眉をひそめた。

「なんで急に」

「急でもないよ。いつかの話」

叔母はそう言って、正座の膝を少し崩した。

昔から、何か大事なことを言うときほど、あの人は妙にそっけなかった。

「私も、いつまで元気かわからんし」

その言い方が、私は嫌だった。

自分の終い支度を、まるでスーパーの特売でも話すみたいな調子で言うのが、腹立たしかった。

母が死んだときもそうだった。

叔母は泣き崩れなかった。

私の前で取り乱すこともなく、葬儀屋と話し、死亡届の書き方を聞き、通帳の名義変更の話までしていた。

私はそれを、ずっと薄情だと思っていた。

悲しむより先に事務をする人間を、どこかで軽蔑していたのだ。

だから、その日の叔母の言葉も、同じ種類のものに聞こえた。

「そういう縁起でもないこと、簡単に言わないでよ」

すると叔母は、少し黙ってから言った。

「縁起でもないことを片づけるのも、残されるほうのためだよ」

私はその一言を、冷たさとして受け取った。

叔母の言葉は、いつも説明が足りない。

でも、足りないからこそ、こちらの傷つきやすいところへ勝手に入り込んでくる。

「そういう言い方しかできないの」

私は思ったより強い声で言った。

叔母は私を見た。

その目が、ほんの少しだけ揺れたのを、私はたしかに見た。

それでも見なかったふりをした。

あのとき認めてしまえば、自分のほうが残酷だと分かってしまう気がしたのだ。

「……役所勤めのあんたなら、こういうの得意でしょう」

その返しが、さらに私を怒らせた。

馬鹿にされた気がした。

私は巾着袋を押し返して立ち上がった。

「ああ、そう。得意でしょうね。死んだあとに残るものを片づけるの」

言った瞬間、言いすぎた、と思った。

だが遅かった。

叔母は何も言わなかった。

ただ、視線を鍋の湯気のほうへやってから、「煮物、持って帰る?」とだけ聞いた。

その何でもなさが、かえって残酷だった。

私は断って、そのまま帰った。

玄関を出ると、沈丁花の匂いがやけに強かった。

それ以来、私は叔母の家へ行かなくなった。

住宅街の角を曲がればすぐ見える、その小さな家を避けるように遠回りして帰った。

叔母から何度か電話はあった。

出なかった。

留守電も聞かなかった。

代わりに、夜になるとメールが何通か届いていた。

件名もない、短いものばかりだった。

「この前、町内の回覧板をあんたのところへ回しそびれた」

「冷えるね。風邪ひかんように」

「沈丁花、今年も咲いたよ」

「この前、スーパーであんたの好きだった羊羹が安かった」

私は読んで、返さなかった。

返せば許したことになる気がして、意地の悪い沈黙を守っていた。

そういう沈黙は、守っている本人を少しも立派にしないのに、不思議と手放しにくい。

秋が来て、冬が来て、また春が来た。

私は人の転出や死亡や相続の相談を毎日窓口で受けながら、自分のたった一人の肉親にだけは、何一つまともな返事をしなかった。

去年の暮れ、叔母が救急搬送されたと、近所の人から連絡が来た。

自宅の玄関先で転んで、大腿骨を折ったらしい。

命に別状はないと聞いて、私は安堵した。

安堵したくせに、病院へはすぐ行かなかった。

仕事が立て込んでいた、というのは半分だけ本当で、残り半分は、自分がどんな顔で会えばいいのか分からなかったからだ。

結局、見舞いに行ったのは年が明けてからだった。

叔母はベッドの上で、思ったより小さくなっていた。

髪もずいぶん白くなっていて、手の甲の血管が浮いていた。

昔は厚かった手が、こんなにも薄くなるのかと思った。

だが、私を見るなり言ったのは、案の定、かわいげのない一言だった。

「遅かったね」

私はそこで、ああやっぱり、と思ってしまった。

本当は、「来てくれて嬉しい」と言いたかったのかもしれない。

でもそんな推測をしてやるほど、あのときの私は優しくなかった。

「忙しかったから」

「そう」

会話はそれで終わった。

叔母はみかんを剥き、私は病室のテレビの音を聞いていた。

窓の外では、乾いた冬の日差しが病院の駐車場を白く照らしていた。

帰り際、枕元の棚にスマートフォンが置いてあるのが見えた。

叔母には似合わない、簡素な機種だった。

「あんまり使えないんでしょ、それ」

私は変な言い方をした。

叔母は鼻で笑って、「電話とメールくらいよ」と言った。

それから少し間を置いて、「メール、見てるから」と、なぜか私は見栄を張った。

叔母は、皮肉でも驚きでもない、妙なやわらかい笑い方をした。

「そうかい」

その笑い方が、妙に寂しくて、私は胸がざわついた。

叔母が亡くなったのは、その三か月後だった。

容体が急変したと連絡を受けて駆けつけたが、間に合わなかった。

白いシーツの上に置かれた手は、思ったより冷たくなかった。

私は泣けなかった。

泣く資格がない気がした。

医師の説明も、看護師の気遣いも、どれも紙の向こうから聞こえるみたいに薄かった。

私は相槌を打ち、書類に署名し、死亡診断書の控えを受け取った。

得意なはずの事務が、その日だけはひどく拙く感じられた。

葬儀は小さく済ませた。

親戚も少なく、会葬者もわずかだった。

近所の人たちは、「気丈な人だった」「面倒見のいい人だった」と口々に言った。

私は、知らない人の話を聞いているようだった。

いや、知っていたのに、自分が見ようとしなかっただけなのだろう。

叔母の家に戻り、遺品を整理していたとき、居間の文机の引き出しから、印鑑と通帳の入ったあの巾着袋が出てきた。

きれいに畳んだハンカチの下に置かれていた。

あの日、私が押し返したままの巾着袋だった。

その横に、叔母のスマートフォンがあった。

充電器に差したまま、黒い画面で眠っていた。

私はなんとなく電源を入れた。

ロック画面は、沈丁花の写真だった。

春先のやわらかい光の中で、小さな花がいくつも咲いていた。

叔母がこんなものを撮る人だったのかと、少し驚いた。

ふと思い立って、メールの画面を開いた。

受信箱には、私が返さなかった短い文面が、何十通も並んでいた。

春も、夏も、秋も、冬も、その短い文だけがきちんと届いていた。

その下に、「下書き」のフォルダがあった。

私はたぶん、なにかに呼ばれるみたいな気持ちで、それを開いたのだと思う。

未送信メールは、十一通あった。

どれも宛先は私で、件名は空欄だった。

いちばん古いものを開くと、こう書いてあった。

『あんたは怒ると、母親そっくりに黙るね』

そこで、息が止まった。

叔母はつづけていた。

『あの日、言い方が悪かった。印鑑や通帳を預けたかったんじゃないよ。あんたに面倒をかけたいんじゃなくて、逆だ。私に何かあったとき、あんたが困らないようにしておきたかった』

私は文机の前で、しばらく動けなかった。

たったそれだけのことだったのか。

たったそれだけのことを、私は三年もねじ曲げて受け取っていたのか。

別の下書きを開く。

『役所は、死んだ人のあとも、いろいろ紙がいるんだろう。母さんのとき、あんた、何も分からん顔して立ってたね。あれが悪いとは思わないよ。若かったし。でも、次は困らせたくないと思った』

次。

『薄情に見えるなら、それでもよかった。泣いてる暇がないときはあるからね』

私はそこで、ようやくあの日の叔母の背中を思い出した。

母の葬儀のあと、台所で一人になった叔母が、洗いものをしながら、一度だけ肩を震わせていたことを。

見てしまったのに、見なかったことにした記憶だった。

あのとき私は、自分の悲しみで手いっぱいで、叔母が泣く資格まで取り上げていたのだ。

次のメールには、こうあった。

『あんたに「得意でしょう」と言ったのは嫌味じゃない。ほんとは、頼りにしてると言いたかった。でも、それを言うと重いかと思った』

私は笑ってしまった。

泣く前の、壊れたみたいな笑いだった。

重いも何もない。

頼ってくれればよかったのだ。

いや、違うか。

頼る言い方ができない人だったのだ。

それは叔母だけではない。

母もそうだったし、たぶん私もそうなる。

別の下書きには、もっとくだらないことが書いてあった。

『この前、あんたの好きだった鶏の煮物、味が濃すぎた。年かな』

『市役所の前の桜、今年もきれいだったよ。昼休みにでも見られたらいいのにね』

『返事いらんよ。忙しいだろうし』

返事なんか、ずっと待っていたくせに。

そう思って、私はとうとう涙がこぼれた。

未送信の最後のメールは、送信日時のところに、亡くなる前日の夜が表示されていた。

『沈丁花がまた咲くよ。あんたは匂いが強いって嫌がったけど、私はあの花の匂いをかぐと、春に置いていかれない気がする』

そこまで読んで、私はもう画面が見えなくなった。

涙が遅すぎるのは、罰なのだろうかと思った。

けれど、遅すぎる涙にも、たぶん意味はある。

でなければ人は、こんなふうに後悔を抱えて生きていけない。

最後の一行は、短かった。

『通帳も印鑑も、もう急がんけど、気持ちは預かってくれると助かる』

私は声を出して泣いた。

叔母のいない居間で、畳に手をついて泣いた。

障子の向こうでは、夕方の住宅街の音がしていた。

どこかの家の食器の鳴る音。

子どもが帰る足音。

遠くで犬の吠える声。

そのどれもが普通で、だから余計に、叔母がいないことだけが異様に思えた。

翌日、私は巾着袋を持って市役所へ行った。

自分の職場で、親族の死亡後の手続きをするのは、妙な気分だった。

見慣れた窓口番号札も、申請書の欄も、その日はよそよそしく見えた。

必要事項を自分で書きながら、私は叔母が母のとき、これを一人でやったのだと思った。

泣きながらではなく、たぶん、泣かないふりをしながら。

それがどれだけ心細かったか、私は三年どころか、十数年遅れで知った。

窓口の若い職員が、「こちらに印鑑を」と言った。

私は巾着袋から印鑑を出しながら、ふと叔母の指先を思い出した。

少し節くれだった指で、書類の角をきれいに揃える癖があった。

あの手で、私の制服のほつれを縫い、弁当箱を包み、母の死後の書類を黙って整えてくれたのだ。

手続きを終えた帰り、私は叔母の家に寄った。

庭の沈丁花は、ちょうど咲き始めていた。

近づくと、あの強い匂いがした。

昔はむせるようで苦手だったのに、その日は不思議と嫌ではなかった。

玄関を開け、誰もいない家に上がる。

仏壇の前に座って、巾着袋を置いた。

印鑑も、通帳も、きちんと元の形でそろえてある。

私はしばらく黙って、それからようやく言った。

「預かるよ」

遅すぎる返事だった。

けれど、その家の静けさは、私を責めなかった。

畳の上に落ちる春の光が、やけにやさしかった。

私は叔母のスマートフォンを仏壇の横に置き、未送信メールの画面をもう一度開いた。

返信はできない。

送信もされない。

けれど私は、自分の携帯を取り出して、新しいメールを作った。

宛先は、もう使われない叔母のアドレス。

件名は空欄のままにした。

『あのとき、言い方が悪いのは私のほうでした』

書いて、少し消した。

また書いた。

『頼りにされるのが嫌だったんじゃない。間に合わなかったことを思い出すのが怖かっただけです』

そこまで打って、私はしばらく指を止めた。

間に合わなかったこと。

それは、母の死に対してでもあった。

母の最期に、何もできなかったあの無力さが、叔母にまで向ける手を鈍らせていたのだと、そのときようやく分かった。

『育ててくれてありがとうございました』

『母さんのぶんまで、とは言えないけど、叔母さんのしてくれたことは、ちゃんと覚えていたいです』

『言えなかったことが多すぎて、困っています』

そこまで打って、送信はしなかった。

しなくていい気がした。

未送信のままで、ようやく同じ場所に立てた気がした。

和解というのは、相手と向き合って抱き合うことばかりではないのだろう。

もう返事をくれない人の不器用さを、自分の不器用さごと引き受けること。

その静かな諦めに、ようやくあたたかさが混じること。

たぶん、それも和解なのだ。

帰り際、私は沈丁花を一枝だけ切って持ち帰った。

役所の机に置くような柄ではないと思ったが、かまわなかった。

翌朝、出勤してその匂いをかいだとき、私は少しだけ背筋を伸ばした。

窓口に来る人の言葉が足りなくても、きつくても、その奥にある本当の困りごとを、前より少しだけ丁寧に聞こうと思った。

「別の言い方はできないのか」と腹を立てる前に、「この人は何をうまく言えないのか」と考えようと思った。

それは叔母から受け取った、遅い遅い贈り物だった。

印鑑は、いま私の引き出しにある。

通帳もある。

けれど、ほんとうに預かったのは、そんなものではない。

うまく言えないまま、それでも誰かを思っていた人の気持ちだ。

私はまだ、ときどき叔母にメールを書く。

送らないまま保存して、閉じる。

それで十分だと思う夜がある。

住宅街のどこかで、夕飯の匂いが立ちのぼるころ、沈丁花の香りがふいにまじる。

そのたび私は、少し遅れて帰ってきた春の中で、ようやく叔母と仲直りしている。

そしてその春は、もう前みたいに私を責めない。

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