【泣ける短編】左足を失った父と作業療法士の娘

帰路を照らす黒い靴 泣ける話

父が左足を失った翌日、家の玄関にある黒い革靴を持ってきてくれと言った。

「片方だけでいいの」

私が尋ねると、父は顔をしかめた。

「靴は二つで一足だ」

踵の擦り減った、古い革靴だった。

右の靴はともかく、もう履く足のない左の靴まで病院へ持ち込む理由が、私には分からなかった。

父は昔から言葉が足りなかった。

そして私は、父の足りない言葉を、悪い意味で埋めることだけは上手だった。

私は同じ病院で作業療法士をしている。

服を着ること、食事をすること、字を書くこと、風呂に入ること。

病気やけがによって失われた暮らしを、その人に残された力で組み立て直す仕事である。

私がこの職業を知ったのは、中学生のときだった。

母はがんで長く入院していた。

亡くなるひと月前、一日だけ自宅へ戻ることになった。

けれど痩せた母には、服を着る力も、靴を履く力も残っていなかった。

一人の作業療法士が、母の好きだった青いワンピースを選び、浮腫んだ足にも入る柔らかな靴を用意してくれた。

母は鏡の前で笑った。

その日だけ、母は患者ではなく、私の母へ戻った。

だから私も、作業療法士になりたいと思った。

父に話すと、彼は眉を寄せた。

「服を着せたり、靴を履かせたりするだけで、仕事になるのか」

私は、母との最後の時間まで馬鹿にされた気がした。

「お父さんには分からないよ」

それから私は、父に進路の話をしなくなった。

養成校の卒業式にも呼ばなかった。

父も、何も尋ねなかった。

親子というものは、言葉を失っても暮らしていける。

ただし、それを平穏と呼ぶには、少しばかり胸が寒い。

父が糖尿病で左足を切断したのは、私が作業療法士になって九年目だった。

足の傷を隠し続け、病院へ来たときには、膝から下を残せなかった。

手術後、父は食事も着替えも拒んだ。

「義足を使えば、また家へ帰れるよ」

仕事を終えて病室へ寄った私が言うと、父は窓の外を見たまま答えた。

「お前の仕事でも、足は生えんだろう」

胸の奥に、昔の傷が開いた。

服を着せるだけ。

靴を履かせるだけ。

父は今も、私の仕事をその程度にしか思っていないのだ。

「そんなことは分かってる」

「なら、もう構うな」

「分かった」

私は病室を出た。

扉が閉まる直前、父が「違う」と言ったような気がした。

けれど戻らなかった。

人間は、傷つく覚悟がないとき、聞こえなかったふりだけは上手になる。

父は作業療法も拒んでいると思っていた。

しかし担当者によれば、「退院後にしたいことを一日一行だけ書く」という日記は、毎晩続けていたらしい。

数日後、父の心不全が急に悪化した。

命は助かったものの、意識が戻らない状態が続いた。

ベッドの下には二つの革靴があり、その上に一冊の日記が置かれていた。

担当の作業療法士が、私にそれを差し出した。

「昨日、お父さんから頼まれました。自分で話せなくなったら、娘に渡してほしいと」

表紙の裏には、父の字でこう書かれていた。

《言い方を間違えたときのために》

最初のページには、

《左足がなくなった》

《ない足で立とうとして、毎朝転びそうになる》

とあった。

次の日には、

《今日は自分でズボンを履いた》

《汗だくになった。情けない》

さらにページをめくる。

《娘が義足の話をした》

《あの子は、なくなった足ではなく、残った暮らしを見ている》

《立派な仕事だと思う》

私は指を止めた。

続くページには、母が最後に家へ帰った日のことが書かれていた。

《作業療法士が妻に服と靴を用意してくれた》

《鏡を見た妻が、久しぶりに笑った》

《服を着せるだけで仕事になるのか、と娘に言った》

《馬鹿にしたのではない》

《そんな小さなことで、人が妻や母親に戻れるのかと驚いた》

《ありがとうと言いたかった》

《だが、また言い方を間違えた》

卒業式の日のこともあった。

《呼ばれていなかったが、娘の卒業式へ行った》

《校門の外から、証書を持った娘を見た》

《母親に似た顔で笑っていた》

《声をかける勇気がなかった》

黒い革靴について書かれたページを見つけた。

《妻が最後に買ってくれた靴》

《娘の卒業式の日にも履いていった》

《左の靴は、もう役に立たない》

《それでも捨てられない》

《二つそろえて、もう一度履いて家へ帰りたい》

最後のページは、父が倒れる前日に書かれていた。

《足は生えないと言って、娘を怒らせた》

《娘の仕事を否定したのではない》

《治せないものまで、自分のせいにしてほしくなかった》

《足は生えない》

《それでも、あの子が来ると、もう一度家へ帰りたいと思う》

《それが、あの子の仕事なのだろう》

日記の最後には、何度も書き直した跡があった。

《お前の仕事は、大した仕事だ》

私は日記に顔を伏せて泣いた。

父は私の仕事を認めていなかったのではない。

認めていると伝える言葉を、ずっと見つけられなかっただけだった。

私は意識のない父の手を握った。

「足は生えないよ」

返事はなかった。

「でも、一緒に帰る方法は探せる」

三日後、父は目を覚ました。

義足を作り、もう一度立つためのリハビリが始まった。

私は担当者ではなく、娘として病室へ通った。

父が服を着るのを急かさず待った。

転べば起こし、怒れば隣に座った。

半年後、父の退院が決まった。

私は保管していた革靴を磨き、靴ひもを伸縮性のあるものへ替えた。

退院の日、父は長い靴べらを使い、右足に右の靴を、義足に左の靴を履いた。

何度も失敗したが、私の手を借りようとはしなかった。

病院の玄関まで歩くと、父は足元を見た。

「二つで一足だ」

「うん」

父は春の光へ目を細めた。

「お前の仕事も、大したもんだな」

昔と同じ、不器用な言い方だった。

けれど今度は、間違えずに受け取ることができた。

黒い二つの靴が、ゆっくりと病院の外へ踏み出した。

失った足は戻らない。

言えなかった年月も、母も戻らない。

それでも人は、残されたものを寄せ集め、もう一度、自分の暮らしへ帰ることができる。

それを私に教えてくれた患者は、私の父だった。

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