祖父が亡くなったあと、私は病院のリハビリ室で、彼の最後の靴音を聞いた。
右足を引きずる音。
杖が床をたたく音。
苦しそうな息。
それから、子どものように弾んだ声。
「今日は、三歩じゃ」
その録音を聞くまで、私は祖父が私を嫌っているのだと思っていた。
私は雪の多い町の総合病院で、看護師をしている。
祖父は商店街の外れで、小さな靴修理店を営んでいた。
両親を早くに亡くした私を引き取り、食事を作り、髪を結び、破れた靴を何度も直してくれた。
小学生のころ、私は靴ひもを結ぶのが苦手だった。
祖父は出かけるたびに私の前へしゃがみ、節くれだった指で結び直した。
「ほどけたまま歩くと、転ぶぞ」
「自分でできる」
「できるようになるまでは、わしが結ぶ」
それが祖父の愛し方だった。
私が看護学校に合格した日、祖父は白い仕事靴を買ってくれた。
少し大きな靴だった。
「大きすぎるよ」
私が笑うと、祖父は胸を張った。
「人を助ける人間になるんじゃ。これくらい大きな靴でちょうどええ」
ずいぶん乱暴な理屈である。
けれど私は、その靴を底が擦り切れるまで履いた。
祖父が脳梗塞で運ばれてきたのは、私が看護師になって八年目の春だった。
命は助かったが、右半身に麻痺が残った。
入院先は、偶然にも私の勤務する病棟だった。
私は祖父の担当から外してもらった。
身内だから特別扱いされていると、祖父が周囲に遠慮すると思ったのだ。
「病院では、ほかの患者さんと同じだからね」
私は努めて明るく言った。
「何かあったら、担当の看護師さんを呼んで」
祖父は、窓の外を見たまま答えなかった。
翌日から、私が病室へ入ると目を閉じるようになった。
水が欲しくても、トイレへ行きたくても、私には頼まなかった。
私は、祖父の誇りが傷ついたのだと思った。
だから余計に看護師らしく振る舞った。
検温をし、薬を確認し、ほかの患者と同じ声で「変わりありませんか」と尋ねた。
祖父はいつも、「ない」とだけ答えた。
本当は、変わってしまったものばかりだった。
靴職人だった右手は動かず、自分で立つこともできない。
それでも私は、慰めれば祖父を惨めにすると思った。
気遣いというものは、ときどき刃物に似ている。
傷つけまいと握りしめるほど、手の中で刃先の向きを変える。
リハビリが始まる日、私は紺色の靴を買った。
履き口が広く、片手でも留めやすい面ファスナーの靴だった。
「これなら練習しやすいよ」
祖父は靴を見たあと、顔を背けた。
「いらん」
「どうして」
「お前に靴を履かせてもらうほど、落ちぶれとらん」
胸の奥が冷たくなった。
私は靴を床へ置き、病室を出た。
喜ばせようとした自分が、ひどく幼稚に思えた。
それから私は、必要なこと以外、祖父に話しかけなくなった。
ちょうどそのころ、私は県外で行われる半年間の小児看護研修に推薦されていた。
病気の子どもと、その家族を支える看護を学ぶのが、昔からの夢だった。
しかし、麻痺の残った祖父を置いて町を離れることはできなかった。
私は申込書を机の引き出しにしまった。
同僚にだけ理由を話したのだが、祖父の耳にも入ったらしい。
数日後、祖父は私を呼び止めた。
「もう、わしのことはせんでいい」
私は、また拒まれたのだと思った。
世話もするな。
病室にも来るな。
そう言われたように聞こえた。
「分かった」
私は看護師の顔で答えた。
祖父は口を開いた。
けれど、ちょうどナースコールが鳴った。
「あとで来るから」
私はそう言って病室を出た。
人は「あとで」という言葉を、未来が当然あるように使う。
その夜、祖父の容体が急変した。
連絡を受けて病院へ駆けつけたときには、すでに死亡確認が終わっていた。
ベッドの下には、私が買った紺色の靴が、きちんとそろえて置かれていた。
靴底には、薄く床の汚れがついていた。
葬儀から一週間後、理学療法士が小さな録音端末を持ってきた。
「歩行訓練の記録です。お祖父さんは、あなたに内緒で練習していました」
再生すると、杖と靴の音が聞こえた。
一歩。
長い息。
もう一歩。
そして、祖父の声。
「この靴は、孫が買うてくれました」
少し沈黙してから、祖父は続けた。
「あの子が研修をやめると聞きました。わしのせいで、あの子の道を止めとうない」
「わしに構うなと言えば、安心して行けると思ったんじゃが……また言い方を間違えたかもしれん」
理学療法士が尋ねた。
「歩けるようになったら、何をしたいですか」
祖父は笑った。
「駅まで、あの子を見送りに行きたい」
三度目の靴音がした。
祖父の息が震えた。
「小さいころは、毎朝あの子の靴ひもを結んだんです」
「今度は、わしが見送ってやりたい」
少し遠くから、祖父の声が聞こえた。
「今日は三歩じゃ。明日は、もう一歩」
私は録音端末を胸に抱き、声を上げて泣いた。
祖父は私を遠ざけたのではなかった。
動かなくなった足で、私の背中を押そうとしていたのだ。
翌年の春、私は小児看護研修へ向かう列車に乗った。
祖父の紺色の靴は、今も玄関に置いてある。
誰も履かないのに、捨てられない。
研修を終えて病院へ戻った日、歩くことを怖がる小さな患者を受け持った。
私はその子の前へしゃがみ、靴を履かせた。
「転んだら、どうするの」
その子が尋ねた。
「そのときは、私がいるよ」
私は靴ひもを結びながら答えた。
「だから、一歩だけ歩いてみよう」
その子は私の手を握り、震える足を前へ出した。
小さな靴音が、廊下に響いた。
私は泣かないように笑い、心の中で祖父に報告した。
おじいちゃん。
今日は、この子の一歩です。
明日はきっと、もう一歩です。




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