【泣ける短編】父の弁当箱に残されたメモ|工場で働く親子のすれ違いと和解

夕暮れの工場休憩室と花園 泣ける話

父が倒れた日の昼、私は工場の休憩室で、空の弁当箱を開いていた。

黒いプラスチック製の、百円ショップで買った箱だった。

食べ終えたのではない。

朝、寝坊をして、何も詰められなかったのだ。

それでも同僚に金がないと思われるのが嫌で、私は空の箱を箸でつつき、もう食べ終えたような顔をしていた。

人間は腹が減ると正直になる、というのは嘘である。

腹が減るほど、私は見栄だけで満腹になったふりがうまくなった。

休憩室の扉が乱暴に開いた。

班長が息を切らして立っていた。

「親父さんが、第二工場で倒れた」

箸が手から落ちた。

空の弁当箱の底で、乾いた音がした。

     *

父は、この工場で三十八年働いていた。

油の染み込んだ作業服と、曲がった二本の指が、父の勲章だった。

少なくとも、子どものころの私にはそう見えた。

母が亡くなったのは、私が中学二年の冬だった。

それから父は、毎朝五時に起きて弁当を作った。

焦げた卵焼き。

形の崩れたおにぎり。

昨夜の煮物。

青い二段式の弁当箱には、茶色いものばかりが詰まっていた。

高校生になった私は、それを友人に見られるのが恥ずかしくなった。

「弁当、もう要らない」

ある朝、私は台所で言った。

父は卵焼きを切る手を止めた。

「そうか」

それだけだった。

翌朝も、青い弁当箱は食卓に置かれていた。

私は持っていかなかった。

帰宅すると、父が冷えた弁当を一人で食べていた。

謝ろうと思った。

だが父は、

「米がもったいないから食っとるだけだ」

と言った。

その言い方に腹が立ち、私は黙って二階へ上がった。

父は言葉が足りず、私は足りない言葉の中から、いちばん冷たい意味を選ぶのが得意だった。

     *

三年前、勤めていた会社が倒産し、私は父と同じ工場へ入った。

父が工場長へ頭を下げてくれたらしい。

けれど私は、口利きされたことを恩だと思いたくなかった。

父は職場で、私を誰より厳しく叱った。

「確認が遅い」

「手元ばかり見るな」

「疲れた顔を機械に見せるな」

家では何も話さないくせに、工場では大声で私の欠点を並べた。

同僚から、

「親父さん、お前のことばかり見てるな」

と笑われても、監視されているようにしか思えなかった。

半年前から、私の右手にしびれが出るようになった。

昔、交通事故で傷めた手だった。

朝は指が動かず、作業中にボルトを落とすことも増えた。

父は気づいていた。

昼休みに、黙って湿布を机へ置いたことがある。

私はそれをゴミ箱へ捨てた。

心配なら、心配だと言えばいい。

だが、私たち親子は、やさしい言葉ほど口にすると負けると思っていた。

     *

一か月前の昼、父は同僚たちの前で言った。

「お前は現場に向いていない」

私は弁当の蓋を閉じた。

「父さんがここへ入れたんだろ」

「そうだ」

「今度は辞めろって?」

父は眉間に皺を寄せた。

「いつまで、ここにしがみつくつもりだ」

その言葉が、会社を失い、行き場もなく父を頼った私の、いちばん弱いところへ刺さった。

「父さんみたいに、工場しかない人間にはなりたくないよ」

休憩室から音が消えた。

父はしばらく私を見ていた。

何か言いかけた。

けれど結局、食べかけの弁当を包み直して出ていった。

翌日から、私たちは家でも工場でも、目を合わせなくなった。

     *

父は軽い心筋梗塞だった。

命に別状はなかったが、もう現場へ戻るのは難しいと医師は言った。

入院に必要なものを取りに、私は父のロッカーを開けた。

中には作業手袋、古いタオル、錆びた工具が並んでいた。

一番下に、青い弁当箱があった。

高校生のころ、私が置いていったものだった。

留め具は壊れ、父が針金で直していた。

蓋を開けると、折り畳まれたメモと、品質管理研修の推薦書の控えが入っていた。

父の字で、こう書かれていた。

「向いていない、という言い方を間違えた。

お前は仕事ができないのではない。

誰かが失敗したとき、怒る前に原因を探す。

機械より、人をよく見ている。

だから現場より、品質管理に向いていると思った。

推薦書を出した。

右手のことも知っている。

俺の指は、無理をしてこうなった。

お前まで同じ手にするために、工場へ入れたのではない」

文字は一度、そこで途切れていた。

次の行は、少し震えていた。

「母さんが死んだあと、弁当を作るのが嫌だった日はない。

要らないと言われた翌朝も、米を一合多く炊いた。

いつかまた、持っていくかもしれないと思った。

この箱を捨てられなかったのも、同じ理由だ。

お前を工場へ入れたのは、そばに置きたかったからだ。

だが、そばに置くことと、同じ場所へ縛ることを間違えた。

すまなかった」

最後に、小さく書かれていた。

「工場しかない父親で悪かった。

それでも、お前と働いた三年は、俺のいちばん良い三年だった」

私は青い弁当箱を抱き、誰もいない休憩室に座った。

母が亡くなった翌朝も、父は卵を焼いていた。

私が持っていかなかった弁当を、父は黙って食べていた。

私が捨てたと思っていたものを、父は何年も捨てずにいた。

弁当箱の中へ顔を伏せた。

空のはずなのに、胸が詰まって息ができなかった。

     *

退院の日、私は青い弁当箱を病室へ持っていった。

中には、焦げた卵焼きと、形の崩れたおにぎりを詰めた。

父は蓋を開け、卵焼きを箸で持ち上げた。

「焼きすぎだ」

「父さんの真似だよ」

父は、少しだけ笑った。

「品質管理の研修、受けることにした」

「そうか」

「それから……工場しかない人間なんて言って、ごめん」

父は黙ったまま、おにぎりを半分に割った。

大きいほうを、私へ差し出した。

「俺も、言い方が悪かった」

それだけだった。

父らしい、ずいぶん足りない謝り方だった。

けれど今度は、その足りないところを憎しみで埋めなかった。

私はおにぎりを受け取った。

少し塩が多かった。

涙のせいかもしれなかった。

     *

翌月、私は品質管理の部署へ移った。

昼になると、以前と同じ休憩室で弁当を食べる。

青い弁当箱には、傷が増えた。

父はもう工場にいない。

それでも蓋を開けるたび、焦げた卵焼きの匂いがする気がする。

休みの日には、今度は私が父の弁当を作る。

父は毎回、

「味が薄い」

と言う。

私は、

「嫌なら残せば」

と答える。

父は一度も残さない。

私たちは相変わらず、話すのが下手である。

ただ、言葉の空いたところを、悪い意味で満たすことはやめた。

弁当箱の底には、あのメモを入れてある。

油と涙で文字は少し滲んだ。

それでも、裏側に書き足された最後の一行だけは、今も読める。

「明日も、飯を食え」

私は今日も、空ではない弁当箱の蓋を開ける。

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