祖母の連絡帳を読んだ夜、私は“見守る愛情”を知った

霧に包まれた古代の庭園 泣ける話

保育園の朝は、泣き声から始まる。

泣き声、といっても悲しみばかりではない。

母親の脚にしがみついて泣く子。

眠くて泣く子。

なんとなく空気に呑まれて泣く子。

それから、泣かないでいるために、唇だけを一生懸命むすんでいる子。

私はその顔を見るたび、ああ、人間はこんなに小さいころから、平気なふりを覚えるのだなと思う。

三十五になっても私は保育士をしている。

している、というより、どうやらこの仕事に居ついてしまったらしい。

向いているのかと問われると、今でもよく分からない。

子どもは好きだ。

けれど、子どもを前にしたとき、私はときどき自分の中の古い子どもに邪魔をされる。

置いていかれそうで不安だった子ども。

泣くほどのことではない、と自分に言い聞かせていた子ども。

そういう、少し面倒な幼さが、まだ胸の底に残っている。

私を育てたのは祖母だった。

母は夜勤の多い仕事をしていて、父は早くに家を出た。

だから私は、ほとんど祖母の家の子どもみたいに育った。

祖母は無口な人だった。

怒鳴るわけでもなく、むやみに甘やかすわけでもなく、いつも少し離れたところから見ていた。

熱を出したときも、「薬飲んだか」と言うだけだったし、転んで膝を擦りむいても、「水で洗いな」としか言わなかった。

私は子どものころ、それを冷たいと思っていた。

抱きしめてもくれない。

大丈夫だよ、とも言ってくれない。

ただ、見ているだけだ。

見ているだけの愛情なんて、子どもにはずいぶん分かりにくい。

だから私は長いこと、自分は祖母にとって、手のかからないように扱われていただけなのだと思っていた。

その勘違いを、私は大人になってからもかなり大事に抱えていた。

人は、幼い日に覚えた寂しさを、妙に丁寧に持ち歩く。

保育士になったのも、案外、そのせいかもしれない。

泣いている子に、私はつい声をかけすぎる。

大丈夫だよ。

ここにいるよ。

あとでお母さん来るよ。

そんなふうに、言葉で埋めたくなる。

自分が欲しかった言葉を、他人の子に配っているだけなのではないか、と、ときどき恥ずかしくなることもある。

その春、私のクラスに、ひとりの男の子が入ってきた。

蒼太くん、四歳。

黒目がちで、やせっぽちで、初日からまったく泣かなかった。

泣かない子というのは、こちらを安心させるようでいて、じつは少し怖い。

泣ける子はまだ、こちらに甘えている。

泣かない子は、もう小さな諦めを知っていることがある。

蒼太くんは朝、母親に手を引かれて来ても、静かに靴を脱ぎ、静かに鞄を置き、静かに「いってらっしゃい」と言った。

母親が去ったあとも、追いかけようとはしなかった。

ただ、窓のほうを一度だけ見て、それで終わりだった。

私はその一度きりの目線が、やけに胸に引っかかった。

連絡帳には、母親の几帳面な字で毎日きちんと記入があった。

よく眠れました。

朝食は半分。

少し咳あり。

必要なことだけが、きれいに並んでいた。

そこに感情はほとんどなかった。

私は勝手に想像した。

忙しいのだろうな、と思った。

余裕がないのだろうな、と。

そして、その想像を、少し昔の自分の寂しさと重ねていたのかもしれない。

蒼太くんは日中もあまり手がかからなかった。

転んでも、すぐには泣かない。

おもちゃを取られても、怒るより先に引く。

給食も残さず食べる。

先生、と呼ぶ声も控えめで、誰かの邪魔にならないように息をしているような子だった。

私はそういう子を見ると、必要以上に気にかかる。

気にかかる、というより、助けたいのだ。

いや、助けたいというのは少し傲慢かもしれない。

ほんとうは、自分の見落としてきた何かを、その子に代わって拾いたいだけなのだろう。

ある日、昼寝のあと、蒼太くんが少し熱っぽかった。

頬が赤く、咳も出ていた。

私はすぐ母親に電話を入れたが、仕事中らしくつながらなかった。

連絡帳にも、いつもより細かく書いた。

午後、37.6度。咳あり。少しだるそうでした。お迎え後も様子を見てください。無理せず受診もご検討ください。

書きながら、私は少し力が入っていたと思う。

伝えなければ、と思った。

見逃してはいけない、と思った。

誰かが言わなければならないことを、私がちゃんと書かなければ、と思った。

翌朝、蒼太くんは元気そうに来た。

熱も下がったらしかった。

私はほっとしたが、母親の顔は少しかたかった。

そして夕方、主任から呼ばれた。

蒼太くんの母親から連絡があったという。

連絡帳の書き方が責められているようでつらかった、と。

仕事を休めない事情もあるのに、受診しろと言われたようで苦しかった、と。

私は言葉を失った。

そんなつもりではなかった。

心配しただけだった。

でも、そういう言い分ほど、ときに独りよがりだ。

こちらの善意は、相手の夜の重さまでは量れない。

私は主任に軽く注意され、その日の帰り道、ひどく情けなかった。

自分はまた、やってしまったのだと思った。

気遣いのつもりが、相手を追いつめる。

それは私がいちばん嫌っていた大人のやり方ではなかったか。

夜、部屋に戻ってからも、私はそのことばかり考えていた。

湯を沸かし、冷めたご飯を温めても、頭の中には蒼太くんの母親の、少しかたい顔が残っていた。

忙しい人に向かって「ちゃんとしてください」と読める言葉を書くことが、どんなに残酷か。

私は仕事柄、正しいことを伝える訓練ばかり受けてきた。

けれど正しさは、ときどき人を追いつめる。

とくに、もう十分に自分を責めている人には。

祖母も、もしかしたらそういうことを知っていたのだろうか。

言いすぎることで、相手が弱ることを。

だから、あえて離れて見ていたのだろうか。

そんなふうに考えて、すぐ打ち消した。

いや、祖母はただ、不器用だっただけだ。

そう思いたかった。

そのほうが、これまでの自分の寂しさに説明がつくからだ。

数日後、私は実家の押し入れを片づけていて、古い箱を見つけた。

母のものでも私のものでもない、祖母の字で小さく「帳面」とだけ書かれていた箱だ。

開けると、中には何冊もの連絡帳が入っていた。

私が幼稚園のころに使っていたものだった。

角の丸くなった、青や黄色の表紙。

そんなものを祖母が取ってあったことに、まず驚いた。

私は座布団の上に座り込み、一冊を開いた。

先生の字で、こうあった。

今日は少し寂しそうに窓を見ていました。

その下に、祖母の返事があった。

家では元気です。見ていただいてありがとうございます。

別の日のページには、こう書かれていた。

お昼寝の前、少し我慢しているように見えました。甘えたい気持ちもあるのかもしれません。

祖母の返事。

気づいてくださってありがとうございます。家でも気をつけて見ます。

また別の日。

転んでも泣かず、我慢することがあります。無理に強くならなくていいと伝えていきたいです。

その返事を見たとき、私は息を止めた。

祖母の字で、少し震えながら、こう書いてあった。

私が口下手で、あの子に我慢をさせているのかもしれません。
でも毎日、ちゃんと見ています。
どう声をかけたらいいか分からない日があります。
見守るだけでは足りないかもしれないと、私も迷っています。

私はしばらく、その字を見つめていた。

見守るだけでは足りないかもしれないと、私も迷っています。

祖母が、迷っていた。

あの、何でも分かったような顔でお茶をすすっていた祖母が、ほんとうはずっと迷っていた。

冷たかったのではない。

放っていたのでもない。

下手に声をかけて、かえって私を弱らせないか。

近づきすぎて、私の頑張りを壊さないか。

そうやって、迷いながら見ていたのだ。

見ているだけだと思っていたその沈黙の中に、祖母の逡巡があったのだ。

ページをめくる手が震えた。

別の連絡帳には、先生からこう書かれていた。

おばあさまのお迎えのとき、安心した顔をしています。

その返事は短かった。

そうなら、よかったです。

それだけだった。

けれど、その「よかったです」の文字が、なぜかひどくあたたかく見えた。

さらに後ろのページには、雨の日のことも書かれていた。

今日は朝から不安そうでしたが、おばあさまが帰り際に頭をなでると、少し笑いました。

祖母の返事はやはり短かった。

家ではあまり触らないようにしています。園ではそれで安心できたなら、覚えておきます。

私はそこでもうだめだった。

祖母は、何も考えずに距離を取っていたのではなかった。

触れること、声をかけること、黙っていること。

その一つ一つを、自分なりに考えて、迷って、選んでいたのだ。

その迷いを、私は「何もしてくれない」という一言に乱暴にまとめてしまっていた。

私はその場で、声もなく泣いた。

情けないと思った。

三十五にもなって、古い連絡帳でこんなに泣くなんて。

でも人は、自分が受け取れなかったと思い込んでいたものを、遅れて受け取るとき、どうしても少し崩れる。

私はずっと、祖母に欲しい言葉をもらえなかったと拗ねていた。

でも祖母は、言葉の代わりに迷いを抱えながら、毎日、私を見ていたのだ。

それは無関心ではなかった。

むしろ、雑に触れないための不器用さだった。

そういえば、私が高熱を出した夜、祖母は何度も襖を細く開けて、こちらを見ていた。

私はそのたび寝たふりをして、どうして入ってきてくれないのだろうと思っていた。

けれど翌朝には、枕元の水差しが新しくなっていて、濡れた手拭いも替えられていた。

あの人は、入ってきていたのだ。

ただ、大げさに優しさを見せなかっただけで。

翌日、私は蒼太くんの連絡帳を前にして、しばらくペンが持てなかった。

そして、いつものように正しいことだけを書くのをやめた。

今日は少し咳がありました。午後には元気に積み木で遊べていました。
お忙しい中でご心配も多いと思います。園でも様子を見ていますので、無理のない範囲で大丈夫です。
蒼太くん、朝お母さんを見送ったあと、しっかり過ごせています。

書き終えて、これでいいのか分からなかった。

でも、分からないまま書くしかなかった。

迷いながら書くことは、たぶん悪いことではない。

祖母もそうだったのだろう。

夕方、蒼太くんの母親は少し疲れた顔で迎えに来た。

私は頭を下げて、先日のことを謝った。

母親も頭を下げた。

「こちらこそ、すみませんでした。あの日、仕事でいっぱいいっぱいで……」

その言い方に、私は胸の奥が少し痛んだ。

忙しさは、ときどき人の言葉を棘に変える。

でも、棘になったからといって、その奥にあるものまで全部悪意だとは限らない。

母親は少し迷ってから、ぽつりと言った。

「家では、蒼太、あんまり甘えないんです」

私は黙って頷いた。

「だから、先生に細かく言われると、ちゃんと見られてない母親だって言われた気がしてしまって……」

その声は責める調子ではなかった。

ただ、疲れた人の本音だった。

私はようやく、自分が何を裏目に出してしまったのか、本当に分かった気がした。

私は「気づけなくて、すみませんでした」と言った。

それから、「でも、蒼太くんのことはちゃんと見ています」と続けた。

その言葉は、前より少し静かに言えた。

言い切るためではなく、届けるための声で。

帰り際、蒼太くんは玄関で母親の手を握った。

そのとき、ほんの一瞬だけ、安心したみたいに口元がゆるんだ。

私はそれを見て、祖母の連絡帳の一文を思い出した。

お迎えのとき、安心した顔をしています。

ああ、見ていたのだ。

祖母は、ちゃんと。

小さな顔の、ほんの一瞬の緩みまで。

言えなかっただけで。

その夜、私は家に帰って、祖母の連絡帳をもう一度開いた。

最後のページの余白に、祖母の字ではない、たぶん園の先生の走り書きがあった。

見ていてもらえる子は、ちゃんと育ちます。

私は、その文を何度も読んだ。

見ていてもらえる子は、ちゃんと育ちます。

抱きしめられることだけが愛情ではない。

励まされることだけが支えでもない。

少し離れたところで、転ばないように、でも転ぶ自由までは奪わないように、迷いながら見ていてくれる人がいる。

それだけで、人は案外、ちゃんと育つのかもしれない。

私は連絡帳を閉じて、しばらく胸に抱いた。

祖母はもういない。

もう、「あんた、泣いてるの」と呆れた声で言われることもない。

でも今なら分かる。

あの人はずっと、見ていた。

私が勝手に、言葉のなさを不在だと勘違いしていただけだった。

翌朝、保育園の門の前で、蒼太くんが振り返って私を見た。

私は手を振った。

蒼太くんも、小さく振り返した。

それだけのことなのに、胸の中に静かなものが灯った。

見守る、というのは、何もしないことではないのだろう。

声をかけることと、かけすぎないことのあいだで迷い続けること。

相手の小さな変化を、見落とさずにいること。

そしてたぶん、言葉にしきれないぶんだけ、毎日ちゃんと見ていること。

保育園の朝は、今日も泣き声から始まる。

私は名簿を抱え、靴箱の前にしゃがみ込む。

泣く子の背中をさすりながら、泣かない子の目も見る。

祖母がしていたように、うまくはできない。

けれど、少しだけなら、まねできる気がした。

大丈夫、と急いで言い切るのではなく。

ここで見ていますよ、と、手つきで伝えるような見守りを。

人は、あとになってから受け取る愛情がある。

遅すぎるようでいて、でも、遅いからこそ沁みるものがある。

そのことを私は、祖母の残した連絡帳から、ようやく教わったのだった。

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