灯の下の秒針

時を紡ぐ時計店の静寂 泣ける話

商店街の時計は、どれも少しずつ違う時刻を指している。

 

 それが私は、子どものころから好きだった。

 

 正しい時刻はひとつしかないはずなのに、この通りでは、八百屋の壁時計が三分進み、薬局の古い振り子時計が二分遅れ、うちの店先の丸時計だけが、きっちり正午を打つ。

 

 そういう小さな食い違いが、人の暮らしには案外似合っている、と祖父はよく言った。

 

「みんな、ちょっとずつ違って、それでようやく一つの町になる」

 

 私はその言葉を、長いこと、年寄りの気休めだと思っていた。

 

 きっちり合っていないものを、きれいごとで済ませるための、都合のいい理屈だと。

 

 若いころの私は、正しさというものを、たいへん乱暴に信じていたのである。

 

 うちの店は、商店街の真ん中より少し外れたところにある。

 

 小さな時計店だ。

 

 間口は狭く、ショーケースの中には、腕時計が十数本と、古びた置時計が三つ、壁には修理を待つ時計たちが、妙に神妙な顔で掛かっている。

 

 店の名は、野口時計店。

 

 看板の文字は祖父の手で、少し右上がりだ。

 

 せっかちな性格が字にまで出ている、と祖母が笑っていたが、その祖母ももういない。

 

 今は私が一人で店をやっている。

 

 継いだ、というより、ここに残った、と言ったほうが少しだけ正確かもしれない。

 

 世の中には、胸を張って「家業を継ぎました」と言える人と、気がつけば逃げ場がなくなっていて、店のカウンターの内側に立っていた人間がいる。

 

 私は後者だった。

 

 父は早くに家を出て、別の町で別の家庭を持った。

 

 母は私が高校のころに病気で亡くなった。

 

 それで私は、祖父母に育てられ、そのまま店の裏の狭い部屋で大人になった。

 

 時計の修理は嫌いではなかった。

 

 細かな歯車に触れ、狂った針を戻し、止まった秒針をもう一度歩かせる仕事は、私みたいな不器用な人間にも、まだ役に立てる場所があると教えてくれた。

 

 だが、祖父とだけは、どうにも噛み合わなかった。

 

 祖父は職人である前に商売人で、商売人である前に町の人だった。

 

 客が来れば修理の手を止めてでも話し込み、頼まれてもいない電球の交換に脚立を担いで出かけ、商店街の会合では誰より声が大きい。

 

 そのくせ肝心な説明は足りず、何か大切なことほど、妙にぶっきらぼうな言い方しかしない。

 

 私はそういうところが苦手だった。

 

 時計なら、遅れているのか進んでいるのか、原因は何か、はっきり見える。

 

 けれど人の言葉は、曖昧でいけない。

 

 誤解を生むくらいなら、最初からきっちり言えばいい。

 

 私は、そういう青臭い正論を、ひそかに大事に抱えていた。

 

 祖父が倒れたのは、四年前の冬だった。

 

 大した雪の降らない町なのに、その年は珍しく冷え込んで、アーケードの隙間から吹きこむ風が、商店街の床を白く曇らせていた。

 

 祖父はその朝もいつも通り店を開け、店先の丸時計のねじを巻き、ついでのように隣の文具店のシャッターまで持ち上げて、それから急に胸を押さえてしゃがみこんだ。

 

 命は助かったが、店にはもう立てない、と医者に言われた。

 

 その日から、修理場の奥の椅子は空いたままになった。

 

 祖父は入退院を繰り返し、私は店を一人で回すようになった。

 

 忙しかった。

 

 いや、忙しい、という言葉はたいてい、心の狭さの言い訳に使われるものだが、あの頃の私はたしかに忙しかったし、そのぶん、ずいぶん狭かった。

 

 店の帳簿、仕入れ、修理、配達、商店街のつきあい。

 

 祖父が軽々とやっていたことが、私にはどれも重かった。

 

 ある日、病室で祖父が言った。

 

「店の灯は、もうおまえがつなげ」

 

 私はその言葉に、ひどく腹が立った。

 

 灯をつなぐ、などと、いかにも遺言めいた言い方をしておいて、肝心のやり方は何一つ教えない。

 

 帳簿のどこを見ればいいのか、どこの客が掛け売りで、どの部品の仕入れ先が危ないのか、そういう現実は一つも話さないで、灯だの町だのと言われても困る。

 

「きれいごとばかり言わないでくれよ」

 

 私は病室の窓際で、思っていた以上に冷たい声を出した。

 

「つなげって言うなら、ちゃんと全部言ってくれよ。俺はじいちゃんじゃないんだから」

 

 祖父は黙っていた。

 

 怒るでもなく、言い返すでもなく、ただ掛布団の上に置いた手を少し見た。

 

 それから、しばらくして言った。

 

「そうか」

 

 たったそれだけだった。

 

 私はその沈黙を、失望だと思った。

 

 見込み違いだった、と言われたような気がしたのである。

 

 だが、本当は、私のほうが勝手に傷ついていただけかもしれない。

 

 祖父は、その一か月後に亡くなった。

 

 葬式のあと、店の奥に残された工具箱や部品箱を整理しながら、私は何度もあの日の会話を思い出した。

 

 最後にひどいことを言った、という悔いはあった。

 

 だが同時に、祖父は結局、私に何も残してくれなかったという恨みに似た気持ちも、確かにあった。

 

 人間は卑しいもので、死んだ相手に対してさえ、自分の寂しさを被害者ぶって数えることがある。

 

 私はまさに、その種の卑しい孫だった。

 

 祖父の形見らしいものは、古びた腕時計が一本だけだった。

 

 銀の丸いケースに、細い革ベルト。

 

 目立たない時計で、店の売り物よりよほど地味だ。

 

 だが祖父は、祝い事にも通夜にも、商店街の旅行にも、その時計ばかり着けていた。

 

 私はそれを引き出しにしまい、ほとんど見ようとしなかった。

 

 春が来て、夏が過ぎ、また冬が来た。

 

 商店街からは少しずつ店が減った。

 

 乾物屋が閉まり、履物屋が店じまいし、写真館のシャッターにはとうとう貸店舗の紙が貼られた。

 

 それでも、夕方になると私は店先の照明をつけた。

 

 誰に言われたわけでもない。

 

 ただ暗くなる前に灯を入れる、その手つきだけが、祖父の癖のように残っていた。

 

 ある晩、閉店後に店の金庫の下を掃除していて、古い大学ノートほどの大きさの手帳が出てきた。

 

 茶色い表紙の、角のすり切れた手帳だった。

 

 祖父の字で、表に小さく「控え」と書いてある。

 

 帳簿かと思って開くと、最初の数ページにはたしかに仕入れの覚え書きがあり、そのあとに、商店街の店の名前と短いメモが続いていた。

 

 文具・高橋 腰痛 高い所だめ

 

 薬局・西村 母命日六月三日

 

 豆腐・山本 朝四時に起きる 昼眠い

 

 私は、しばらく意味がわからなかった。

 

 さらにめくる。

 

 写真館 息子帰らず 時計遅れ気味でも何も言うな

 

 履物屋 ばあさん耳遠い 大きな声でゆっくり

 

 うちの孫 意地っ張り 急がせると黙る

 

 そこで、手が止まった。

 

 自分のことは、たいてい不意打ちで見つかる。

 

 鏡より、よほど始末が悪い。

 

 私は座り込み、続きを読んだ。

 

 手帳は、商店街の人たちの癖や事情や、言ってしまえば、ささやかな痛みの控えだった。

 

 時計の修理の記録ではない。

 

 この町で生きる人たちを、祖父が忘れないための手帳だった。

 

 そしてページの最後のほうに、私の知らない文字があった。

 

 病気で手が震えていた頃の字だろう、線が少し揺れていた。

 

 灯をつなぐ、は、店を開けることだけではない。

 

 あかるい顔をしろ、ではない。

 

 人の暮らしの暗いところを、忘れずにいること。

 

 時計を直すのは、その人の時間を直すこと。

 

 町の灯は、電球で点くのでなく、覚えていることで消えにくくなる。

 

 私は、そこから先を、涙でうまく読めなかった。

 

 妙な話だが、人は本当に泣くとき、悲しいから泣くのか、恥ずかしいから泣くのか、自分でもわからなくなる。

 

 私はたぶん、その両方だった。

 

 祖父は何も残さなかったのではなかった。

 

 私が、受け取れる形のものだけしか、遺産だと認めていなかっただけである。

 

 仕入れ先の一覧や、売上の秘訣や、修理の段取り。

 

 そういうものも大事だ。

 

 だが祖父が私に渡そうとしたのは、それより先のことだったのだろう。

 

 この店は、時計だけを扱う場所ではない。

 

 遅れたり、止まったり、時々進みすぎたりする人たちの時間に、そっと付き添う場所なのだと。

 

 私はその晩、引き出しの奥から祖父の腕時計を出した。

 

 止まったままだと思っていたのに、耳を当てると、かすかに音がした。

 

 とく、とく、というほど大げさではない。

 

 もっと小さく、控えめで、だが確かに生きものめいた音だった。

 

 私は蓋を開け、中の機械をのぞいた。

 

 油は切れ、埃もある。

 

 それでも、まだ動こうとしている。

 

 まるで祖父そのものではないか、と私は思った。

 

 無駄に丈夫で、言葉が足りなくて、それでも妙にしぶとく、人の時間のそばにいる。

 

 翌日、私は商店街の各店を回った。

 

 文具店の高橋さんには、高い棚の電球を代わりに替えた。

 

 薬局の西村さんには、六月三日が近いですねとだけ声をかけたら、少し驚いた顔で笑った。

 

 豆腐屋には、昼に少し休んだほうがいいですよ、と余計なお世話を言って、案の定笑われた。

 

 写真館の古い壁時計は、わざと二分遅れたままにしておいた。

 

 急がなくていい時間も、この町にはあるのだと、私はそのとき初めてわかった。

 

 夕方、店へ戻ると、通りは薄青く暮れかけていた。

 

 私は店先の灯をつけた。

 

 ガラス越しに、腕時計たちが小さく光った。

 

 その光の中に、祖父の丸い時計も並べる。

 

 売り物ではない。

 

 見本とも違う。

 

 あれは、私が長いこと記憶違いをしていた証拠だった。

 

 祖父は、私を突き放したのではなかった。

 

 「おまえがやれ」と重荷を押しつけたのでもない。

 

 ただ、町の灯の正体を、自分の言葉で言うのが下手だっただけなのだ。

 

 そして私は、孫らしく、その不器用さを不親切だと勘違いした。

 

 店先に立っていると、小学生の女の子が母親に手を引かれてやってきた。

 

 腕には、止まってしまった安いキャラクター時計。

 

「これ、なおる?」と女の子が訊いた。

 

 私はしゃがんで、その時計を受け取った。

 

「なおるよ」

 

 そう答えると、女の子はひどく安心した顔をした。

 

 その表情を見たとき、私はようやく少しだけ、祖父のいた場所の足元に触れた気がした。

 

 大きな志など、たぶんいらない。

 

 町の灯は、壮大な理想でつながるのではない。

 

 止まった腕時計ひとつに、ちゃんと「なおるよ」と言ってやれること。

 

 誰かの小さな不安を、覚えていてやること。

 

 たぶん、そういうもので、夜は思ったより長く持つ。

 

 閉店後、私は手帳を作業台の引き出しにしまった。

 

 祖父の文字のあとに、一行だけ自分の字を書き足す。

 

 灯は、見える明るさだけではない。

 

 書いてから、少し気恥ずかしくなった。

 

 私はまだ、こういう言葉が似合う人間ではない。

 

 相変わらず愛想も足りず、忙しいと顔にも出るし、商売人としては半人前だろう。

 

 けれど、半人前でも、つなぐことくらいはできるのかもしれない。

 

 祖父の時計を耳に当てる。

 

 秒針は、静かに進んでいた。

 

 商店街の外れでは、どこかの店がシャッターを下ろす音がした。

 

 それでもうちの店の灯は、まだ点いている。

 

 私はその下で、小さな歯車をひとつ摘み上げた。

 

 それはひどく頼りない部品で、うっかりすると指先から消えてしまいそうだった。

 

 だが、こういうものがひとつ欠けるだけで、時計は止まる。

 

 町も、人も、たぶん同じなのだろう。

 

 私は息をひそめ、そっとそれを元の場所へ戻した。

 

 見えないほど小さな音で、時計がまた動き出した。

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