父は、秘密を持つのがうまい人だった。
うまい、というのは少し違うかもしれない。
ただ、言わないで済むことは、できるだけ言わずに済ませようとする人だった。
家のことも、仕事のことも、自分の身体のことも、たいてい「たいしたことない」の一言で片づけた。
私はそういう父が、昔から少し苦手だった。
何を考えているのかわからないし、わからないくせに、ときどきこちらのことだけは妙に見えている顔をする。
母は「お父さんは不器用やから」と言ったが、その説明は、子どもにとってあまり役に立たない。
不器用な親に育てられる側は、器用に傷つくしかないからだ。
いま私は小学校で働いている。
四年生の担任だ。
朝、教室の鍵を開け、黒板を拭き、提出物を数え、忘れ物をした子を叱り、泣いた子の話を聞き、給食の時間には牛乳をこぼした子の机を拭く。
教師というのは、子どもに何かを教える前に、まず毎日、小さな事故の後始末をする仕事なのだと思う。
それでも私は、この仕事が嫌いではなかった。
子どもはときどき残酷だが、そのぶん驚くほどまっすぐでもある。
こちらが思ってもいなかったところで傷つき、思ってもみなかった一言で救われる。
そういう不安定さが、どこか人間の本当らしくて、私は好きだった。
ただ、胸元の名札だけは、いまだに少し落ち着かない。
「先生」と書かれたその札をつけると、自分が自分でなくなるような気がする。
子どもの前ではきちんとしていなければいけない、という薄い板を、一枚、胸に吊るすみたいな感じだ。
名前というのは不思議で、自分そのもののようでいて、ときどき役割のほうへ引っぱられる。
だから私は、放課後に名札を外すと少しほっとする。
もとの自分に戻るというより、きちんとしなくていい場所へ帰る感じがするのだ。
父が亡くなったのは、去年の冬だった。
肺の病気だったが、私たち家族は「少し長引く風邪みたいなもの」だと聞かされていた。
いや、聞かされていたというより、父がそう言い張っていた。
病院へ行っていることは知っていた。
薬が増えていることも、咳が長く続いていることも、階段を上る足が遅くなったことも、私はちゃんと見ていた。
それでも、まさかそんなに悪いとは思わなかった。
思わなかった、というのは半分は本当で、半分は嘘だ。
どこかで気づいていたのだと思う。
けれど父が「たいしたことない」と言うので、その言葉の後ろへ自分の不安まで隠しただけなのだ。
父は昔から、弱っているところを見せるのが嫌いだった。
私が小学生のころ、仕事で指を切って帰ってきた夜も、タオルを巻いた手を背中に隠していた。
それなのに風呂場の洗面器に血が薄まって広がっているのを見て、私は泣いた。
父は困った顔で「こんなもん、すぐ治る」と言った。
その「こんなもん」が、私は嫌いだった。
治るものも、治らないものも、父は同じ言い方で済ませるからだ。
亡くなる三日前、私は仕事帰りに病室へ寄った。
窓の外はもう暗く、廊下には消毒液の匂いがしていた。
父は点滴の管のついた手で、布団の端をいじっていた。
「仕事、どうや」
父はそう聞いた。
「ふつう」
「ふつうがいちばんや」
そういうところが、私はずっと嫌だった。
いつでも話が半分で終わる。
ふつうがいちばん、なんて、誰にでも言えることだ。
本当に言いたいことは、たぶん別にあるくせに、父はそこまで降りてこない。
「お父さんさ」
私は思いきって言った。
「ほんとのこと、ちゃんと言ってよ」
父は少しだけ目を細めた。
「ほんとのことって何や」
「病気のこと」
「言うとるやろ」
「それじゃなくて」
私はそこで、急に子どもみたいになった。
「私もう、子どもじゃないんやから」
父はしばらく黙っていた。
窓の外で、救急車の音が遠く小さく鳴っていた。
それから父は、驚くほど静かな声で言った。
「子どもじゃないから、言えんこともある」
私は意味がわからず、腹が立った。
大人だから言えない秘密、などというものを、私はまだうまく信じられなかった。
言いたくないだけだろう、と思った。
弱いところを隠して、家族に考えさせないようにして、自分だけ平気な顔をしていたいだけだろう、と。
結局、その日はそれ以上話さなかった。
帰り際、父は私の胸元を見て、
「名札、曲がっとるぞ」
と言った。
私は思わず笑ってしまった。
「こんなときまでそれ?」
「先生は、子どもによう見られとる」
父はそう言って、少し咳をした。
私は名札をまっすぐに直して、じゃあまた来る、と言った。
それが、父と交わした最後のまともな会話になった。
葬儀のあと、私は二日だけ仕事を休んだ。
三日目には学校へ戻った。
四年生の子どもたちは、思っていたより静かに「先生、おかえり」と言った。
その言い方がやさしくて、私は危うく職員室で泣きそうになった。
でも担任というのは便利な役だ。
泣きそうでも、とりあえず朝の会は始まるし、漢字テストは配らなければいけない。
悲しみは、子どもの前では案外あとまわしにできる。
そのかわり、一人になったときにまとめて来る。
放課後、誰もいない教室で机を整えていると、ときどき父の咳が聞こえた気がした。
もちろん、そんなはずはない。
でも人がいなくなった場所には、ときどきいない人の気配が残る。
父の四十九日が過ぎたころ、実家の押し入れを片づけていた母が、「これ、あんたのやない」と一冊の古い冊子を持ってきた。
小学校の卒業文集だった。
表紙の色は日に焼けて、もうくすんでいた。
私は自分の名前を見つけて、なんだか急に嫌な気持ちになった。
卒業文集というのは、たいてい読むと恥ずかしい。
子どものころのまっすぐさというのは、時間が経つと少し眩しすぎるのだ。
けれど何気なくページをめくって、私は手を止めた。
自分の作文の欄に、赤鉛筆で小さな印がついていた。
先生の丸ではない。
もっとあとから、誰かがそっと引いた線だった。
題名は『わたしの夢』。
そこに、十二歳の私がこう書いていた。
「わたしは大きくなったら小学校の先生になりたいです。さみしい子に気づける先生になりたいです。」
その一文の横に、赤鉛筆で線が引かれていた。
そして文集の最後の見返しに、父の字で、短い言葉が書いてあった。
「なっていた。えらい。」
私はその場で動けなくなった。
父は、私の卒業文集を持っていたのだ。
しかも、私が教師になったあとで、その一文を読み返していた。
「なっていた。えらい。」
たったそれだけだった。
でも父の言葉としては、ほとんど手紙みたいに長かった。
私は畳の上に座ったまま、しばらくその字を見ていた。
父の字は、相変わらず少し傾いていて、最後の「い」が雑だった。
見慣れた字だった。
見慣れているのに、こんなにやわらかく見えるのははじめてだった。
文集のあいだから、一枚の紙が落ちた。
学校の名札の台紙だった。
安全ピンの穴が残った、ただの厚紙である。
裏に、また父の字があった。
「入学式の日、名札が大きすぎて泣いとった。」
その瞬間、ずっと忘れていた記憶が戻った。
一年生の春、真新しい制服の胸につけた名札がぐらぐらして、私はそれが嫌で、校門の前で泣いたのだった。
父はしゃがんで、安全ピンをつけ直しながら、「そのうち慣れる」と言った。
私はもっとやさしいことを言ってほしくて、ますます泣いた。
でも父は、つけ直しながら黙っていた。
ただ、指先だけは妙に丁寧だった。
それから私の肩を一度だけ軽く叩いて、「ほら、行け」と言った。
私は泣きながら教室へ走った。
あれが父のやさしさだったのだと、いまさら思う。
いまさら、というのは、いつも少し遅い。
私は文集を抱えたまま泣いた。
父は、自分の病気のことを最後まで言わなかった。
それはやはり、ひどいと思う。
怒っていいことだとも思う。
でも同時に、父は父なりに、私へ渡したい言葉を別のところへ隠していたのだ。
口では言えなかった。
言えば、終わりになる気がしたのかもしれない。
あるいは、本当に私を子どものまま見ていたのかもしれない。
守るつもりで隠して、結果的には余計に寂しくさせた。
そういう失敗をするのも、きっと父らしかった。
だから、卒業文集の余白に書いたのだろう。
私がもう一度見つける未来に賭けるみたいに。
受け取り直す、という言葉があるなら、きっとこういうことだろう。
子どもの頃にはもらえなかったと思っていたものを、大人になってから別の形で見つけること。
しかも、それは最初からずっとこちらへ向けて置かれていたのだと知ること。
私は翌日、学校へ文集を持って行った。
昼休み、誰もいない教室で、自分の名札を外して机に置いた。
それから文集の父の字を、もう一度見た。
「なっていた。えらい。」
涙が少し落ちて、紙に小さなしみができた。
そのとき、廊下を走っていた子どもの声が近づいて、四年生の男の子が教室に顔を出した。
「先生、名札落ちとるよ」
私は慌てて涙を拭いた。
「ありがとう」
「先生、なんか泣いとる?」
「泣いとらん」
私がそう言うと、その子は少し考えてから、自分の名札を見下ろした。
「これ、たまに曲がるよね」
「うん」
「すぐ直せばいいよ」
そう言って、その子は自分の名札を指でまっすぐにした。
私はその仕草を見て、ふいに救われた気がした。
きっと受け取り直しというのは、過去だけに向かうものではない。
いま目の前にいる子どもたちへ、自分が受け取りそこねていたやさしさを、少し形を変えて渡していくことでもあるのだ。
放課後、私は名札の裏に、小さな紙を一枚入れた。
父の字をまねて、自分で書いた。
「気づける先生でいられますように。」
願いみたいでもあり、約束みたいでもある文だった。
父の言葉を、そのまま継ぐことはできない。
でも、受け取ったものを少しだけ先へ運ぶことなら、できる気がした。
夕方の校庭は、子どもが帰ったあとの砂の匂いがする。
私は教室の窓を閉めながら、ふと父のことを思った。
秘密を持つのがうまかった父。
言葉を正面から渡すのが下手だった父。
でもその不器用さの奥で、ちゃんと私の夢のつづきを見ていた父。
もう会えない人のことは、たいてい美化しすぎるか、恨みすぎるか、どちらかになりやすい。
でも父については、ようやくその真ん中に立てる気がした。
ひどかったところも、やさしかったところも、どちらも本当だったのだと。
私は名札を胸につけ直した。
少し曲がっていたので、指でそっとまっすぐにする。
それだけで、父がまた「見られとるぞ」と言った気がした。
だから私は、誰もいない教室で、ほんの少しだけ笑った。
そして明日もまた、子どもたちの前に立つのだろう。
胸に名札をつけて。
その裏側に、ようやく受け取った言葉をしまったまま。


コメント