【感動する泣ける短編】老人ホームで見つけた恩師のメモと、介護士の継承の物語

介護施設の夕暮れの光 泣ける話

老人ホームの朝は、たいてい名札から始まる。

更衣室の薄い鏡の前で制服に袖を通し、胸元の透明ケースに名札を差しこむ。
高瀬 真一
黒い字で印字されたその四文字を、私は毎朝、少し他人のものみたいに眺める。

三十五にもなって、自分の名前がまだ板についていない、というのは情けない話である。
けれど介護の仕事は、不思議とそういうところがある。
慣れたはずなのに、今日もまた一から自分を差し出すみたいな気持ちになる。

介護士になって七年になる。

長いのか短いのか、自分でもよくわからない。
排泄介助の段取りも、夜勤明けの鈍った頭で申し送りを聞く術も、利用者さんの眉の動きひとつで、その日の機嫌や体調をなんとなく察することも、前よりは少しできるようになった。

だが、胸を張って向いていますとは言えない。

人にやさしくしたい気持ちはある。
けれど、やさしさというものは、気持ちだけでは足りないらしい。
眠気や忙しさや、自分の生活のしみったれた不安にすぐ負ける。
そういうたび、私は、この仕事に向いていないのではないかと思う。

このホームに移る前、私は別の施設にいた。
そこで指導担当だったのが、早瀬先生だった。

先生、といっても学校の教師ではない。
現場では長く働く年上の職員を、みなそう呼んでいた。
五十代半ば、小柄で、痩せていて、眼鏡の奥の目がいつも少し眠そうだった。
言葉数は多くないくせに、言うことはやけに刺さる人だった。

「介護は急いでいいけど、雑にしてはいけない」

「利用者さんを“処理”するなよ」

「声かけは、言えばいいんじゃない。相手が受け取れるように言うんだ」

当たり前のことばかりである。
当たり前のことほど、現場では難しい。

私は先生が苦手だった。

嫌いではなかった。
たぶん、尊敬していた。
だからこそ苦手だった。

先生は、私がうまくやっているふりをする瞬間を、驚くほど正確に見抜いた。
食事介助のときの声の上ずり方。
移乗介助で利用者さんの腰より先に、自分の都合を考えている手つき。
夜勤明けで疲れている日にかぎって、妙に笑顔だけ丁寧になる癖。

「いまの声、雑だったよ」

「返事だけ丁寧で、心は追いついてない」

「高瀬くんは、人にやさしくしたいんじゃなくて、やさしい人間に見られたい時があるね」

新人だった私は、そのたびひどく腹が立った。

図星だったからだろう。
人は、自分で薄々わかっている醜さほど、他人に指摘されると怒る。

それでも私は、先生に食らいつくように働いた。
先生の前では手を抜けなかったし、抜くとすぐ見つかった。

ある晩、認知症の女性利用者さんが、食後に急に泣き出したことがある。
「うちの子が帰ってこない」と何度も言って、手を握って離さなかった。

私は困ってしまった。
記録も残っていたし、別の利用者さんのコールも鳴っていた。
どう慰めればいいのかもわからず、ただ背中をさすっていた。

そのとき先生は横へ来て、しゃがみこんだ。
そしてその人に、まるで昔から知っている家族みたいな声で言った。

「帰りが遅いと心配ですよね」

女性は泣きながら頷いた。

「待ってる時間って長いですよねえ」

「そうなの」

「だったら、待ってるあいだだけ私たちがつき合いますよ」

それだけで、女性は少し落ち着いた。

私はあとで思わず聞いた。

「なんで否定しないんですか。息子さん、もう五十過ぎてるのに」

先生は手を洗いながら言った。

「事実を教えるのが親切とは限らない」

「でも、間違ってますよね」

先生は蛇口を閉めて、私を見た。

「高瀬くん。正しいことと、救われることは、別だよ」

私はその言い方に、妙にむっとした。
先生はいつもそうだ。
正論を、逃げ場のない形で置く。
こちらが幼いのはわかっているが、それでも少しくらい傷つき方を加減してくれてもいいではないかと、当時の私は本気で思っていた。

三年目の春、私は大きな失敗をした。

夜勤明けの朝、認知症のある男性利用者が、亡くなった奥さんの名前を呼びながら不穏になった。
そのころ私は、仕事のほかに母の入院も重なって、二日ろくに眠れていなかった。
記録は山積みで、ナースコールは立て続けで、頭の中は古いコピー用紙みたいにざらざらしていた。

男性が何度も「和子はまだか」と聞くので、私はつい言ってしまった。

「もう何回も言ってるでしょう。奥さんはいません」

言葉の内容もひどかった。
だがそれ以上に、声に混じった苛立ちがひどかった。

男性は黙った。
それから、子どもみたいな顔で小さくなった。

私はその瞬間に、あ、と思った。
思ったが、遅かった。

その場にいた先生が、私を廊下へ呼んだ。

怒鳴りもせず、声も荒げず、ただ低く言った。

「利用者さんの時間を、おまえの都合で切るな」

私は反発した。

「じゃあどう言えばいいんですか。毎回つき合えっていうんですか」

先生は私を見た。
その目に、失望とも疲れともつかない色が浮かんでいた。

「つき合うんじゃない。受け止めるんだ」

「そんな余裕ないですよ、いつもいつも」

そこで先生は少し間を置いて、はっきり言った。

「余裕がないなら、人を雑に扱っていい理由にはならない」

私はその一言で、ぶつりと何かが切れた。

「先生は余裕あるから言えるんでしょう」

言ってはいけない言葉だった。
だが、言葉というものは、出たあとで正しさを失う。
出る前にしか、止められない。

先生は黙った。
ほんの少し目を伏せ、それから言った。

「そう見えるなら、俺の言い方が悪かった」

その静けさが、なおさら私を惨めにした。

私はその年の秋に異動願いを出した。
表向きはキャリアのためだったが、本当は、先生のいる現場にいたくなかったのだ。
自分の未熟さを毎日見せつけられるのが、耐えられなかった。

異動してから、一度も会っていない。

風の便りで、先生が体を悪くして現場を離れたと聞いた。
それから二年後、亡くなったと。

私は線香もあげに行かなかった。
行けなかったのだと思う。
合わせる顔がなかった。

その日、私は夜勤明けだった。
朝の食堂には味噌汁の匂いと、柔らかいテレビの音が混ざっていた。
私は一人の女性利用者さんを車椅子から椅子へ移す介助を終え、胸元の名札が少し傾いているのに気づいた。

何気なく直そうとして、透明ケースの裏に小さな紙が挟まっているのを見つけた。

最初はただのメモ用紙の切れ端かと思った。
だが引き抜くと、何度か折りたたまれた紙で、少しにじんだ字が見えた。

私は息を止めた。

その名札ケースは、異動のとき新しくしたはずだった。
なのに、なぜこんなものが。

休憩に入ってから、私はスタッフルームの隅でその紙を開いた。

中には、数行ずつ区切られた短い文が並んでいた。
見覚えのある字だった。

早瀬先生の字だ。

心臓が変な鳴り方をした。

冒頭にはこうあった。

「高瀬へ。渡すつもりだったが、たぶん渡せないから、名札に入れておく」

なぜ名札なのか、最初はわからなかった。
だが読み進めるうちに、その理由が少しずつ胸へ沈んでいった。

「名札は、自分の名前をいちばん近くで見せるものだ」
「介護は資格より先に、名前で引き受ける仕事だと思う」
「だから人の前に立つときは、自分の名前から逃げるな」

私は無意識に、自分の胸元を見た。
透明なケースの向こうで、自分の名前が朝よりも少し重く見えた。

さらに下に、あの夜勤明けの朝のことが書かれていた。

「おまえの言い方は、たしかに悪かった」
「でも悪かったのは、言い方だけじゃない」
「おまえが本当にしんどかったことを、誰にも言わなかったことだ」

私はそこで、息を止めた。

先生は知っていたのだ。
あのころ、母の病院と仕事で私が擦り切れていたことを。
知っていて、あえてそれを持ち出さなかったのだろう。

持ち出せば、私が“だから仕方なかった”という顔をしてしまうのを、先生は嫌ったのだと思う。

メモは続いていた。

「現場はしんどい」
「しんどいとき、人は正しいことより先に自分を守ろうとする」
「それは責めない」
「ただ、そのとき人を雑に扱ったなら、その事実からだけは逃げるな」

私は目を閉じた。

逃げていた。
ずっとだ。

先生の言い方がきつかった、で話を終わらせていた。
自分が傷ついた側であるかのように。
だが、本当に見なければならなかったのは、あの日、私が利用者さんの時間を乱暴に切ったという事実だった。

それなのに私は、先生の言い方ばかり恨んでいた。

人は、自分の加害より、他人の言葉の痛みのほうを覚えていたがる。
ずいぶん卑怯な生き物である。

さらに読み進めると、そこに思いがけない一文があった。

「おまえは向いていないんじゃない」
「向いているから、傷ついている」
「向いていない人間は、そこで痛まない」

私はその一行で、急に泣きそうになった。

先生に、一度でもそんなふうに言われたことはなかった。
むしろ逆で、足りないところばかり指摘された記憶しかなかった。

けれど、足りないところを言うということは、まだ見限っていなかったということなのかもしれない。
人はどうでもいい相手に、そこまでしつこく手をかけない。

最後のほうに、こんなふうにあった。

「たぶんおまえは、俺の言い方を一生嫌う」
「それでもいい」
「ただ、次に誰かを教えるとき、おまえはおまえの言葉でやれ」
「俺の真似はするな」
「でも、利用者さんを雑に扱うな、だけは継げ」

私はそこで、とうとう声を殺して泣いた。

継げ、という言葉が重かった。

私はこの数年、少しずつ教える立場に回りつつあった。
新人が入り、記録の書き方や移乗介助のコツを聞かれることも増えた。
そのたび、私は先生みたいにはなれないと思っていた。

なりたくない、とも思っていた。
あんなふうに人を傷つける言い方はしたくない、と。

けれど本当は違ったのかもしれない。
私は、先生みたいに真剣に人と向き合うことが怖かったのだ。
厳しく言えば嫌われる。
やさしく濁せば伝わらない。
そのどちらの責任も負いたくなくて、私はずっと中途半端だった。

メモの最後の一文は、少しだけ文字が震えていた。

「名札をつけるたび、自分の名前で仕事しろ。それが介護だ」

私は紙をたたんで、胸元に押し当てた。
名札の裏側は、自分の体温で少しあたたかかった。

その日の午後、新人の女の子が食事介助で手を止めていた。
利用者さんに何度も拒否されて、困っている顔だった。

以前の私なら、「こうすればいいよ」と手早く答えて終わらせたかもしれない。
あるいは内心で、要領が悪いなと思ったかもしれない。

けれど私は、その子の横にしゃがんだ。

「疲れてる?」

その子は驚いた顔で、少しだけ笑って、それから頷いた。

私はその頷き方に、昔の自分を見た。

「疲れてると、声って先に荒くなるんだよね」

その子は黙っていた。

「でも、利用者さんは、それすぐわかるから」

私はそこで一度言葉を選んだ。
先生なら、もっとまっすぐ言っただろう。
けれど私は私の声で言えばいいのだと思った。

「うまくできなくてもいい。
ただ、この人を雑にしないってことだけ、一緒に守ろう」

その子は唇を噛んで、それから小さく「はい」と言った。

私は少し離れて見守った。
胸元の名札が、いつもより少し重かった。

夕方、西日が廊下の手すりに細く差していた。
私は更衣室で制服を脱ぐ前に、名札を外した。
透明ケースの裏へ、あのメモをもう一度そっと戻す。

先生の言い方は、たぶん最後まで好きになれない。
きつかったし、もう少し何とかならなかったのかと、いまでも思う。

けれど、それでも、あの人が私に残したものは確かにある。

やさしさは、やわらかい声だけでは足りない。
厳しさは、きつい言葉だけでは継げない。
そのあいだで、人を雑に扱わないよう踏みとどまること。

たぶん先生が私に渡したかったのは、それだけだったのだろう。

老人ホームの夜は、静かなようでいて、完全には静かにならない。
どこかでコールが鳴り、誰かが咳をし、見回りの足音が遠くを横切る。

私はロッカーの前で、名札を胸へ差し直した。

高瀬 真一。

その四文字は、朝より少しだけ自分のものに見えた。

廊下の向こうで、利用者さんが私を呼ぶ声がした。
私は返事をして、歩き出した。

誰かの時間を、もう乱暴に切らないようにと思いながら。

それはたぶん、先生からようやく受け取った、いちばん地味で、いちばん大事な継承だった。

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