私は、人と人のあいだを取り持つ仕事をしている。
ケアマネジャーという仕事は、立派そうに聞こえるが、実際は伝言係に近い。
医師の言葉を家族へ伝え、家族の不安を施設へ伝え、本人の希望を役所の書類に変える。
電話をかけ、日程を合わせ、頭を下げ、また電話をかける。
誰かの暮らしを支えているような顔をして、私は毎日、誰かの言葉を運んでいる。
それなのに、父の言葉だけは、最後までうまく運べなかった。
父は老人ホームに入っていた。
海の見える町のはずれにある、小さな施設だった。
建物は新しくなかったが、廊下にはいつも陽が入り、食堂の窓辺には季節ごとの折り紙が飾られていた。
父はそこで、いつも紺色の手帳を持っていた。
胸ポケットに入る、小さな手帳だった。
若い頃からずっと使っていた型で、表紙の角が丸くなっていた。
父は予定もないのに、毎朝それを開いた。
「今日は何日や」
「水曜日」
「水曜か」
そう言って、何かを確認するように手帳を見る。
私はそれが少し苦手だった。
父の手帳には、私の知らない父が詰まっている気がした。
父は昔から、言葉の少ない人だった。
母が生きていた頃は、母が通訳だった。
「お父さん、心配しとるんよ」
「お父さん、ほんとは喜んどるんよ」
「お父さん、言い方が下手なだけ」
母はよくそう言った。
私は、
「下手にもほどがある」
と笑った。
笑えたのは、母がいたからだ。
母が亡くなってから、父の言葉はますます短くなった。
「帰れ」
「忙しいやろ」
「無理すんな」
どれも、私には拒絶に聞こえた。
私はケアマネになってから、父に対しても仕事の顔をするようになった。
面会に行くと、まず職員さんに聞く。
「食事量はどうですか」
「夜間の様子は」
「転倒リスクは」
「最近、何か変化はありますか」
それから父の部屋に行く。
父は窓辺の椅子に座って、手帳を開いている。
「体調どう?」
「普通」
「困ってることない?」
「ない」
「スタッフさんに言いにくいことがあったら、私に言って」
「ない」
会話は、いつもそこで終わった。
私は、父が私を頼っていないのだと思っていた。
娘としても。
ケアマネとしても。
頼られないことに傷ついているのに、私はそれを忙しさで隠した。
忙しいふりは便利だ。
傷つく暇もない人間に見えるからである。
ある日、仕事で伝言ミスをした。
担当していた利用者さんが、退院後に家で暮らすか、施設へ移るかで悩んでいた。
本人は小さな声で、
「一度だけ、家の台所を見たい」
と言った。
私はそれを家族に、
「一度、自宅へ戻りたいそうです」
と伝えた。
たったそれだけの違いだった。
けれど家族は慌てた。
「家で暮らすなんて無理です」
「また転んだらどうするんですか」
「現実を分かってもらわないと困ります」
本人は黙ってしまった。
あとで、ぽつりと言った。
「住みたいんじゃない。湯のみが、まだ棚にあるか見たかっただけや」
私はそのとき、自分が言葉を運んだのではなく、言葉を壊したのだと知った。
人の希望は、短くすると別物になる。
そのことを思い知ったばかりだった。
それなのに私は、父の言葉をまた短く受け取った。
金曜日の夕方、施設から電話があった。
「お父様が、日曜日にお話ししたいことがあるそうです」
対応したのは、若い職員さんだった。
「日曜日ですか」
「はい。娘さんに、できれば来てほしいと」
「内容は聞いていますか」
「“手帳のことで”とだけ」
私は自分の予定表を見た。
日曜日には、担当利用者の退院前カンファレンスが入っていた。
本来は休みだったが、家族の都合でその日しか合わなかった。
「すみません。日曜は難しいです。来週の水曜なら行けます」
私はそう伝えた。
職員さんは、
「分かりました。お伝えします」
と言った。
それで、済んだと思った。
私は毎日、そうやって伝言を済ませている。
誰かの希望を、別の日にずらす。
誰かの都合を、別の人へ渡す。
仕事なら仕方がない。
私は自分にそう言った。
けれど電話を切ったあと、少しだけ引っかかった。
手帳のことで。
その言葉を、私は忙しさの中に置き忘れた。
日曜日のカンファレンスは、長引いた。
家族は不安を並べ、医師は現実を話し、本人は何度も口を開きかけてやめた。
私は途中で、父のことを思い出した。
老人ホームの窓辺で、手帳を開いている父。
日曜日に話したいと言った父。
けれど私は、電話をしなかった。
水曜に行くって伝えてある。
そう思った。
伝えたのだから、届いたはずだと。
届くことと、伝わることは違う。
それを知っている仕事のはずだったのに。
水曜日、施設へ行くと、父は食堂にいなかった。
部屋にもいなかった。
職員さんが言いにくそうに私を呼んだ。
「実は、日曜日の夜から少し食欲が落ちていて」
胸の奥が冷えた。
父は医務室のベッドで横になっていた。
顔色は悪かったが、意識はあった。
「お父さん」
父は目を開けた。
「来たんか」
「日曜、来られなくてごめん」
父は首を横に振った。
「仕事やろ」
その言い方が、私は嫌だった。
まただ、と思った。
また私を遠ざける。
また、来なくてよかったみたいに言う。
「話したいことがあったんでしょ」
父は少し黙った。
「もうええ」
その一言で、私の中の何かが小さく折れた。
「もうええって何。呼んだの、お父さんでしょ」
父は天井を見たまま言った。
「伝わらんなら、ええ」
「何が?」
「もうええ」
私は腹が立った。
悲しさより先に、怒りが来た。
私はいつもそうだ。
泣きそうになると、怒る。
そのほうが、まだ自分がしっかりしているように見えるからだ。
「言ってくれないと分からないよ。私、伝言だけで全部分かるわけじゃない」
父は目を閉じた。
「分からんなら、それでええ」
私は何も言えなくなった。
ケアマネなのに。
人の言葉にならない希望を拾うのが仕事なのに。
父の「もうええ」だけは、ただの拒絶として受け取った。
その夜、父は少し容体を崩した。
大きな発作ではなかった。
けれど、年を取った体には、それだけで十分だった。
数日後、父は眠るように逝った。
最後まで、日曜日に何を言いたかったのか、私は聞けなかった。
葬儀のあと、施設へ荷物を取りに行った。
父の部屋は、あまりにきれいだった。
施設の部屋というのは、退去が決まると急に部屋になる。
人の気配だけが抜けて、ベッドもカーテンも、よそよそしくなる。
棚には湯のみ。
引き出しには靴下。
枕元には、紺色の手帳が置いてあった。
私はそれを手に取った。
表紙は父の手の脂で、少し光っていた。
中を開くと、予定ではなく、短い言葉が並んでいた。
「娘、面会。顔色悪い。忙しそう」
「娘、電話。声が早い。飯を食っとるか」
「娘、職員に頭を下げていた。仕事の顔」
私は息を止めた。
父は、私を見ていた。
私が父を見ているつもりで、ずっと父に見られていた。
ページをめくると、母の命日のところに、小さく書いてあった。
「今年も娘は来た。花を忘れなかった。えらい」
その一文で、涙が出た。
父に褒められた記憶など、ほとんどなかった。
でも父は、手帳の中でだけ、私を褒めていた。
さらにページをめくると、あの日曜日の欄があった。
そこに、伝言メモが挟まっていた。
施設のメモ用紙だった。
若い職員さんの字で、こう書かれていた。
「娘さん、水曜に来られるそうです」
その下に、父の字があった。
震えて、細い字だった。
「日曜でなくてよい。水曜まで待つ」
私は唇を噛んだ。
父は待っていた。
私が来ないことに怒っていたのではない。
待つと決めていた。
その下には、さらに小さくこう書かれていた。
「手帳の話。水曜にする」
私はその文字を指でなぞった。
日曜日は、父にとってただの日曜日ではなかった。
母の月命日だった。
手帳の同じページに、母の写真が挟まっていた。
若い母が、父の横で少し笑っている写真だった。
その裏に、父の字があった。
「母さんの写真、娘に渡す。私が持っているより、あの子のほうが寂しがりだから」
私はその場に座り込んだ。
父は、自分が寂しかったことさえ、私の寂しさに変えてしまう人だった。
伝言メモの裏にも、文字があった。
「言うこと。手帳を渡す。母さんの写真の場所。通帳のこと。古い家の鍵のこと。あと、娘に、もう少し休めと言う」
それから、少し間を空けて、こう書かれていた。
「本当は、ありがとうと言う」
喉の奥から、変な声が出た。
父が日曜日に言いたかったことは、特別な遺言ではなかった。
私を責める言葉でもなかった。
ただ、手帳を渡したかった。
母の写真の場所を教えたかった。
私に休めと言いたかった。
そして、ありがとうと言いたかった。
たったそれだけの言葉を、私たちは長い年月、互いに言えずにいた。
手帳の最後のほうには、もっと古い字でこう書かれていた。
「この子は、人の世話ばかりする。母親に似た。似なくてよいところまで似た」
その下に、別の日付で続いていた。
「私は口が悪い。帰れと言うと、この子は本当に帰る。困った。帰れは、無理するなという意味なのだが、伝わらん」
私は泣きながら笑った。
伝わるはずがない。
そんな不器用な翻訳を、誰ができるというのだ。
けれど、父なりに必死だったのだ。
短い言葉の中に、長すぎる心配を押し込めていた。
最後の一文は、鉛筆で薄く書かれていた。
「見守るとは、口を出さんことではない。ちゃんと見ていると、いつか伝えることだ。私は伝えるのが下手だった。あとは、この手帳に頼む」
私は手帳を胸に抱いた。
父は最後まで、私を見守っていた。
私が忙しさを盾にして、父の沈黙から逃げているあいだも。
私が仕事の顔で、父の生活を点検しているあいだも。
父は手帳の中で、私の生活を見守っていた。
その後、私はあの伝言ミスを何度も思い出した。
「一度、家の台所を見たい」
それを、
「自宅へ戻りたい」
に変えてしまった私。
「日曜日に、手帳のことで話したい」
それを、
「水曜日でもいい」
にしてしまった私。
言葉を短くするたび、人の祈りは少し削れる。
私はそれを、父の手帳でようやく知った。
それからしばらく、私は仕事で伝言を預かるたび、少し立ち止まるようになった。
「来週でもいいですか」
と聞く前に、
「その日でないといけない理由はありますか」
と聞くようになった。
「お伝えします」
で終わらせず、
「どう伝わってほしいですか」
と尋ねるようになった。
言葉は、荷物ではない。
右から左へ運べば届くものではない。
ときどき途中で冷める。
ときどき形を変える。
ときどき、言った人の本当の気持ちだけが置き去りになる。
父の手帳は、今も私の机の引き出しにある。
表紙の角は、さらに少し丸くなった。
忙しい日、私はその手帳を開く。
「娘、声が早い。飯を食っとるか」
その一文を読むと、私は昼食を抜くのをやめる。
カップ麺でもいい。
おにぎり一つでもいい。
とにかく座って食べる。
父はもう、私に電話をかけてこない。
「帰れ」とも、「無理すんな」とも言わない。
けれど私はときどき、仕事帰りの夕方、老人ホームの前を通る。
窓辺には、季節の折り紙が揺れている。
父の部屋だった場所には、もう別の誰かが暮らしている。
それでいいのだと思う。
人の暮らしは、そうやって受け渡される。
私は駐車場に車を停めず、ゆっくり通り過ぎる。
見守るというのは、引き止めることではない。
消えた人の言葉を、自分の中で少しだけ生き直すことなのだと思う。
父の伝言メモは、手帳の同じページに挟んである。
「本当は、ありがとうと言う」
その文字を見るたびに、私は小さく返事をする。
こちらこそ。
声には出さない。
でも、たぶん今度は、伝わっている。



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