夜のスタジオというのは、少し海の底に似ている。
外ではまだ車が走っているし、コンビニの看板も白々しく光っているのに、分厚い防音扉を一枚閉めると、世界の音が急に遠くなる。
赤いオンエアランプだけが、小さな生き物みたいに点っている。
ミキサー卓のつまみは夜光虫みたいに並び、ヘッドホンの奥では、誰かの声が暗い水の中をゆっくり泳いでいく。
私は地方ラジオ局でADをしている。
三十二歳。
番組表に名前が載るわけでもない。
リスナーから手紙をもらうわけでもない。
台本を印刷し、スポンサーの秒数を確認し、パーソナリティの水を替え、時間を見てカンペを出し、録音素材の頭と尻を整える。
そういう仕事だ。
嫌いではない。
けれど、胸を張って夢だったと言えるほど、きれいでもない。
私はもともと喋るより書くほうが好きだったし、表に立つ度胸もないくせに、言葉の近くにはいたかった。
だからADになったのだと思う。
少し情けない言い方をすれば、夢の隣の部屋で働いている、というやつである。
夢の本丸へ行けなかった人間は、たいてい隣室の住人になる。
祖母は、夜になると決まってラジオをつける人だった。
海辺の町で、小さな食堂を一人で切り盛りしていた。
昼は定食屋、夜は漁師が二、三人だけ入ってきて、焼酎を一杯飲んで帰るような、そういう店だった。
小柄で、骨ばった手をしていて、笑うと前歯の脇が少しだけすいて見えた。
閉店後、客のいなくなった座敷で湯呑みを伏せ、流しの前で手を拭きながら、いつもラジオをつけていた。
港の天気予報。
深夜便の人生相談。
演歌のリクエスト。
祖母はべつに熱心なリスナーというわけではなく、ただ、声があると店の夜が少しやわらぐのだと言っていた。
「人がいるみたいでいいんだよ」
子どものころ、私は食堂の隅の丸椅子で、それを聞きながら宿題をした。
祖母は私の国語の教科書を読めないくせに、「上手に読めたねえ」と言った。
私はその適当さが少し嫌で、「聞いてないでしょ」とよく口を尖らせた。
祖母は「聞いてるよ。声ががんばってる」と笑った。
意味のわからない褒め方だと当時は思った。
けれど今になると、あの人は中身より先に、声の揺れ方を聞いていたのだとわかる。
高校を出て町を離れるとき、祖母は駅まで来なかった。
あの人は別れの場面が苦手だったのだと思う。
その代わり、古びた携帯ラジオを新聞紙に包んで持たせてくれた。
銀色の塗装がところどころ剥げた、小さなラジオだった。
「夜、寂しかったらつけな」
私は笑って言った。
「ラジオなんか聞かないよ」
あのころの私は、若さに特有の残酷さで、優しさの形をまだよく知らなかった。
祖母は「そう」とだけ言って、包みを私の鞄に押しこんだ。
それから十年以上、私はそのラジオをろくに使わなかった。
進学して、就職して、転職して、いまのラジオ局に入ったあとも、部屋の隅に置きっぱなしだった。
皮肉な話である。
ラジオ局で働いているくせに、祖母にもらったラジオにはほとんど触れなかった。
たぶん、祖母の優しさをまともに受け取るのが、少し気恥ずかしかったのだ。
祖母が倒れたのは、去年の冬だった。
最初は大したことがないと言われていたのに、春になるころには食堂を閉める日が増えた。
私は思うほど帰れなかった。
いや、帰らなかったと言ったほうがいいかもしれない。
番組改編の時期で忙しかったのは本当だ。
深夜帯の新コーナーが増え、収録が押し、私は毎日のように終電近くまで局にいた。
だが忙しさというのは便利な言葉である。
本当に忙しいこともあるが、それ以上に、会いに行く勇気のなさを包むのにちょうどいい。
祖母は電話口で、いつも明るかった。
「こっちはだいじょうぶよ」
「ちゃんと食べてるかい」
「声の仕事してるんだってねえ」
私はそのたびに、少しだけむっとした。
私は喋っていない。
ニュースも読まないし、看板番組のパーソナリティでもない。
雑用に近い仕事ばかりで、失敗も多く、上司にはよく叱られていた。
番組を作っているようでいて、まだ端のほうでうろついているだけだった。
それなのに祖母は、近所の人に「うちの孫、ラジオで喋っとるみたい」と言っていたらしい。
母からそれを聞いたとき、私は思わず顔をしかめた。
「違うって何回言ってもわかんないんだよ」
「おばあちゃんはうれしいんでしょ」
「うれしいとかじゃなくて、勝手に話盛られるの嫌なんだけど」
母は少し黙ってから、
「あんた、言い方」
とだけ言った。
私はそれも聞かなかった。
祖母が退院して一度だけ家へ戻ったころ、電話で強く言ってしまったことがある。
「喋ってないから。そういうこと近所に言わないでよ。恥ずかしいから」
受話器の向こうで、祖母は少し黙った。
ラジオの砂嵐みたいな沈黙だった。
それから、いつもの声で言った。
「そうかい。ごめんよ」
私はそのとき、誤解を正したのだから、自分は正しいのだと思った。
だが正しさというのは、人を傷つけたあとだと、ひどく貧相に見える。
祖母は、その三週間後に亡くなった。
私は夜の生放送の最中で、母からの着信に気づかなかった。
気づいたときには、もう間に合わなかった。
通夜の席で、祖母の枕元に、あの携帯ラジオが置かれていた。
角は擦れて、アンテナは少し曲がっていた。
私はそれを見て、なぜだか息が詰まった。
祖母は最後まで、あれを使っていたのだと、そのとき初めて知った。
葬儀のあと、母が紙袋を差し出した。
「これ、おばあちゃんの部屋にあったから」
中にはそのラジオと、小さなカセットレコーダーが入っていた。
レコーダーには見覚えがなかった。
母も「私も知らない」と言った。
私は東京へ戻り、数日それを鞄の中に入れたままにしていた。
夜勤明けのスタジオは、妙に白い。
朝の気配がガラス越しに滲んでくるくせに、まだ番組の残り香がある。
パーソナリティが笑った声。
スポンサー名を読む抑揚。
CM前の絶妙な間。
そのすべてが終わったあと、スタジオだけが取り残される。
その日、私は深夜番組の収録素材を整理していた。
誰もいない副調整室で、ヘッドホンを外したりつけたりしながら、ふと鞄の中のカセットレコーダーを思い出した。
なぜそのタイミングだったのか、自分でもわからない。
ただ、夜のスタジオの静けさが、祖母の食堂の閉店後の静けさに少し似ていたのかもしれない。
私はレコーダーを取り出した。
中には一本だけ、古いカセットテープが入っていた。
白いラベルに、祖母の字でこう書いてあった。
「もしものとき」
私はそこで、しばらく動けなかった。
こういうものは、たいてい嫌な予感しか運ばない。
けれど再生しなければ、もっと長く嫌な予感のまま残る。
私は再生機につなぎ、スタジオのモニターに音を返した。
最初に、がさがさという手擦れの音がした。
少し間があって、祖母の咳払い。
それから、聞き慣れた声が流れた。
「……これ、入ってるのかねえ」
私はその一言で、もう胸が苦しかった。
祖母は少し笑っていた。
「もしものときって言っても、たいしたことじゃないんだけどねえ。まあ、年だから、一応ね」
そのあと、少し間があった。
遠くで湯呑みの触れる音がした。
たぶん、食堂の奥で録ったのだろう。
「真尋へ」
自分の名前を呼ばれた瞬間、私は椅子に座り直した。
「このまえは、ごめんよ。あんたが喋ってるわけじゃないのに、近所に言ってしまって」
私はそこで目を閉じた。
やはり祖母の勘違いだったのだと思った。
だが次の言葉で、その思い込みはひどく恥ずかしい形で崩れた。
「でもね、私は、あんたの声を聞いてるつもりだったんだよ」
副調整室の空気が、少し変わった気がした。
祖母は続けた。
「ほら、ラジオって、喋る人だけじゃできないだろう。音を出す人も、紙をそろえる人も、合図する人も、いるんだろう」
私は息を止めた。
祖母は、わかっていたのだ。
私がマイクの前にいないことを、ほんとうは最初から知っていたのかもしれない。
それでも、声のそばで働く私を、祖母なりに“声の仕事”だと思ってくれていたのだ。
「近所には、ちょっと見栄を張ったかもしれないねえ」
そこで祖母は小さく笑った。
「あんたは怒ると思った。案の定、怒った」
私は笑えなかった。
喉が詰まって、何も返せない。
「でも、恥ずかしいって言われたとき、ちょっとだけ悲しかったよ」
そこで、とうとう涙が落ちた。
「だって、あんたの仕事まで、恥ずかしいことみたいに聞こえたから」
私は両手で顔を覆いたくなった。
祖母は、私を責めているのではなかった。
ただ、少し悲しかったと言っているだけだった。
その“少し”が、かえってきつかった。
ほんとうに優しい人は、傷を大きく言わない。
だからこちらは、あとから自分の浅さをまともに見る羽目になる。
テープの向こうで、祖母はまた少し咳をした。
「ラジオって、不思議だねえ」
「顔が見えないのに、誰かがちゃんとそこにいる気がする」
「だから私は、夜になると、ひとりじゃない気がしたよ」
スタジオのガラスに、泣いている自分の顔が映っていた。
私は祖母にラジオをもらった日のことを思い出していた。
「聞かないよ」と笑った、あの浅い自分を。
祖母はそのとき、もう知っていたのかもしれない。
人は寂しい夜に、声で救われることがあると。
「もし、あんたがこれを聞いたとき、まだその仕事をしているなら」
祖母の声が、少しだけ真面目になった。
「どうか、誰かの夜をひとつ、明るくしてあげてください」
「喋る人じゃなくてもいいよ。声を届ける人なら、それで十分」
私はそこで嗚咽をこらえた。
祖母は続けた。
「それから、祈るみたいに仕事をしてください」
その言葉が、妙にまっすぐ胸へ入ってきた。
祖母は祈る人だった。
大げさな信仰があったわけではない。
けれど店を閉めたあと、湯呑みを洗いながら、海が荒れませんようにとか、あの人の腰が少し楽になりますようにとか、そういう小さなことを、たぶん毎日どこかで祈っていた。
「真尋は、やさしい子だから」
その一言で、私はとうとう泣き崩れた。
私はやさしくなんかなかった。
最後の電話で、ちゃんとそれを証明してしまった。
けれど祖母は、その失敗ひとつで私を決めなかったのだろう。
人は、ときどき自分がなれなかったものを、先に信じてもらうことでしか近づけない。
祖母は、私の中にまだ見えていないやさしさを、勝手に信じていたのかもしれない。
テープの最後に、祖母はこう言った。
「また夜になったら、ラジオをつけるつもりでいるよ。向こうで聞けるか知らないけどねえ」
そこで少し笑って、
「だから、あんたも元気で」
それから、ほんの少し間があって、
「……おやすみ」
録音はそこで切れた。
しばらく、回転音だけが空しく続いた。
私はフェーダーを下ろせなかった。
誰もいないスタジオで、ひとり泣いた。
赤いランプは消えているのに、どこか生放送みたいな緊張があった。
泣きながら、私はようやく知った。
祖母が勘違いしていたのではない。
勘違いしていたのは私のほうだった。
自分の仕事は、表に出ないぶん小さいのだと思っていた。
声そのものではないから、届く力も弱いのだと。
けれど違う。
声は、一人では届かない。
マイクの前にいる人だけで、夜を越えられるわけではない。
その手前で支える人間がいて、はじめて誰かの孤独へ届くのだ。
私はその晩、帰宅してから、祖母にもらった携帯ラジオに新しい電池を入れた。
がり、と小さなノイズがして、それから深夜番組の声が流れた。
知らないパーソナリティの、少し眠そうでやさしい声だった。
私は机に突っ伏しながら、その声を聞いた。
遠くで祖母も聞いているような気がした。
もちろん、そんなことはない。
人は死ぬし、海の向こうにスタジオがあるわけでもない。
けれど祈りというものは、たぶん、理屈の外側で誰かに届くと思いたい気持ちのことだ。
翌週、私は自分から深夜特番を手伝わせてほしいと頼んだ。
眠れない人へ向けた、小さなメッセージをつなぐ番組だった。
採用されるかどうかはわからない。
それでも、やってみたいと思った。
祈るみたいに仕事をする、という祖母の言葉を、今度は勘違いせずに受け取りたかった。
夜のスタジオは、今日も海の底に似ている。
赤いランプが灯り、誰かの声がゆっくり流れる。
私は副調整室で時計を見ながら、カンペを一枚、そっと差し出す。
たぶん祖母は、こういう細かな作業まで想像していたわけではないだろう。
けれど、それでいい。
顔が見えなくても、声は届く。
届かなくなった人の祈りもまた、こんなふうに遅れて届くことがある。
ヘッドホンの奥で、パーソナリティが静かに言う。
「眠れない夜に、ひとりじゃありませんように」
私はフェーダーの上に指を置いたまま、ほんの小さく息をした。
向こうでラジオが鳴っている気がした。



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