祖父の留守電を、私は遅れて聞いた

静かな港の黄昏 家族の話

祖父との関係に、どこか距離を感じていたことはありませんか。

厳しいわけではないのに、やさしいとも言いきれない。

言葉は少なく、気持ちはよく分からない。

けれど、いなくなってから初めて気づくこともあります。

これは、祖父の残した“あるもの”を通して、
遅れて気持ちに気づいた夜の話です。

祖父が死んでから、私は腕時計をするようになった。

 

 べつに、時間を大切にする人間になったわけではない。

 

 そういうふうに言うと、少しは殊勝に聞こえるかもしれないが、私はもともと時間にだらしないほうだった。

 

 若いころは遅刻ばかりしていたし、四十を過ぎた今でも、客のいない待機中にはついシートを倒して目を閉じてしまう。

 

 港町のタクシー運転手なんてものは、きちんとして見えて、その実、潮の匂いに甘やかされて生きているところがある。

 

 船が出れば町が動き、霧が出ればみな少し黙り、雨が降れば、帰る人の肩がひとつずつ沈む。

 

 そういう町では、人間の暮らしも、時計より海のほうに従っている。

 

 だから私は、腕時計などしなくても生きてこられた。

 

 なのに、祖父が死んでからだけ、どうしても左手首が空いているのが落ち着かなくなった。

 

 それで、祖父の腕時計をつけるようになったのだ。

 

 銀色の、古い丸時計だった。

 

 風防には細かな傷が幾筋も走り、革ベルトは何度も汗を吸って黒ずみ、留め具のところだけ少し金属が白く剥げている。

 

 はっきり言って、きれいな品ではない。

 

 けれど祖父は、生きているあいだ、これを妙に大事にしていた。

 

 朝起きると顔を洗い、茶を飲み、それから新聞を広げる前に、必ず腕時計を耳元へ持っていく。

 

 そして秒針の音を確かめるようにしてから、小さく頷くのだった。

 

 子どものころの私は、その仕草があまり好きではなかった。

 

 何だか、時間にまで威張っているように見えたからである。

 

 祖父は元漁師だった。

 

 無口で、背中ばかり大きく、笑うときだけ急に目尻が下がる人だった。

 

 父が死んでからは、家のなかでいちばん大きな気配として、いつも私の近くにいた。

 

 近くにいて、しかし、あまり上手に優しくはなれない人でもあった。

 

 たとえば私が小学校で喧嘩をして帰った日、祖父は傷の理由を聞かずに、いきなり氷をタオルに包んで渡した。

 

 高校の受験に落ちた夜には、慰めるかわりに焼き魚の骨をきれいに外して私の茶碗にのせた。

 

 そういう人だった。

 

 だから、愛情というものが、まっすぐ言葉になるものだと思っている人には、少しわかりづらかったかもしれない。

 

 私にも、長いことわからなかった。

 

 ただ、祖父はよく言っていた。

 

 「いい時計は、急がん」

 

 私はその言葉が嫌いだった。

 

 急がない時計なんて、何の役に立つのだと思っていた。

 

 時計なら、正確であるべきだ。

 

 人間だってそうだろう。

 

 早く、正しく、遅れず、迷わず。

 

 若いころの私は、そのくらい単純だった。

 

 祖父は、そのたびに笑って、

 

 「急ぐのは人間のほうだ」

 

 と言った。

 

 私は、その言い方が少し気取っていて、癪に障った。

 

 結局、人は、嫌いな言葉ほどよく覚えている。

 

 そしてたいてい、それが胸に刺さるのは、ずっと後になってからだ。

 

 私は一度、この町を出た。

 

 高校を卒業して、県外で働いた。

 

 立派な理由があったわけではない。

 

 ただ、この港町で一生を終えるのが、何となく息苦しかったのである。

 

 祖父の視線も、母のため息も、冬の日本海の色も、みな私には少し重かった。

 

 だが、外へ出たところで、私は別に生まれ変われなかった。

 

 工場勤めは長続きせず、営業の仕事では愛想ばかり使って中身が続かず、結局、何者にもなれないまま三十を過ぎた。

 

 そのころ母が腰を悪くし、私は戻ってきた。

 

 戻る理由ができた、というのは、ひどく都合のいい言い方だと思う。

 

 帰りたかったのかもしれないし、帰りたくなかったのかもしれない。

 

 人は敗けて戻るとき、自分にだけは事情があるような顔をする。

 

 私もそうだった。

 

 それで、今は港町でタクシーに乗っている。

 

 昼より夜のほうが好きだったので、夜勤を選んだ。

 

 酔客や病院帰りの老人や、終電を逃した若い恋人たちを乗せて走るうちに、私は少しずつ、この町の夜のかたちを覚えた。

 

 夜の町は昼より正直だ。

 

 昼間は平気な顔をしている人が、夜になると急に誰かの名を口にしたりする。

 

 家へ帰る途中で泣きそうになる人もいる。

 

 吐くほど酒を飲んでおいて、車内でやさしい母親の話をする男もいる。

 

 私はハンドルを握りながら、そういうものをたくさん見てきた。

 

 見てきたくせに、自分の家のなかにある気持ちだけは、ちっとも読み取れなかった。

 

 祖父と喧嘩をしたのは、死ぬ半月ほど前だった。

 

 十二月の、港の風がいちばん骨にしみるころだった。

 

 忘年会帰りの客が多くて、私は何日もろくに眠れていなかった。

 

 その日も、朝方になってようやく家へ戻った。

 

 玄関を開けると、居間に明かりがついていた。

 

 祖父が起きていた。

 

 炬燵に入って、湯呑みを手にしたまま、じっと私を見た。

 

 「おまえ、最近また顔が荒れとるぞ」

 

 私は靴も脱ぎきらないまま、「そう」とだけ返した。

 

 祖父は続けた。

 

 「そんな走り方しとったら、そのうち事故する」

 

 ただ、それだけのことだった。

 

 ほんとうに、それだけだったのである。

 

 なのに、そのときの私は、その言葉の中身より先に、言われたという事実に腹を立ててしまった。

 

 数時間ぶりに帰ってきた人間に、最初に投げる言葉がそれか、と思った。

 

 褒めろとは言わない。

 

 ねぎらえとも言わない。

 

 ただ、黙っていてくれればよかったのだ。

 

 疲れている人間は、正しい言葉にも傷つく。

 

 それを知らない年寄りでは、祖父もなかっただろうに。

 

 けれど私は、そのとき、祖父の老いより先に自分の苛立ちを選んだ。

 

 「うるさいな」

 

 声が思ったより鋭く出た。

 

 祖父は少しだけ眉を動かした。

 

 私はもう止まれなかった。

 

 「昔のやり方と一緒にしないでくれよ。いまは客待たせたら食えないんだよ」

 

 祖父は黙っていた。

 

 その沈黙が、なおさら私を嫌な方向へ押した。

 

 私はたぶん、自分が正しくないと知っているときほど、よけいなことを言う。

 

 「どうせもう運転もできない人に、何がわかるんだよ」

 

 言った瞬間、空気が変わった。

 

 祖父は怒らなかった。

 

 怒鳴り返しもしなかった。

 

 ただ、自分の腕時計に目を落とした。

 

 その沈黙が、私にはひどく冷たく感じられた。

 

 「そうか」

 

 祖父はそれだけ言った。

 

 そして湯呑みを持ち上げた。

 

 もう話は終わりだ、と言われたようだった。

 

 私はそのまま二階へ上がった。

 

 階段を上がる途中で、しまった、と思った。

 

 ひどい言い方をした、とも思った。

 

 でも、そのとき謝ればまだ間に合ったのに、私は面倒な体裁を守るために、意地を選んだ。

 

 人は、大切な相手に対してほど、つまらない見栄を張る。

 

 まるで、その相手なら失っても平気だと証明したいみたいに。

 

 数日後、母が言った。

 

 「じいちゃん、あれからあんまり喋らんねえ」

 

 私は新聞を読みながら、「寒いからじゃない」と答えた。

 

 ほんとうは気づいていた。

 

 祖父が私にだけ、わずかに距離を置いていることに。

 

 夕飯の時間をずらしたり、私の夜勤前にあまり顔を出さなかったりする、その小さな不自然さに。

 

 でも私は、それを見ないふりをした。

 

 謝る機会はいくらでもあるように思えたからだ。

 

 人は、明日があると思っているとき、今日の失礼を平気で放っておく。

 

 祖父が倒れたのは、その二週間後だった。

 

 風呂場で転んだのを母が見つけた。

 

 病院へ運ばれたが、意識は戻らなかった。

 

 私は何度も見舞いに行った。

 

 行ったといっても、胸を張れるようなものではない。

 

 ベッド脇に立ち、点滴の落ちる速さをぼんやり眺め、祖父の寝顔を見て、何も言えずに帰ってくるだけだった。

 

 謝ろうと思っていた。

 

 「この前は悪かった」と、その一言でいいのに、それがどうしても喉を通らなかった。

 

 眠っている相手に謝ることは、どこかずるい気がした。

 

 起きて、聞いて、許すかどうか決める相手がいてこそ、謝罪というものは成立する気がしたのである。

 

 結局、私は何ひとつ言えなかった。

 

 祖父は、年を越す前に死んだ。

 

 雪の朝だった。

 

 病院の窓の外で、薄い雪が海へ向かって斜めに流れていた。

 

 母は泣き、私は妙に静かだった。

 

 泣く順番を逃した人間は、しばらく何も感じられなくなる。

 

 葬儀が終わり、親戚が帰り、線香の匂いだけが家に残ったころ、母が小さな箱を持ってきた。

 

 「これ、じいちゃんが、あんたにって」

 

 開けると、あの腕時計が入っていた。

 

 私は少し驚いた。

 

 喧嘩したままだったのに、と思った。

 

 母は続けた。

 

 「あとね、留守電が入っとったの。あんた宛て」

 

 家の電話機は古かった。

 

 いまどき留守電など使う家も少ないだろうが、祖父は妙にあれを信用していた。

 

 母が再生ボタンを押した。

 

 ざらついた電子音のあとで、祖父の声が流れた。

 

 『修一か。出んでいい』

 

 私は、その声を聞いただけで、胸の奥がひどく縮んだ。

 

 死んだ人の声というのは、どうしてああも現実に近いのだろう。

 

 近いくせに、もう絶対に届かない。

 

 『ちょっと思い出したことがあってな』

 

 祖父の息は少し弱かった。

 

 それでも調子は、いつもの祖父だった。

 

 『この前、おまえに言われたこと、あれはもっともだ。運転もせん人間が、口出しすることじゃない』

 

 私は目を伏せた。

 

 やはり傷つけていたのだと思った。

 

 ああいう言葉は、言ったほうは勢いで済むが、言われたほうは体に残る。

 

 私はもう、その先を聞く資格もない気がした。

 

 けれど祖父は、そこで少し咳をしてから、静かに続けた。

 

 『ただな、ひとつだけ訂正しておこうと思って』

 

 私は顔を上げた。

 

 留守電の向こうで、遠く何か金属の触れる音がした。

 

 たぶん、あの腕時計だろうと思った。

 

 『わしはな、おまえの父親が死んだ日、おまえを迎えに行く途中で、少し飛ばしすぎた』

 

 私は息を止めた。

 

 父は、私が十歳のとき、港の事故で死んだ。

 

 その日の記憶は、ところどころ途切れている。

 

 先生の青い上履き。

 

 冬の校庭。

 

 叔父の車の曇った窓。

 

 家へ着いたとき、祖父が玄関先に立っていたこと。

 

 それだけだ。

 

 私はずっと、祖父は最初から家にいたのだと思っていた。

 

 『早く帰らせんといかん、早く抱かせてやらんといかん、そう思ってな』

 

 祖父の声は、少し遠くなった。

 

 『曲がり角で危うく人をはねそうになった』

 

 私は思わず、膝の上で拳を握っていた。

 

 『急いだところで、何も変わらんかった。誰も助からんかった』

 

 その言葉のあとに、短い沈黙が落ちた。

 

 私はその沈黙のなかに、祖父が抱えてきた長い悔いの重さを見た気がした。

 

 父が死んだ日から、祖父はずっと、自分を責めていたのだ。

 

 息子を助けられなかったことよりも、そのとき別の誰かまで傷つけそうになった自分の未熟さを、ずっと赦せずにいたのだろう。

 

 『それ以来、急ぐのが怖くなった』

 

 祖父は言った。

 

 『時計にも、人にも、急ぐな急ぐなと言うようになった』

 

 私はそこで初めて、あの口癖の意味を知った。

 

 祖父は私を縛るために言っていたのではなかった。

 

 自分の後悔を、私に渡さないために言っていたのだ。

 

 けれど、そういうことを、祖父はきっと一生うまく説明できない人だった。

 

 ただ不器用に、ぶっきらぼうに、遠回りな言い方しかできなかった。

 

 そして私は、その遠回りを、ただの頑固さだと決めつけていた。

 

 記憶違い、というには重すぎる。

 

 でもたしかに私は、祖父の言葉の意味を、長いあいだ勝手に取り違えていたのだった。

 

 『この前のことは気にするな』

 

 祖父の声は、少しだけ笑っていた。

 

 『若い者は急ぐ。急いでいい』

 

 私はもう、涙をこらえるのが難しかった。

 

 『ただ、帰ってこられる速さで走れ。待っとる人のところへ戻れる速さでな』

 

 最後に祖父は、少し間を置いて、

 

 『あの時計、やる』

 

 と言った。

 

 『あれももう、わしより、おまえのほうが似合う歳だ』

 

 録音はそこで切れた。

 

 私はしばらく動けなかった。

 

 母も黙っていた。

 

 居間の柱時計だけが、少し遅れた音で時を打っていた。

 

 祖父が生きていたころから、あの柱時計はいつも二分ほど遅れていた。

 

 祖父は直そうとしなかった。

 

 「家の時計が少し遅いくらいでちょうどいい」と言っていた。

 

 私はそれを、また変な理屈だと笑っていた。

 

 いま思えば、祖父は、遅れのある時間のほうが人にやさしいと知っていたのかもしれない。

 

 その夜、私は一人で車庫へ行った。

 

 タクシーのドアを開け、運転席に座った。

 

 深夜の車内には、少し古いビニールの匂いと、祖父の留守電がまだ残っているような気がした。

 

 私は腕時計を左手首につけた。

 

 少し緩かった。

 

 祖父の骨ばった手首のぶんだけ、私には隙間があった。

 

 エンジンはかけなかった。

 

 暗いフロントガラスの向こうに、港の灯が小さく滲んでいた。

 

 そのとき、ようやく泣いた。

 

 声は出なかった。

 

 ただ、目の奥から静かに崩れるものがあった。

 

 祖父に謝りたかった。

 

 謝って、もう一度あの居間で、今度はちゃんと話を聞きたかった。

 

 でも、死んだ人は、こちらの準備が整うまで待ってはくれない。

 

 それが死だ。

 

 残酷なくせに、妙に公平である。

 

 それから私は、祖父の腕時計をつけてタクシーに乗るようになった。

 

 時計は少し遅れる。

 

 一日に二分か三分。

 

 だが、不思議と困らなかった。

 

 車の時計もあるし、配車の時刻は無線が告げてくれる。

 

 それでも左手首にあの重みがあるだけで、私は曲がり角で少しだけ速度を落とすようになった。

 

 黄色信号の見え方も変わった。

 

 前なら行っていたところで、いまは止まる。

 

 止まるたびに、客が急かさないかと身構えたが、案外、誰も何も言わなかった。

 

 人は思っているほど、こちらの数秒の遅れを責めない。

 

 責めるのは、たいてい自分だけなのだ。

 

 春先の雨の夜だった。

 

 病院から港の外れまで、ひとりの老婆を乗せた。

 

 細い指でバッグを抱え、窓の外ばかり見ている人だった。

 

 行き先に着いても、すぐには降りなかった。

 

 ワイパーが一定の速さで雨を払っていた。

 

 老婆は濡れた防波堤の向こうを見ながら、ぽつりと言った。

 

 「主人がね、昔、このへんで船に乗ってたんです」

 

 私は「そうですか」と返した。

 

 それ以上、うまい言葉は思いつかなかった。

 

 でも、その夜は、それでよかった気がする。

 

 人はときどき、理解より先に、ただ黙って受け取られたいのだろう。

 

 老婆は小さく笑った。

 

 「急がなくていい運転でした。ありがとう」

 

 私は釣り銭を渡す手を、少しだけ止めた。

 

 それから頭を下げた。

 

 「ありがとうございます」

 

 老婆が降りたあとも、私はしばらくその場を動かなかった。

 

 港に滲む灯りは、雨のなかでやわらかく崩れていた。

 

 海は暗かった。

 

 けれど暗いなりに、何かを抱いているように見えた。

 

 ああ、と思った。

 

 祖父もこういう夜を、ずっと見てきたのだろう。

 

 言葉にならないものを抱えたまま、それでも朝になれば船を出し、夕方には帰り、茶を飲み、腕時計の音を確かめていたのだろう。

 

 生きるというのは、案外その程度のことなのかもしれない。

 

 大きく赦されることではなく、小さく間違えながら、今日も誰かをはねずに帰ってくること。

 

 祖父に謝りたいと思うことは、いまでもある。

 

 けれど最近は、謝罪より先に、祈りが来る。

 

 今夜もどうか、誰も傷つけませんように。

 

 どうか私が、急ぎすぎて大切なものを見失いませんように。

 

 どうか、待っている人のところへ、ちゃんと戻れますように。

 

 そう願うとき、祖父のことを思い出す。

 

 祈りというものは、届くかどうかわからないまま捧げるから、祈りなのだろう。

 

 夜明け前、港へ戻る坂道で、私はそっと腕時計に触れた。

 

 秒針は、急がず、休まず、たしかに進んでいた。

 

 遅れているくせに、まるで何も失っていないような顔で進んでいた。

 

 それを見ていると、少しだけ救われる。

 

 人もまた、少しくらい遅れてもいいのかもしれないと思える。

 

 大事なのは、正確さより、戻ってくることなのだと。

 

 潮の匂いのする朝のなかで、私はハンドルを握り直した。

 

 亡くなった人はもうここにはいない。

 

 けれど、いなくなったあとでしか教えられないことが、たしかにある。

 

 祖父の祈りは、あの留守電の向こうで終わったのではなく、たぶんいま、私の左手首で、静かに時を刻んでいるのだった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました