母の伝言メモと、返せなかった「ごめん」

鍵を持つ母 泣ける話

母が島へ来ると言い出したとき、私は反対しようとして、やめた。

反対できるほど、親孝行な息子ではなかったからである。

いや、正確に言えば、反対する資格がない気がしたのだ。

三年前、本土での仕事を辞め、逃げるようにこの離島へ渡った。

季節だけ働いて、金が少したまったらまたどこかへ行くつもりだった。

それが、港の潮の匂いと、古びた民宿の軋む廊下と、無口なくせに妙に世話焼きな女将さんに捕まって、私はずるずると居着いてしまった。

帰省は一度もしなかった。

電話も用件だけ。

盆も正月も、船が混むだの、仕事が忙しいだの、いくらでも言い訳は作れた。

そうやって三年も放っておいた息子に向かって、母は責めるどころか、いつも「あんた、ちゃんと食べとる?」とだけ聞いた。

それが、かえって堪えた。

怒られるほうが、まだましだった。

怒られれば、こちらも少しは言い返せる。

けれど、心配だけを差し出されると、人は自分の不出来をまるごと見せつけられる。

母は春の終わり、潮の匂いがいちばんやわらかい日に島へ来た。

港に着いた小さな船から降りてきた母は、思っていたより、ずいぶん小さかった。

昔はあんなに大きかったのに、と思うのは、子どもの勝手な感傷である。

だが、その勝手な感傷を、その日はうまく笑い飛ばせなかった。

母は薄い灰色のカーディガンを羽織り、古い革の鞄を胸に抱えていた。

その鞄は、私が高校生の頃から見ている。

角が擦れて、持ち手の一部が少しひび割れている。

なのに母は、そういう古いものを平気な顔で使い続ける人だった。

「来んでよかったのに」

荷物を受け取りながら私が言うと、母は麦わら帽子のつばを押さえて笑った。

「そう言うと思って、お土産持ってきた」

土産と言って差し出されたのは、私が実家に置きっぱなしにしていた紺色の上着だった。

「夜、冷えるやろ」

私は礼も言わず、重いな、とだけ言った。

母は「そやね」と小さく笑った。

その笑い方が、昔から私は苦手だった。

責めもせず、拗ねもせず、ただ受け流すみたいに笑う。

それを見ていると、自分だけが妙に子どもじみて見えるのだ。

民宿「汐見荘」は、港から坂を上った先にある古い木造の二階家だった。

客室は六つ。

表から見れば、白い壁と青い屋根の、いかにも海辺らしい宿に見える。

だが中に入れば、柱は少し傾き、廊下は歩くたびに鳴り、窓の桟には何年分もの潮が薄くこびりついている。

私はそこで、掃除も配膳も送迎も買い出しもする。

要するに、何でも屋である。

胸を張れる仕事かと聞かれると、少し困る。

けれど、毎日誰かのために湯を沸かし、布団を干し、魚を焼くうちに、どうにか生きている感じだけは持てた。

母は二泊だけすると言った。

宿代を払うと言い張るので、勝手にしろ、と私は言った。

勝手にしろ、というのは、私の照れ隠しがいちばん醜く出たときの口癖である。

本当は、来てくれて少しうれしかった。

そのくせ、それを見抜かれるのが嫌で、私はわざとぶっきらぼうになった。

その夜、母は台所で女将さんの手伝いをした。

「お母さん、休んでてください」

私が言うより先に、母は「手が空いとると落ち着かんの」と笑った。

皿を拭き、味噌汁の葱を刻み、茶碗を並べる。

その手つきは昔のままで、私はそれを見ているうちに、なぜだか腹が立ってきた。

ここは私の職場で、母の台所ではない。

そんなつまらない縄張り意識だったのかもしれない。

あるいは、私の知らないところで、女将さんに「息子さん、ちゃんとやっとるね」などと褒められていたのかもしれない。

それを思うだけで、なぜか居心地が悪かった。

「余計なことしなくていいよ」

言った瞬間、自分でもきついと思った。

母の手が一瞬だけ止まった。

布巾の上の水滴が、ぽたりと床に落ちた。

「ごめん」

母はそれだけ言って、布巾をきれいにたたんだ。

謝るようなことではない。

そう思ったのに、私は何も言えなかった。

謝らせてしまったことより、その「ごめん」があまりに静かだったことのほうが、胸に残った。

翌朝、母は島を少し歩きたいと言った。

私は昼に団体の客が入るので、港の先までなら、と言った。

「そんな子どもじゃないよ」

母は笑って、食堂の窓から海を見た。

朝の光が、海の表面を銀紙みたいにひらひらさせていた。

「島の道、すぐ迷うから」

「迷ったら誰かに聞くよ。みんな親切そうやし」

その言い方に、私は妙な棘を感じた。

まるで私だけが不親切みたいに聞こえたからだ。

もちろん、ただの被害妄想である。

母は出かける前、玄関脇の棚に置いてあった勝手口の鍵を手に取った。

細長い銀色の鍵で、先端が少し黒ずんでいた。

宿の裏手にある勝手口は、台所と洗濯場に通じていて、荷物の出し入れに使う。

「これ、借りてええ?」

「なんで」

「先に戻ったら裏から入れるやろ」

私は帳場で予約表をめくりながら、ろくに顔も上げなかった。

「ああ。なくさないでよ」

「なくさんよ」

母はそう言って、鞄の小さな内ポケットに鍵をしまった。

そのとき、一度だけこちらを見て、何か言いかけた気がした。

けれど結局、何も言わずに出て行った。

昼は戦争のようだった。

釣り客の到着が重なり、予約していた家族連れが一時間も早く着き、厨房では魚屋から届いた発泡箱が床をふさいだ。

子どもが玄関先で転んで泣き、私は絆創膏を取りに走った。

送迎の軽ワゴンで港を二往復し、戻れば戻ったで、廊下の電球が切れたと呼ばれる。

麦茶を足し、布団を干し、風呂の温度を見て、電話に出る。

息をつく間もなく動き回りながらも、私はどこかで、母がどのへんを歩いているのかを気にしていた。

港の防波堤か。

神社の石段か。

島のいちばん高い場所から、海でも見ているのか。

そういうことを、気にしていないふりをしていた。

気づけば、午後三時を回っていた。

ふと静かになったとき、母の姿が見えないことに気づいた。

二階の部屋にもいない。

食堂にもいない。

裏庭にもいない。

胸の奥が、潮の引くみたいに、すうっと冷えた。

そのとき、女将さんが言った。

「お母さんなら、さっき港のほうで見かけたよ」

「港?」

「診療所の先生と話しとらした」

「診療所?」

「坂で転んだおばあさんがいてね、付き添ってったらしいよ。自分より年上の人にまで世話焼くんだから」

女将さんは少し笑った。

「で、あんた忙しそうだから声かけんかったって」

私はその言葉に、胸のどこかをつつかれた気がした。

忙しそうだから。

それは母が昔からよく使う言い方だった。

私が受験でぴりついていた時も、就職したばかりで疲れていた時も、何か言いたそうにして、結局「忙しそうやから、また今度にするわ」と引っ込める。

そのたび私は、助かったような顔をしていたかもしれない。

帳場の上を見た。

そこに鍵がなかった。

私は胸の中で、ひどく短絡的な結論を出した。

母は鍵を持ったまま帰ったのだ、と。

人は不安になると、いちばん都合の悪いほうへ想像を走らせる。

そのほうが、怒れるからである。

怒っているあいだは、心配しなくて済む。

「ほんと、最後まで人騒がせだな」

私は誰にともなく吐き捨てた。

その夜、裏口は閉めきれなかった。

古い戸は、鍵がないと風に押されてわずかに鳴く。

海から湿った風が入り込み、廊下の障子を細く震わせた。

私は何度も目を覚ました。

盗人の心配も少しはあったが、それより、自分の言った言葉が耳の底で何度も鳴るのが嫌だった。

翌朝、港の船着場に電話を入れると、母は最終便で本土へ戻ったとわかった。

それだけだった。

帰った理由も、何も。

私は腹の底に石みたいなものを抱えたまま、母の泊まった二階の角部屋を片づけに行った。

畳の上には、きれいにたたまれた浴衣。

枕元には、飲みかけの水のペットボトル。

窓辺には、母が持ってきた饅頭の箱が半分残っていた。

ひとつだけ包み紙が開かれていて、中身はなく、代わりに薄い指の跡がついていた。

たぶん夜に一つ食べたのだろう。

そんなささいな痕跡が、妙にさみしかった。

鏡台の端に、小さな紙切れが置いてあった。

汐見荘のメモ帳だった。

丸くて少し右上がりの、見慣れた字で書いてあった。

『勝手に帰ってごめん。

昼の港で、坂で転んだおばあさんがいて、診療所まで付き添いました。

あんた忙しそうやったから、呼ばんかった。

そのあと船の時間がちょうどよかったので、そのまま帰ります。

鍵は港の待合所の忘れもの預かりに預けてあります。

昨日、寒そうにしてたから、押し入れに薄い毛布を一枚入れといた。

夜、使いなさい。

ごはん、ちゃんと食べなさい。』

そこまで読んで、私は、ああ、と思った。

ああ、で済むはずのないことを、人は案外、ああ、の一語で受け取る。

メモの下に、追伸があった。

『余計なことしてごめん。

でも、あんたの働く姿を見られて、うれしかった。』

私はその場にしゃがみこんだ。

畳の目が近かった。

部屋の隅に射した午後の光が、細い埃を浮かせていた。

泣くつもりではなかった。

こういうとき、すぐ泣く人間は、どこか誠実でない気がして、私は昔から少し苦手だった。

だから長いこと我慢した。

けれど、誰もいない部屋で、自分の嫌いな人間になることくらい、たぶん赦される。

押し入れを開けると、たしかに見覚えのない薄い毛布が一枚、きれいにたたんで入っていた。

触れると、やわらかく乾いた感触がした。

洗いたての布に、古い石鹸の匂いが薄く残っていた。

母の家の匂いだった。

子どもの頃、熱を出して寝込んだ夜、額に触れられた手のひらの匂いに似ていた。

あのときも母は、あまり大げさなことを言わなかった。

ただ黙って、ずれた布団を直し、湯のみを置いて、部屋の明かりを少し落としていった。

気遣いというのは、本来そういうものなのかもしれない。

見えにくくて、あとになって効いてくる。

私はその足で、港の待合所へ向かった。

潮風の吹きさらしの小屋の中に、忘れもの預かりの小さな棚があり、係の人が新聞を読んでいた。

「ああ、これね」

そう言って渡された鍵は、ひどく軽かった。

けれど掌にのせると、不思議なくらい重たく感じた。

「お母さん、何度も確認してたよ」

係の人が笑った。

「これ、大事な鍵だからって。落としたら息子さん困るやろ、って」

私は礼を言った。

そのとき初めて、昨日から胸の中に詰まっていたものが、ゆっくり形を持った。

私は母に気を遣わせていたのだ。

しかも、それを親の過干渉みたいに受け取り、勝手に腹を立てていた。

気遣いの裏目、というのは、たぶんこういうことだ。

相手を思う気持ちほど、受け取る側に余裕がないときには、棘みたいに刺さる。

そして刺さったあとで、ようやくそれが棘ではなく、手を伸ばしてくれていた指先だったとわかる。

それから私は、帳場の引き出しに民宿のメモ帳を入れるようになった。

客への伝言を書くためでもある。

だがそれ以上に、書かずにいると消えてしまいそうなことを、自分に残すためだった。

『毛布を干す』

『夜の戸締まり』

『風呂の栓を見る』

『母に電話』

最後の一行だけ、しばらく実行できなかった。

謝るにも、礼を言うにも、私は少し歳をとりすぎていた。

子どもなら泣きながら言えたことが、大人になると妙に難しい。

言葉を口にした途端、自分のこれまでの不義理まで一緒にこぼれ出そうで、怖かった。

それでも三日後の夜、閉館後の食堂で電話をかけた。

客のいない食堂は、水槽の泡の音だけがしていた。

窓の外では港の灯りが揺れ、見えない波が、遠くで黒い呼吸をしていた。

呼び出し音が四回鳴って、母が出た。

「もしもし」

その声を聞いた途端、用意していた言葉を全部忘れた。

「あのさ」

「うん」

「鍵、あった」

母は電話の向こうで少し笑った。

「そう」

「毛布も、使ってる」

「そう」

しばらく沈黙があった。

遠くで鍋のふたでも鳴ったのか、小さな金属音がした。

母はたぶん、いつもの台所に立っているのだろう。

私は離島の食堂にいて、間には海がある。

それでも、その海は前より少しだけ狭く思えた。

「母ちゃん」

「うん」

「この前は、ごめん」

母はすぐには答えなかった。

その沈黙が、私を責めるためのものではないと、もう私は知っていた。

「忙しいんやろ、あんた」

私は返事ができなかった。

「見てたらわかるよ」

叱られなかったことが、かえって胸にしみた。

その言葉の奥には、責める気も、恩に着せる気もなかった。

ただ、見ていた、という事実だけがあった。

見て、わかって、それでも何も言わずに帰っていったのだ。

その静けさに、私はようやく追いついた。

電話を切ったあと、私は勝手口の鍵をかけに行った。

カチリ、という音が、今夜はやけにやさしかった。

守られていたのは、たぶん戸締まりなんかではない。

私の暮らしのほうだった。

遅くまで灯りをつけて働くこと。

ろくに食べずに眠ること。

人に頼るのが下手なこと。

そういうものを、母は遠くからずっと見ていたのだろう。

しかも見守るだけで、あまり口は出さずに。

私は帳場へ戻り、メモ帳のいちばん上に今日の日付を書いた。

そして、短く残した。

『見ている人がいる。

だから、ちゃんと生きること。』

誰に見せるでもない伝言だった。

けれどその紙切れは、しばらくのあいだ、私の中の扉を開け閉めする鍵になった。

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