島というものは、逃げ場がないかわりに、見ないふりも長くは続かない。
朝になれば、船が来るか来ないかで天気がわかる。
誰が熱を出したかも、どこの家の洗濯物がまだ干されていないかも、だいたい昼までには知れ渡る。
海に囲まれているくせに、秘密はあまり長持ちしない。
それでも、家族のこととなると、人は案外うまく見えない壁を立てるものらしい。
私は離島の民宿で働いている。
働いている、というより、手伝っていると言ったほうが、たぶん正しい。
島へ来る釣り客の夕食を運び、シーツを替え、風呂の掃除をして、港へ着いた荷物を軽トラで取りに行く。
忙しい季節には厨房にも立つし、暇な時期には一日じゅう玄関先の鉢植えに水をやって終わることもある。
大きな宿ではない。
港から歩いて十分ほどの坂の途中にある、古びた二階建てだ。
父が始めた。
母が亡くなってから、父は漁に出るのをやめ、空いていた家を少しずつ直して民宿にした。
私は高校を出て一度島を離れた。
本土で働いた。
働いた、などときれいに言うと少し見栄がある。
実際には、続かなかった。
事務も接客も中途半端で、都会の速さにも馴染めず、何度か職を変えた末に、結局この島へ戻ってきた。
戻ってきたとき、父は歓迎もしなければ、がっかりした顔もしなかった。
ただ、玄関の鍵を渡して、
「朝は早いぞ」
と言っただけだった。
その言い方が、私はあまり好きではなかった。
父は昔からそういう人だった。
必要なことしか言わない。
いや、必要なことすら足りないことがある。
子どものころ、運動会で転んでも「立て」だったし、熱を出しても「水飲め」だった。
高校受験の前の日でさえ、「早く寝ろ」しか言わなかった。
母はそんな父の横で、「この人は心配してるのよ」と笑っていたけれど、私は長いこと、それを信じきれなかった。
心配するなら、もう少しましな言い方があるだろうと思っていた。
島へ戻ってからの私は、ずっとどこかで拗ねていた。
都会で駄目だった自分も情けなかったし、結局父の宿を手伝っている現状も、少し惨めだった。
父はそんな私を慰めもしなかった。
「布団干しとけ」
「港へ迎え行け」
「鍵、閉め忘れるな」
言うのはそればかりだった。
まるで私は、失敗して帰ってきた娘ではなく、最初からそこに置かれていた備品の一つみたいだった。
もちろん、宿は忙しかった。
春から秋にかけては釣り客や観光客が来るし、連休やお盆はほとんど息をつく暇もない。
朝食の焼き魚が足りない。
港に客が着いた。
部屋のエアコンが効かない。
醤油が切れた。
バスタオルが足りない。
そんなことの繰り返しで、一日が終わる。
忙しさというのは便利なもので、人が人に言うべきことを、いくらでも先延ばしにできる。
父と私のあいだも、たぶんずっとそうだった。
話すべきことがないのではなく、忙しさの陰に隠していただけなのだ。
父は帳場の横に、小さなコルクボードをかけていた。
そこへ伝言メモを刺す。
「304 港18:10着」
「氷追加」
「風呂栓ゆるい」
「夕食 刺身抜き」
そんな走り書きの紙片が、いつも何枚も刺さっている。
父は口で説明するより、紙に書くほうが楽らしかった。
私もそのうち真似をするようになった。
「買い出し済」
「シーツ洗濯中」
「702 朝食7時半」
会話の代わりに、紙が増えていった。
それは奇妙なことに、喧嘩を減らした。
顔を合わせて言えば腹の立つことでも、メモだと少しだけ温度が下がる。
けれど温度が下がりすぎると、人は大事なことまで、ただの連絡事項みたいに扱ってしまう。
あの夏も、そうだった。
島の祭りと連休が重なって、宿はひどく混んでいた。
私は朝から晩まで走り回り、父も珍しく声を荒げていた。
釣り客の朝食を出しながら、次の客の布団を敷き、買い出しのついでに港へ荷物を取りに行き、戻れば厨房の鍋が吹きこぼれる。
その忙しさの中では、自分が何に腹を立てているのかさえ、よくわからなくなる。
港へ迎えに行った帰り、厨房の勝手口で父に呼び止められた。
「明日、午後、少し空けろ」
私は皿を抱えたまま、「無理」と答えた。
「二階の団体が入るし、買い出しもあるし」
父は何か言いかけて、やめた。
その言い方がまた気に障った。
言いたいことがあるなら言えばいいのに、と思った。
「また急に言わないで」
私がそう言うと、父は少し眉をしかめて、
「じゃあいい」
と言った。
私はそれを、いつもの父の不器用さだと思った。
どうせ港の誰かの手伝いか、船の修理か、そんなことだろう、と。
人の予定を軽く扱うくせに、自分の事情は説明しない。
そういうところが嫌いだった。
翌日、私は本当に忙しかった。
朝食を片づけ、団体客の到着時間がずれ、魚屋が遅れ、洗濯機の調子まで悪かった。
父のことはほとんど忘れていた。
夕方近くになって、コルクボードに一枚のメモが刺さっているのに気づいた。
父の字だった。
『先に診療所へ行く 鍵は青い皿の下』
診療所、という言葉に、少しだけ胸がざわついた。
だがそのときも私は、たいしたことではないのだろうと思った。
島の人間は、血圧だの腰だの、しょっちゅう診療所へ行く。
大げさに考えるほうが、かえって気恥ずかしい土地でもある。
だから私は、夜の客の支度を優先した。
父が戻ってこないことに気づいたのは、最後の風呂掃除を終えたあとだった。
外はもう暗く、港の灯りが水に揺れていた。
私はようやく宿を抜けて、診療所まで走った。
父はそこにいなかった。
看護師さんが困った顔で、
「本土の病院へ搬送になったよ」
と言った。
軽い脳梗塞だった。
命に別状はない、という説明を受けても、私はすぐには理解できなかった。
ただ、自分の耳の奥で潮騒みたいな音が鳴っていた。
本土の病院へ渡る最終船には間に合わず、私は翌朝まで島で待つしかなかった。
その夜の長さを、私はたぶん一生忘れない。
宿はいつも通り営業しなければならなかった。
客には夕食を出し、布団を敷き、笑顔で「おやすみなさい」と言った。
そうして帳場へ戻るたび、コルクボードのあのメモが目に入った。
『先に診療所へ行く 鍵は青い皿の下』
なんてことのない伝言だ。
けれど、あまりにも父らしくて、私はたまらなかった。
倒れそうなのに、宿の鍵の場所だけは書いていくのだ。
自分のことは後回しにして、いつも通り宿が回るようにだけ考えている。
私はそれを責任感だと思うより先に、腹立たしく感じた。
どうしてそこまで説明が足りないのか。
どうして「少し具合が悪い」と書いてくれなかったのか。
どうして私は、あの「午後、少し空けろ」の意味を考えなかったのか。
翌朝、本土の病院へ行く船の中で、私はずっと酔いそうだった。
海は穏やかなのに、胃の底だけが揺れた。
父はベッドの上で、思っていたよりずっと小さく見えた。
右手が少し動きにくいらしく、言葉もいくらかもつれていた。
私は顔を見た瞬間、泣きそうになったが、泣くのも妙な気がして、結局、
「宿、大丈夫だから」
とだけ言った。
父はゆっくり瞬きをして、それから、かすれた声で言った。
「約束……だったんだがな」
何のことか、最初わからなかった。
私が首を傾げると、父は少しだけ口の端を上げた。
「お前の母さんと」
そのとき看護師さんが来て、話はそこで切れた。
父は長く喋れなかった。
私は病室の椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。
約束。
母と父のあいだに、何の約束があったのだろう。
帰りの船で、私は急に思い出した。
前日の「午後、少し空けろ」。
あれは命令ではなかったのだ。
たぶん、何かを渡すつもりだったのだ。
島へ戻ると、宿は相変わらず忙しかった。
父の代わりに、私が帳場へ座った。
港の時刻を確認し、客の名前を覚え、布団の枚数を数えた。
身体は動いたが、胸のどこかがずっと落ち着かなかった。
夜、帳場の引き出しを整理していると、古い鍵が一本出てきた。
銀色の、小さな納屋の鍵だった。
見覚えがあった。
母が生きていたころ、宿の裏にある物置を開けるのに使っていた鍵だ。
今はほとんど使わず、壊れた椅子や古い浮き輪が押し込まれているだけの場所である。
なぜそれが、帳場の引き出しにあるのかと思った。
鍵には小さな紙が巻きつけてあり、父の字でこう書いてあった。
『これも青い皿の下に入れとけと、お母さんに言われていた』
私はその場で息を止めた。
急いで物置へ向かった。
錆びた鍵を回すと、扉は少し重く開いた。
中は埃っぽく、潮と木の匂いが混ざっていた。
奥の棚に、古い缶がひとつ置かれていた。
ふたの裏に、母の字で小さく書かれていた。
『娘へ。帰ってきたら渡すこと』
缶の中には、宿の古い写真が何枚も入っていた。
建てたばかりのころの民宿。
若い父。
台所に立つ母。
幼い私。
港で転んで泣いている顔。
客に混じってはしゃいでいる後ろ姿。
どれも、私の知らない時間までちゃんと宿っていた。
そのいちばん下に、折りたたまれた伝言メモがあった。
宿で使っているのと同じ、見慣れた小さな紙だった。
母の字だった。
『この子がもし島へ戻ってきたら、忙しい時期が終わったころに渡してください』
そこまで読んだだけで、私はもう駄目だった。
続きを開く手が震えた。
『お父さんは言い方が下手なので、たぶんうまく言えません。だから私が先に書いておきます』
私は笑いそうになった。
泣きそうなのに、笑うしかなかった。
あまりにも、その通りだったからだ。
『帰ってきたことを、失敗だと思わなくていいです』
『宿の鍵は、追い返さない人にしか預けられません』
『あなたが戻ってきた日、お父さんは夜に一人で泣いていました。見てはいけないと思ったので、私は見ないふりをしました』
そこで、視界が滲んだ。
父が泣くところなんて、想像したこともなかった。
あの人は、疲れることはあっても、泣く種類の人間ではないと思っていた。
それが、私が帰ってきた夜に。
メモはまだ続いていた。
『いつか忙しくなくなった日に、宿の裏の物置の鍵を渡して、「ここから先はお前が決めろ」と言ってあげてください、と頼んであります』
『たぶん照れて、別の言い方をするでしょうけど』
『あなたが島に残るにしても、また出ていくにしても、ちゃんと自分で決めたなら、それでいいです』
『ただ、一つだけ約束してください』
私は涙を拭いながら、最後の行を読んだ。
『忙しいを言い訳にして、大事なことをあとまわしにしすぎないこと』
私は物置の床に座り込んだ。
膝の上に、鍵とメモと、少し湿った写真が散らばった。
遅い、と思った。
何もかも遅い。
母にありがとうを言うのも、父の不器用さに気づくのも、あまりに遅い。
けれど遅いからといって、届かないわけではないのかもしれなかった。
母は伝言メモに言葉を残し、父はそれを守ろうとして、たぶんあの日、私に鍵を渡すつもりだったのだ。
午後を空けろ、というぶっきらぼうな一言で。
言い方は最悪だが、あの人にしては精一杯だったのだろう。
数日後、父は島へ戻ってきた。
少し歩き方が遅くなり、言葉も慎重になった。
私は港へ迎えに行き、荷物を持った。
父は照れくさそうに、
「客、入ってるか」
と聞いた。
「入ってるよ」
私はそう答えてから、ポケットの中の鍵を握った。
宿へ戻り、帳場のコルクボードの前で、私はその鍵を父に見せた。
父は一瞬だけ目を見開き、それから、ひどく困った顔をした。
「見たのか」
「見た」
私は答えた。
それから少し黙って、ようやく言った。
「あとまわしにしないって、約束する」
父はしばらく何も言わなかった。
それから、ごく小さくうなずいた。
「そうか」
たったそれだけだった。
でも今度は、その「そうか」が、前みたいには冷たく聞こえなかった。
夜、客が寝静まったあと、私は一人で玄関の鍵を閉めた。
金属の小さな音が、思ったより澄んで響いた。
離島の夜は暗い。
暗いけれど、波の音がして、遠くに船の灯りがあって、完全に一人ではない気がする。
私はしばらく鍵を手の中で転がした。
継ぐのではない。
守るのでもない。
たぶん、預かるのだと思った。
母の伝言も、父の言えなかった言葉も、この宿の灯りも、今はただ私が預かっている。
いつかまた誰かに渡す日が来るまで。
忙しい日はこれからも続くだろう。
客は来るし、船は遅れるし、シーツは乾かないし、魚は足りない。
それでも、あとまわしにしてはいけないことがあるのだと、私はようやく知った。
朝になれば、また港から荷物が届く。
父はきっと、相変わらず足りない言い方で何かを言うだろう。
私も、うまく笑えないかもしれない。
それでもいいと思った。
ちゃんと受け取ろうとする限り、足りない言葉にも、届く日がある。
玄関の鍵を閉めたあと、私は誰もいない帳場の青い皿の下へ、その小さな鍵をそっと戻した。
今度は、なくさないように。



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