【感動短編】母のきつい言い方の裏にあったもの|雨の傘と手紙がつないだ親子の話

雨の夜の路地 家族の話

母は、昔から言い方のきつい人だった。

 きつい、というより、先に刃だけ出てしまう人だったのかもしれない。

 心配しているときほど語気が尖る。

 困っているときほど早口になる。

 やさしくしたい場面ほど、なぜか命令みたいな口調になる。

 私は子どものころから、それが苦手だった。

 いや、苦手というのは少し綺麗すぎる。

 怖かったのである。

 だから私は、母と話すときだけ、自分の言葉を半分ほど喉の奥に置き去りにする癖がついた。

 残り半分で返事をする。

 そういう娘だった。

 いま思えば、母もまた、母なりに必死だったのだろう。

 父は穏やかな人だったが、穏やかすぎて、家のことはだいたい母に集まった。

 町内会のことも、学校の書類も、私の弁当も、祖母の通院も、たぶん全部、母の両手で持っていた。

 持ちすぎた人の言葉は、だんだん余白を失う。

 でも子どもにはそんな事情はわからない。

 鋭い声はただ鋭い声でしかなく、私はそのたび、少しずつ母から離れるほうへ育っていった。

 いま私は市立図書館で司書をしている。

 人に本を探して渡し、返却された本を棚に戻し、破れたページを直し、静かにしてくださいと頭を下げる仕事だ。

 静かな仕事だと思われがちだが、実際にはそうでもない。

 子どもは走るし、高齢者は思いがけない長話を始めるし、閉館前には駆け込みの返却が続く。

 それでも私はこの仕事が好きだった。

 言葉が、いったん紙の上で落ち着いてからこちらへ来るからだ。

 人の口からそのまま出てくる言葉は、ときどき速すぎる。

 速すぎて、傷になる。

 でも本の言葉は、一度誰かの手で整えられている。

 少なくとも、いきなり怒鳴ったりはしない。

 だから私は、本に囲まれていると少しだけ安心した。

 安心して、そのぶん、自分が現実の人間関係に向いていないのもよくわかった。

 母は、そんな私をよく叱った。

「もっとちゃんとせんなん」

「思っとること言わんとわからん」

「黙っとるだけじゃ損する」

 たぶん、どれも正しかった。

 けれど正しい言葉は、ときどき鋭すぎる。

 母の言うことは大抵あっていたが、私は「あっている」より先に「痛い」を感じてしまう子どもだった。

 だから高校を出て司書資格の取れる短大へ進むときも、家を出ることそのものに少し救われた。

 母から逃げた、とは今でも言いたくない。

 ただ、母の声が届かない距離で、ようやく私は普通に息ができた。

 それなのに結局、就職で地元へ戻ったのだから、人間の自由なんてたいしたものではない。

 父が亡くなって、母が一人になったのは私が二十七のときだった。

 それから私は、週に一度は実家へ寄るようになった。

 寄るたび、母は煮物を多く作りすぎていたり、私に持たせる果物をテーブルに並べすぎていたりした。

「こんなにいらんよ」

 と言うと、

「いらんかったら職場へ持って行きゃいい」

 と、少し怒ったみたいに言う。

 ありがとうが、うまく届かない親子だった。

 どちらも不器用だったのだろう。

 でも私は、母より自分のほうがましだと、どこかで思っていた。

 母みたいに人を傷つける言い方はしない、と。

 そういう小さな優越があった。

 思えば、それもまた若さの傲慢だったのだろう。

 あの雨の日までは。

 六月の終わりだった。

 図書館は午後から利用者が増え、児童書コーナーでは読み聞かせがあり、私は返却本の山に埋もれていた。

 閉館間際、母から着信が三件入っているのに気づいた。

 私は嫌な予感がして、すぐ電話をかけた。

 母は出るなり言った。

「どこおるん」

「まだ仕事。どうしたん」

「いや、傘持っとるかな思って」

「は?」

「朝、降っとらんかったやろ」

 私は時計を見た。

 閉館作業が押していて、他の職員もばたついていた。

 読み聞かせの片づけも、返却の処理もまだ残っていた。

 そんなときに、傘の確認だけで三回も電話をかけてきたことに、私は妙に苛立った。

 苛立ちというのは便利だ。

 本当は疲れているだけでも、気持ちの置き場がほしいと、すぐ誰かへの苛立ちになる。

「そんなことで何回も電話せんでよ」

 言った瞬間、自分の声が母に似ていると思った。

 鋭くて、余裕がなくて、先に刃だけ出ている声だった。

 母は少し黙ってから、

「そんなこと、って」

 と言った。

 その言い方が、思いのほか弱かったので、私はかえって腹が立った。

 腹が立つとき、人はたいてい自分の後ろめたさを見ている。

「こっち忙しいが。子どもじゃないし、傘くらい自分でなんとかする」

「そう」

「もう切るよ」

「わかった」

 母はそれだけ言って切った。

 その「わかった」が、やけに静かだった。

 だが私は、その静けさを無視した。

 閉館作業が終わり、外へ出ると、本降りの雨だった。

 図書館の前には大きな街路樹があり、そこからもぽたぽたと重い雫が落ちていた。

 私は朝の天気予報を思い出して舌打ちした。

 傘はなかった。

 仕方なく、鞄を頭に乗せるようにして走り出した。

 実家へ寄る約束をしていたのだ。

 途中の細い路地に入ると、水たまりに街灯が揺れていた。

 古いブロック塀の脇を、雨水が筋になって流れている。

 六月の雨は生ぬるくて、まるで他人のため息みたいにまとわりつく。

 その路地の向こうから、誰かが歩いてくるのが見えた。

 暗いなかで、先に傘だけが見えた。

 紺色の、見慣れた傘だった。

 私は立ち止まった。

 母だった。

 母は息を切らしていた。

 サンダル履きで、左の肩だけ少し濡れていた。

 たぶん急いで出てきたのだろう。

「何しとるん」

 思わずそう言うと、母はむっとしたように言った。

「何って、傘持ってきたが」

「いや、そんな、来んでいいって」

「来んでいいって、あんた傘ないやろ」

「だからって、こんな雨のなか」

「電話したやろ」

 私は返す言葉を失った。

 母は、私が怒ったあとも、それでも気になって来たのだった。

 私が子どものころ、熱を出した夜に薬を買いに走ったときみたいな、そういう顔をしていた。

 私は急に、自分がひどく子どもじみた人間に思えた。

 あのとき母は、たぶん一度は「もういい」と思ったのだろう。

 でも結局、雨足が強くなるのを見て、じっとしていられなかった。

 そういうところを、私は知っていたはずなのに。

「ごめん」

 と言おうとしたが、うまく出なかった。

 母は傘を私に押しつけるみたいに差し出して、

「ほら、入られ」

 と言った。

 その「入られ」が昔と同じ命令口調で、私はなぜか泣きそうになった。

 結局、一本の傘に二人で入って帰った。

 狭かった。

 母は相変わらず背筋がしゃんとしていて、そのくせ足元は少し危なっかしくなっていた。

 私は何度か謝ろうとしたが、母は世間話ばかりした。

「図書館、忙しいけ」

「この雨やに、人出るもんやねえ」

「冷蔵庫に豆ご飯あるから食べていき」

 そういうことばかり。

 私はそのやさしさが、かえって苦しかった。

 家に着いて、母は玄関で濡れたサンダルを脱ぎながら言った。

「電話、嫌やったね」

 私はそこで、やっと顔を上げた。

 母は笑っていなかった。

「ごめん」

 先に言ったのは、母のほうだった。

「心配すると、つい口うるさくなる。昔からそうやった」

 私はもう何も言えなかった。

 本当は私が謝る場面なのに、母が先に頭を下げると、人はどうしてこんなにみじめになるのだろう。

「ごめん、私……」

 そこまで言ったところで、涙が出た。

 母は少し困った顔をした。

 それから、やっぱりぶっきらぼうに、

「風邪ひくよ、先に拭かれ」

 と言った。

 その夜、私は泊まらずに帰った。

 明日も仕事だったし、母も「遅なるよ」と言った。

 でも別れ際、母は小さな紙袋を渡した。

「これ、図書館で使い」

 中には新しいブックカバーと、薄い便箋の束が入っていた。

 母らしくない、きれいな水色の便箋だった。

「何これ」

「なんとなく」

 そう言って母は目をそらした。

 その照れ方が、少し可笑しくて、少し切なかった。

 その三週間後、母は倒れた。

 脳出血だった。

 幸い命は助かったが、言葉が以前ほど滑らかには出なくなった。

 退院後、母は自宅療養になり、私は仕事帰りに寄る回数を増やした。

 母は前よりゆっくり話すようになった。

 ゆっくり、というより、言葉を選ぶ時間が必要になったのだろう。

 私はその変化を見ながら、胸のどこかで、嫌なことを思っていた。

 ああ、言葉は、人からこんなふうに奪われるのか、と。

 母の鋭い言い方に苦しんできたくせに、それが消えていくのを見るのは、なぜか悲しかった。

 人は勝手だ。

 傷つけられた刃まで、失われると惜しむ。

 ある夕方、母は味噌汁をよそおうとして、お椀を少し傾けすぎた。

 汁が盆の上にこぼれた。

 私は反射的に「もう、危ないって」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 あの雨の日の自分の声が、まだ耳に残っていたからだ。

 母はこぼれた汁を見て、小さく笑った。

「言い方、きつかった?」

 唐突にそう言った。

 私は驚いて母を見た。

「昔の話」

 母はそう付け足した。

 私は何も答えられなかった。

 母はたぶん、病気になってから、自分の言葉の跡をなぞり直していたのだろう。

 秋の終わり、母は私に一通の手紙を渡した。

「読んで」

 と言うだけで、それ以上何も言わなかった。

 封筒には、見慣れた母の字で私の名前が書いてあった。

 少し震えていたが、たしかに母の字だった。

 私は家に帰ってから、それを開いた。

『美緒へ

 この前の雨の日のこと、気にしなくていいと書こうと思ったけど、それではたぶん、また同じことになる気がするので、ちゃんと書きます。

 私は昔から言い方がよくなかったです。

 心配すると怒ったようになるし、寂しいと命令みたいになる。

 自分でも、ずっと損な言い方やと思っていました。

 でも直せんかった。

 あんたが小さいころ、熱を出した夜も、ほんとは怖くてたまらんかったのに、「ちゃんとせられ」と言うてしもうた。

 学校で泣いて帰ってきた日も、「泣いたら負けや」と言うてしもうた。

 ほんとは、泣くほどつらかったがやね、と言いたかったのに。

 たぶん私は、やさしいことをやさしいまま言うのが下手です。

 言葉にすると、弱くなる気がしていたのかもしれません。

 雨の日、傘を持って行ったのは、怒られたからではなく、やっぱり心配やったからです。

 あんたは昔から、濡れても大丈夫な顔をするから。

 ほんとは大丈夫じゃないくせに。

 あんたが図書館で働くようになってから、本の話をするときだけ少しやわらかい顔になるので、私はその顔を見るのが好きでした。

 父さんが死んでから、あんたは前より静かになった気がします。

 静かなのは悪いことではないけど、一人でがまんしすぎんといてほしい。

 この前、雨の路地で傘に入ったとき、あんたが小さいころ、同じように私の傘の中におったのを思い出しました。

 あのころのあんたは、もっと素直に手をつないだのにね。

 今はもうむずかしいね。

 でも、むずかしくても親子やから、私はこれからもたぶん心配します。

 うるさかったらごめん。

 でも、できたら少しだけわかってください。

 私は不器用やけど、あんたのことをずっと大事に思っています。』

 読み終わるころには、便箋が涙で少しふやけていた。

 私は長いこと、母の言葉の表面だけを受け取ってきたのだと思った。

 表面だけでも十分に痛かったから、その奥まで見ようとしなかった。

 見たら、許さなければいけない気がしたのかもしれない。

 でも本当は、許すとか許さないとか、そういう立派な話ではなかったのだ。

 ただ、母もまた、自分の言い方にずっと困っていた。

 それだけのことだった。

 私はその夜、母に電話をかけた。

 呼び出し音のあと、母が出た。

「もしもし」

「手紙、読んだ」

「うん」

「……ありがとう」

 沈黙があった。

 それから母は、少し掠れた声で言った。

「風邪ひいてないけ」

 私は泣きながら笑った。

 やっぱりそういう言い方しかできないのだ、この人は。

 でも今はわかる。

 それが、この人の精一杯のやわらかさなのだと。

 冬が来て、図書館の窓は早く曇るようになった。

 私は返却された本を棚に戻しながら、ときどき雨の日の路地を思い出す。

 紺の傘。

 濡れたサンダル。

 「入られ」と言った母の声。

 あのとき私は、ようやく母の不器用さを、自分の傷ではなく、母自身の弱さとして見たのかもしれない。

 弱さは、見えた瞬間に少しだけやさしくなる。

 先日、児童書コーナーで、小さな女の子が母親に向かって「もう!」と怒っていた。

 母親は困ったように笑いながら、濡れた傘をたたんでいた。

 その様子がおかしくも切なくもあって、私は少し笑った。

 希望というのは、大きなものではないのだろう。

 誤解が一度で全部ほどけることでもない。

 劇的にやさしい親子になることでもない。

 ただ、次に同じような雨が降ったとき、前より少しましな返事ができるかもしれない、というくらいのことだ。

 それで十分なのかもしれない。

 閉館後、私は自分の机の引き出しに、母の手紙をしまった。

 本の修理に使う薄い和紙や、利用者カードの予備のあいだに、そっと差し入れる。

 言葉を整える仕事のそばに、整いきらなかった母の言葉を置いておきたかった。

 明日また、母から電話が来るかもしれない。

 「ちゃんと食べとる?」とか、「帰り遅いがけ?」とか、そういう少しとげのある言い方で。

 私はたぶん、また少しむっとする。

 でも、そのあとで思い出せるだろう。

 あの人は、雨のなかを傘一本で来る人なのだと。

 だから私は今日も、静かな図書館で本を戻しながら、胸のなかに小さな希望を一つ挟んでいる。

 しおりみたいに、薄くて頼りないけれど、たしかに次の頁をひらくためのものを。

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