工場の休憩室には、いつも少し古びた昼休みが残っている。
白い蛍光灯の下で、角の欠けたテーブルが鈍く光っている。
自動販売機は低い唸り声をやめず、流し台のそばには、誰がいつ置いたのかわからない紙コップがひとつ、口を開けたまま置かれている。
壁の時計は数分遅れているのに、誰も直さない。
工場という場所は、正確さでできているくせに、こういうところだけ妙に大雑把だ。
私はその休憩室が、嫌いではなかった。
好きだと言うには夢がなさすぎるが、嫌いではない、という言い方の中には、ときどき好きより深い諦めが含まれる。
三十六歳。
町外れの印刷所で、刷り上がった紙を揃え、断裁機の刃を見つめ、インクのずれを確認する仕事をしている。
朝は機械音ではじまり、夜は紙粉を払って終わる。
仕事そのものは嫌いではない。
刷りたての紙の匂いも、きちんと重なった文字列も、私はむしろ好きなほうだ。
ただ、インクの黒さを見るたび、ときどき思う。
本当は私は、刷る側ではなく、書く側にいたかったのではないか、と。
そういうことを人に言う歳では、もうない。
なりたかったものを過去形で話すようになったとき、人はたいてい、自分の中で何かを一度葬っている。
私もそうだった。
高校のころ、私は小説を書いていた。
誰にもちゃんとは言わなかったが、心の中では、書く人になるつもりでいた。
教室で授業を聞きながら、ノートの端に一文を書き、帰り道で続きを考え、夜には原稿用紙に清書した。
いま思えば、ずいぶん気取った文章だった。
まだ何も失っていない年齢のくせに、喪失ばかり書いていた。
誰も許したことがないくせに、和解を書いていた。
若さというのは、知らないことまで知っている顔で書ける。
そして、たいていそこがいちばん恥ずかしい。
久世先生は、高校の国語教師だった。
五十を少し越えた、痩せた人で、夏でも紺色のカーディガンを羽織っていた。
教科書を正しく教えるというより、教科書の隙間から別の世界を持ち込む人だった。
夏目漱石の授業の途中で急に太宰の話をし、古典の助動詞を説明しながら、「文章には、その人の卑しさまで出る」と平気で言うような人だった。
そういうところが私は好きだった。
好きだった、というか、救われていたのだと思う。
教室には、笑うのがうまい人間と、黙るのがうまい人間がいる。
私は後者だった。
家のことを聞かれたくなかったし、父の怒鳴り声が昨夜も壁に残っていたことなど、誰にも知られたくなかった。
母は早くに出ていき、父は酒を飲むと物に当たった。
殴られることは、あまりなかった。
その代わり、言葉が荒かった。
言葉は痣にならないから、周囲には見えにくい。
だから私は、教室ではいつも少しだけ整った顔をしていた。
久世先生だけが、その整え方の下品さに気づいていた気がする。
卒業前、私は小説を一本、先生に読んでもらった。
原稿用紙四十枚ほどの、妙に暗くて、妙に整った話だった。
主人公は父親を嫌っていて、最後には理解したような顔で海を見て終わる。
いま思えば、ずいぶん安い終わり方だ。
理解なんかしていないのに、理解したふりをしていた。
数日後、先生は職員室の前で私を呼び止めた。
「文章は悪くない」
私は少し嬉しかった。
だが、次の言葉が来た。
「でも、君はまだ、人を許したことがないね」
私は笑えなかった。
図星だったからだ。
そのうえ先生は続けた。
「書けるとは思う。ただ、急がないことだ」
私は、その言い方にひどく傷ついた。
当時の私にはそれが、才能のない人間への遠回しな慰めに聞こえたのだ。
急がないこと。
それはつまり、今はまだ駄目だと言われた気がした。
若い私は、自尊心だけは立派だったから、勝手に傷つき、勝手に離れた。
卒業後、一度も先生に連絡しなかった。
書くことも、だんだんやめた。
落選が続いたからだとか、生活が忙しくなったからだとか、人にはいくらでも言える。
けれど本当は、先生の言葉が胸の奥で刺さったままだった。
まだ、人を許したことがない。
その一言が、呪いみたいに残った。
許していない人間には、書く資格がないのではないか。
そう思いこんだ。
そして思いこみというものは、長く持つと、自分で選んだ傷なのか、人から受けた傷なのか、だんだんわからなくなる。
七年前、私はこの印刷所に入った。
文字に近いところで働きたかった、というのは建前で、実のところは、書かないでいられる場所を選んだだけかもしれない。
印刷はよかった。
文字が他人のものでいてくれる。
私はそれを整え、揃え、刷り、断つだけでいい。
自分の言葉で傷つく必要がない。
それは楽だった。
楽で、少しずつ、自分が何を諦めたのかさえ見えなくなった。
その日、休憩室の古い棚を片づけていたら、茶色い封筒が一つ、いちばん奥から落ちてきた。
宛名も切手もない、ただの事務用封筒だった。
中には四つ折りの便箋が入っていた。
薄いクリーム色の、少しだけ上等な紙。
私は妙な胸騒ぎを覚えて、そこで手を止めた。
紙というものは、ただの紙のくせに、ときどき人より先に事情を喋る顔をしている。
便箋の端に見覚えのある字があった。
癖のない、きれいな字。
それを見た瞬間、私は名前を思い出していた。
久世先生。
心臓が、少し遅れて強く鳴った。
どうして久世先生の字が、この印刷所の休憩室にあるのか、最初はわからなかった。
けれど考えているうちに思い出した。
三年前、うちの印刷所で小部数の私家版を刷ったことがある。
詩と短文をまとめた、小さな冊子だった。
営業は「元先生の自費出版らしい」と言っていた。
私は現場でその仕事に関わっていたのに、誰の原稿か、まともに見なかった。
見ようとしなかったのかもしれない。
人は、会いたくない相手とは、文字の上でもすれ違える。
便箋を開くと、それは手紙ではなく、プリントアウトされたメールだった。
件名欄には、こうあった。
未送信
宛先には、私の昔のメールアドレスが印字されていた。
もう何年も使っていない、学生のころのアドレスだった。
私は椅子に座った。
休憩室の硬い椅子は、やけに冷たかった。
メールの書き出しは、こうだった。
――高槻くんへ。
これを書くべきか迷いましたが、迷ううちに時間が経つので、書いておきます。
私はそこで、すでに息が浅くなった。
壁の向こうでは機械が動いていた。
誰かが廊下を歩いた。
それなのに、休憩室だけがひどく遠い場所みたいに静かだった。
先生は病気のことを書いていた。
大きな病名ではなく、淡々と、もう長くは働けないこと、卒業生のことを考える時間が増えたこと、そして私にひとつ、言い直したいことがあること。
――あのとき、職員室の前で言ったことを、ずっと気にしていました。
君の書いたものを、私はかなり高く買っていました。
ただ、それをそのまま言うと、君は安心してしまう気がした。
安心は、若い書き手にとって、時々いちばん危ない。
だから少し厳しく言いました。
けれど、厳しさは、受け取る側に余裕がなければ、ただの刃物です。
私はそこを見誤りました。
そこまで読んで、私は目を閉じた。
刃物。
その言い方が、あまりにも正確だった。
私はあの言葉で傷ついた。
けれど傷ついた本当の理由は、言葉が厳しかったからではない。
あの時点で、私はすでにぎりぎりだったのだ。
家に帰れば父がいて、酒の匂いと、機嫌の悪さがあった。
テーブルの上には、飲みかけの缶と、洗われていない皿と、黙ったまま冷えていく食卓があった。
私はそれを誰にも言わなかった。
先生にも、言わなかった。
それが私の秘密だった。
秘密と呼ぶほど大げさではない、と思っていた。
殴られたわけでもない。
学校へ行けないわけでもない。
ただ、家の中で息が浅くなるだけだ、と。
けれど息が浅いまま書かれた文章は、どこかで必ず無理をする。
先生はそこを見ていたのだろう。
メールは続いていた。
――君が卒業後に一度も連絡をくれなかったので、少し嫌われたのだろうと思っていました。
それでも、嫌われるくらい本気で読んでくれたなら、それは教師として悪いことばかりではありません。
ただ、言い直せるならこう言いたい。
君はまだ人を許していない、ではなく、
君は、まだ自分の傷の受け取り方を知らないだけだ、と。
私はそこで、便箋を持つ指に力を入れた。
紙がかすかに鳴った。
先生はわかっていたのだ。
私が父を憎んでいたことだけではなく、その憎しみを作品の形にうまく変換して、実際の痛みから目をそらしていたことを。
人を許せないのではない。
先に、自分の傷をちゃんと持つことができていなかったのだ。
私はずっと、先生に否定されたのだと思っていた。
違った。
先生は、入口の前で立ち止まっている私を見ていたのかもしれない。
ただ、その声のかけ方を、少し間違えたのだ。
そして私もまた、間違えた声の奥にあったものを、長いこと読む気がなかった。
メールの最後に、こうあった。
――もし君がまだ書いているなら、見せてください。
もし書いていないなら、それでも一度、便箋に何か書いてみてください。
印刷された文字ではなく、自分の手で書くと、人は少しだけ受け取り直せます。
言葉も、過去も、たぶん。
送るつもりでしたが、古いアドレスなので届かないかもしれません。
届かないなら、それでも構いません。
教師の言葉など、遅れて届くくらいでちょうどいいので。
私はそこで、とうとう泣いた。
休憩室の硬い椅子に座ったまま、声を殺して泣いた。
情けないと思った。
三十六にもなって、高校教師の未送信メール一枚で泣いている。
けれど、泣きながらわかった。
私は謝ってほしかったわけではない。
わかってほしかったのだ。
そして先生は、遅れはしたが、ちゃんとわかろうとしてくれていた。
ただ、もっと痛かったのは、その先生にさえ、自分の本当の事情を一度も言わなかったことだった。
私はずっと、父のことを誰にも書かなかった。
書けば、それが本当のことになってしまう気がしたからだ。
秘密を抱える人間は、ときどき秘密そのものより、「秘密を持っている自分」を守りはじめる。
私もそうだった。
だから書けなかった。
書けないことを、才能の問題にすり替えた。
そのほうが、まだ格好がつくからだ。
私は便箋を封筒へ戻しかけて、やめた。
休憩室の備品棚に、会社の便箋があるのを知っていた。
白くて、味気ない、社名入りの便箋。
私はそれを一枚取り出して、ボールペンを握った。
何を書くのか、自分でもよくわからなかった。
先生はもう、この世にいないのかもしれない。
このメールがいつ印字され、なぜここへ残ったのか、細かいことはわからない。
ただ、その不確かさごと受け取るしかないと思った。
私は書いた。
――久世先生へ。
ずっと、嫌われたのだと思っていました。
たぶん嫌っていたのは、先生ではなく、先生の言葉で剥がれた自分の薄さでした。
書くのをやめたのは、才能がないからだと人には言いました。
でも本当は、父のことを書いたら、ほんとうに傷ついたことを認めるみたいで怖かったのです。
私は、悲しかったことを先に文章へ逃がして、本人としては後ろに隠れていました。
先生はそれを見ていたのだと思います。
遅くなりました。
でも、今日、少し受け取り直します。
そこまで書いて、私は止まった。
言葉はまだ足りなかった。
けれど、足りないままで差し出すことも、受け取り直しのひとつなのかもしれないと思った。
私はもう少しだけ書いた。
――便箋に書くと、たしかに逃げにくいです。
印刷の文字と違って、震えたところまで残るから。
だから今日は、この震えごと置いておきます。
書き終えると、字は思ったより乱れていた。
みっともない字だった。
けれど、みっともないまま残る文字も悪くないと、はじめて思えた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
誰かが扉を開けかけ、私の顔を見て、何も言わずに閉めた。
私は笑ったのかもしれないし、まだ泣いていたのかもしれない。
自分でもよくわからなかった。
ただ、胸の奥で何かが少しだけ動いた感じがした。
その夜、仕事を終えたあと、私は印刷機の脇で余った上質紙を一枚もらった。
白くて、少しだけざらつきのある紙だった。
家に帰ったら、書こうと思った。
小説になるのか、手紙の続きになるのかはわからない。
父のことを書くのか、工場のことを書くのか、それとも先生のカーディガンの色を書くのかもわからない。
けれど、もう「書かなかったこと」にして逃げるのはやめようと思った。
工場の外は、もう暗かった。
インクの匂いが少し服に移っている。
胸ポケットには、先生の未送信メールと、私の書いた便箋が入っていた。
送れなかったものと、送り先のないものが、そこで静かに重なっている。
それでいいのだと思った。
届かなかった言葉にも、受け取り直される夜はある。
駐車場で一度立ち止まり、私は空を見た。
何も特別な星は出ていなかった。
けれど、見上げるという動作そのものが、少し前を向いているみたいで、私はそのことを、ひどくありがたく思った。



コメント