海というものは、朝よりも、夜明け前のほうが正直だ。
まだ空が明るくなりきらない時間、港には言い訳の余地がない。
風の向きも、波の癖も、船底にあたる水の重さも、その日の機嫌を隠そうとしない。
人間だけが、どうにか言葉でごまかそうとする。
私は漁師をしている。
父の代から続くような立派な家業ではなく、町の共同船に乗せてもらいながら、ようやく一人前の顔をしているだけの半端な漁師だ。
手は人並みに荒れたし、首筋もそれらしく焼けた。
けれど胸の中では今でも、ときどき、自分は海に向いていないのではないかと思う。
向いている人間は、もっと黙っていられる気がする。
海の前では、余計なことを考えない。
波が高ければ踏ん張り、網が重ければ引き、魚が少なければ黙って帰る。
そういう無骨な強さが、この仕事には似合う。
私はどうも違う。
言わなくていいことまで胸の中で反芻してしまうし、昔の言葉を、港の錆びた匂いといっしょに何年も引きずる。
その性分を、昔から見抜いていた人がいる。
中学のときの担任で、国語教師だった黒田先生だ。
先生は痩せた人だった。
背が高く、いつも少し猫背で、チョークの粉を黒い袖につけたまま歩いていた。
叱るのがうまい先生ではなかった。
怒鳴る代わりに、やけに静かな言い方をする人で、その静かさがかえって胸にこたえた。
私はあの人が少し苦手だった。
いや、苦手だったというより、見透かされている気がして落ち着かなかったのだ。
私は勉強が嫌いだったわけではない。
ただ、できる生徒でもなかった。
教室の後ろで、窓の外の雲を見ている時間のほうが長い、生ぬるい生徒だった。
作文ではたまに褒められたが、だからといって何かになる気概もなく、家の手伝いと海の匂いのする町から抜け出すほどの熱もなかった。
中学三年の進路相談のときだった。
私は高校へ行く気も、町を出る気も、ろくになかった。
家の事情もあったし、勉強が好きでもなかったし、なにより、どこかへ行って自分が変われる気もしなかった。
海の仕事を覚えれば、それでいい。
半分本気で、半分は諦めで、私はそう思っていた。
黒田先生は、私の志望欄を見てしばらく黙っていた。
古いストーブの音だけが、相談室にしては妙に大きく聞こえた。
それから先生は、ひどく淡々とした声で言った。
「逃げる先を、覚悟と呼ぶな」
私はその一言で、耳まで熱くなった。
なんて言い方をするのだと思った。
海の仕事を選ぶことが、まるで卑怯みたいではないか。
家のことも知らず、毎日きれいなシャツを着て教壇に立っている人間に、何がわかるのか。
私はむきになって、「先生に海のことなんかわからないでしょう」と言った。
先生は少しだけ目を細めたが、怒らなかった。
「わからんよ」
そう言ってから、続けた。
「ただ、お前は好きなものへ行く言い方をしていない。嫌なものから目をそらす言い方をしている」
その言葉が、私は許せなかった。
正しいことほど、言い方が悪いと腹が立つ。
その日から卒業まで、私は先生にほとんど口をきかなかった。
向こうも追いかけてはこなかった。
ただ、卒業式の日、校門のところですれ違いざまに、ひとことだけ言った。
「海へ行くなら、言葉を捨てるな」
意味がわからなかった。
海へ行くのに、なぜ言葉なのだ。
私は会釈もしなかった。
今思えば、ずいぶん感じの悪い生徒だった。
それから十数年、私は本当に海へ来た。
最初は見習い同然で、怒鳴られ、酔い、網に指を挟み、冬の朝には何度も帰りたくなった。
港へ出る午前三時の空気は、若い人間の自尊心など簡単にへし折る。
眠気も、寒さも、波の高低も、待ってはくれない。
魚が獲れなければ、それだけで一日じゅう身体の芯に沈む。
それでも続いたのは、意地だったのか、ほかに行くところがなかったのか、自分でもよくわからない。
たぶん、その両方だ。
海は嫌いではなかった。
むしろ、好きだったのだと思う。
だが私は、その「好き」をうまく言えなかった。
好きだと言うには、自分があまりに半端だった。
酔うし、失敗するし、網の読みも甘い。
好きだと言ってしまえば、その半端さごと引き受けなければならない。
私はそれが怖かった。
港町では、昔の教師の噂など、ときどき風に乗って回ってくる。
黒田先生が退職したこと。
奥さんに先立たれたこと。
一人で海辺の古い家に住んでいること。
そういうことを、私は人づてに知っていた。
知っていたが、会いには行かなかった。
会えばきっと、あのときの進路相談の続きをされる気がしたからだ。
人は、大人になっても、若いころに傷ついた言葉の前では意外と小さくなる。
先生が亡くなったのは、去年の冬だった。
朝の漁から戻った港で、その話を聞いた。
心臓だったらしい。
私は驚いたが、泣きはしなかった。
長く会っていない人の死というのは、悲しいというより、どこか自分の怠慢を数えさせる。
行こうと思えば行けたのに、行かなかった時間の長さを。
通夜にも葬儀にも、私は顔を出さなかった。
仕事だった、というのは半分本当で、半分嘘だ。
本当は、今さら教え子の顔で現れるのが、ひどく気まずかったのである。
そのくせ、先生のことを考えなかった日はなかった。
特に、船の上で一人になる夜明け前には、あの「言葉を捨てるな」という一言が、妙に胸の底で鳴った。
春先のある日、港の休憩小屋で、古いラジオが流れていた。
漁師仲間の誰かが置きっぱなしにしている、小さな携帯ラジオだった。
錆びた棚の上に転がっていて、雑音まじりに地元局の早朝番組を流していた。
投書を読むだけの、地味な番組である。
私はそういう番組を、少し馬鹿にしていた。
知らない誰かの人生の断片を、朝っぱらから聞かされて何になるのだと思っていた。
その日も、網の補修をしながら、半分聞き流していた。
ところが、パーソナリティが一通の投稿を読み上げた途端、私は手を止めた。
「ラジオネーム、古い防波堤より」
先生の字だ、と思ったわけではない。
だが、その文の呼吸が、妙にあの人に似ていた。
読み上げられたのは、こんな内容だった。
若いころ、ある生徒に、言い方を誤ったことがある。
本当は、その子が自分の好きなものを、自分の言葉で選んでほしかっただけなのに、傷つけるような言い方をしてしまった。
その子は海へ行った。
たぶん、よく働いているのだと思う。
海へ行く人間には、黙る強さが必要だ。
だが、それと同じくらい、自分が何を好きで、何を怖がっているのかを言葉にできる弱さも必要だと思う。
あのとき、それをちゃんと伝えられなかった。
だから、もう遅いが、ラジオを借りて言い直したい。
――海へ行った君へ。逃げてもよかった。怖くてもよかった。ただ、好きなものまで嘘にするな。
私はそこで息が詰まった。
手の中の針が、網にひっかかったまま動かなくなった。
番組は続いた。
パーソナリティは少し間を置いて、最後の一文を読んだ。
――港でラジオを聞く朝があるなら、どうか体を大事に。君は言葉を捨てなくていい。
私はラジオの音が遠くなるのを感じた。
まるで海の底から聞いているみたいだった。
たぶん、先生だった。
名前はなかったが、あの人以外にこんな、ぶっきらぼうで回りくどい書き方をする人を私は知らない。
私はその朝、仲間に顔を見られたくなくて、休憩小屋を出た。
防波堤の先まで歩き、誰もいない場所で、ようやくしゃがみこんだ。
泣くつもりなどなかった。
けれど、遅れてくるものには勝てない。
あのときの腹立ちも、みじめさも、その後の十数年も、一度に胸へ戻ってきた。
先生はわかっていたのだ。
私が海を嫌いではなかったことも。
けれど、好きだと言い切るには、自分があまりに半端だったことも。
逃げるみたいに海へ来た自分を、どこかでずっと恥じていたことも。
全部わかったうえで、言い方を間違えたのだ。
そして、死ぬ前に、わざわざラジオへ投稿した。
直接言えばよかったのに、と私は少し思った。
だが、先生もまた、そういう不器用な人だったのだろう。
面と向かって言うには遅すぎて、けれど黙ったままでは終われなくて、ラジオという遠い場所へ言葉を預けたのだ。
数日後、私は先生の家を訪ねた。
海辺の古い家だった。
奥さんのいない庭は静かで、風に洗濯ばさみだけが鳴っていた。
先生の妹さんが出てきて、私の名前を言うと、少し笑って、「兄がたぶん待っていた人です」と言った。
通された居間には、本と古いラジオがあった。
その横に、封のされていない原稿用紙が一枚、置かれていた。
妹さんは、それを私に見せてくれた。
放送された投稿文の下書きだった。
ところどころ書き直しの跡があり、最後にだけ、放送では読まれなかった一文が残っていた。
――教えるというのは、正しいことを言うことではなく、その人が自分で好きなものを好きだと言えるように見守ることだったのかもしれない。私は晩年になって、ようやくそれを知った。
私は、その字を見て、また泣いた。
遅い。
謝られるのも、わかるのも、何もかも遅い。
けれど、遅いものにだって、届く種類のものがある。
先生は亡くなったが、ラジオの声になって、ちゃんと届いてしまった。
それが、なんだか悔しかった。
先生の家を出るとき、妹さんが小さな紙袋を持たせてくれた。
中には、古い携帯ラジオと、短く削られた鉛筆が入っていた。
「兄、これで毎朝ラジオ聞いてたんです。港の近くはよく入るからって」
私は紙袋の中を見て、少し笑った。
先生らしいと思った。
自分で海へ来もしないくせに、港で聞こえる番組の時間を気にしていたのだ。
春の漁が始まる朝、私はそのラジオを船に積んだ。
仲間に笑われたので、「天気予報を聞く」とごまかした。
半分は本当で、半分は嘘だった。
夜明け前、沖へ出る前に、私はそのラジオをつける。
雑音まじりの人の声を聞きながら、網の手入れをする。
ときどき、誰かの投稿文に、くだらないと思うこともある。
けれど、くだらないまま胸に残る言葉というのが、たしかにある。
海は今も変わらず、厳しく、理不尽で、美しいとも言いがたい。
私は今でも、自分が向いているのかどうか、よくわからない。
それでも、魚の匂いのついた指でラジオのつまみを回すたび、少しだけ思う。
逃げるように始めたことでも、長く手をかければ、いつか好きだったと言える日が来るのかもしれない、と。
先生が教えたかったのは、たぶんそういうことだったのだろう。
正しさではなく、言い直すこと。
強さではなく、言葉を持ち直すこと。
継ぐというのは、船や網や技術だけではないのだと思う。
誰かが言いそこねた言葉を、別の誰かが今度は落とさず持っていくことだ。
空が白みはじめ、海の輪郭がゆっくり浮かんだ。
私はラジオの音を少し上げ、船の舳先に手を置いた。
先生、とは口に出さなかった。
そのかわり、胸の中でだけ、遅い返事をした。
――海は、まだ怖いです。
――でも、好きです。
――たぶん、これからは、自分でそう言います。
そう思えた朝の海は、少しだけ、昨日までより静かに見えた。



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