桜というものは、満開のときより、散りはじめてからのほうが胸にこたえる。
咲いているあいだは、みんな上を向く。
写真を撮る人もいるし、立ち止まって笑う子もいる。
けれど花びらが風に押されて、行き場をなくしたように地面へ落ちていくのを見ると、私はなぜだか、言えなかった言葉のことを思い出す。
口に出せなかった本音というのは、たいてい、遅れて胸に降ってくる。
ちょうど、桜みたいに。
私は小学校の用務員をしている。
朝は誰より早く校門を開け、職員玄関の鍵を外し、廊下を拭いて、花壇の水やりをして、壊れた椅子のねじを締める。
雨の日は傘立てを整え、雪の日はまだ暗いうちから凍った通路に融雪剤を撒く。
名札には「学校用務員」とあるけれど、実際には何でも屋に近い。
忘れ物の届け先になり、泣いた子の靴紐を結び、ドアの建てつけを直し、時には、誰にも言えずに黙っている子のそばに、ただ立っている。
目立たない仕事だ。
だが、目立たない仕事ほど、人の機嫌や悲しみがよく見える。
私はそのことを、この仕事についてから知った。
いや、知った、というのは少し格好をつけすぎだろう。
本当は私は、何か大きなことができる人間ではなかった。
若いころはそれが悔しくて、何者かになれない自分に腹を立てていたが、今はもう、そこまで大げさに期待していない。
誰かが転ばないように濡れた床を拭く。
壊れた鍵を直して、困っている子を泣かせずに済ませる。
それで一日が少しだけましになるなら、それでいいと思うようになった。
そう思えるようになるまでには、ずいぶん時間がかかったけれど。
校庭の裏手には、古い桜並木がある。
入学式のころにはやわらかく咲いて、卒業式のころには風に散る。
毎年、子どもたちがその下を駆け抜けて、先生たちが写真を撮り、保護者が見上げる。
けれど近くで見ると、木はずいぶん歳をとっている。
幹の一部が空洞になったものもあるし、支柱がなければ危うい枝もある。
華やかなものほど、近くで見れば痛みを抱えている。
それが木だけの話でないことを、私はよく知っていた。
私はその桜の手入れを、祖父に教わった通りに続けていた。
祖父は植木職人ではなく、町工場で金属を削る仕事をしていた人だった。
だが、家の庭木の手入れにも妙にうるさくて、私が子どものころ、剪定鋏の持ち方や箒の使い方まで細かく教え込んだ。
「道具は黙っとるぶん、使う人間の心が出る」
祖父はよくそう言った。
私はそのたび、子どもながらに、心なんか見えるものかと思っていた。
祖父は無口な人だった。
怒鳴ることは滅多になかったが、そのかわり、黙って人を追いつめる癖があった。
こちらが言い訳を並べても、ふん、と鼻を鳴らすだけで、許してくれたのか、呆れているのか、それすらわからない。
高校を出たあと、私は進学も就職も半端なまま、しばらくふらふらしていた。
工場で働いては辞め、配達の手伝いをしては続かず、何をしても腰が据わらなかった。
そのころ祖父に言われたのは、たった一言だった。
「働け」
ただ、それだけだった。
事情も聞かず、励ましもせず、相談に乗るでもない。
私はその一言に、ひどく傷ついた。
傷ついた、というのも、今から思えば少し子どもっぽい。
本当は、見抜かれたのが悔しかったのだ。
何かになりたいと言いながら、何にもなれないまま、うろうろしている自分を。
だから私は、祖父が苦手だった。
嫌い、というほど単純でもない。
ただ、あの人の前に立つと、自分の情けなさがはっきり輪郭を持ってしまうので、できるだけ会いたくなかったのだ。
祖父が倒れたのは、三年前の春だった。
桜が咲きかけて、学校が新年度のざわつきに包まれていたころだ。
その日、私は倉庫の前で、一人の一年生の男の子としゃがみ込んでいた。
飼育小屋の掃除道具を入れた物置の鍵を、その子がどこかへ落としてしまったのである。
本人は今にも泣きそうな顔で、何度も「ごめんなさい」と言っていた。
私は「鍵なんてなくなるときはなくなる」と言いながら、一緒に花壇の脇や砂場のへりを探した。
たいした慰めにもならない口ぶりで、我ながら不器用だと思った。
そのとき、教頭先生が早足で来て、私に携帯を差し出した。
病院からだった。
祖父が倒れたと聞いて、私は少しのあいだ、意味がわからなかった。
倒れる、という言葉が、あまりに急で、あまりに他人事のようだったからだ。
病院へ着いたとき、祖父はもう話せない状態だった。
酸素の管が鼻に入り、まぶたは閉じられ、あんなに頑固だった手が、布団の上でひどく細く見えた。
私は、その手を見て、なぜか腹が立った。
こんなふうに急に弱くなるなんて、卑怯だと思った。
ずっと言い返す機会を待たせておいて、何も聞けない場所へ先に行くなんて。
私には、言いたいことが山ほどあった。
どうして、あんな言い方しかできなかったのか。
どうして、一度も認めてくれなかったのか。
私は、あなたにとって恥ずかしい孫だったのか。
胸の中では、そんな言葉が渦を巻いていたのに、口から出たのは、
「もう、そんな年だったんだな」
という、ひどく間の抜けた一言だけだった。
祖父は目を閉じたまま、何も言わなかった。
言えなかったのは、私のほうなのに。
その日の夜、祖父は亡くなった。
泣いたのは、葬式の最中ではなかった。
焼香のときも、棺に花を入れるときも、私は妙に静かで、自分でも驚くほど涙が出なかった。
けれど家に戻り、遺品の作業着をたたんでいたとき、胸ポケットから小さな鍵が転がり落ちた。
錆びた、古い真鍮の鍵だった。
見覚えがあった。
祖父の家の離れにある、道具部屋の鍵だった。
子どものころ、私はその部屋に入りたくて仕方がなかった。
棚に並んだ鉋や鋸や、油の匂いのする古い工具箱。
どれも秘密基地の宝物みたいに見えた。
だが祖父は、一度も中へ入れてくれなかった。
「まだ早い」
そればかりだった。
死んでから鍵だけ出てくるなんて、皮肉にもほどがあると思った。
私はその鍵を遺品箱の底に押し込み、しばらく見ないふりをした。
春は容赦なく巡ってくる。
翌年も、その次の年も、学校の桜は咲いた。
私は変わらず校門を開け、変わらず雑巾を絞り、変わらず桜の下を掃いた。
だが三年目の春、少しだけ違うことが起きた。
昼休みに、あの日の一年生だった子が、もう四年生になって私のところへ来た。
「これ、直りますか」
そう言って差し出したのは、ランドセルにつけていた小さな鍵のキーホルダーだった。
金具が壊れて、ぶら下がらなくなっていた。
私は工具箱を開けて、ペンチで金具を締め直した。
その子は黙って私の手元を見ていて、不意に言った。
「先生じゃないのに、なんでも直せてすごいね」
私は笑ってごまかしたが、その言い方が、なぜだか胸に残った。
先生じゃないのに。
そうなのだ。
私は先生ではない。
けれど、子どもから見れば、毎日いる大人の一人なのだった。
その日の放課後、桜の枝ぶりが気になって、私は裏の物置へ脚立を取りに行った。
古い棚を動かした拍子に、奥から一冊のノートが落ちた。
茶色く変色した表紙に、「交換ノート」とだけ書いてあった。
何気なく開いた私は、その場で動けなくなった。
最初のページに、祖父の字があったからだ。
――用務員さんへ。桜の枝は、欲張って切るな。木にも都合がある。
あの、角ばっていて、妙にきっちりした字。
人を叱っているのか、気にかけているのか、ぱっと見ではわからない、祖父の字だった。
次のページには、前任の用務員の返事があった。
――了解しました。でも、どの枝がいらないのか、あなたの言うことは毎年難しいです。
その下に、また祖父の字。
――人間に都合の悪い枝と、木にとって要らない枝は違う。
私は思わず笑ってしまった。
いかにも祖父らしかった。
言い方が不親切で、理屈だけは妙に正しい。
ページをめくるごとに、学校のあれこれが書かれていた。
桜の剪定時期。
職員玄関の鍵穴が湿気で固くなること。
雨どいは北側から先に詰まること。
体育倉庫の蝶番は音が出る前に油を差しておけということ。
子どもが触る道具は、危なくないよう、角を必ず丸めておくこと。
どれも地味で、どれも細かく、どれも妙に実際的だった。
祖父は、退職後に地域の手伝いでこの学校の営繕を長く見ていたらしい。
そして正式に来られなくなったあとも、前任の用務員とこうしてノートでやり取りを続けていたのだ。
さらに読み進めると、ある日を境に、宛名が変わっていた。
――春から来る新しい用務員さんへ。
私は息を止めた。
それは、私がこの学校で働きはじめた年だった。
祖父は、私がここへ来ることを知っていた。
知っていて、このノートを残したのだ。
震える指で、続きを読む。
――名札に書いてある肩書きは小さいが、子どもはよう見とる。朝、誰が先に門を開けるかも。
――道具は揃えればいいというものではない。置く場所を決めること。人間も同じ。
――学校の木は、黙って毎年咲く。黙って咲くものの世話は、向いていない人間には続かん。
そして、少し間をおいて、こうあった。
――孫が来るはずだ。口数は少ないだろうが、悪い子ではない。
そこで、私はノートを閉じた。
閉じたのに、言葉だけが胸の奥で何度も開いた。
悪い子ではない。
たったそれだけのことを、祖父は生きているあいだ、一度も私に言わなかった。
ひどい人だと思った。
どうして肝心なことを、本人のいないところにしか残せないのか。
どうして、面と向かって言ってくれなかったのか。
けれど同時に、私は知っていた。
あの人にとっては、これが精一杯だったのだ。
不器用で、意地っ張りで、肝心なところほど言葉が遅れる人だったから。
私はノートを抱えたまま、しばらく物置の床に座り込んでいた。
夕方の光が細く差し込み、舞い上がった埃が、花びらみたいに光っていた。
その夜、私は遺品箱の底から、あの錆びた鍵を取り出した。
三年ぶりに、祖父の家の離れへ向かった。
戸は重く、開けると木と油と古い紙の匂いがした。
棚の上に、小さなブリキ缶が置かれていた。
中には新しいノートが一冊と、短い鉛筆。
表紙の裏に、祖父の字があった。
――言えなかったことは、書いておけば少し残る。
私は、その一行だけで、もう駄目だった。
視界がにじんで、字が揺れた。
続きは、思いのほか短かった。
――お前が向いていない仕事を無理に続けるのではと思っていた。
――だが、学校の門を毎朝開けるような人間なら、大丈夫だと思った。
――人に見えないところを整える仕事は、立派だ。
――鍵は預ける。あとはお前が決めろ。
それだけだった。
相変わらず説明が足りない。
ありがとうも、すまなかったもない。
けれど、あの人なりの全部が、そこにあった。
私は畳の上に座り込み、子どもみたいに声を殺して泣いた。
認めてほしかったのだと思う。
ずっと。
働け、と言われたあの日から。
いや、それよりもっと前から。
私は祖父に、一人前だと言ってほしかったのだ。
叱られてもよかった。
不器用でもよかった。
ただ、自分が見放されてはいなかったと知りたかった。
それを知るのに、こんなに年数がいるなんて、人生は少し意地が悪い。
泣き止んだあと、私はノートの次のページを開いた。
鉛筆を持つ手が、少し震えた。
何を書くべきか、しばらくわからなかった。
言いたかったことは、山ほどあった。
もっと早く言ってほしかったこと。
腹が立ったこと。
病院で何も言えなかった悔しさ。
けれど結局、私が最初に書いたのは、たった一行だった。
――遅くなったけど、ちゃんと働いています。
それから少し考えて、もう一行足した。
――あなたに教わった通り、欲張って切らないようにしています。
さらに、書き足した。
――今日、四年生の子に、鍵を直してくれてありがとうと言われました。少しうれしかったです。
書いてから、自分で少し笑った。
報告みたいだと思った。
けれど祖父とは、たぶんこういう話しか、もともとできなかったのだろう。
春の風が戸口から入り、紙をかすかに鳴らした。
外では桜が散っていた。
舞い落ちる花びらが、暗くなりかけた庭に白く浮いて見えた。
私は今でも、ときどき祖父に腹を立てる。
もっと早く言えただろう、と。
もっとまともな優しさがあっただろう、と。
けれど、あの人の不器用さまで含めて、私はとうとう受け取ってしまったのだと思う。
翌朝、私はいつものように学校へ行き、校門の鍵を開けた。
冷たい金属が、手の中で小さく鳴った。
その音が、妙にまっすぐ胸へ届いた。
昇降口では、新一年生がまだ大きすぎる靴でよろよろ歩いていた。
私は黙って、その脱ぎ散らかされた靴をそろえた。
職員室の前を通ると、昨日キーホルダーを直した四年生が、私を見つけて軽く頭を下げた。
校庭の裏では、桜がまだ少し残っていた。
子どもたちは今日も騒がしく、花は今年も勝手に咲いて、勝手に散る。
目立たない仕事は、相変わらず目立たない。
それでも私は思う。
継ぐ、というのは、立派な教えをまるごと受け継ぐことではないのかもしれない。
言えなかった本音や、渡しそびれた鍵や、古い交換ノートの余白ごと引き受けて、それでも朝に門を開けること。
誰にも褒められない場所を整えて、次の誰かが少しだけ困らないようにしておくこと。
たぶん、そういうことなのだ。
花びらが一枚、肩に落ちた。
私はそれを払わず、そのまま用務員室へ戻った。
今日は、体育倉庫の蝶番を直さなければならない。
そのあとで、桜の下を掃く。
たぶん祖父なら、箒の音だけで私の機嫌を見抜くだろう。
少し悔しいが、今日は見抜かれてもいい気がした。



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