泣ける話 短編|終電後の駅で知った父の見守りと古い定期券

夜の静かな駅プラットフォーム 泣ける話

父が死んでから、私は一枚の定期券を捨てられずにいる。

 

 もちろん、もう使えない。

 

 磁気はとうに抜け、角は擦れて白くなり、裏面には指で撫でたような薄い筋がいくつも残っている。

 

 それでも財布のいちばん奥にしまったままなのは、懐かしいからだけではない。

 

 あれが、父の秘密の、いちばん静かな証拠だったからだ。

 

 私は駅の警備員をしている。

 

 終電が出たあとの構内を見回り、シャッターの鍵を確かめ、人気のなくなったホームに忘れ物がないかを調べる。

 

 昼間の駅は人の顔でできているが、夜の駅は音でできている。

 

 遠くの踏切。

 

 自販機の低い唸り。

 

 蛍光灯のかすかな震え。

 

 清掃用ワゴンの車輪が、床の継ぎ目で小さく跳ねる音。

 

 人がいなくなったあとで、ようやく駅は自分の骨組みを見せる。

 

 私はその感じが、昔から少し好きだった。

 

 静かな場所にいると、言い訳をしなくてすむからだ。

 

 若いころの私は、父が嫌いだった。

 

 いや、嫌いというより、怖かったのだと思う。

 

 父は口数の少ない人で、家の中でも必要なことしか言わなかった。

 

 「戸締まり」

 

 「風邪ひくぞ」

 

 「遅い」

 

 それだけで一日が終わることもあった。

 

 工場勤めで、朝は早く、帰りは遅かった。

 

 油の匂いを作業着に染みこませて帰ってきては、居間で黙ってビールを飲み、テレビのニュースを見ていた。

 

 私はそういう父を、ずっと不親切な人間だと思っていた。

 

 もっと話せばいいのに、と思った。

 

 もっと怒るなり笑うなりすればいいのに、とも思った。

 

 けれど思春期の息子というものは、自分から近づくことはしないくせに、向こうが近づいてこないことには腹を立てる。

 

 私も、そのひどく勝手な年頃を、ずいぶん長くこじらせた。

 

 高校三年のころ、私は家にいるのが息苦しかった。

 

 進路のことを考えるふりをしながら、実際には何も決められず、駅前で友人とだらだら時間をつぶして、終電ぎりぎりに帰ることが増えた。

 

 父は何も言わなかった。

 

 何も言わないくせに、玄関の電気だけはいつも点いていた。

 

 私はそれを、ただの癖だと思っていた。

 

 気にかけているのなら、そう言えばいいのに、とそのころの私は思っていた。

 

 言葉にしない気持ちなど、ないのと同じだと、本気で思っていたのである。

 

 高校を出たあと、私は一度だけ家を出た。

 

 たいした志があったわけではない。

 

 町を離れれば何か変わるだろう、という程度の、薄い希望だけだった。

 

 だが変わったのは住所だけで、人間は案外、駅をいくつ越えても生まれ変われない。

 

 仕事は長続きせず、結局、数年で地元へ戻った。

 

 警備会社へ入ったのも、配属先が駅になったのも、たまたまだ。

 

 父はそのことについて、何も言わなかった。

 

 責めもしないし、励ましもしなかった。

 

 「そうか」

 

 とだけ言った。

 

 私はその「そうか」を、失望だと思った。

 

 たぶん違ったのだろうが、そのころの私は、父の短い言葉をいつも悪いほうへ解釈していた。

 

 自分に自信のない人間は、相手の沈黙まで悪意に変えてしまう。

 

 私がまさにそうだった。

 

 父が倒れたのは、冬の終わりだった。

 

 脳の病気で、入院してからは急に弱った。

 

 見舞いに行くと、父は病室の窓の外ばかり見ていた。

 

 私は椅子に座り、天気のことや駅のことを話した。

 

 父は「ふん」とか「そうか」とか、それくらいしか返さなかった。

 

 そのたび、私はだんだん腹が立ってきた。

 

 人が気まずさをこらえて来ているのに、その態度は何だと思った。

 

 病人相手にひどい言い分だが、そのときは本気でそう思っていた。

 

 ある日、私はとうとう言ってしまった。

 

 「何か言うことないの」

 

 父は少しだけ眉を動かした。

 

 「ない」

 

 と答えた。

 

 私は笑った。

 

 笑ったというより、嗤ったのかもしれない。

 

 「最後までそうなんだな」

 

 父は黙った。

 

 私はさらに言った。

 

 「どうせ俺のことなんて、別に何とも思ってなかったんだろ」

 

 言った瞬間、自分でも嫌な言葉だと思った。

 

 けれど、口に出たあとはもう戻らない。

 

 父はしばらく私を見ていたが、やがて視線を外し、窓の外へ戻した。

 

 「帰れ」

 

 それだけだった。

 

 私はそのまま病室を出た。

 

 廊下を歩きながら、少しだけ後悔した。

 

 だが、その少しを潰してしまう程度には、私は大人で、それでいて意地だけは子どもだった。

 

 また来ればいい、と思った。

 

 謝る機会はいくらでもあると思った。

 

 父は、その三日後に死んだ。

 

 葬儀はあっけなく終わった。

 

 親戚たちは、父は真面目な人だったとか、働き者だったとか、口々に言った。

 

 私はそんなことを、いまさら他人から聞かされても困ると思った。

 

 真面目で働き者なのは知っている。

 

 知りたかったのは、そういうことではなかった。

 

 死んだあと、父の部屋を片づけるのは私の役目になった。

 

 机の引き出しには、古い工具の説明書、使いかけの湿布、電池の切れた懐中電灯、輪ゴムで束ねたレシートが入っていた。

 

 どれも父らしかった。

 

 どれも父の中身を語ってはくれなかった。

 

 いちばん下の引き出しに、小さな缶の箱があった。

 

 中には、定期券が何枚か輪ゴムで束ねて入っていた。

 

 工場までの通勤定期だろうと思った。

 

 けれど、一枚だけ見慣れない区間のものが混じっていた。

 

 工場とは反対方向の路線だった。

 

 期間を見ると、私が高校三年の夏から卒業までの半年ほど。

 

 私は不思議に思って、母に尋ねた。

 

 「父さん、この路線使ってたことある?」

 

 母は少し考えてから、首を振った。

 

 「ないと思うよ。

 

 仕事はずっと工場だけだったし」

 

 私はその定期券を、なぜだか捨てられずに持ち帰った。

 

 それが何を意味するのか、わからないまま。

 

 それからしばらくして、終電後の見回りで、私は遺失物保管室にいた。

 

 忘れ物にタグをつけ、日付と場所を書き込み、棚へ置く。

 

 傘、文庫本、マフラー、学生鞄、片方だけの手袋。

 

 忘れ物には、その人の雑さとか疲れとか、その日の事情が少しずつ染みている。

 

 その夜、新人の若い警備員が落とし物タグの記入を間違えていた。

 

 私はそれを直しながら、ふと古い記憶を思い出した。

 

 高校のころ、私は何度か終電を逃しかけた。

 

 部活帰りでもない。

 

 勉強していたわけでもない。

 

 ただ友人と意味もなく時間をつぶして、家へ帰るのが面倒になっていただけだ。

 

 改札の前で立ち尽くしたことが何度かあった。

 

 そのたびに、なぜか父が迎えに来た。

 

 連絡した覚えはないのに、駅前に立っていた。

 

 「何でいるの」

 

 と私が聞くと、

 

 「たまたま」

 

 と父は言った。

 

 私はそれを信じていなかった。

 

 たまたまでそんな都合よく来るものか、と思っていた。

 

 けれど深く考えもしなかった。

 

 迎えに来てくれるなら、それでよかったからだ。

 

 その記憶と、見慣れない定期券が、その夜、急にひとつにつながった。

 

 私は保管室を出ると、古い資料棚を探した。

 

 駅員時代から残っている遺失物台帳の束が、年度ごとに並んでいた。

 

 紙は黄ばんで、端は少し波打っていた。

 

 自分でも馬鹿げていると思いながら、私は高校三年のころの台帳をめくった。

 

 すると、八月の終わりの日付のところに、見覚えのある名字があった。

 

 定期券 一枚
 発見場所 上りホームベンチ下
 引取人 本人父

 

 私の名字だった。

 

 その横に、古い落とし物タグがホチキスで留めてあった。

 

 小さな紙片だった。

 

 父の字で、こう書いてあった。

 

 息子のです
 夜おそいので 先に来ました
 見つかったら あした渡します

 

 私はしばらく、その場から動けなかった。

 

 思い出した。

 

 あの夏、私は定期券をなくしていたのだ。

 

 騒ぐと面倒だから黙っていて、数日だけ切符で通った。

 

 父には知られたくなかった。

 

 だらしないと思われるのが嫌だったからだ。

 

 なのに父は、知っていたのである。

 

 いや、もっと前から知っていたのかもしれない。

 

 私が終電に遅れそうな日、父はたまたまでなく、その駅まで来ていたのだ。

 

 工場とは反対方向の電車に乗って。

 

 あの定期券で。

 

 一瞬、見張られていたのかと思った。

 

 けれど、タグの字を見たとき、それが違うことはわかった。

 

 見張る、ではない。

 

 見守る、だったのだ。

 

 父はたぶん、私に言わずに何度も終電後の駅まで来ていた。

 

 仕事帰りに反対方向の電車へ乗り、ホームの端か、改札の外か、どこか目立たないところに立っていたのだろう。

 

 息子がちゃんと帰ってくるか確かめるために。

 

 声をかければ嫌がると知っていたから、黙っていたのだろう。

 

 私が気づけば「たまたま」と言い、気づかなければそのまま帰っていたのだろう。

 

 その情景が、あまりにも父らしくて、私はたまらなくなった。

 

 何だそれ、と思った。

 

 そんなやり方があるか、と思った。

 

 あるならあるで、ひとこと言えばよかったのに、とも思った。

 

 けれど同時に、それ以外のやり方を父は知らなかったのだとも思った。

 

 不器用な人間が愛情を隠そうとすると、ああいう形になるのかもしれない。

 

 遺失物台帳の上に、ぽつりと涙が落ちた。

 

 私は慌てて袖で拭いた。

 

 仕事中に泣くのはみっともないと思ったが、その夜ばかりは無理だった。

 

 夜おそいので 先に来ました

 

 その一文が、どうしようもなく胸に刺さった。

 

 先に来ました。

 

 たったそれだけのことばに、父の全部が入っている気がした。

 

 叱るでもなく、問いただすでもなく、ただ先に来て待つ。

 

 私がホームに現れるより前に、夜の駅でひとり立っている。

 

 寒かっただろうと思う。

 

 疲れていただろうとも思う。

 

 それでも来たのだ。

 

 私が何も知らないまま帰っていけるように。

 

 私の失くした定期券を、私より先に拾いに来るような気持ちで。

 

 私はそれを、死んでから知った。

 

 人は、生きているあいだに説明のつかない親切を、たいてい誤解する。

 

 干渉だとか、無関心だとか、自分に都合のいい言葉へ勝手に置き換える。

 

 そして相手がいなくなってから、それがどんなに静かな祈りだったかを知る。

 

 遅すぎる。

 

 だが、遅すぎるからこそ、人は一生忘れないのかもしれない。

 

 それから私は、その定期券を財布に入れて持ち歩くようになった。

 

 終電後の見回りで、若い学生がベンチに座ったまま眠っているのを見ると、少しだけ声のかけ方が変わった。

 

 酔った会社員が改札の前でふらついているのを見ると、前より少しだけ丁寧にタクシー乗り場まで案内するようになった。

 

 誰かを守る、などと大げさなことではない。

 

 ただ、先に来て待つ人間がこの世には案外いるのだと思うようになっただけだ。

 

 そして、自分もまた、そういう人間の端くれでいたいと思うようになっただけだ。

 

 ある春の夜、終電が出たあとのホームに、高校生くらいの男の子がひとり立っていた。

 

 財布を落としたらしく、青ざめた顔でポケットを探っていた。

 

 私は声をかけ、遺失物窓口へ連れていった。

 

 届けはまだなかった。

 

 男の子は唇を噛みしめて、泣くのをこらえていた。

 

 私は少し迷ってから、自販機の温かいお茶を一本買って渡した。

 

 「そのうち迎えが来る」

 

 と言うと、男の子は小さく頷いた。

 

 そのとき、ホームの向こう側に父が立っているような気がした。

 

 作業着のまま、少し猫背で、何も言わずにこちらを見ている。

 

 もちろん、いるはずがない。

 

 けれど、見守るというのは、たぶん死んだら終わるものではないのだろう。

 

 終電のいない駅は、昼よりずっと静かだ。

 

 静かだからこそ、いなくなった人の気配が、時々まぎれこむ余地がある。

 

 私は見回りの最後に、ホームの端で足を止めた。

 

 線路の向こうは暗く、信号だけが小さく赤かった。

 

 財布の中の定期券に、そっと指を触れた。

 

 父に謝りたいことは、いまでもある。

 

 最後の病室で、あんな言い方をしたこと。

 

 何ひとつ知らないくせに、わかったつもりで父を裁いたこと。

 

 けれど、謝罪というものは、ときどき間に合わない。

 

 間に合わないまま、別の形で生きていくしかない。

 

 私は制服の襟を直し、また歩き出した。

 

 人気のない改札。

 

 閉じた売店。

 

 風の通る階段。

 

 今夜も私は、終電のあとの駅を見回る。

 

 誰かが落としたものにタグをつけ、誰かの帰りを少しだけ手伝う。

 

 そうしていると、父がずっと前から私を見ていたことの続きを、いま少しだけ自分が引き受けているような気がする。

 

 見えなくなってからようやくわかる灯りも、世の中にはある。

 

 父はたぶん、生きているあいだ、ずっとそういう灯りのつもりでいたのだ。

 

 そして私は、遅れてその明るさを知った。

 

 ホームに残る夜気はまだ冷たかったが、不思議と、もうひとりではない気がした。

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