先生を最後に乗せたのは、梅雨のいちばん深い夜だった。
いや、最後に乗せたと思っていた、というほうが正しい。
正しい、などと書くと、何か私が冷静で、物事をちゃんと見ていた男みたいだが、実際の私はその逆である。
四十二にもなって、未だに思い込みで腹を立て、言わなくていいことを言い、あとで一人になってから、その言葉の角で自分の胸を傷つける。
そういう、湿った紙みたいな人間だ。
雨の夜は客が増える。
駅前で濡れた人影を拾い、飲み屋街で酔客を送り、病院の前で俯いた家族を乗せる。
ワイパーは忙しなく左右に首を振り、フロントガラスの向こうでは、赤信号も青信号も、みな少しだけ滲んで見える。
私はそういう夜が、嫌いではなかった。
町じゅうの弱った心が、ひとときだけ車内に集まってくる感じがしたからだ。
もっとも、そんな殊勝なことを思いながら、料金メーターの上がり方にほっとしているあたりが、私のいやらしさでもある。
その夜、無線で細い路地への配車が入った。
昔ながらの商店街の裏手にある、車一台がやっと通れるほどの道だった。
昼でも薄暗いのに、雨の夜ともなると、古い看板の灯りだけが濡れた壁に貼りついて、町がどこか水底のように見える。
傘を差した老人がひとり、街灯の下に立っていた。
近づいて顔が見えた瞬間、私は思わず息を止めた。
高校の国語教師だった、三上先生だった。
白髪は増え、背も少し丸くなっていたが、目だけは昔のままだった。
人を叱るときも、褒めるときも、見透かすようでいて、どこかこちらに逃げ道を残してくれる目である。
「……久しぶりです」
私がそう言うと、先生は一度目を細めた。
「おお、柏木か」
たったそれだけだった。
それだけなのに、私は妙に傷ついた。
もっと驚くとか、懐かしがるとか、そういうものを勝手に期待していたのかもしれない。
人は、自分が相手を長く恨んできたくせに、再会の瞬間だけは都合のいい温度を求める。
まことに虫のいい話である。
十七のころ、先生には世話になった。
授業中に居眠りをしても、遅刻をしても、露骨には怒らなかった。
その代わり放課後に呼ばれて、太宰だの芥川だの、私にはまだ早すぎる小説の話をした。
「おまえは弱いくせに、弱い自分を馬鹿にしすぎる」
そう言われたことがある。
当時の私は、その言葉の意味もよくわからないまま、わかったふりだけした。
先生の前では、少しだけまともな人間になれた気がした。
私は家庭のことを、人にあまり話さなかった。
母は中学の頃に家を出た。
夜逃げのようだった。
父は酒に沈み、家の中にはいつも湿った怒鳴り声が残っていた。
台所の蛍光灯は切れかけてちらつき、冬でも味噌汁が出ない夜があった。
その頃の私は、誰かに助けてほしいくせに、助けを求める顔をするのが死ぬほど嫌だった。
だからいつも、平気なふりをしていた。
平気なふりをして、内心では誰かに見つけてほしいと思っていた。
その矛盾を、先生だけは少し見抜いていたのかもしれない。
卒業の少し前、私は先生に作文を見せた。
母がいなくなったこと。
父が壊れていくこと。
そんな家で育った自分が、この先まともな人間になる気がしないこと。
今思えばずいぶん青くて、比喩ばかり多い文章だった。
だがあのときの私は本気で、あれを書けば誰かが救ってくれると思っていたのだ。
いや、救ってくれるとまでは思わなくても、せめて「読んだ」と言ってほしかった。
私がそこにいたことを、誰か一人でいいから認めてほしかった。
先生は数枚の原稿を黙って読み、最後にこう言った。
「下手だ」
私は顔を上げた。
先生は少し笑っていた。
「だが、嘘は少ない」
それから赤ペンで、言い回しをいくつか直し、行間に小さく書き込んだ。
『ここは説明しすぎ』
『この一文は、自分をかばっている』
『ほんとうに痛かったところを、ちゃんと書け』
その紙を持って帰る夜、私はひどくうれしかった。
ああ、自分の書いたものを、本気で読んだ大人がいるのだと思った。
ところが翌週、その作文が校内の文集に載った。
名前は伏せられていた。
だが、あんな話は私しか書かない。
言い回しもそのままだった。
クラスの連中は直接何か言うわけではなかったが、廊下で目が合うと、どこか知ったような顔をした。
二人の女子が、私の席の後ろで「重っ」と笑った。
その一言で、私は頭の中が真っ白になった。
誰かに読んでほしいなどと思った自分が、急にひどく下品で、裸みたいに思えた。
私は二日ほど学校を休んだ。
休んでいるあいだ、腹の底でずっと煮えていたのは恥だった。
けれど、人は恥をそのまま抱えるのが難しい。
だから私は、それを怒りの形に作り替えた。
先生が勝手に出したのだ、と。
いや、思ったというより、そう決めつけた。
そうでなければ、自分の恥ずかしさの持って行き場がなかったからである。
放課後、職員室で問い詰めた。
「先生が出したんでしょう」
三上先生は少し黙ってから、「違う」と言った。
その声音は低く、妙に疲れて聞こえた。
だが私は、その疲れを後ろめたさだと思った。
「もういいです」
私はそう吐き捨てた。
先生は何か言いかけたようだったが、結局それ以上は言わなかった。
それきり卒業まで、私は口をきかなかった。
先生も追いかけてこなかった。
そのことが、私にはかえって「やっぱり後ろ暗いからだ」と思えた。
若いときの思い込みというのは、油がのった刃物みたいに、よく切れる。
そのかわり、自分の手まで切る。
だから、雨の路地で再会したその夜も、私は胸の底にまだ、古い恨みを温めていたのである。
人間の執念というのは立派なものではなく、たいてい湿った雑巾みたいに、いつまでもじめじめ残る。
「どちらまで」
私はできるだけ事務的に尋ねた。
先生は住所を言った。
市立病院だった。
バックミラー越しに見ると、先生の膝の上に小さな紙袋が置かれている。
白い菓子箱でも入っていそうな袋だった。
手首には古い銀の腕時計。
高校時代からつけていたものに似ていた。
文字盤には細かい傷が走り、革のベルトは何度も替えたらしく色がまだらだった。
「まだ、それ使ってるんですね」
私が言うと、先生は腕時計に目をやって、少し笑った。
「これか。癖みたいなもんだ」
「物持ちいいんですね」
「いいように言うな。貧乏性だ」
その一言で、昔の教室の空気が一瞬だけ車内によみがえった。
放課後の窓際。
黒板の隅に残ったチョークの粉。
夕日で赤くなった文庫本の背表紙。
それなのに私は、懐かしいとは思わなかった。
懐かしい、というには、胸のつかえが古すぎた。
本当は聞きたかった。
どうしてあのとき、違うとしか言わなかったのか。
どうして私を放っておいたのか。
どうして、いまさら何事もなかったような顔をしているのか。
けれど私は四十二歳のタクシー運転手で、相手は年老いた恩師で、しかも行き先は病院だった。
いかにも湿っぽく、いかにも間の悪い話題である。
私は結局、何も言えなかった。
病院に着くと、先生は料金を払ってから、少しだけ躊躇した。
「今夜、もし非番でなければ」
「はい」
「帰りも、頼めるか」
私は一瞬迷ってから、会社の名刺を渡した。
「終わる頃に電話ください」
先生は頷いて降りた。
病院の自動ドアが開き、白い光の中へ背中が吸い込まれていく。
そのとき私は、先生が紙袋を助手席に忘れていったのに気づいた。
声をかけようとしたが、もう遅かった。
次の車が後ろにつき、クラクションを軽く鳴らした。
私はしかたなく車を出した。
信号待ちのあいだに、ちらりと紙袋の中を覗いた。
小さな録音機と、透明のケースに入ったカセットテープが見えた。
今どき珍しい、古い機械だった。
上に付箋が貼ってあり、震えた字でこう書いてあった。
『柏木へ』
柏木というのは、私の名前である。
胸がどくりと鳴った。
なぜ先生が、こんなものを。
会社の規則では、忘れ物を勝手に開けるべきではない。
べきではないのだが、私は善良な市民というには少し弱い。
しかも相手が三上先生となれば、なおさら冷静ではいられなかった。
営業所裏の車庫で、私はしばらく録音機を手にしたまま迷った。
聞けば、何かが決まってしまう気がした。
今のままなら、私はまだ先生を悪者にしていられる。
恨みというのは、不思議と人を支えることがある。
「あいつのせいで」と思っているうちは、自分の壊れた部分を全部見なくて済むからだ。
けれど、結局私は再生ボタンを押した。
最初に、がさりという音がした。
少し間があってから、先生の声が流れた。
『柏木。これを聞いている頃、私はたぶん病院にいる』
そこで私は、喉がひゅっと細くなるのを感じた。
『面と向かって話すと、おまえはたぶん、また顔を硬くするから、こうした。教師が録音なんぞ、卑怯かもしれんが、年寄りには年寄りの工夫がある』
少し咳払いが入った。
その咳が思ったより弱くて、私は急に、先生が年を取ったのだという当たり前の事実を突きつけられた。
『あの作文のことだ』
私は膝の上で両手を握った。
『文集に出したのは、私ではない』
そこまでは、昔、職員室で聞いた「違う」と同じだった。
けれど録音は、その先を言った。
『職員室の机に、おまえの原稿が置きっぱなしになっていた。昼休みに、文芸部の生徒が“無記名の原稿がある”と持っていってしまった。私は気づくのが遅れた。止めようとしたときには、もう印刷が回っていた』
テープの向こうで、紙をめくる音がした。
『私はおまえに説明するべきだった。誰が持っていったかも、どこで止められなかったかも、全部な。だが、私は臆病だった。言い訳に聞こえるのが嫌だったし、なにより、おまえの傷ついた顔を見て、自分が教師失格だと思った』
私は目を閉じた。
雨の音が車の屋根を打っていた。
『それでも、一つだけ言っておく。あの作文は、よかった。かわいそうだからではない。文章が、よかった。おまえはあのとき、たしかに自分の痛みを、自分の言葉で書いていた』
私は顔をしかめた。
泣くまいとして顔をしかめるのは、ひどくみっともない。
『私はあれを、守れなかった。そのことを、ずっと悪かったと思っている』
そこで録音は少し途切れ、遠くで秒針のような音がした。
『腕時計は、まだ動いている。おまえが卒業のとき、進路も決まらずふてくされていた帰り道に、“時間だけは誰にも平等ですか”と聞いたのを覚えているか。私はうまく答えられなかった。平等ではない。だが、過ぎた時間にも、あとから意味を与えることはできる。教師らしく言えば、そういうことだ』
先生はそこで、少し笑ったようだった。
『もしこの先、どこかで会えたら、今度はちゃんと謝る。会えなかったら、先にここで謝っておく。すまなかった』
録音はそこで終わった。
私はしばらく、停止ボタンも押せなかった。
勘違いだったのだ、と簡単に言えば簡単である。
しかし、その勘違いで私は二十年以上、先生を憎み、その憎しみを支え木みたいに使ってきた。
先生のせいで。
あの文集のせいで。
そう言っていれば、自分が途中で書くのをやめたことも、途中で何もかも諦める癖がついたことも、どこか他人に預けていられた。
それが、今さら崩れた。
崩れたあとに残ったのは、ずいぶん情けない中年男と、年老いた教師の小さな後悔だけだった。
午前一時を過ぎたころ、病院から電話が入った。
「柏木さんか。三上です」
私はすぐ車を出した。
病院の玄関に立っていた先生は、行きより少し疲れて見えた。
雨粒が傘の縁からぽたぽた落ち、足元のタイルに小さな輪を作っていた。
紙袋を差し出すと、先生は「ああ」と小さく息をついた。
「忘れてましたよ」
「そうか」
車が動き出してしばらくしてから、私は言った。
「聞きました」
先生は何も言わなかった。
「録音」
バックミラーの中で、先生の目が静かに閉じた。
「そうか」
さっきと同じ言葉なのに、今度の「そうか」は少しだけ重かった。
私はハンドルを握ったまま、前を見ていた。
濡れた路地の向こうで、信号がまた滲んでいた。
「俺、ずっと先生のせいだと思ってました」
「うん」
「思ってたっていうか、そう思うことにしてました」
先生は黙って聞いていた。
「そのほうが楽だったんです。自分の恥とか、みじめさとか、全部、先生のせいにできたから」
そこで私は少し笑った。
笑うしかなかった。
「四十二にもなって、情けない話です」
「四十二なら、まだ間に合う」
先生が言った。
昔の授業みたいな口調だった。
私は、たぶんその一言で駄目になった。
目頭が熱くなり、ワイパーの向こうの景色が、自分の涙でさらにぼやけた。
運転手が泣きながら走るのは褒められたものではないが、幸い、雨の夜は少々視界が悪くても言い訳がつく。
「先生」
「なんだ」
「あの作文、俺、捨てたと思ってました」
「うん」
「でも、今日、少しだけ思い出しました」
先生は窓の外を見たまま、言った。
「書け」
それだけだった。
「また、書け。今度は、誰にも預けるな。自分で持っていろ」
私は返事ができなかった。
返事をすると、たぶん声が崩れた。
先生の家は、川沿いの古いアパートだった。
車を止めると、先生は料金を払おうとしたので、私は首を振った。
「今夜は、いいです」
「規則違反じゃないか」
「たまにはいいんです」
先生は少し困ったように笑った。
その笑い方で、私はようやく知った。
ああ、この人をずいぶん長く誤解していたのだ、と。
厳しい人ではあったが、冷たい人ではなかった。
むしろ逆で、あまりに不器用で、謝るのが遅れただけなのだ。
降りる前に、先生は腕時計を外した。
傷だらけの銀の文字盤が、車内灯の下で鈍く光った。
「これをやる、というほど気前よくはない」
そう言って、先生は私の手にそれを乗せた。
「預けるだけだ。次に会うまで」
「でも」
「また会う口実がいるだろう」
私は何も言えなかった。
先生は傘を開き、雨の路地へゆっくり入っていった。
背中は小さかった。
だが、不思議と頼りなくは見えなかった。
昔から、この人はそうだった。
正しく見える人ではなく、間違えながらも立っている人だったのだ。
その背中が角を曲がって消えるまで、私はじっと見ていた。
腕時計は掌の中で、少しずつ温くなっていた。
しばらくして、秒針が、こつ、と一つ進んだ。
許されるというのは、抱きしめられることでも、忘れてもらうことでもないのかもしれない。
ただ、止まっていた時間が、もう一度、静かに動き出すことなのだ。
私は録音機の入った紙袋を助手席に置き直し、深く息を吐いた。
雨はまだ降っていた。
けれど、さっきまで人を閉じ込めるだけだった路地が、今はどこか、帰るための道に見えた。


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