春のインク

桜の花と夕暮れの教室 泣ける話

桜というものは、咲いているときより、散りはじめてからのほうが胸にくる。

 

 それはたぶん、きれいだからではない。

 

 終わるとわかっているものが、まだ光っているのを見ると、人は自分の言いそびれたものまで思い出してしまうからだろう。

 

 私が勤めている小学校は、校門から職員玄関までのあいだに、短い桜並木がある。

 

 春になると、子どもたちはその下を走り、先生たちはその下を急ぎ、花びらだけが誰よりのんびり落ちていく。

 

 朝の会に遅れそうな子がランドセルを揺らし、用務員さんが竹箒で花びらを寄せ、風が吹くと、せっかく掃いた薄桃色がまた道へ戻る。

 

 私はその風景を、毎年見ている。

 

 見ているのに、いまだに少しだけ足が止まる。

 

 立派な教師なら、そんなところで立ち止まらずに、さっさと教室へ向かうのだろうが、私はどうも、そういうところが半端でいけない。

 

 四年生の担任をしている。

 

 三十四になった。

 

 職業を口にすると、たいがい「先生は大変ですね」と言われる。

 

 たしかに大変ではある。

 

 授業をして、叱って、褒めて、プリントを配って、保護者に頭を下げる。

 

 子ども同士の喧嘩の理由が、消しゴムだったり、目が合っただったりする午後もある。

 

 そういう些細さに毎日向き合ううち、人を育てるというのは、大きな理想の話ではなく、細かいほころびをひとつずつ見逃さないことなのだとわかってくる。

 

 だが本当に大変なのは、子どもに何かを教えることより、自分が誰かから受け取ったものを、どこまでちゃんと次へ渡せるかということかもしれない。

 

 私はそのことを、去年の春、ようやく思い知った。

 

 恩師が亡くなったのである。

 

 高校のときの担任だった久世先生だ。

 

 国語教師で、いつも黒い万年筆を胸ポケットに差していた。

 

 私はそのペンが好きだった。

 

 好きだった、というのも変だが、先生そのものより、先生の持ち物のほうが先に記憶へ残ることがある。

 

 あのペンは、光らなかった。

 

 飾り気がなく、ただ古くて、少し擦れていて、それでもいつも同じ場所にあった。

 

 先生も、そういう人だった。

 

 熱血漢ではない。

 

 むしろ感情の出し方が少し下手で、褒めるときほど言葉が短くなった。

 

 叱るときも怒鳴らず、ただ静かにこちらを見る。

 

 その沈黙が、若い私には妙に怖かった。

 

 私は高校時代、ずいぶん面倒な生徒だったと思う。

 

 成績はそこそこ悪くなく、だから余計に厄介だった。

 

 ほんとうに困るほど崩れてはいないくせに、いつも何かに斜めから構えていた。

 

 部活も途中で辞め、進路希望には曖昧なことしか書かず、作文では大人を試すようなことばかり書いた。

 

 教室の後ろの席で、わかったような顔をして、ほんとうは何ひとつ引き受ける気のない言葉ばかり並べていたのである。

 

 先生は、それを正面から叱らなかった。

 

 ただ、提出した文章の端に、ときどき短い言葉を残した。

 

 うまいが、逃げている。

 

 とか、

 

 言葉を飾る前に、ほんとうのことを見ろ。

 

 とか。

 

 私はそれが嫌だった。

 

 図星だったからである。

 

 図星を刺されると、人は相手の言い方の悪さばかり数えはじめる。

 

 私も、先生のことを「まわりくどい」と思っていた。

 

 卒業前、教育実習で来ていた若い先生が、私に言った。

 

「久世先生、君のこと気にかけてるよ」

 

 私は笑って、

 

「そう見えないですけど」

 

 と答えた。

 

 するとその人は少し困って、

 

「見えないように気にかける人なんだよ」

 

 と言った。

 

 その言葉を、私はそのとき信じなかった。

 

 若いころの私は、やさしさはもっとわかりやすい形で差し出されるべきだと思っていたのである。

 

 だから、先生にちゃんと礼を言ったことがない。

 

 進学が決まったときも、卒業式の日も、私は照れくささを冗談でごまかした。

 

「先生の授業、半分くらいしかわかりませんでした」

 

 そう笑って言った覚えがある。

 

 先生は少しだけ眉を上げて、

 

「半分わかれば十分だ」

 

 と返した。

 

 そのときも、私はそれを軽口だと思った。

 

 ほんとうは、あれがあの人なりの餞だったのかもしれないのに。

 

 大学を出て、私は小学校教師になった。

 

 正直に言えば、最初からなりたかったわけではない。

 

 なれるものの中で、いちばん人前でちゃんとして見えそうだったから、という、ずいぶん情けない動機もあったと思う。

 

 だが教壇に立ってみると、子どもの言葉の真っ直ぐさに、こちらの薄っぺらい理屈が毎日削られていく。

 

 誤魔化しがきかないのである。

 

 「先生、それほんとう?」と見上げてくる目は、ときどき試験問題よりよほど難しい。

 

 そういう意味で、教師という仕事は、誰かに教える仕事というより、自分がまっすぐ立たされる仕事なのかもしれない。

 

 それでも忙しかった。

 

 朝は早く、放課後は遅く、ノートを持ち帰って赤を入れ、土曜には研修がある。

 

 恩師に会いに行こうと思いながら、何年も過ぎた。

 

 年賀状は二度ほど出したが、ろくなことは書かなかった。

 

 元気です、とか、なんとか続いています、とか、そういう誰にでも使える言葉だけだった。

 

 ほんとうは書きたいことがあった。

 

 あなたの言葉が、いまになって少しわかる、と。

 

 でも、それを書くのは妙に気恥ずかしかった。

 

 子どもじみているが、昔の先生に対してだけ、人は大人になりきれない部分がある。

 

 ある春の日、同級生から電話が来た。

 

 久世先生が亡くなった、と。

 

 桜がちょうど咲きはじめたころだった。

 

 私は職員室でその知らせを聞いて、しばらく立ち上がれなかった。

 

 子どもが廊下を走り、誰かがコピー機の蓋を乱暴に閉め、隣の席の先生が給食の変更を電話している。

 

 世界はいつも通りに動いているのに、自分の中だけ、何かの音が急に遠くなることがある。

 

 あれは、そういう感じだった。

 

 葬儀の日、先生の遺影の前には白い花が並んでいた。

 

 私は焼香の順番を待ちながら、結局最後まで、まともな礼を言えなかったことばかり考えていた。

 

 もっとも、礼を言うべき相手に、いちばん言いそびれるのが人間というものかもしれない。

 

 葬儀のあと、奥さまから、教え子のものだからと、小さな封筒を渡された。

 

 中には一本のペンと、短い手紙が入っていた。

 

 あの万年筆だった。

 

 黒くて、少し擦れていて、やはり少しも光らない。

 

 手紙は便箋一枚で、先生の字だった。

 

 教師になったと聞いた。

 

 そこから始まっていた。

 

 私はその一行だけで、もう駄目だった。

 

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 会えば渡そうと思っていたが、会わないままになりそうなので、先に預ける。

 

 あの人らしい書き方だった。

 

 感傷に逃げない。

 

 ただ事実だけを置く。

 

 だが、その事実の置き方が、かえって胸にくる。

 

 手紙は続いていた。

 

 君は昔、ほんとうのことを言うのが少し怖かった。

 

 うまく書くことや、笑ってごまかすことのほうが得意だった。

 

 それでも、子どもの前では逃げられないだろう。

 

 だから向いていると思った。

 

 私はそこで、息を止めた。

 

 向いていると思った。

 

 先生は、あの頃からそう見ていたのだ。

 

 私の半端さも、逃げ癖も、みっともない虚勢も知ったうえで、それでも、子どもの前でなら変わるかもしれないと考えてくれていたのだろう。

 

 手紙の最後のほうに、こんな一文があった。

 

 言えなかった本音は、たいてい遅れて効く。

 

 君がもし誰かを教えるなら、子どもの言葉にならない部分まで、少し待ってやってほしい。

 

 そして最後に、

 

 このペンはよく出る。赤ではなく黒で書け。教師は、訂正より先に、残る言葉を書く仕事だ。

 

 とあった。

 

 私は手紙を持ったまま、桜並木の下で泣いた。

 

 春の風が吹いて、花びらが肩に落ちた。

 

 人を泣かせるのは、立派な遺言ではない。

 

 こういう、いかにも本人らしい、少し不器用で、けれどこちらの一番弱いところへ正確に届く言葉のほうが、よほど逃げ場がない。

 

 先生は、私に本音を言えと言ったのではなかった。

 

 本音を言えないままの人間の、言葉にならない部分を待て、と言っていたのだ。

 

 それは、昔の私自身に対して、あの人がしてくれていたことだった。

 

 私はそれを、ずっとわかっていなかった。

 

 新学期が始まって、私はそのペンを胸ポケットに差すようになった。

 

 四年生のクラスに、ひとり、何を書いてもふざけたことしか書かない男の子がいた。

 

 作文の時間になると、わざと変な言い回しをして、友達を笑わせる。

 

 泣いたことも、悔しかったことも、ぜんぶ冗談の形にしてしまう子だった。

 

 前の私なら、もっとまじめに書け、と赤で直していたかもしれない。

 

 だが私は、あのペンで、黒い字でこう書いた。

 

 おもしろく書ける。じゃあ、ほんとうのことも一行だけ書いてみよう。

 

 数日後、その子は、家で飼っていた犬が死んだことを、一行だけ書いた。

 

 たった一行だった。

 

 朝、もう起きなかった。

 

 それだけだった。

 

 だが、その一行は、下手な美文よりずっとまっすぐだった。

 

 私はそのノートを閉じるとき、胸の奥で、先生の手紙が静かに動くのを感じた。

 

 継承、などという言葉は、少し大げさかもしれない。

 

 けれど人から受け取ったものというのは、同じ形のまま次へ渡るわけではないのだろう。

 

 ペンになったり、待つ時間になったり、黒いインクの一行になったりしながら、ようやく別の誰かへ届いていく。

 

 桜はその年も、あっけなく散った。

 

 校門から職員玄関まで、薄桃色の花びらが細く積もった。

 

 私は朝、竹箒でそれを掃き寄せながら、ときどき胸ポケットのペンに触れる。

 

 もう会えない人の手の重さが、そこに少しだけ残っている気がするからだ。

 

 私はまだ、立派な教師ではない。

 

 うまく叱れない日もあるし、子どもの痛みにすぐ気づけないこともある。

 

 保護者への電話の前に深呼吸をする夜もあるし、連絡帳の言葉を何度も書き直す夕方もある。

 

 それでも、昔より少しだけ、待てるようになった。

 

 言えなかった本音が、遅れてこちらへ届くことを知ったからだ。

 

 放課後、子どもたちのいなくなった教室で、私は机の間を歩く。

 

 窓の外では、桜並木の向こうに夕方の光がやわらかく落ちている。

 

 私はペンを手に取って、明日の連絡帳を書きはじめる。

 

 黒いインクが、白い紙へ静かに沈んでいく。

 

 そのたびに思う。

 

 残る言葉を書く仕事。

 

 それはたぶん、教えることより先に、祈ることに近い。

 

 どうかこの一行が、誰かの明日で、少しだけやさしく開きますように、と。

 

 私はそう願いながら、今日もまた、小さな字をまっすぐ並べていく。

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