春の鍵穴

朝日と共に開かれる扉 泣ける話

小学校の朝は、子どもが来る前から、もう少しだけ子どもっぽい。

 

 廊下の窓を開けると、夜のあいだ閉じ込められていた空気が、いっせいに校庭のほうへ逃げていく。

 

 黒板の粉っぽい匂い、ワックスの乾いた艶、手洗い場の蛇口から落ちる最初の冷たい水、体育館の床に残った夜のひんやりした気配。

 

 そこへまだ誰の声も重なっていない時間は、学校そのものが目を覚ます前の顔をしている。

 

 私はその時間が好きだった。

 

 好きだが、胸を張って好きだと言うのも、少し気恥ずかしい。

 

 学校用務員という仕事は、子どものころに憧れる職業ではないし、大人になって誰かに説明するときも、たいてい一拍だけ相手の顔が曖昧になる。

 

 先生ではない。

 

 事務員とも少し違う。

 

 なのに、誰かが鍵を開けて、誰かが校庭の隅の枝を拾い、誰かが壊れた椅子の脚を締め直しておかないと、学校は朝からうまく始まらない。

 

 そういう、始まりのための仕事なのだと思うと、少しだけ救われる。

 

 私は三十七で、この町の小学校で用務員をしている。

 

 校門を開け、教室の鍵を回し、花壇に水をやり、体育倉庫の錠前を確かめる。

 

 壊れた箒を束ね、跳び箱の角を拭き、雨の日には昇降口に雑巾を余分に出す。

 

 冬ならストーブの周りを点検し、夏なら網戸の破れを見つけて張り直す。

 

 名前にすると地味だが、地味な仕事というものは、たいてい、人の一日が転ばないためにある。

 

 私はそのことを、ここで働きはじめてから知った。

 

 それまでは、もっと別の場所で、もっと別の人間になれる気がしていた。

 

 なるほど、人は若いころ、自分に合わない夢ほど高く持ちたがるらしい。

 

 私を育てたのは祖母だった。

 

 母は私が小さいころに病気で亡くなり、父は働きづめで家にいなかった。

 

 だから私にとって「帰る家」というのは、祖母のいる台所の匂いと、庭先の洗濯物と、夕方の西日で黄ばんだ畳のことだった。

 

 祖母は小さな人で、背中が少し丸く、いつもエプロンの紐をきっちり結んでいた。

 

 やさしい人だったと思う。

 

 ただ、そのやさしさは、いかにもやさしい顔でこちらへ向かってくる種類のものではなかった。

 

 黙って湯呑みを置くとか、雨が降りそうだと洗濯物だけ先に取り込んでおくとか、私が何も言わなくても上着のボタンを付け直しているとか、そういう、気づくころにはもう終わっている親切だった。

 

 煮魚の骨を先に外して皿の端へ寄せておくことも、熱がある日に枕元へ濡れた手ぬぐいを置くことも、祖母にとってはたぶん、特別な愛情表現ではなかったのだろう。

 

 生きている人間に向ける、当たり前の手つきだったのだと思う。

 

 私は長いこと、それを当たり前だと思っていた。

 

 人は、自分を長く支えてきたものほど、景色みたいに見てしまう。

 

 ありがたさに気づくのは、たいてい景色がなくなってからだ。

 

 祖母は、私が小学校のころ、鍵をいじるのが好きな子どもだったとよく笑っていた。

 

 家の古い箪笥の鍵、物置の南京錠、玄関の補助錠。

 

 私はそういうものを見つけると、どう開くのか確かめたがった。

 

 針金やクリップを持ち出して、鍵穴を覗きこみ、祖母に見つかって怒られることも何度かあった。

 

 祖母は呆れながらも、

 

「鍵は開けるためにあるけど、勝手に開けちゃいけないものもあるんだよ」

 

 と言った。

 

 その言い方が、私は少し嫌だった。

 

 子どもというものは、禁止されると、それだけで自分の好奇心が軽んじられた気になる。

 

 私はむくれて、

 

「じゃあ、なんで鍵なんかあるんだよ」

 

 と言ったことがある。

 

 祖母はその時、少し笑って、

 

「大事だからだよ」

 

 とだけ言った。

 

 私はその意味を、ろくに考えなかった。

 

 いや、考えようとしなかったのかもしれない。

 

 祖母が私に何か言う時、そこにいつも少しだけ含みがある気がして、それが子どもの私は鬱陶しかった。

 

 もっとわかりやすく言ってくれればいいのに、とずっと思っていた。

 

 中学生になるころには、私は祖母のそういう言い回しを、年寄り特有のまわりくどさくらいにしか受け取らなくなっていた。

 

 ある日、私は家の押し入れの天袋にある古い木箱を見つけた。

 

 鍵がかかっていた。

 

 古びた茶色の木箱で、角が丸く擦れていて、長く誰にも触られていないような顔をしていた。

 

 私は、あれは何かと訊いた。

 

 祖母は台所から、

 

「開けなくていいものだよ」

 

 と言った。

 

 その言い方が、いかにも私の神経を逆撫でする調子だった。

 

 私はまたむきになって、

 

「どうせ大したものじゃないんだろ」

 

 と言った。

 

 祖母は少し黙ってから、

 

「大したものじゃないなら、なおさら開けなくていい」

 

 と返した。

 

 私はその答えに腹が立って、その日からしばらく祖母と口を利かなかった。

 

 いま思えば、実に安っぽい反抗である。

 

 だが、若いころの意地というのは、たいてい中身が空なくせに、妙に頑丈だ。

 

 私は高校を出て、一度町を離れた。

 

 仕事が長続きせず、結局戻ってきて、いまの用務員の仕事に就いた。

 

 祖母はその頃にはだいぶ弱っていて、歩くのも遅くなり、庭の草取りも途中で座り込むようになっていた。

 

 それでも口は達者で、私が仕事へ出る時には、

 

「鍵、ちゃんと閉めたかい」

 

 と毎朝のように言った。

 

 私はそれに、

 

「子どもじゃないんだから」

 

 と返していた。

 

 ひどいものである。

 

 心配の言葉を、長く聞きすぎると、人はそれを雑音みたいに扱う。

 

 けれど祖母は、雑音みたいに扱われても、やめなかった。

 

 たぶん、心配というものは、相手が迷惑そうな顔をしても、なかなか手放せないのだろう。

 

 祖母が亡くなったのは、春のはじめだった。

 

 大きく苦しまず、静かに逝った。

 

 けれど静かに死なれたからといって、残された者の中まで静かになるわけではない。

 

 私は葬儀のあと、家の片づけを手伝いながら、妙にいらいらしていた。

 

 疲れていたのもあるし、何より、もう謝る相手がいないことに、うまく腹を立てられなかったからかもしれない。

 

 その時、押し入れの天袋から、あの木箱が出てきた。

 

 古いままだった。

 

 錆びた小さな鍵も、箱の布紐に結んであった。

 

 私はしばらくそれを見ていた。

 

 祖母が生きているあいだ、結局あの箱は開けなかった。

 

 あのときの意地を、私は二十年以上、そのまま抱えていたことになる。

 

 ばかばかしい話だ。

 

 人はもっと大きなことで人生をこじらせるのかと思っていたが、案外、こんな小さな鍵穴ひとつで長くつまずく。

 

 私は鍵を回した。

 

 かちり、という乾いた音がした。

 

 拍子抜けするほど、あっさり開いた。

 

 箱の中には、写真や古い封筒や、私の通知表の切れ端みたいなものが入っていた。

 

 運動会で転んで泣いている私の写真、小学校でもらった金色の折り紙のメダル、乳歯を入れていた小さな袋、そんな取るに足らないものばかりだった。

 

 だが取るに足らないものほど、誰かがわざわざ残していたと知ると、急に胸に触れてくる。

 

 そのいちばん下に、小学校の卒業文集があった。

 

 私の名前の書かれた、色あせた一冊だった。

 

 そんなもの、とっくに捨てられたと思っていた。

 

 私は座敷に座り込み、文集を開いた。

 

 子どもの字で、将来の夢や好きなものや、恥ずかしくなるほど真っ直ぐなことが書いてある。

 

 「大人になったら世界を旅したい」とか、「困っている人を助けたい」とか、いまの私が読むと気恥ずかしいことばかりだった。

 

 けれど、その気恥ずかしさの奥に、たしかに昔の私がいた。

 

 ページをめくると、私の作文のところに、付箋のように小さな紙が挟まっていた。

 

 祖母の字だった。

 

 やわらかくて、少し右上がりの字。

 

 そこには短く、こう書いてあった。

 

 この子は、鍵を開けるのが好きだから、たぶん人の閉じた心にも気づく子になる。

 

 私はその一行で、息が止まった。

 

 さらに下には、

 

 だから、鍵を持つ仕事をしたらいい。

 

 閉めるためじゃなく、朝いちばんに開けるための鍵。

 

 とあった。

 

 私は文集を膝にのせたまま、動けなくなった。

 

 祖母はあの頃から、そんなふうに思っていたのだ。

 

 私の鍵好きも、ただの悪戯だとは見ていなかった。

 

 しかも、いまの私の仕事そのものではないか。

 

 校門を開け、教室を開け、体育館の倉庫を開ける。

 

 朝いちばんに、子どもたちの一日が入ってこられるように、鍵を回す仕事。

 

 私はそれを、ただ戻ってきた先の現実くらいに思っていた。

 

 けれど祖母は、ずっと前から、その先を見ていたのかもしれない。

 

 紙はまだ続いていた。

 

 昔、箱を開けたがって怒ったことがあった。

 

 あの時は言い方が悪かった。

 

 大事なものは、隠したいのではなく、なくしたくなかっただけ。

 

 そして最後に、

 

 この文集は、いつか本人が大人になったら見せる。

 

 忘れていなければ。

 

 私はそこで、声を出して泣いた。

 

 卒業文集で泣くような年齢では、もうない。

 

 だが人を泣かせるのは、立派な遺書や遺産ばかりではない。

 

 こういう、長くしまわれていた子どもの字と、その余白に書かれた年寄りの小さな本音のほうが、よほど逃げ場がない。

 

 私はずっと、祖母に拒まれたのだと思っていた。

 

 鍵を触る私を、信用されていないのだと思っていた。

 

 けれど違った。

 

 祖母は、私が開けることばかりに気を取られて、大事に持つことをまだ知らないと思っていただけなのだ。

 

 そして、その先に、開けるための仕事をする私まで、うっすら見ていた。

 

 それは予言でも何でもない。

 

 ただ、祖母が私を、私より少しましに見ていてくれたということだ。

 

 そのことが、たまらなく救いだった。

 

 翌朝、私は文集を鞄に入れて学校へ行った。

 

 いつものように校門の鍵を開けた。

 

 金属の感触が、いつもより少しだけ重かった。

 

 だが嫌な重さではなかった。

 

 大事なものをなくさないための重さ、というものが、たしかにあるのだと思った。

 

 昇降口を開け、教室を回り、最後に体育館の横の古い倉庫の鍵を回す。

 

 錆びた蝶番がぎいと鳴り、まだ薄暗い倉庫の中に、外の朝が少しだけ入りこんだ。

 

 すると、まだ誰もいない校庭の向こうで、朝日がゆっくり山の端から落ちてきた。

 

 私はしばらくその光を見ていた。

 

 祖母はもういない。

 

 もう会えないし、ちゃんと謝ることもできない。

 

 けれど、あの小さな紙切れのおかげで、私は自分の仕事を、昨日より少しだけまっすぐ受け取れる気がした。

 

 救いというのは、失ったものが戻ることではないのだろう。

 

 勘違いの向こうにあった本当の気持ちへ、遅れてでも触れられることなのだ。

 

 始業前、私は用務員室の机の引き出しに、文集をそっとしまった。

 

 子どもたちの声が、もう廊下の向こうから近づいてくる。

 

 走るなと言っても走る足音、忘れ物を取りに戻る声、昇降口で傘を振り回す気配、まだ眠そうなあくび。

 

 学校の一日が、これから始まる。

 

 私は名簿の横に置いた鍵束を手に取り、小さく息をついた。

 

 開けるための鍵。

 

 祖母のその言葉は、たぶんこれからも、私の中で静かに鳴り続けるだろう。

 

 そして私は、今日もまた、朝いちばんに鍵を回す。

 

 誰かの一日が、無事に始まるようにと、もう会えない人のぶんまで、心の中で少しだけ祈りながら。

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