泣ける話

祖母の留守電を聞いて、私は泣いた

夜勤明けの廊下というものは、いつも少しだけ、この世から外れている気がする。蛍光灯は白すぎるし、床は磨かれすぎていて、足音だけがやけに現実的だ。朝の六時前、ナース ステーションの時計の秒針だけが、せっせと人を急がせている。私は記録を打つ指を止めて、こめかみを押した。
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『3年越しの返信、図書館で再会した幼なじみ』

返却口の底で、いちばん軽い文庫が鳴った。乾いた紙が擦れる音。『銀河鉄道の夜』——その本だけ、濡れていないのに妙に冷たい。開いた瞬間、しおりの代わりに“写真”が落ちた。裏に鉛筆で一行。「返事、遅くなってごめん。ここで待ってる。」差出人の名前を...
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返事の遅い手紙

玄関の靴箱の上に、見知らぬ封筒が置かれていた。白い封筒。差出人の欄だけ、空白。宛名には、僕の名前が、僕の知らない字で書かれている。読めるのに、読めない。そんな字だった。僕は郵便局で働いている。一日じゅう、誰かの“用事”を運んで、帰り道に自分...
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砂糖のないマグカップ

その朝、僕のマグカップだけ、棚のいちばん上に戻されていた。わざわざ、届かない場所へ。マグカップの底に、乾いた砂糖の粒が二つ、貼りついている。砂糖なんて、ここ半年、家に置いていない。だから僕は、ああ、来たな、と思った。悪い知らせは、いつも甘っ...
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図書館で見つけたしおりが、10年ぶりの再会をくれた

雨の日の図書館は、少しだけ、海の底に似ている。音が、みんな丸くなる。返却カウンターに本が置かれる音も、子どもの靴音も、遠くで誰かがページをめくるかすかな気配も、水を一枚くぐって届くみたいに、角が取れてしまう。私はその感じが好きだった。好き、...
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恋人の手帳に「最終」とあった

紗季の部屋の鍵が、今夜に限ってやけに重かった。 既読のつかない画面を握り潰しそうになりながら、僕は合鍵を回す。カチ、という音が廊下に響いた。 玄関には僕のスリッパが揃い、テーブルには伏せられたスマホ。充電コードだけが揺れている。 呼んでも返...
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妻が運ばれた朝、僕は「わかった」と言った

団地の廊下に、救急車のサイレンが反射していた。 今朝、妻は「行ってくる」とだけ言って出ていった。どこへ、も、何を、も、主語がない。 私はいつもの癖で「わかった」と返し、新聞を開いた。 ——1時間後、隣の奥さんが息を切らしてドアを叩いた。「奥さん、運ばれたよ。聞いてないの?」 耳の奥が真っ白になる。
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祖母の部屋だけコーヒーの匂いがした

団地の階段を上がる途中、鼻先に焦げた匂いが刺さった。 祖母の部屋の前だけ、やけに静かで、郵便受けには新聞が刺さったまま。「また我慢してる」――そう決めつけてインターホンを押す。 返事がない。二度、三度。
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駅の倉庫で見つかった祖父の靴が、私を泣かせた話

祖父の靴が、終電のあとに見つかった。駅の倉庫の、いちばん奥。濡れた段ボールの中で、片方だけ、泥を乾かした顔をしていた。「野口くん、これ……君んちのじゃないか」そう言われた瞬間、革の匂いで、喪服の夜が戻ってきた。棺に入れるはずだった靴だ。入れ...
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亡くなった父の古い携帯を開いたら、最後の録音が入っていた

父の訃報を受けたのは、配達の途中だった。 海沿いの古い町で、私は軽バンを路肩に寄せ、ハザードをつけたまま、しばらくハンドルを握っていた。 スマホの画面には、妹の短い文面が光っていた。 ――お父さん、朝、だめだった。来られる?