泣ける話

問診票の裏

父とは、ずいぶん長いこと、まともに話していなかった。  絶縁、というほど派手なものではない。もっと鈍くて、もっと情けない。電話をしても出ない日が増え、こちらも何度もかける気をなくし、正月の挨拶は年々短くなり、会えば天気の話しかしない。
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レシートの裏に、母がいた

母とは、長いこと、うまく話せなかった。  仲が悪い、というのとは少し違う。  怒鳴り合ったり、皿を割ったりするような派手な不仲ではない。  ただ、言葉を交わすたびに、見えない針が一本ずつ胸に残る。  そういう、静かでみじめな遠さだった。
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父の本音が「レシートの裏」に書かれていた日

商店街の朝は、油の匂いとシャッターの音で始まる。僕は弁当屋の店員で、まだ誰にも名を覚えられていない程度の男だ。店の看板は「まるや弁当」。赤い提灯が風に鳴る。その小さな鈴みたいな音が、父の咳に少し似ている。父はこの店の店主だった。
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鍵を閉めた日のこと

校舎というものは、子どもがいなくなると、急に年を取る。昼のあいだ、あれほど騒がしく笑っていたくせに、放課後の廊下は、嘘みたいに静かになる。窓ガラスに西日が差し、床のワックスだけが、薄く金色に光っている。私は、その時間が嫌いではなかった。いや、好きだったと言うと、少し気取って聞こえるかもしれない。
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姉がいない朝に、あのマグカップだけが残った

姉がいなくなってから、商店街の朝は妙に広くなった。 いなくなった、という言い方は少し大げさかもしれない。 死んだわけでもなければ、夜逃げしたわけでもない。 ただ、毎朝そこにいた人が、ある日から店に立たなくなった。
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祖母が見ていたのは、私の仕事だった

祖母が入院したとき、私はその病院で清掃員として働きはじめて、まだ三か月しか経っていなかった。 三か月というのは、仕事に慣れたふりだけがうまくなって、中身はまだ空っぽ、という、いちばんみじめな時期である。 モップの持ち方も、汚れの見つけ方も、先輩の真似をしてそれらしくやっていた。 けれど、床の曇りは拭き取れても、自分の胸の中にある濁りまでは、どうにもならなかった。
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止まっていた時間

先生を最後に乗せたのは、梅雨のいちばん深い夜だった。いや、最後に乗せたと思っていた、というほうが正しい。正しい、などと書くと、何か私が冷静で、物事をちゃんと見ていた男みたいだが、実際の私はその逆である。四十二にもなって、未だに思い込みで腹を立て、言わなくていいことを言い、あとで一人になってから、その言葉の角で自分の胸を傷つける。そういう、湿った紙みたいな人間だ。
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母の伝言メモと、返せなかった「ごめん」

母が島へ来ると言い出したとき、私は反対しようとして、やめた。反対できるほど、親孝行な息子ではなかったからである。いや、正確に言えば、反対する資格がない気がしたのだ。三年前、本土での仕事を辞め、逃げるようにこの離島へ渡った。季節だけ働いて、金が少したまったらまたどこかへ行くつもりだった。
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鍵の音が変わった日

離島の朝は、潮の匂いより先に鍵の音がする。民宿の廊下を歩くたび、僕の腰のキーホルダーが小さく鳴って、まだ眠っている客室のドアがそれに応えるみたいに黙る。鍵は、島の暮らしそのものだ。風が強い日ほど、よく締めておかないと、扉は勝手に開いてしまう。
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元恋人の遺留品に入っていた「宛名のない手紙」

港町の坂は、雨が降る前から潮の匂いがする。濡れてもいないのに、靴底がやけに重い日がある。郵便配達員の僕は、そういう日を「手紙の日」と呼んでいる。理由はない。ただ、胸の奥が先に知っているのだ。