【泣ける短編】言い方のきつい父と和解した夜|カセットテープに残っていた声

冬の夜の村の風景

父は、言い方の悪い人だった。

 悪い、というのは少し正確ではないかもしれない。

 たぶん、思ったより先に口が動いてしまう人だったのだ。

 心配すると、怒ったようになる。

 照れると、突き放したみたいな声になる。

 褒めようとしても、なぜか最後に余計な一言が混ざる。

 だから私は、子どものころから父の言葉を、そのまま受け取るのが苦手だった。

 表に出たものはたいてい痛くて、ほんとうの意味は、たぶんその裏側にあったのだろうが、子どもにそんなことはわからない。

 わからないまま、人は傷つく。

 私は雪国の小さな町で、ピアノを教えている。

 駅前から少し離れた住宅街のはずれに教室があって、冬になると、玄関先の石段が毎朝うっすら白くなる。

 子どもたちは、長靴の裏に雪をくっつけてやってきて、手袋を脱ぐのに少し時間がかかる。

 ストーブの前で指先をあたためてから、ようやく鍵盤に触れる。

 その最初の一音は、どの子も少しだけ硬い。

 でも、硬い音が少しずつほどけていくのを聞いていると、私はこの仕事を選んでよかったと思う。

 音は、言葉よりましだ。

 少なくとも、「そんなつもりじゃなかった」が、あとから発生しにくい。

 強く弾けば強く鳴るし、迷えば迷ったように響く。

 そこが好きだった。

 そこへ逃げてきた、と言ったほうが本当かもしれない。

 父は町工場で働いていた。

 油の匂いを着たまま帰ってきて、玄関で大きな靴を脱ぎ、居間にどっかり座る人だった。

 背の高い人で、家のなかではいつも少し大きすぎる感じがした。

 怒鳴る人ではなかったが、声に重みがあった。

 そのせいで、たいしたことでなくても叱られている気がした。

 私がピアノを始めたのは、母の希望だった。

 近所の子が習っていたから、という、よくある理由である。

 でも私はすぐに好きになった。

 鍵盤は、押せば必ず音が鳴る。

 うれしいときも、腹が立つときも、悲しいときも、とにかく何かが鳴る。

 家のなかで言えないことを、音だけが知っている気がした。

 父は、私の練習をよく聞いていた。

 聞いていたくせに、褒めるのは下手だった。

 発表会の日、私が小学校四年で「エリーゼのために」を弾いたあとも、帰り道で最初に言ったのは、

「最後、走りすぎや」

 だった。

 私はその場で顔が熱くなった。

 母が「よかったよ」と言ってくれていたぶん、なおさらだった。

 家に帰って泣きながら、「お父さんは何でもそうや」と母に言った。

 父はその晩、黙ってビールを飲んでいた。

 翌朝、何事もなかったように出勤した。

 私はその背中を見て、ああこの人とは一生わかり合えないのかもしれないと思った。

 大げさだが、十歳の私は本気だった。

 それからも父は、たびたび私を傷つけた。

 コンクールで賞をもらったときも、「もっと上おるやろ」と言った。

 音大へ行きたいと話したときも、「食えるんか」と先に言った。

 もちろんそれは現実的な問いで、父なりの心配だったのだろう。

 でも私は、そのたび「どうせ応援していないのだ」と受け取った。

 言葉の表面だけを拾って、自分の傷に仕立てるのは簡単だ。

 しかも若いころは、そのほうが少し気持ちいい。

 自分だけが被害者でいられるからだ。

 結局、私は地元の短大で音楽を学び、遠くへは行かなかった。

 行けなかった、というのが本当かもしれない。

 母の体調があまりよくなかったこともあるし、お金のこともあった。

 父は何も言わなかった。

 何も言わないのが、私はまた腹立たしかった。

 反対するならするで、きちんと悪者になってくれればよかったのだ。

 黙っていられると、自分で諦めたことの責任まで、ぜんぶ自分に返ってくる。

 それから何年も、私は父と、必要なことしか話さなかった。

 母が亡くなってからは、なおさらだった。

 雪の多い冬の夜、夕飯のあとに交わす会話は、

「明日、降るかな」

「灯油あるか」

「戸締まり見たか」

 その程度で十分だった。

 十分、というより、それ以上になるとどこかが痛んだ。

 父も年を取った。

 咳をする回数が増え、階段の上り下りに少し時間がかかるようになった。

 でも本人は「年や」としか言わなかった。

 その「年や」が、私は昔から嫌いだった。

 便利な言葉だ。

 ほんとうのことを隠すのに、ちょうどいい。

 父が倒れたのは、一昨年の十二月だった。

 雪が三日続けて降ったあと、朝の台所で急にしゃがみこんだ。

 病院へ連れて行くと、肺の病気だと言われた。

 もっと前から治療が必要な状態だったらしい。

 私はその説明を聞きながら、怒りとも悲しみともつかないものを抱えていた。

 やっぱり隠していたのだ、この人は、と思った。

 そういう大事なことまで、また黙っていたのだと。

 入院してからの父は、少しだけおとなしくなった。

 咳をするたびに胸を押さえ、窓の外の雪を長く見ていた。

 私は見舞いに通ったが、気の利いたことは何も言えなかった。

 ピアノの生徒の話や、教室のストーブが壊れかけている話や、そんなことばかりした。

 父も、「そうか」と言うだけだった。

 ある日、病室の引き出しを開けたら、古いカセットテープが一本入っていた。

 透明なケースに入っていて、ラベルには母の字で「真冬へ」と書いてあった。

 真冬は私の名前だ。

「これ、なに」

 私が聞くと、父は少し目を伏せた。

「昔のや」

「なにが入っとるん」

「わからん」

 そんなはずはないと思ったが、父はそれ以上言わなかった。

 私は腹が立って、その日は早めに病室を出た。

 帰り道、雪は細かく降っていた。

 街灯の下だけ明るくて、その外はすぐ闇だった。

 私は、どうしてこの人は最後までこうなのだろうと思った。

 言えばいいのに。

 知っているなら知っていると。

 大事なものなら、ちゃんと手渡せばいいのに。

 でも思えば私はずっと、父に「わかりやすい愛情」ばかり要求してきたのかもしれない。

 わかりにくいものを受け取る努力をしないで、その不器用さばかり責めていた。

 父が亡くなったのは、その一週間後だった。

 夜明け前、病院から電話が来た。

 窓の外はまだ暗く、積もった雪が青く見えた。

 駆けつけたときには、父はもう静かだった。

 静かすぎて、ようやくこの人のほんとうの重さがなくなったのだと思った。

 葬儀が終わってしばらくしてから、私はあのカセットテープのことを思い出した。

 実家の押し入れを探すと、古いラジカセが出てきた。

 埃を拭いて、電池を入れて、テープを差し込む。

 再生ボタンは少し固かった。

 最初に入っていたのは、ザーッという空白の音だった。

 それから、台所らしい物音と、母の笑い声が小さく入った。

 ずいぶん昔の録音らしかった。

 次に、子どもの私のピアノの音が流れた。

 たどたどしい「きらきら星」だった。

 私は思わず息を止めた。

 音の向こうで、母が「じょうず、じょうず」と笑っている。

 それから父の声がした。

 若くて、いまより少し高い声だった。

「ほら、もう一回やってみ」

 私はそこで泣きそうになった。

 父がこんなやわらかい声を出すのを、私は知らなかった。

 録音は少し飛んで、今度は発表会の日らしいざわめきに変わった。

 小さな私が弾き終わる。

 拍手。

 それから、たぶん客席を出たあとの、少し遠い音。

 母の声がする。

「よかったよ、真冬」

 そして父の声。

「最後、走りすぎや」

 私は苦く笑った。

 やっぱりそれを言うのか、と。

 けれど、そのすぐあとに、衣擦れの音と、ひどく小さな声が入っていた。

 たぶん録音が切られていなかったのだ。

「でも、よう弾いた」

 父がそう言った。

 そのあと少し間があって、

「泣かんかったやろ。えらい」

 と続いた。

 私はその場で、声を上げて泣いた。

 父は言っていたのだ。

 私が聞けなかっただけで。

 聞けなかった、というより、最初の一言で傷ついたあと、もうその先を受け取る気をなくしていたのだろう。

 人は、聞きたくないと思った瞬間から、耳を半分閉じる。

 閉じた耳には、あとからどんなやさしい言葉が落ちても、きれいには残らない。

 録音はまだ続いた。

 音大のことを母と話している夜の声も入っていた。

 母が、「あの子、ほんとは行きたいがやよ」と言う。

 父はしばらく黙ってから、

「知っとる」

 と答える。

「でも、行けと言うたら、行けんかったとき、あいつは自分を責めるやろ」

 また少し間があって、

「せめて、自分で決めたと思わせてやらんと」

 と、父は言った。

 私はその言葉に、すぐには納得できなかった。

 そんなの勝手だ、とも思った。

 でも同時に、それが父なりの不器用な親心だったことも、わかってしまった。

 親というのは、ときどき余計な配慮で子どもを傷つける。

 しかもたいてい善意だから、あとから責めにくい。

 ずるい生きものだと思う。

 けれど、そのずるさまで含めて人間なのだとしたら、私はようやく父を人間として見られるところまで来たのかもしれない。

 テープの最後のほう、だいぶ最近らしい声が入っていた。

 たぶん母が亡くなったあとの、父ひとりの部屋だ。

 物音がして、それから、父の独り言みたいな声がした。

「真冬の音は、雪みたいやな」

 私は涙のなかで、思わず顔を上げた。

「静かやけど、ちゃんと積もる」

 テープはそこで切れた。

 しばらくラジカセの回転音だけが鳴っていた。

 私は動けなかった。

 父の言い方を、私は長いこと恨んでいた。

 きついと思っていた。

 でもほんとうは、父は言葉の順番が悪かっただけなのかもしれない。

 いちばん大事なことを最後に言う人だった。

 相手がもう傷ついて、聞くのをやめたあとで、ようやくほんとうのことが出る。

 そんな順番では遅すぎる。

 遅すぎるけれど、それでも、なかったことにはならない。

 私はテープを止めて、もう一度巻き戻した。

 父の声を、今度は最初から最後まで聞いた。

 表だけでなく、その裏側まで受け取るみたいに。

 雪は夕方まで降っていた。

 窓の外の庭木に、白いものが静かに積もっていく。

 私はラジカセの横に座ったまま、ふと思った。

 和解というのは、向かい合ってきちんと話し合うことではないのかもしれない。

 もういない人の声を、遅れて、でもちゃんと聞きなおすこと。

 傷ついた場面の続きを、もう一度受け取り直すこと。

 それでも少し遅いし、少し悔しい。

 けれど、その悔しさごと抱えて、ようやくやさしくなれるなら、それも和解なのだろう。

 次のレッスンの日、私は小学三年の女の子の演奏を聞いていた。

 途中で少しテンポが走り、最後の和音が硬くなった。

 その子は弾き終えると、こちらを見て不安そうにした。

 昔の私みたいだ、と思った。

 私は笑って言った。

「最後、ちょっと急いだね」

 その子の顔が一瞬だけ曇る。

 私は続けた。

「でも、さいごまで止まらんかった。そこ、すごくよかった」

 その子は、ぱっと息をついた。

 それを見て、私は自分の胸のなかでも、何かが少しだけほどけるのを感じた。

 父から受け取れなかったものを、いまさら別の誰かへ渡している。

 そう思うと、少し可笑しくて、少し救われた。

 夜、教室の窓から外を見ると、雪はもうやんでいた。

 町は静かで、屋根も道も、淡く白かった。

 私は古いカセットテープを教室の引き出しにしまった。

 楽譜や月謝袋と一緒に、そっと奥へ入れる。

 ときどき、聞き返すつもりだった。

 父の言いそこねたやさしさを、今度はちゃんと最後まで聞くために。

 そして明日もまた、子どもたちに伝えるのだろう。

 一音ずつ、急がなくていいことを。

 ほんとうに大事なことは、最初からうまく言えなくても、それでも届きなおすことがあるのだと。

 私は教室の灯りを消して、玄関でマフラーを巻いた。

 外へ出ると、雪明かりで道が少し青く見えた。

 その色のなかを歩きながら、私はようやく父に言えなかった言葉を、心のなかで小さく返した。

 ――ありがとう。

 声にはしなかった。

 でも、雪の夜は、そういう小さな言葉を黙って受け取るのが上手い。

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