商店街の朝は早い。
早いくせに、どこか寝ぼけている。
魚屋のシャッターが半分だけ上がり、八百屋の親父がまだ青い声で咳をし、うちの弁当屋の前には、昨日の風に飛ばされてきた枯葉が二、三枚、妙な遠慮をして残っている。
私は毎朝、それを箒で集める。
集めながら、この町はずいぶん小さくなった、と思う。
子どもの頃は、もっと大きかった。
大きいというより、出られないものだったのかもしれない。
高校を出たらここを離れるのだと、私はずっと思っていた。
東京に行って、知らない街で、知らない顔になって生きるのだと。
この商店街の、みんながみんなのことを知っている空気から抜け出して、誰にも「弁当屋の娘」と呼ばれない場所へ行くのだと。
けれど結局、私はこの商店街で弁当を詰めている。
母が腰を悪くして、店に人手が要るようになった。
それだけの話である。
夢が破れたとか、大きな悲劇があったとか、そういう立派な事情ではない。
ただ、家にちょうど人手が要ったとき、ちょうど私がいちばん動ける年齢だった。
人生というのは、志より事情のほうが強い。
それを認めるまでに、私はずいぶん時間がかかった。
「おはよう、結衣ちゃん」
暖簾を出していると、聞き覚えのある声がした。
振り向くと、向かいの薬局の角を曲がって、杖をついた老人がこちらへ歩いてくるところだった。
白髪が増え、背は少し縮んだように見えたが、その声だけは昔のままだった。
「……先生」
森山先生だった。
高校時代の担任で、国語教師だった。
生徒からは、怖いとか、うるさいとか、でもなぜか忘れられないとか、そんなふうに言われていた人だ。
私は、苦手だった。
たぶん、嫌っていたと言っていい。
あの人は言葉がまっすぐすぎた。
若い頃の私は、まっすぐな言葉に向かって素直に立っていられるほど、強くなかった。
「久しぶりだな」
「はい」
「ここで働いてるって聞いてはいたが」
先生は店先を見上げ、それから私を見た。
「似合うじゃないか」
私は曖昧に笑った。
似合う、という言い方が少し嫌だった。
まるで最初からここに収まるような人間だった、と言われた気がしたからだ。
先生はそれから、週に二、三度、昼前に弁当を買いに来るようになった。
いつも同じ、鮭弁当だった。
代金を払い、「助かるよ」とだけ言って帰る。
それだけだ。
それだけなのに、私は妙に落ち着かなかった。
先生は昔からそうだった。
余計なことは言わない。
言わないくせに、こちらが隠しているつもりのものだけは、妙に見えているような顔をする。
高校三年の秋、進路面談で私は「東京の大学に行きたいです」と言った。
本当は行きたい、というより、行かなければならないと思っていた。
ここに残ることは負けることだと、その頃の私は本気で思っていたからだ。
先生は調査書を見ながら、しばらく黙っていた。
それから言った。
「逃げるのは悪くない。でも、どこへ行っても自分からは逃げられないぞ」
私は、その言葉が大嫌いだった。
何も知らないくせに、と思った。
父が商売で失敗して、家の空気がぴりぴりしていたことも。
母が夜なべで仕込みを増やしていたことも。
進学なんて口にするだけで、家計のどこかが軋むことも。
何ひとつ知らないくせに、先生は、私の「行きたい」を、浅い逃避みたいに言ったのだ。
家に帰って泣いた。
泣きながら、奨学金の案内を机に伏せた。
その年の冬、私は進学を諦めた。
父の借金が表に出て、母は何も言わずに働きに出て、私は受験の話を二度としなかった。
先生は何も知らなかったくせに、あんなことを言った。
私は長いこと、そう思っていた。
だから卒業以来、会いたくなかったのである。
なのに人間は、会いたくない相手ほど、狭い町ではよく会う。
冬のはじめ、店がいちばん忙しい時間だった。
唐揚げが上がり、コロッケの注文が重なり、電話が鳴り、私はレジと盛り付けを行ったり来たりしていた。
そこへ先生が来た。
少し顔色が悪かった。
「鮭弁当、一つ」
「はい」
私は惣菜を詰めながら、ふと見た。
先生の手提げ袋の中に、古いアルミの弁当箱が入っていた。
四角くて、角が丸く擦り減っていて、蓋に細かな傷がたくさんついている。
学校給食の頃みたいな、もう今ではあまり見ない弁当箱だった。
「それ、先生のお弁当箱ですか」
「ああ、これか」
先生は少し笑って、袋を引き寄せた。
「昔から使ってる」
「へえ」
「丈夫だからな」
それきりだった。
だが次に来たときも、その次に来たときも、先生はその弁当箱を持っていた。
ある日、私は見てしまった。
店を出たあと、向かいの薬局の脇で立ち止まり、先生がうちの弁当の中身だけを、そのアルミの箱に移し替えているところを。
その瞬間、胸の奥に、古い棘がまた立った。
うちの弁当が恥ずかしいのか、と思ったのである。
店の名前が入った容器のまま持ち歩くのが、どこか気に入らないのかと。
いや、ほんとうはそうではなく、私は先生が何をしても悪く受け取る準備ができていたのだろう。
昔からそうだった。
まっすぐ言われて傷ついた記憶があると、人はその人の沈黙まで敵意に見えてくる。
その夜、私は母にその話をした。
母は煮物の味を見ながら、「昔の人はそういうの好きながやない」と言った。
「でも、わざわざ移し替えんでもいいやん」
「そうやねえ」
「なんか、感じ悪くない?」
母はそこでようやく私を見た。
「結衣、あんた、先生のことまだ怒っとるん」
私は返事をしなかった。
母は少し笑った。
「若いころに傷つけられた言葉って、長持ちするもんねえ」
そう言われると、私はますます腹が立った。
傷つけられた、という自分の気持ちを、子どもの古傷みたいに言われた気がしたからだ。
でも実際、その通りだったのかもしれない。
私は先生のことを、大人になってからもずっと、高校三年の教室に置きっぱなしにしていた。
年が明けて、雪の降る日だった。
商店街は客足が鈍く、昼を過ぎると道の色までぼんやり白く曇った。
先生が来ないな、と思っていたら、夕方近くに商店街の会長がふらりと顔を出した。
「森山先生、倒れられたらしいよ」
私は思わず聞き返した。
「え?」
「自宅でな。救急車で運ばれたって」
その瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた気がした。
別に親しいわけではない。
今さら心配する義理もない。
そう自分に言い聞かせながら、その夜、私はろくに眠れなかった。
翌日も、その次の日も、店の前の通りを見るたびに、杖の音がしないか耳がそちらへ向いた。
数日後、先生の姪だという女性が店に来た。
「叔父が、こちらのお弁当をいつも楽しみにしていたそうで」
そう言って頭を下げ、ひとつの包みを差し出した。
「これ、もしよければ……結衣さんに渡してほしいと」
包みの中には、あの古いアルミの弁当箱が入っていた。
それと、封筒が一通。
表に、私の名前が書いてあった。
私は店の奥で、その手紙を開いた。
『結衣さんへ
こんな形で渡すのは卑怯かもしれないが、面と向かって言うと、君はきっと嫌な顔をするだろうから手紙にする。
私は昔、進路面談で君にひどいことを言った。
逃げても自分からは逃げられない、などと、わかったようなことを言った。
あれは半分は本当で、半分は間違いだった。
本当だったのは、どこへ行っても自分の弱さはついてくるということだ。
間違っていたのは、あのときの君が逃げようとしていたのではなく、立ち向かおうとしていたことだ。
その後、君が進学しなかった理由を、人づてに知った。
家のことを背負ったのだなと思った。
教師というのは、卒業した生徒のことを案外あとから知る。
そして、知ったころにはたいてい遅い。
私は君に謝りたかった。
だが謝るのもまた、教師の自己満足かと思って言えなかった。
だからせめて、弁当を買いに通った。
君の作る卵焼きは、昔、私の妻が作っていた味によく似ていた。
鮭の塩加減も、きんぴらの甘さも、年を取った舌にちょうどよかった。
あの弁当箱は、妻のものだった。
妻は亡くなる前、毎朝これに弁当を詰めてくれた。
からっぽになって帰すことが、私の礼儀だった。
君の弁当を店の容器のままではなく、この箱に移していたのは、恥ずかしかったからではない。
ちゃんと、からっぽにして返したかったからだ。
誰かが手をかけて作ったものに対して、私にできる礼儀はそれくらいしかなかった。
それからもう一つ。
教師をしてきて、私が最後までよくわからなかったのは、教えるということだ。
知識を渡すだけなら本でもできる。
叱るだけなら誰でもできる。
では、教師は何を残すのか。
今になって思うのは、生徒の中に一つでも、自分以外の誰かのために生きる形を見つけられたなら、それで十分だったのかもしれないということだ。
君はたぶん、自分の人生を諦めたと思っているだろう。
しかし、商店街の朝に立ち、誰かの昼を支え、母上を支え、店を守っている姿を見ていると、私はそうは思わない。
立派だ、などというと君は怒るだろうが、私は教師として少し誇らしかった。
この町にも、ちゃんと人の暮らしをつなぐ者がいるのだと知れたからだ。
もしこの弁当箱が迷惑でなければ、使ってほしい。
中身は変わっても、からっぽになって戻ってくるものがある限り、人はまだ誰かに生かされている。
森山』
読み終わるまでに、私は三度、手紙を持つ手を膝に置いた。
文字が滲んで読めなくなるからだった。
私はずっと勘違いしていた。
先生は私を見下していたのではなく、不器用なまま見ていたのだ。
そして私は、見られていることが怖くて、先に相手を嫌っていたのである。
あの進路面談の日、本当は私は東京へ行きたかったのではないのかもしれない。
いや、行きたかったのは本当だ。
でもそれ以上に、「ここに残るしかない自分」を誰かに否定してほしかったのだろう。
先生の言葉が刺さったのは、図星だったからだ。
けれど図星は、ときどき残酷すぎる。
教師も人間だから、正しいことを正しい温度で言えるとは限らない。
そんな当たり前のことを、私は長いこと許せなかった。
その夜、私は家で古い弁当箱を洗った。
水に濡れると、細かな傷がいっそう浮いた。
何十年も、誰かの昼を入れてきた箱なのだろう。
先生の妻の手。
先生の昼休み。
からっぽになって返された夕方。
その繰り返しが、この傷の数だけあったのかもしれない。
私は台所で、声もなく泣いた。
母が隣で黙って皿を拭いていた。
しばらくしてから、ぽつりと言った。
「先生、あんたのこと、ちゃんと見とらしたんやね」
私はうなずいた。
「嫌やった」
「うん」
「ずっと、嫌やった」
「うん」
「でも……」
その先が言えなかった。
母は布巾をたたみながら、静かに言った。
「人に見られるのって、若いときは腹立つもんよ。見透かされた気がして」
私はそこで、少し笑ってしまった。
泣きながら笑うと、自分がいちばんみじめに見える。
でも、そういう顔を母には何度も見られてきたのだろう。
翌朝、私はいつもより少し早く店に出た。
まだ薄暗い商店街で、シャッターの音だけが響いていた。
炊きたてのご飯の湯気が上がり、卵焼きの甘い匂いが狭い厨房に満ちた。
私はその弁当箱に、自分で作った鮭弁当を詰めた。
ほんの少しだけ、卵焼きを丁寧に巻いた。
きんぴらの色も揃えた。
誰が食べるでもないのに、どうしてもそうしたかった。
詰め終えて蓋を閉めると、不思議に胸の中の何かが少し静かになった。
昼前、母が奥から出てきて、それを見た。
「それ、先生の?」
「うん」
「きれいに入れたね」
私はうなずいた。
「からっぽにして返したいから」
母は何も言わなかった。
何も言わなかったが、その沈黙は、たぶん少しだけ笑っていた。
春になって、私は店先に小さな黒板を置くことにした。
日替わり弁当の内容と、ひとことを書いておくためのものだ。
最初の日、私は少し迷ってから、こう書いた。
「今日も、からっぽで帰ってくる弁当をつくります。」
自分でも照れくさい文句だと思った。
けれど、その日、いつも無口なクリーニング屋の奥さんが「いいねえ」と言ってくれた。
午後には、部活帰りらしい学生が二人、弁当を買いに来た。
「これ、うまそう」
「また来ようぜ」
そう言って笑いながら去っていく背中を見て、私は少しだけ思った。
先生も昔、教室でこんな背中を何百も見送ってきたのだろうか、と。
夕方、レジを締めてから、私は奥の棚に置いた弁当箱に触れた。
冷たい金属の感触が、妙にたしかだった。
継ぐ、というのは大げさなことではないのだろう。
店を継ぐとか、家を継ぐとか、名前を継ぐとか、そういう見えやすいものばかりではない。
誰かが大事にしていた礼儀を、別の誰かが受け取ること。
誰かが信じていた仕事の静けさを、次の誰かが少し丁寧に引き受けること。
そのくらい小さくて、誰にも気づかれないことを、継承というのかもしれない。
私はたぶん、相変わらずこの商店街で生きていく。
派手な夢はないし、取り戻せなかったものもある。
それでも朝になれば暖簾を出し、湯気の上がるご飯をよそい、誰かの昼を包む。
昔なら、そんな人生を地味だと思っただろう。
負けた人生、とさえ思ったかもしれない。
けれど今は、地味なものほど簡単には壊れない気がしている。
商店街の夕方は、朝より少しだけやさしい。
魚屋が売れ残りを片づけ、八百屋が値札を外し、うちの前の道を、自転車の学生が笑いながら通っていく。
私はシャッターを下ろす前に、店の明かりの中で、あの弁当箱をもう一度見た。
からっぽの箱は、不思議と寂しくなかった。
むしろ、次に何を入れようかと待っている顔に見えた。
人も、たぶん同じだ。
失ったあとでさえ、まだ何かを受け取り、誰かに渡していける。
先生はもういない。
けれど、あの不器用な礼儀だけは、いま私の手の中にある。
だから明日も私は、少しだけ丁寧に弁当を詰めるだろう。
誰かの昼が、ちゃんとからっぽになって帰ってくるように。


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