父の日記を読んだ夜、私は靴に残っていた愛情を知った

日差し差し込む病院の廊下 家族の話

病院の廊下には、足音がよく響く。

車椅子の小さな振動音。

看護師の急いだ靴音。

面会に来た家族の、ためらいがちな歩き方。

そのなかで理学療法士の足音だけは、少しだけ性格が出るのだと思う。

急がせすぎないように、でも立ち止まりすぎないように。

患者さんの一歩に、自分の歩幅を合わせる仕事だからだ。

私は理学療法士になって九年になる。

三十三歳。

白衣ではなく動きやすいスクラブを着て、朝いちばんにリハビリ室の窓を開ける。

消毒液の匂いと、ゴムマットの匂いと、昨夜の空気が少し混ざる。

その瞬間だけは、今日もまた誰かの身体を明日へ運ぶのだという、妙に真面目な気持ちになる。

もっとも、真面目なだけでは続かない仕事でもある。

人は、思うように歩けなくなる。

昨日までできたことが、今日できなくなる。

そういう事実を前にすると、励ます言葉はたいてい薄い。

だから私は、なるべく言葉を少なくする癖がついた。

「もう少し」

「右に体重を」

「休みましょう」

仕事の声は、だいたいそれで足りる。

足りるはずだった。

父が入院してくるまでは。

父は昔から、靴を大事にする人だった。

服には頓着しないくせに、靴だけは妙にきれいに磨いた。

仕事から帰ると玄関先で泥を落とし、傷がつけばすぐクリームを塗った。

子どものころ、私はそれが少し嫌だった。

私が熱を出して寝ていても、父は無言で靴を磨いていたし、進路の相談をした夜も、父は私の顔を見ずに革靴の紐を結び直していたからだ。

私はずっと、あの人は人より靴のほうが大事なのだと思っていた。

父は町工場で働いていた。

無口で、頑固で、褒めるのが下手な人だった。

「まだ甘い」

「そんなやり方じゃ続かん」

「口より先に手を動かせ」

父の言葉は、だいたいそういう形をしていた。

子どものころの私は、その言い方が嫌いだった。

言われていることより、言い方ばかりが心に刺さった。

もっと別の言い方があるだろう、と何度も思った。

たとえば、頑張ってるな、とか。

大丈夫だ、とか。

でも父は、そういう便利な言葉を持っていない人だった。

思い返せば、言葉の代わりに手を動かす人だったのだと思う。

雨の日の朝には、私のスニーカーだけ玄関の内側へ入れてあった。

雪の日には、濡れた運動靴の中へ新聞紙が丸めて詰められていた。

部活の遠征の日、目が覚めると、泥だらけだったスパイクがきれいになって並んでいたこともある。

でも当時の私は、それを愛情とは受け取れなかった。

ただ無言の世話だと思っていた。

言葉で欲しかったものをもらえないと、人は別の形で差し出されていたものまで見落とすらしい。

高校の部活でレギュラーを外されたとき、私はずいぶん荒れて帰った。

夕飯にも手をつけず、鞄を床へ投げて、自分の部屋でふて寝した。

父はあとから部屋へ来て、ドアの前に立った。

慰めるのかと思ったが、そうではなかった。

「向いてないなら別のことをやれ」

そう言って、去っていった。

私はその一言を、長いこと忘れられなかった。

見放されたのだと思った。

悔しいとか、つらいとか、そういう途中をすっとばして、要るか要らないかだけで人を見る人なのだと。

その夜から、私は父とあまり話さなくなった。

大学で理学療法を学ぶと言ったときも、父は「ふうん」としか言わなかった。

就職が決まったと報告したときも、「身体壊すなよ」と言っただけだった。

私はそれすら、ろくに喜んでもらえなかった証拠として数えていた。

親子というのは、こういう勘定をいやに細かく覚えている。

父が倒れたのは、去年の秋だった。

脳梗塞だった。

命は助かったが、右半身に軽い麻痺が残った。

急性期を過ぎ、回復期リハビリのために転院してきた先が、私の勤める病院だった。

最初に話を聞いたとき、私は断ろうと思った。

身内のリハビリなんて、ろくなことにならない。

患者としても、療法士としても、距離が狂う。

だが人手の都合もあり、父は私の担当から外しきれなかった。

私は仕事として接することにした。

そう決めたはずだった。

父は初日から、不機嫌だった。

病院のスリッパを嫌い、自分の靴を履きたがった。

転倒の危険があるから許可できないと説明すると、あからさまに眉を寄せた。

「歩けもしないのに、靴だけ履きたいの」

そう言ったのは、私だった。

言ってから、すぐに後悔した。

でも父は何も言い返さず、ただ黙って、ベッド脇に置かれた靴を見ていた。

その黙り方が、昔と同じで腹が立った。

傷ついた顔もしない。

怒った顔もしない。

ただ、こちらの言葉を飲み込んで、何もなかったように黙る。

それがいちばん残酷だと、私は昔から思っていた。

リハビリは順調とは言えなかった。

父は痛みを訴えない代わりに、無理をする。

できないときほど、顔だけが頑固になる。

私はそれを見るたび、患者としての父と、父としての父とを分けきれなくなった。

「今の歩き方じゃ危ない」

「力まないで」

「できないなら、できないって言って」

気づけば私は、父にだけ声がきつくなっていた。

他の患者さんにはもう少しやわらかく言えるのに、父の前では昔の息子に戻ってしまう。

ある日、平行棒の訓練中、父がふらついた。

私は咄嗟に支えながら、強い声を出した。

「だから言ったでしょ!」

リハビリ室が一瞬、静かになった。

父は私を見た。

その目に浮かんだものが、怒りではなく、ほんの少しの驚きだったのが、かえってつらかった。

まるで、そんなふうに怒るのか、とでも思ったような目だった。

私はその日、休憩室でひとりになってから、自分の顔を洗った。

水が冷たかった。

情けないと思った。

理学療法士が、いちばん距離を保てない相手にだけ、正しい声を失うなんて。

けれど、もっと情けなかったのは、怒鳴いたあとで気づいたことだった。

私は父を叱ったのではない。

怖かったのだ。

父が転ぶことが。

また歩けなくなることが。

その怖さを、私は昔の父と同じように、きつい言い方でしか出せなかった。

嫌っていたものを、嫌っていた形のまま、自分も受け継いでいたのだ。

数日後、父の病室で靴を片づけていたとき、ベッド下の荷物から小さな大学ノートが出てきた。

茶色い表紙の、どこにでもある安いノートだった。

落とし物かと思ったが、最初のページに父の字で日付が書いてあった。

日記らしかった。

見るつもりはなかった。

ほんとうは。

でも、表紙のあいだから一枚、紙がのぞいていた。

それは病棟で渡す歩行目標のメモで、私の字で「靴で歩けることを最終目標にする」と書いてあった。

どうしてこれを挟んでいるのだろうと思って、私はついノートを開いてしまった。

最初のほうは、入院後の体調のことばかりだった。

右足が重い。

箸が持ちにくい。

眠れない。

だが途中のページに、こんな一文があった。

――息子は、俺の靴を嫌っていたかもしれない。

私はそこで手が止まった。

読み進めると、父はぽつぽつと書いていた。

――仕事で帰りが遅くても、靴だけは磨いた。
――あいつが寝たあとでも、朝見れば、出かける前に少し気分が違うと思った。
――父親らしいことは分からなかった。
――せめて足元くらい、きちんとして送り出したかった。

私は息が詰まった。

靴は、自分のためではなかったのか。

あの音も、あの沈黙も、私を送り出すためのものだったのか。

さらにページをめくると、もっと古いことまで書いてあった。

――部活を外された日に、向いていないなら別のことをやれと言った。
――あれは逃げろという意味ではない。
――ひとつ駄目でも、おまえまで駄目になるなと言いたかった。
――言い方が悪かった。
――あのとき、靴を磨いておけばよかった。

私はその最後の一行で、とうとうしゃがみ込んでしまった。

床のビニールがひやりとしていた。

あのとき、父は言葉ではなく、靴を磨くことで何かを伝えようとしていたのかもしれない。

でも私は、その前に部屋へ閉じこもって、扉を閉めたのだ。

互いにへたくそだったのだと思った。

私も、父も。

言い方が悪かった。

そんなこと、父が分かっていたなんて思わなかった。

いや、分かっていたからといって、どうしてその場で言い直さなかったのだ、とも思う。

でも同時に、言い直せるような人なら、そもそもこんなふうには拗れなかったのだろうとも思った。

日記の最後のほうには、入院してからのことが書かれていた。

――あいつは仕事の声で話す。
――その声の中に、昔よりずっとましなやさしさがある。
――だが俺には少しだけきつい。
――当然だ。父親だからだろう。
――それでも、あいつの靴音が廊下で止まると、今日は来たなと分かる。
――昔、帰ってくるあいつの靴音を、俺も聞いていた。

私はもうまともに読めなかった。

目が滲んで、字が揺れた。

そんなふうに聞いていたのか、と思った。

私の足音を。

そして私は急に思い出した。

高校生のころ、夜遅く帰ると、父はたいてい居間で新聞を開いていた。

顔は上げないくせに、玄関で靴を脱いだ音がすると、少しだけページをめくる手が止まった。

あれは無関心の続きではなかったのかもしれない。

聞いていたのだ。

帰った音を。

夕方、父のリハビリの時間になった。

私はノートを元の場所へ戻し、何も知らない顔で車椅子を押した。

リハビリ室へ向かう廊下の途中で、私は父の足元を見た。

病院用のリハビリシューズは、きれいに揃えて履かれていた。

父は昔と同じように、靴だけは乱さなかった。

平行棒の前で立位を取らせると、父は小さく顔をしかめた。

私はいつものように「右に体重」と言いかけて、少し黙った。

それから言った。

「今日は、自分の靴で歩く練習しましょうか」

父は驚いたように私を見た。

「……いいのか」

「ちゃんと見てるから」

その言葉を口にしたとき、自分でも少し驚いた。

見てるから。

ずいぶんやわらかい言い方だった。

父は黙ってうなずいた。

靴紐を結ぶ手が、以前より少し不自由で、時間がかかった。

私はしゃがんで手伝おうとして、やめた。

そのかわり、結び終わるまで黙って待った。

待つ、というのも理学療法の一部だ。

手を出すより先に、その人の残っている力を信じること。

私はそれを患者さんにはできるのに、父にはなかなかできなかった。

父は立ち上がり、一歩、また一歩と歩いた。

遅かった。

不格好だった。

右足はまだ少し引きずるし、体幹もぶれる。

でも、その不格好さが妙に胸にきた。

父が自分の靴で歩くのを、私は初めてほんとうに見た気がした。

訓練が終わって、椅子に座った父は息を整えながら言った。

「……おまえ、昔より言い方がましになったな」

私は思わず笑ってしまった。

泣きたいような、腹立たしいような、へんな笑いだった。

「そっちこそ」

父も少しだけ口元を動かした。

それはたぶん、父なりの笑いだった。

あの人が笑うと、昔からどこか降参したみたいな顔になるのだと、その日初めて気づいた。

その夜、私は自宅で靴を磨いた。

自分の通勤用の、安いスニーカーだ。

革靴でもないし、磨いたところで立派にもならない。

それでも、濡れた布で汚れを落としているうちに、父が何をしていたのか少し分かる気がした。

足元を整えることは、明日も歩けと言うことなのだ。

うまく言えない人が、せめてもの代わりに手を動かすことなのだ。

数日後、父の退院が決まった。

自宅へ戻る前日、私は病室の机の上に小さな紙を置いた。

リハビリの注意事項のメモに見せかけて、そのいちばん下に一行だけ書いた。

――靴、また磨いてください。

夕方、病室をのぞくと、父はそのメモを読んでいた。

私に気づくと、少しだけ咳払いをして、言った。

「……歩けるうちはな」

それは返事であり、約束のようにも聞こえた。

私はうなずいた。

本当は、もっとたくさん言いたいことがあった。

昔、見放されたと思っていたこと。

でも違ったと、やっと分かったこと。

言い方が下手なところまで、私も似てしまったこと。

靴を磨く音が、ほんとうは送り出す音だったこと。

けれど、その日は言わなかった。

全部を言葉にしないままでも、伝わることがある気がしたからだ。

退院の日、父は自分の靴を履いて病棟を出た。

私は見送りの立場で廊下の端に立っていた。

父は途中で一度だけ振り返り、何か言いかけて、やめた。

それから代わりに、足を少しだけ見せるように前へ出した。

きれいに磨かれた靴だった。

私はその意味を、もう取り違えなかった。

約束というのは、大げさな言葉ではなく、こういうものかもしれない。

また歩くこと。

また帰ること。

また、きちんと足元を整えて明日へ出ること。

病院の廊下には、今日もいろんな足音が響く。

急ぐ音も、ためらう音も、誰かを迎えに行く音もある。

そのなかで私は、ときどき父の靴音を思い出すのだろう。

うまく言えない人が、それでも手を動かして残した愛情の音を。

そして願わくは、私も誰かの明日の足元を、少しだけ整えられる人でありたいと思う。

ただ訓練を組むだけではなく、その人がまた自分の靴で外へ出たいと思えるような、そんな一歩を支えられる人でありたい。

それが父から継いだ、いちばん不器用で、いちばん確かな約束なのだ。

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