父は、昔から無口な人だった。
叱るときも短く、褒めるときはもっと短かった。
子どもの頃の私は、それが不満だった。
友だちの家の父親みたいに、もっと分かりやすく愛情を見せてほしいと思っていた。
社会人になって、実家を出て、しばらくしてから父が入院した。
たいしたことはない、と母は言った。
けれど、病室で見た父は、思っていたよりずっと小さく見えた。
帰り際、父は私を呼び止めた。
「財布」
そう言って、古びた財布を差し出した。
中には、私が小学生のころに描いた、家族の似顔絵が入っていた。
角は擦り切れて、色も薄くなっていた。
でも、それが長いあいだ大事に持ち歩かれていたことだけは、ひと目で分かった。
「こんなの、まだ持ってたの」
私がそう言うと、父は少しだけ笑った。
「捨てる理由がなかった」
その一言だけで、私は泣きそうになった。
父は、何も言わなかったわけじゃなかった。
ただ、言葉にするのが不器用だっただけだった。
病院を出たあとの夜風が、妙に冷たかった。
でも胸の奥には、静かに温かいものが残っていた。
大人になってからでないと、分からないやさしさがある。
あの日、ようやく私はそれを知った。
※本作品はフィクションです
心が疲れているあなたへ
身近な人の不器用さに、傷つくこともあります。
でも時間がたってから、その沈黙の中にあった思いに気づくことがあります。
今日すぐに分からなくても大丈夫です。
やさしさは、遅れて届くこともあります。


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