亡き恩師の手帳にあった一言で、私は三年越しに泣いた

工場の休憩室のひととき 泣ける話

休憩室の白い蛍光灯というものは、どうしてああも人の顔色を悪く見せるのだろう。

夜勤明けの私は、金属の粉を爪のあいだにうっすら残したまま、紙コップのぬるいコーヒーをすすっていた。

工場の朝は、終わるころがいちばん静かだ。

機械の唸りはまだ遠くで続いているのに、もう自分だけがそこから降ろされてしまったような、妙な疎外感がある。

誰かが忘れていった作業手袋と、半分だけ開いた菓子パンの袋と、壁の時計の秒針。

そういうものだけが、私よりずっと勤勉に、この場所に残っているように見えた。

四十五になっても、私は叱られるのが苦手だった。

叱られて平気な大人など、本当はどこにもいないのかもしれないが、私はとくに駄目だった。

胸の奥の、まだ子どものままの部分が、叱責ひとつで簡単に拗ねる。

ああ、どうせ私は駄目なんですよ、と、誰にも聞こえないところで唇を曲げる。

その癖だけは、若いころから少しも治らない。

工場勤務になったのは、三十を少し過ぎてからだった。

それまで何ひとつ胸を張れる仕事がなく、転々として、ようやく拾ってもらったのがこの工場だった。

最初のころの私は、工具の名前すら満足に覚えられず、図面を前にすると頭の芯がしびれるような気がした。

周りが当たり前のように理解していることが、私には一拍も二拍も遅れてしか入ってこない。

そのたびに、自分はつくづく不向きな人間なのだと思った。

そんな私に最初にノギスの持ち方を教えたのが、斉藤先生だった。

先生といっても学校の教師ではない。

この工場で二十年以上、後進を育ててきた元班長で、定年後も嘱託で残っていた人だ。

旋盤の音の違いを耳で覚えろと言ったのも、削りかすの色で刃の無理を見ろと言ったのも、みな先生だった。

先生は何を言うにもぶっきらぼうで、優しい言葉というものをあまり信用していない人だった。

「丁寧にやれ」

「速さでごまかすな」

「分からないなら、分からない顔をしろ」

それだけ聞けば、ずいぶん冷たい人間に思えるかもしれない。

だが、先生の言葉には、不思議と逃げ場がなかったかわりに、見捨てる感じもなかった。

人を突き放す言い方なのに、どこかでちゃんと待っている。

それが分かるまで、私は半年かかった。

忘れもしない。

入社して二か月目、私は材料の向きを取り違えて、一日分の段取りを台無しにしかけたことがあった。

真っ青になって立ち尽くしている私に、先生は怒鳴りもせず、ただ言った。

「今、泣くな。泣くなら直してから泣け」

その一言で、私はかえって泣きそうになった。

慰められなかったからではない。

泣いている暇があるなら立て、と、情けないままの私をその場に置いてくれた気がしたからだ。

その日、夜まで残ってやり直した作業の最後に、先生は自販機の缶コーヒーを一本だけ黙って机に置いていった。

何も言わずに去っていく背中を見ながら、私はああ、この人は不器用なのだ、と初めて思った。

それから私は、先生の後ろについて多くを覚えた。

技術だけではない。

人が焦るとどんな手つきになるか。

ごまかそうとすると、どこから視線が泳ぐか。

黙って耐えている顔と、本当に壊れかけている顔は、どこが違うか。

先生は仕事のことを教えているようで、実はずっと人間の見方を教えていたのだと思う。

けれど、その先生に、最後の最後でひどいことを言われた。

いや、今となっては、言われたと思い込んでいた、というべきかもしれない。

先生が体を悪くして、もう現場には戻れないと決まった日だった。

みんなが寄せ書きだの花だのを用意しているあいだ、私は何もできずにいた。

感謝というものは、口に出そうとすると急に安っぽくなる。

それが嫌で、私は休憩室の隅で黙っていた。

ほんとうは、いちばん言いたかった。

ありがとうございました、と。

自分をここまで置いていってくれて、ありがとうございました、と。

けれど私は、そういう大事な言葉ほど、喉の手前で急に死なせてしまう。

そこへ先生が来て、いつものように私の顔を見て、鼻で笑うみたいに言った。

「おまえは結局、人の後ろばかり見てるな」

私は、その言葉をまともに受けた。

結局、おまえは駄目だな、という意味だと思った。

一人前にもなれず、誰かの背中を追うばかりで、自分では何も切り開けない。

そう言われた気がした。

私は馬鹿だから、その場で言い返せなかった。

言い返せないくせに、傷つくことだけはいっちょまえだった。

先生がいなくなったあと、私はしばらく休憩室に近づかなかった。

あの白い蛍光灯の下で、自分の未熟さだけを見せつけられた気がしたからだ。

先生はその年の冬に亡くなった。

葬儀にも行かなかった。

仕事を理由にしたが、本当は違う。

行けば、最後のあの一言まで赦してしまいそうで、それが悔しかった。

人が死んだくらいで何もかも美談になるのは、卑怯だと思っていた。

だから私は、先生のことを胸の悪い棘のまま、ずっと放っておいた。

三年も。

三年というのは、忘れるには長すぎて、赦すには中途半端な時間だ。

棘は肉の中で少しずつ丸くなるが、消えはしない。

たまに現場で誰かの口調が先生に似るたび、あるいは自分の手つきが先生そっくりだと気づくたび、その棘はまた鈍く疼いた。

私はそのたび、考えないようにした。

考えれば、きっと自分のほうが幼かったと認めることになるからだ。

その朝、夜勤の引き継ぎで、新人の若い男が寸法ミスをした。

まだ二十そこそこで、謝り方も下手だった。

必要以上に小さくなって、すみません、すみませんと繰り返す声が、かえって私を苛立たせた。

私は柄にもなく、きつい言い方をした。

「謝る前に、どこで狂ったか書けよ。次に同じことしたら、誰が困ると思ってる」

言った瞬間、自分で自分の声に驚いた。

ひどく乾いていて、先生そっくりだった。

若い男は唇を噛んで、黙ってしまった。

その目に浮かんだのは反発ではなく、置いていかれる者の不安だった。

ああ、やってしまった、と思った。

私は、いちばん嫌っていた言い方を、いちばん嫌な形で受け継いでいた。

もしあのときの私も、こんな顔をしていたのだとしたら。

先生はこの顔を見て、それでも私を置いていかなかったのだろうか。

その気まずさから逃げるように、私は休憩室へ入った。

すると、古いロッカーの上に、見慣れない黒い手帳が置いてあった。

表紙の角は擦り切れ、ゴム紐は伸びきっていた。

誰の忘れ物だろうと思って開いた瞬間、私は息を止めた。

斉藤先生の字だった。

角ばっていて、妙に几帳面で、けれど急ぐところだけ乱れる、あの字。

どうして今さら、と思った。

たぶん遺品の整理か何かで、班長が持ってきたのだろう。

表紙の裏には、今の班長の名が小さく記してあった。

ページをめくると、工程の注意点や機械の癖、材料ごとのわずかな違い、誰がどの作業に向いているか、そんなことが細かく記されていた。

驚くほど細かく。

あの人は何も言わない顔をして、こんなにも人を見ていたのか、と、私は少し呆れた。

中ほどのページには、私の名前もあった。

「慎重。遅いが、崩れない」

ただそれだけの短い記述だったが、胸の奥がかすかに軋んだ。

私はずっと、自分の遅さを欠点だと思ってきた。

けれど先生は、それを欠点だけとは見ていなかったのだ。

そのことが、今さら腹立たしく、今さらありがたかった。

さらに終わりのほうのページに、折り込まれた小さなメモが挟まっていた。

コピー用紙を雑に切ったような紙片で、たった数行だった。

――村上は人の後ろを見る癖がある。

だから悪い、とは限らない。

前を走る者の転び方を覚えられる人間は、あとで人を守る。

自分で先頭に立てぬことを恥じるな。

後ろを見る者には、後ろを見る者の仕事がある。

言い方がきつすぎて、たぶん伝わらん。

いずれ分かればいい。

自分の名前を見たとき、喉の奥がひゅっと鳴った。

紙切れ一枚が、どうしてあんなに重いのだろう。

私はその場に座り込んでしまった。

休憩室の古い椅子は、少し体重をかけると嫌な音を立てる。

その音を聞きながら、私は三年分、いやもっと前から溜めていた何かを、急に持ちきれなくなった。

泣くつもりはなかった。

四十五にもなって、朝の工場の休憩室で、そんなみっともない真似をするつもりはなかった。

けれど駄目だった。

涙というのは、不意打ちで来る。

目頭が熱くなるなどという順序もなく、気づけば視界がふやけ、手帳の字がにじんでいた。

私はずっと、叱られたのだと思っていた。

切り捨てられたのだと思っていた。

そう思っていたかったのかもしれない。

そのほうが、拗ねていられるからだ。

傷ついた側でいられるからだ。

赦すより、分からなかったことにしておくほうが、ずっと楽だったのだろう。

「ずるいですよ、先生」

声に出したら、情けないほど震えた。

誰もいない休憩室で、私は濡れた顔のまま笑った。

あんな言い方しかできないくせに、こんなもの残して。

いずれ分かればいい、だなんて、そんな横着な教育があるか。

でも、その横着さに、私はたしかに今、救われていた。

先生はたぶん、最後まで先生だったのだ。

真正面から優しいことを言えないかわりに、時間のほうへ預けたのだ。

いつか私が、自分の未熟さにぶつかって、誰かを傷つけて、ようやく同じ場所に立ったとき、その紙切れが意味を持つように。

そこまで見越していたのだとしたら、やはり敵わないと思った。

しばらくして、扉が開き、さっきの若い男が顔をのぞかせた。

私を見るなり、気まずそうに目を伏せる。

泣き顔を見られたと思って、私は少しだけ腹が立ったが、もう遅かった。

私は手の甲で顔をこすって、手帳を閉じた。

「さっきは悪かった」

若い男は、え、と間の抜けた声を出した。

「謝る順番、逆だった」

私はそう言って、椅子をひとつ引いた。

「どこで狂ったか、一緒に見よう」

彼はまだ戸惑っていた。

その顔は、昔の私に少し似ていた。

叱られた痛みより、見放されたかもしれない不安のほうが大きい顔だった。

私は手帳を脇に抱えた。

先生のものを勝手に持ち出していいのか分からなかったが、もう少しだけ借りたいと思った。

いや、借りるのではないのだろう。

こういうのを、継ぐというのかもしれない。

技術だけではない。

不器用なまま人を見て、不器用なまま信じて、伝わらなくても、どこかに残しておくこと。

それも仕事なのだと、今さら知った。

現場へ戻る通路は、朝の光で白く曇っていた。

機械はもう次の番の音を立てている。

同じ毎日がまた始まる。

けれど、同じだけではないのだろうと思った。

私はもう、誰かの後ろを見ることを、それほど恥じなくていい。

前を行く人の癖も、つまずき方も、黙って耐える顔も、見てきた。

ならば今度は、そのぶんだけ、後ろの人間を守ればいい。

先生ができなかった言い方を、私が探せばいい。

全部うまくはできなくても、せめてメモくらいは残せる。

その日の昼休み、私は若い男と並んで弁当を食べた。

彼はまだ緊張していたが、寸法の取り方についてぽつぽつ質問してきた。

私はひとつずつ答えながら、ふと、先生もこういう昼休みを何度も積み重ねたのだろうと思った。

怒鳴るより先に見ていたものがあり、教えるより先に守ろうとしていたものがあったのだろうと。

休憩室の扉を閉める前に、私はもう一度だけ手帳を開いた。

最後の空白のページに、自分の字で一行だけ書いた。

――言い方は選べ。

だが、見捨てるな。

それは先生への反抗であり、たぶん、いちばん正しい継承でもあった。

その字は先生の字よりずっと頼りなく、少し傾いていた。

けれど傾いたままでいいのだと、そのとき初めて思えた。

完璧な人間が誰かを育てるのではない。

傷つき方を知っている人間が、せめて同じ傷を少しだけ浅くして手渡すのだ。

夕方、交代のベルが鳴るころ、私は若い男の書いた再発防止のメモを見た。

拙い字で、しかし朝よりずっと落ち着いていた。

その末尾に、小さくこう書いてあった。

「次は後ろの人が困らないようにする」

私はその一文を見て、危うくまた泣きそうになった。

先生、と思った。

あなたの手帳は、今日、ひとり分だけ先へ進みました。

休憩室の蛍光灯は相変わらず人の顔色を悪く見せたが、それでも今朝ほど冷たくはなかった。

光が変わったのではない。

たぶん、私のほうが、ようやく少しだけ先生の続きを生きられる気になったのだ。

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