祖父の通帳、最後の手紙

夕暮れのアパートメント通路 泣ける話

団地の廊下は、いつも少しだけ病院に似ている。

古いコンクリートの匂いと、誰かが煮ている味噌汁の湯気と、遠くで鳴るテレビの音が、薄い壁の向こうで混ざっているせいかもしれない。

夕方になると、西日の色まで消毒液みたいに白っぽく見えることがある。

私が育った団地は、そういう場所だった。

今はもう、そこに祖父はいない。

私は市役所の福祉課で働いている。

窓口に立って、高齢者の申請書類を受け取ったり、生活保護の相談を聞いたり、怒鳴られたり、頭を下げたりする。

仕事としてはたぶん、まっとうだ。

人の生活のぎりぎりに触る仕事だから、まっとうであるぶん、こっちの心も少しずつ擦り減る。

帰宅すると、机の上に通帳を放り出す癖がついた。

残高を見るたび、私は妙に機嫌が悪くなる。

多いわけではない。

少ない。

少ないが、ゼロではない。

その中途半端さがいちばん性格が悪い。

生きていけるのに、安心はできない額。

役所の人間というのは、数字を見る目だけが妙に醒めていく。

祖父の通帳を見たのも、そういう目だった。

祖父が死んだのは、去年の秋だ。

九十に手が届く歳で、朝の団地の階段を下りたあと、そのまま帰らなかった。

心臓だったらしい。

あまりにあっけなくて、悲しいというより、しばらく意味がわからなかった。

死というのは、こちらが理解する前に、どんどん事務手続きを要求してくる。

死亡届、火葬許可、年金停止、公共料金、住民票の抹消。

私は職業柄、その手続きにやけに詳しかった。

詳しいせいで、余計に腹が立った。

人が一人いなくなったあとにも、判子を押す場所がこんなにあるのかと思った。

祖父は母方の人で、私は幼いころ、両親が共働きだったせいでずいぶん世話になった。

団地の五階、エレベーターなしの棟に、祖父は一人で住んでいた。

母は「迎えに行くまで待っとってね」と私を置いて仕事へ行き、祖父はよく、煮すぎたうどんを作ってくれた。

あの人は料理が下手で、味噌汁はいつも少ししょっぱく、卵焼きはやたら甘かった。

けれど私はそれを嫌いではなかった。

子どもの舌は、下手な愛情を案外きちんと食べる。

夏になると、祖父は団地のベランダで風鈴を鳴らしながら、西瓜を切ってくれた。

種まで几帳面に取ろうとして、いつも果肉まで削ってしまう。

私はそれを見て笑った。

祖父は笑われると、少しだけ不満そうな顔をして、でも次の年も同じように不器用に切った。

冬には、私の手を見て、

「またしもやけか。

おまえは血の巡りが悪い」

と言いながら、古い湯たんぽを布団に入れてくれた。

やさしいというより、面倒を見るのが身についている人だった。

ただ、大人になってからは違った。

祖父は金にうるさい人だった。

いや、うるさいというより、怯えていたのかもしれない。

電気をすぐ消す。

特売の卵を買うために朝から並ぶ。

私が大学へ行かなかったことを、

「金のかからん選択でよかった」

と笑う。

笑われた私は、そのたび胸の奥がざらついた。

市役所に就職したときも、

「公務員はつぶれんからええ」

と言った。

祝ってくれたのだと頭ではわかる。

でも私は、その言い方が嫌だった。

人を大事にするというより、損をしないことのほうを大事にしているように聞こえたからだ。

極めつけは、母の葬式のあとだった。

母は私が二十六のときに死んだ。

癌だった。

祖父は火葬場の待合室で、湯呑みを持ったまま言った。

「入院が長かったでな。

金もようかかったろう」

私はあのとき、心の底から軽蔑した。

娘が死んだあとに、まず金か、と。

それから祖父に会うたび、私は少しずつ冷たくなった。

必要なことはする。

買い物も手伝う。

通院にも付き添う。

でも、気持ちは差し出さなかった。

あの人は人の死さえ金額に換える人間なのだと思い込んでいた。

そのくせ祖父は、私の変化に気づいていたはずなのに、何も言わなかった。

あるとき通院の帰り、団地の階段の踊り場で息を整えながら、

「おまえ、最近、よう働きすぎとる顔しとるな」

と言ったことがある。

私は、

「普通」

とだけ答えた。

祖父はそれ以上何も言わず、

「普通と言うやつは、だいたい普通じゃない」

とだけ言った。

母と同じことを言うのが、少し腹立たしかった。

でも今思えば、あの人なりの気遣いだったのだろう。

祖父の死後、団地の部屋を片づける役目は、自然と私に回ってきた。

親族といっても私くらいしか近くにいなかったし、仕事柄、こういうことに向いていそうだと思われたのかもしれない。

向いているわけがない。

遺品整理というのは、過去に触る肉体労働だ。

しかも、たいてい触りたくないものから先に出てくる。

押し入れの奥から古い毛布、黄ばんだ薬袋、壊れたラジオ、期限の切れた海苔、母の学生時代のアルバム。

生活というのは、死んだあとに急に量を持つ。

生きている間は、あんなに小さく見えていたのに。

台所の戸棚には、輪ゴムで留めたレシートが何年分も残っていた。

米、灯油、病院代、電気代。

数字ばかりだった。

祖父の暮らしは、まるで数字でできていたみたいだった。

そのことが、また私を苛立たせた。

こんなにきっちり生きて、何が残ったのだろうと思った。

その日も私は半日かけて片づけて、最後に卓袱台の引き出しを開けた。

印鑑、病院の診察券、輪ゴムの束、そして通帳が三冊あった。

私は職業病みたいな目つきで、それをぱらぱらと見た。

年金の入金、家賃の引き落とし、光熱費。

残高は思ったより少なかった。

少ない、と思った瞬間、嫌な納得があった。

やっぱり、と思ったのだ。

あれだけ金のことばかり言っていたのに、貯め込んでいたわけでもない。

では何だったのだろう。

守銭奴ですらないのか。

ただ怯えて、周りまで貧しくさせただけなのか。

私は勝手に腹を立てた。

死者に対してまで、ずいぶん礼儀のない怒り方だと思う。

でも、そのときの私は、もう長く積もった誤解の上に立っていたから、簡単には足場を変えられなかった。

通帳の下に、茶色い封筒が一つあった。

表に私の名前が書いてあった。

達筆でも何でもない、祖父の癖のない字で。

私はその場で開ける気になれず、いったん鞄にしまった。

人は嫌な予感のするものを、なぜか後回しにしたがる。

そのくせ、気になって仕方がない。

団地の階段を下りるあいだずっと、鞄の中にその封筒の硬さを感じていた。

夜、アパートで一人になってから、ようやく封を切った。

中には、薄い紙が三枚と、母名義の古い通帳のコピー、それから小さなメモが入っていた。

メモにはこうあった。

『先に読むな。

手紙から読め』

命令口調なのが、最後まで祖父らしかった。

少し笑ってしまって、そのあとで、笑ったことが妙に情けなくなった。

手紙の一枚目には、こう書いてあった。

『遅くなって悪い。

 おまえはたぶん、わしのことを金のことばかり言う年寄りだと思っとる。

 だいたい合っとる。

 年寄りになると、体より先に金が減るのが怖うなる。

 それはほんとうや。

 ただ、母さんの葬式の日に言ったことは、あれは言い方が悪かった。

 金もようかかったろう、というのは、あいつに金をかけすぎたと言いたかったんじゃない。

 もっと出してやれたのに、出せんかった、という意味やった。』

そこまで読んで、私はしばらく動けなかった。

うまく意味が入ってこなかった。

頭に入っても、心が拒んだ。

そんな都合のいい弁解があるものかと思った。

けれど紙の上の字は、祖父らしく少し右上がりで、ところどころ震えていて、妙に誠実だった。

続きを読むしかなかった。

『おまえの母さんが病院へ行き始めたころ、わしは少し金を貸してくれと言われた。

 貸すという言い方をしたのは、あいつの見栄や。

 返せる見込みはなかったと思う。

 わしはあのとき、通帳を見せて、これしかないと言った。

 ほんとうに、それしかなかった。

 ただ、そのあとで団地の建て替えのときにもらった金と、若いころのわずかな貯金をおろして、封筒に入れて持っていった。

 けれど、病院の廊下まで行って、渡せんかった。

 おまえの母さんが痩せて座っとるのを見たら、急に情けなくなってな。

 こんな遅い金を渡して、何の顔をするんやと思った。

 それで持って帰った。

 持って帰って、そのままになった。』

私はそこで、母の通帳コピーを見た。

たしかに、母が入院していた時期の直後に、まとまった入金が一度ある。

名義は祖父ではなく、窓口入金だった。

私はそんなもの、知らなかった。

母は何も言わなかったし、私は聞こうともしなかった。

あのころ私は、自分の生活を回すのに精いっぱいで、母が何を受け取り、何を黙っていたのかまで見ようとしなかった。

見ようとしないことは、ときどき残酷だ。

手紙の二枚目には、こう続いていた。

『おまえはよく、わしのことを見て、金の話ばかりすると思っとったやろう。

 すまん。

 金の話しか、できんかった。

 心配しとるとか、大事に思っとるとか、そういうことを言う口が、わしには若いころからなかった。

 貧乏人は、金の話をするときだけ、少し本音に近づくことがある。』

私は涙が出るのを、少し待った。

すぐには出なかった。

あまりに長く誤解していた相手の言葉は、まっすぐには刺さらない。

いったん体のどこかで迷ってから、遅れて効いてくる。

三枚目は短かった。

『通帳の金は、使いきれんかった分や。

 残りは少ない。

 それでも、おまえが受け取れ。

 これは遺産というほど立派なものではない。

 受け取り直しや。

 わしが昔、おまえの母さんに渡しそびれた分と、言いそびれた分を、おまえが受け取ってくれ。

 母さんの分まで生きろ、というのは重たいから言わん。

 ただ、あんまり一人で勘違いするな。』

最後の一行で、私は泣いた。

あんまり一人で勘違いするな。

そんなふうに言われる筋合いはない、と昔の私なら腹を立てたかもしれない。

でも、そのときは違った。

私はずっと、一人で勝手に傷ついて、一人で勝手に祖父を裁いていたのだと思い知った。

泣きながら、私はひどく昔のことを思い出した。

小学校の冬、団地の帰り道で、私の手袋が片方なくなったことがあった。

私は半泣きで怒って、もう帰ると言い張った。

祖父は何も言わず、暗くなりかけた階段を一段ずつ戻って、踊り場の隅に落ちていた手袋を見つけてくれた。

そのときも祖父は、

「物をなくすのは金をなくすのと一緒や。

気ぃつけろ」

と言った。

私は説教されたと思ってむくれた。

でも本当は、寒い思いをするな、という意味だったのかもしれない。

そういうすれ違いが、私たちのあいだにはたくさんあったのだろう。

翌週、私は有休を取って、祖父の団地へもう一度行った。

鍵はまだ返していなかった。

誰もいない部屋に入ると、妙に明るかった。

カーテンを外した窓から、春の薄い日差しがそのまま差し込んでいた。

私は卓袱台の前に座って、しばらく何もしなかった。

受け取り直し、という言葉を考えていた。

人は死んだあとにも、何かを渡してくることがある。

品物ではなく、意味のほうを。

しかもそれは、受け取る側が受け取り直さないかぎり、ずっとただの重さのままなのだ。

私は封筒を鞄から出し、畳の上に置いた。

それから、祖父の古い湯呑みを流しで洗って、お茶を淹れた。

あの人はいつも、少し濃すぎる茶を飲んでいた。

私もその通りにした。

苦かった。

「じいちゃん」

と、私は誰もいない部屋で言った。

声に出すと、少し間抜けだった。

「ごめん」

その一言のほうが、よほど間抜けだった。

私は祖父に謝ったことが一度もない。

感謝も、たぶんちゃんとしたことはない。

世話になったくせに、その恩の形が気に入らないというだけで、ずいぶん長くふてくされていた。

窓の外で、団地の子どもが笑っていた。

どこかの家で掃除機の音がした。

生活というのは、人が死んでも少しも遠慮しない。

私は湯呑みを持ったまま、ぽつぽつと話した。

母のことをずっと苦しく思っていたこと。

あの日の祖父の言葉を、何年も嫌っていたこと。

市役所で人の事情を聞くたび、自分だけは他人を決めつけないつもりでいて、いちばん近い人間を決めつけていたこと。

誰も返事はしなかった。

けれど、不思議と、それでよかった。

人はたぶん、許されるときより、受け取り直せるときのほうが静かに救われる。

帰り際、私は台所の棚の奥から、昔の飴玉の缶を見つけた。

中には、私が子どものころ使っていた五百円玉貯金の袋が入っていた。

袋の表に、祖父の字で『ゆうか つかうな』と書いてある。

ゆうかは私の名前だ。

私は思わず笑って、それを鞄に入れた。

それから玄関で靴を履きながら、ふと下駄箱の上に置かれた小さな家計簿ノートに気づいた。

めくると、鉛筆で短い文字が並んでいた。

『ゆうか 就職祝い 五千円包む』

『言うの忘れた』

『次に来たら渡す』

その次の頁には、

『渡せんかった』

とだけ書いてあった。

私はそこでまた泣いた。

この人は、渡せないことや言えないことばかりを、こんなふうに書き残していたのだ。

不器用な人間の気持ちは、声より先に、しまい込んだ紙のほうに出ることがある。

団地の階段を下りるとき、手すりに春の陽が当たっていた。

少しあたたかかった。

その夜、私は机の上に自分の通帳と、祖父の封筒を並べた。

数字は相変わらず心細い。

でも前と同じには見えなかった。

金というのは、ときどき、愛情の下手な翻訳なのだと思った。

うまくない。

誤解も多い。

けれど、下手だからといって、そこに気持ちがなかったことにはならない。

私は祖父の残した金を、そのまま生活費に混ぜる気にはなれなかった。

翌月、私はその一部で、小さな積立口座を作った。

名目は、何でもよかった。

でも通帳の備考欄に、心の中で勝手に名前をつけた。

受け取り直し、という名前だった。

母の写真に手を合わせ、それから小さく言った。

「受け取ったよ」

誰に向けたのか、自分でも少し曖昧だった。

母かもしれないし、祖父かもしれないし、ようやく勘違いをほどき始めた自分自身かもしれない。

窓の外では、団地のどこかの部屋に明かりがついた。

ひとつ、またひとつと灯っていく。

ああいうふうに人の気持ちも見えれば楽なのに、と思う。

でも見えないから、私たちは何度でも受け取り損ねて、何度でも受け取り直すのだろう。

その不器用さごと、たぶん家族なのだ。

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