祖父が死んでから、私は人に本を返してもらう仕事をするようになりました。
図書館司書、という呼び名は、いくらか知的で、いくらか静謐で、そして実際より少し立派に聞こえます。
ほんとうのところは、返却期限を過ぎた本に督促状を出し、破れた頁に薄い補修紙をあて、誰かの忘れていった栞やレシートを抜き取って、棚の秩序を元に戻す仕事です。
私はこの仕事が好きでした。
好き、というのは、少し明るすぎるかもしれません。
向いていた、のほうが、私のような人間には正確です。
本は、黙っています。
人間の沈黙のように、こちらを試したり、責めたり、期待したりしない。
開けば言葉があり、閉じれば静かにしている。
その勝手のよさに、私は長いこと救われてきました。
祖父もまた、どちらかといえば本に似た人でした。
よく喋る人ではなかったし、笑うときも、口の端だけが少し動く程度でした。
私が子どものころ高熱を出して寝込んだときも、枕元に来て額へ手を当てるかわりに、黙って文庫本を置いていった人です。
「読めるようになったら読め」
そう言って。
私はあのとき、ずいぶん腹を立てました。
読めるようになったら、ではないでしょう、と思ったのです。
子どもは、読書感想文ではなく、看病を求めるときがある。
けれど祖父は、そういう「そばにいる」を、いつも別の形で済ませる人でした。
台所に林檎を剥いて置くとか、湯たんぽを黙って入れ替えるとか、雨が降る前に洗濯物を取り込んでおくとか。
やっていることは確かに親切なのに、言葉が足りない。
私は、その足りなさを長いこと冷たさだと思っていました。
祖父は、町立図書館の裏手で古書店を営んでいました。
古書店、と言えば風流ですが、実際は天井の低い細長い店で、古い紙と埃と、少し湿った木の匂いのする場所でした。
私は学校が終わると、よくそこへ連れて行かれました。
正確に言えば、母の仕事が遅い日には預けられたのです。
私はそれが嫌いでした。
店の奥は薄暗いし、祖父は帳場の横で小さな字を手帳に書いてばかりいるし、子どもが喜ぶような会話は一つもない。
「学校はどうだった」
と訊かれても、
「べつに」
と答えるしかありませんでした。
祖父はそこで会話を終わらせる。
べつに、の裏に何があるか、掘り返そうとはしない。
そのくせ、ときどき棚から本を抜いて、私の前へすっと置きました。
「これは読める」
とか、
「字が大きい」
とか、その程度のことしか言わない。
私は子どもでしたから、そういう不器用さを不器用さとして受け止めることができず、ただ、愛想のない人だと思っていました。
しおりをもらったのも、その店でした。
厚紙に細いリボンを通しただけの、商売っ気のない栞です。
新しい本を手に取っていると、祖父は横から無言で差し出してきました。
「その本にはいる」
私はむっとしました。
あげる、でもなく、使え、でもなく、いる。
まるで道具の話です。
ありがとう、と言うべきなのかどうかも曖昧で、私は結局、無言で受け取って、本に挟みました。
祖父と私は、そういう半端なやりとりを、ずいぶん丁寧に積み上げてきたのだと思います。
高校生のころ、一度だけ大きな喧嘩をしました。
進路の話です。
私は東京へ行きたいと言いました。
べつに大志があったわけではありません。
ただ、この町にいると、自分がずっと祖父や母の沈黙の延長で生きていくような気がして、息が詰まったのです。
祖父はしばらく黙って、それから、
「おまえは、遠くへ行っても、たぶん同じだ」
と言いました。
私はその言い方を、一生忘れないと思うくらい憎みました。
何も分かっていないくせに、知ったようなことを言うな、と。
私はその夜、店の手伝いを放り出して帰り、しばらく古書店へ寄らなくなりました。
今にして思えば、祖父はたぶん、土地の話ではなく、私の性分の話をしていたのでしょう。
けれど、そのころの私は若く、若い人間はたいてい、正しい意味より先に傷ついた意味を選びます。
結局、私は東京へは行かず、県内の短大で司書資格を取りました。
町立図書館の採用試験に受かったとき、いちばん先に電話をかけたのは母で、その次が祖父でした。
母は電話口で、あらまあ、と、たいして意味のない感嘆詞を何度も繰り返し、それが却ってうれしかった。
祖父は、
「そうか」
とだけ言いました。
私は受話器を持ったまま、しばらく黙りました。
おめでとう、くらい言えばいいのに、と思ったのです。
祖父は、その沈黙のあとで、
「図書館は、雨の日でも人が来る」
と言いました。
私は、そのときも意味がわかりませんでした。
いま思えば、あれが祖父なりの祝福だったのかもしれません。
けれど、祝福というものは、受け取る側に通じなければ半分失敗です。
祖父は、その失敗を何度も繰り返す人でした。
それから数年して、祖父は死にました。
冬の終わりでした。
雪になりきれない雨が一日じゅう窓を濡らし、病室の空気まで湿っているような日でした。
もう長くないと聞かされていたのに、私はどこかで、祖父は簡単には死なない気がしていました。
古い辞書みたいな人でしたから、少しやそっとでは閉じないと思っていたのです。
けれど人は、たいてい、思ったよりあっけなくいなくなります。
最期のころ、祖父はほとんど目を閉じていました。
私がそばに座っても、握手の一つもしない。
ようやく口をひらいたかと思えば、
「店の鍵、引き出しの右だ」
それだけでした。
私はさすがに腹が立って、
「そういうことじゃなくて、何かあるでしょう」
と言いました。
祖父は少しだけ眉を動かしました。
しかし、結局、何も言いませんでした。
私はその沈黙を、最後まで身勝手だと思っていました。
泣いたのは葬儀のあとです。
泣きながらも、どうして私は、死んだ人にまで分かってもらえなかったことを責めているのだろう、と考えていました。
ずいぶん不遜な喪失ですが、私はもともと、きれいに悲しむことのできる人間ではありません。
図書館の仕事は、祖父の死後も変わりませんでした。
朝、返却ポストの本を回収し、傷みを確かめ、棚の乱れを直し、利用者の質問に答える。
児童書コーナーでは、文字より先に色に惹かれて本を抱える子がいる。
郷土資料室には、毎週決まった曜日に来る老人がいる。
閉館前になると、受験生が息を切らして駆け込んで来る。
日々は律儀に進み、悲しみはその隙間に押し込まれていきました。
その年の六月、蔵書点検で休館した日のことです。
私は書庫のいちばん奥で、寄贈資料の整理をしていました。
古書店を畳んだ祖父の本の一部が、遺言どおり図書館へ寄贈されることになったのです。
段ボールを開けると、古い全集や詩集に混じって、見覚えのある栞が何枚も出てきました。
厚紙に細いリボン。
あの、祖父のしおりでした。
私はそのうちの一枚を指先でつまみ、妙に胸がつかえるのを感じました。
子どものころ、祖父が本といっしょに差し出してきた、不格好な好意の手つきが、急に生々しくよみがえったからです。
一冊の詩集に、そのしおりが挟まっていました。
頁には、ごく薄い鉛筆の線が引いてありました。
『見えないものほど、長く人を支える』
そんな一文でした。
私はその本を、整理台車に載せず、自分の机まで持って行きました。
閉館中の図書館は、ふだんよりさらに静かです。
人の気配がないぶん、本棚そのものが息をしているように思える。
私は机に座り、しおりを抜こうとして、そこで手を止めました。
しおりの先に、何か薄い紙片が引っかかっていたのです。
祖父の古い手帳の余白でした。
切り取られた頁の端に、見慣れた小さな字が並んでいました。
日付は、私が司書採用の通知を受けた年の四月。
――孫、図書館へ。
――本に囲まれて働けるなら、あの子は少しは無理をしないで済む。
――祝いの言葉は、電話ではうまく言えない。
私は、そこでしばらく文字を追えなくなりました。
祝いの言葉は、電話ではうまく言えない。
そんなことがあるのか、と思いました。
けれど、あるのでしょう。
現に今の私も、胸の中ではいくつも言葉が溢れているのに、そのどれ一つとして祖父に届かないのですから。
紙片を裏返すと、続きがありました。
――あの子は、褒めるとすぐ疑う。
――だから本に挟んでおく。
――気づけばよいし、気づかなくてもよい。
――見守るとは、たぶんそういうことだ。
私はそこで、笑ってしまいました。
泣く手前で笑うのは、たぶん家系です。
褒めるとすぐ疑う、とはひどい書きようでしたが、その通りでした。
それから私は、段ボールの本を一冊ずつ開きました。
あるものには、しおりだけ。
あるものには、しおりと手帳の余白。
余白の文字は、どれも短く、ぶっきらぼうで、それでいて妙に正確でした。
――熱を出した日、店の隅で眠らせておいた。起きたら児童書を読んでいた。親より本の匂いのほうが落ち着く子かもしれぬ。
――中学の帰り、何も言わず店番をした。礼を言うと逃げるから、ココアだけ置いた。
――進路で喧嘩。遠くへ行っても同じ、と言ったのは失敗だった。土地のことではなく、あの子の淋しさの癖の話だったが、言葉が足りぬ。
私は、その一枚で泣きそうになりました。
失敗だった、と祖父は書いていました。
あの、ほとんど訂正も謝罪もしない人が、自分の言い方を失敗と書いていたのです。
さらに別の本には、こんな余白もありました。
――あの子は、さびしいときほど平気な顔をする。
――その顔にだまされないこと。
――ただし、こちらが見抜いたと知らせると怒る。
――難儀な子だが、そこが可愛い。
私はとうとう、書庫の床にしゃがみ込んで泣きました。
泣く資格があるのかどうか、いつもならまずその審査から始めるのですが、その日はだめでした。
祖父は私を記憶違いしているのだと、ずっと思っていたのです。
本が好きな孫。
静かな仕事が向いている孫。
そんなふうに都合よく見ているだけだと。
でも違った。
記憶違いをしていたのは、私のほうでした。
祖父は見ていなかったのではない。
見ていたのに、うまく言えなかっただけでした。
言いそびれたこと。
照れて言えなかったこと。
口に出すと軽くなりそうで、紙の切れ端に逃がしたこと。
それを、しおりと一緒に、本のあいだへ挟んでいたのです。
夕方、整理の終わった本を抱えて閲覧室へ戻ると、西日が長机の端だけを明るくしていました。
窓際の席に、小さな男の子が一人座っていました。
閉館中なのに、と思いましたが、職員の子でした。
母親がカウンターの事務仕事をしているあいだ待っているらしい。
男の子は夢中で本を読み、ふと、困ったように頁を押さえました。
読みかけの場所が分からなくなったのでしょう。
私は近づいて、
「しおり、使う?」
と訊きました。
男の子は顔を上げ、少しだけ警戒してから、こくんと頷きました。
私はポケットから、館内用の厚紙のしおりを一枚出して渡しました。
男の子はそれを本にそっと挟み、頁を閉じました。
「ありがとう」
その一言を聞いたとき、私はなぜだか、祖父に言いそびれていた礼を、ほんの少しだけ返せた気がしました。
閉館後、私は祖父の余白を封筒に入れ、私物ロッカーの奥へしまいました。
最後の一枚には、こんなことが書いてありました。
――私がいなくなっても、本は残る。
――本が残れば、あの子はひとりになりきらずに済む。
――見えるところにいなくても、見守ることはできる。
その晩、帰り道の橋の上で私は立ち止まりました。
川面は暗く、街灯の光だけが細く揺れていました。
祖父は最後まで、やさしいことを上手には言えなかった。
けれど、下手なまま、ちゃんと見ていたのです。
私が取りこぼした頁みたいな日々を、一枚ずつ拾って。
いま、カウンターの引き出しには、しおりを少し多めに入れています。
子どもが借りる冒険小説にも、老人が読む詩集にも、ときどきそっと挟みます。
返ってきたとき、そのしおりがなくなっていることもある。
どこかの家の机の上で、誰かの読みかけを守っているのかもしれません。
それでいいのだと思います。
見守るとは、たぶん、そういうことなのでしょう。
手を引きすぎず、声をかけすぎず、でも、次の頁がどこからか分からなくならないようにしておくこと。
祖父が、私にしたみたいに。
今日も私は、返却された本をひらきます。
頁のあいだに忘れものがないか確かめるために。
押し花、古い乗車券、買い物のメモ、ときどきは誰かの写真。
そして、ごくたまに、しおり。
そのたび私は思うのです。
人は、言えなかった言葉のぶんだけ、何かをそっと挟んで生きているのかもしれない、と。
もしそうなら、祖父はきっと、いまもどこかで見ているのでしょう。
また頁を折るな、とでも言いたげな顔で。
私はもう、それを冷たいとは思いません。
あれは不器用な見守りでした。
泣けるほど、静かな。


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