病院の朝は、いつも少しだけ冷たいのです。
夜のあいだに拭かれた床は白く光っていて、蛍光灯の下を歩く靴音まで、どこか遠慮がちに響く。
そのくせ、ナースステーションの奥ではもう一日分の忙しさが静かに沸きはじめていて、白衣の擦れる音や、カルテをめくる音や、申し送りの低い声が、小さな波みたいに重なっている。
私はその波のあいだを縫うようにして、毎朝、リハビリ室へ向かいます。
作業療法士という仕事は、派手ではありません。
誰かの人生を劇的に変える英雄のように見られることもありますが、実際の私は、もっと地味で、もっと細かなことばかり扱っています。
ボタンを留めること。
歯ブラシを持つこと。
箸を使うこと。
湯のみを口まで運ぶこと。
そういう、元気だったころには誰もありがたがらなかった動作が、病気のあとでは急に、その人の人生そのものみたいな顔をして目の前に現れるのです。
私はそのことを、わかっているつもりでした。
つもり、というのは、ずいぶん情けない言葉です。
本当にはわかっていないくせに、わかった顔だけ先に身につけてしまった人間に、よく似合う。
私はたぶん、その種類の人間でした。
秋山さんに出会うまでは、少なくとも、自分のその思い上がりに気づいていませんでした。
秋山さんは七十四歳で、脳梗塞のあと右手に軽い麻痺が残っていました。
言葉も少しゆっくりになっていて、返事はたいてい短い。
こちらが話しかけると、一拍おいてから必要なぶんだけ答える。
けれど、無口な人にかぎって、何も考えていないわけではないのです。
むしろ、黙っているぶんだけ、こちらが勝手に都合よく意味を足してしまう。
秋山さんは、まさにそういう人でした。
初めて病室へうかがった日、私はベッドサイドに置かれた紺色のマグカップに目をとめました。
無地で、少し大きめで、持ち手のところに細かな傷がある。
飲み口の縁だけわずかに色が薄くなっていて、何年も、朝ごとに誰かの手の中にあったものだけが持つ、あの生活に馴染みきった顔をしていました。
「お気に入りなんですか」
そう聞くと、秋山さんはカップを見て、少しだけうなずきました。
「家で、毎朝」
それだけでした。
でも、その四文字の中に、朝の台所の光や、新聞をめくる音や、奥さんが湯を沸かす気配まで、ぜんぶ入っているような気がしたのです。
あとで奥さんから聞いた話では、そのカップは娘さん夫婦からの贈り物でした。
定年退職の日に、夫婦おそろいで渡されたものらしい。
秋山さんは毎朝、そのカップでコーヒーを飲み、それから新聞を開くのが長年の習慣だったそうです。
「最初の一口がないと、一日が始まらないって言うんです」
奥さんはそう言って、少し恥ずかしそうに笑いました。
私はそういう話を聞くと、すぐ胸が熱くなってしまうたちです。
訓練の課題が、ただの運動ではなく、その人が帰りたい生活そのものに見えてくるからです。
それで私は、秋山さんの訓練にそのマグカップを取り入れました。
最初は空のまま、持ち手に指をかけるところから始めました。
次にぬるま湯を少しだけ入れる。
左手で底を支えながら、右手を使う。
手首の角度を調整して、こぼれない高さまで持ち上げる。
そんなふうに、一つずつ。
最初のうちは、うまくいきませんでした。
右手の指先に力が入りきらず、持ち手からするりと抜ける。
縁で水が揺れて、机に一滴こぼれる。
そのたびに私は、「大丈夫です、もう一回いきましょう」と声をかけました。
秋山さんは文句を言いませんでした。
悔しそうに眉を寄せることはあっても、投げ出すことはしない。
ただ少し唇を結んで、もう一度やる。
その静かな繰り返しに、私は勝手に励まされていました。
努力というのは、声の大きさとは関係がないのだと、あの人の沈黙を見ているとよくわかりました。
訓練の合間、秋山さんが珍しく少し長く話してくれたことがあります。
「朝は、妻のほうが早いんです」
「台所で先に湯を沸かしてる」
「私は、新聞と、このカップ」
そこまで言って、秋山さんは少しだけ笑いました。
「だいたい、同じ時間に、同じことをする」
私は、その“同じ”という言葉がひどく大事なものに思えました。
病気というのは、人から体の自由だけではなく、その“同じ”を奪うものなのだと、そのときあらためて感じたのです。
ところが三週間ほどたったころから、秋山さんの疲れが目立ちはじめました。
午後になると眠気が強い。
血圧もやや不安定になる。
返事も短くなり、表情も少し曇る。
看護師からも、「今日はかなりお疲れですね」と言われました。
私は急に怖くなりました。
この訓練が負担なのではないか。
秋山さんは真面目な人だから、しんどくても断れないだけではないか。
無理をさせてしまっているのではないか。
そう思った私は、善意の顔をして、いちばんまずいことをしました。
秋山さんにきちんと聞かずに、マグカップの訓練をやめたのです。
代わりに、もっと軽い課題へ変えました。
タオルをたたむ。
スポンジを握る。
洗濯ばさみをつまむ。
机の上の輪を棒に通す。
どれも必要な訓練でした。
理屈としては、どれも間違っていませんでした。
でも、それは秋山さんが欲しかったものではなかったのです。
そのことに、私は驚くほど長く気づきませんでした。
秋山さんは、その日からさらに無口になりました。
もともと寡黙な人ですから、変化はとても小さい。
けれど、以前の沈黙は、言葉の代わりに力を使っている沈黙でした。
あの日からの沈黙は、どこにも向かっていない沈黙でした。
私が「今日は軽めにしましょう」と言うと、「はい」と答える。
私がタオルを差し出せば受け取る。
言われた回数だけ手を動かす。
でも、その手には、家へ帰ろうとする気配がなくなっていたのです。
私はそれを、疲れのせいだと思い込みました。
「無理しないでいきましょう」
「しんどかったら言ってくださいね」
そう声をかけるたび、秋山さんは「はい」とだけ答えました。
私はその“はい”を、了承だと思っていました。
いま思えば、あれは諦めに近かったのでしょう。
ある日、病棟の廊下で奥さんに呼び止められました。
小柄で、やわらかな声の人でした。
その人は鞄から小さなノートを出して、「あの人、言えないことがあると書くんです」と言いました。
本当は見せたくないのだけれど、と前置きして、開いた一ページを私に向けた。
そこに、少し震えた字でこう書いてありました。
「できないからやめる、にされた気がした」
その一行を見た瞬間、胸の奥が冷たくなりました。
少し下には、短い言葉がいくつか並んでいました。
「しんどいのは本当」
「でも、あれを持てるようになりたかった」
「家で、朝、あれで飲みたい」
「あれが持てたら、戻れる気がする」
あれ、というのは、言うまでもなく、あの紺色のマグカップでした。
私はその場で、ひどく恥ずかしくなりました。
不器用なのは秋山さんではなく、私のほうでした。
私は“負担を減らす”という正しそうなことをして、その人の願いを勝手に小さくしてしまったのです。
それは気遣いではなく、気遣いの形をした横取りでした。
その日の午後、私はリハビリ室で秋山さんの前に座り、頭を下げました。
「すみませんでした」
「私は、疲れておられるのを見て、勝手に決めました」
「でも、本当は聞くべきでした」
「それでも続けたいかどうかを」
秋山さんはしばらく黙っていました。
その沈黙の数秒が、ひどく長く感じられました。
やがて秋山さんは右手を見て、ゆっくり言いました。
「気をつかってくれたのは、わかってました」
私は顔を上げられませんでした。
「でも」
そこで言葉が少し切れて、それから続きました。
「できないままに、されたようで」
私は、その一言をたぶん一生忘れません。
できない人として、やさしく扱われること。
挑まなくていいように、先に守られてしまうこと。
善意のなかで、可能性だけが先に片づけられてしまうこと。
その痛みに、私は自分の手で触れてしまっていたのです。
それから、私たちは訓練をやり直しました。
前よりゆっくり、前より細かく。
今日は何回やるか。
中身は空か、少し入れるか。
途中で休むか。
右手をどこまで使うか。
一つずつ、秋山さん自身に決めてもらいました。
すると不思議なもので、秋山さんの顔つきが少し戻ってきました。
疲れが消えたわけではありません。
うまくいかない日もある。
でも、自分で選んだしんどさには、ちゃんと行き先があるのです。
ある朝、窓の光が机にやわらかく落ちている中で、秋山さんは右手でマグカップの持ち手をつかみました。
左手は下で支えている。
手首は少し震えて、中のコーヒーが小さく揺れた。
ほんの数秒でした。
でも、その数秒のために、私たちは何週間も遠回りをしたのです。
秋山さんはカップを口元まで運び、一口だけ飲みました。
それから、目元だけで笑った。
「うまいですか」と聞くと、少し間を置いて言いました。
「家のほどじゃないけど」
その一言で、私は危うく泣くところでした。
家のほどじゃない。
つまり、まだ家がちゃんと先にある、ということです。
帰る場所として。
朝のコーヒーを飲む場所として。
その少しあと、訓練の帰りぎわに秋山さんがぽつりと言いました。
「帰ったら、最初はたぶん、こぼします」
私は笑いました。
「いいと思います」
秋山さんも、少し笑いました。
「妻に怒られます」
「怒りながら、拭いてくれますよ」
「そうですね」
その“そうですね”は、初めて聞くような、やわらかい声でした。
人が本当に回復していくときというのは、劇的な場面ではなくて、こういう“ありふれた先の話”ができる瞬間なのかもしれません。
退院の日、奥さんが一枚のコピーをくれました。
日記の一部でした。
秋山さんが、見せてもいいと言ったのだそうです。
そこには、短くこう書かれていました。
「持てた。少しだけ」
「少しだけ、で十分うれしかった」
「帰ったら、朝のコーヒーをまた飲む」
「こぼすだろうけど、それでもいい」
そして最後に、こうありました。
「この年で、まだ先の話ができるのは、ありがたい」
私は休憩室でそれを読み、しばらく動けませんでした。
小さな希望、という言葉があります。
前の私は、それを少し甘く見ていたのだと思います。
もっと大きな回復や、もっと劇的な変化のほうが、人を救うのだと、どこかで思っていたのです。
でも違いました。
本当に人を立ち上がらせるのは、明日の朝、自分のマグカップでコーヒーを飲む、そういう小さな希望なのかもしれません。
しかもそれは、他人が勝手に決めていい大きさではない。
本人の手の中で、本人の重さで持たれるべきものなのです。
秋山さんが退院して半年ほどたったころ、小さな包みが病院に届きました。
中には、あの紺色のマグカップが入っていました。
添えられたメモは、たった一行だけでした。
「今朝もこれで飲めました」
それだけでした。
お礼も、近況も、飾った言葉もなかった。
けれど、その一行だけで十分でした。
私は物品庫で、その字を何度も見返しました。
泣くつもりはなかったのに、涙だけが勝手に落ちました。
希望というのは、たぶん、こういうものなのでしょう。
両手で持てるくらいの重さで。
割れものみたいに脆くて。
それでもたしかに、明日へつながっているものとして。
病院の朝は、今日も少し冷たいです。
廊下では車椅子の音がして、どこかで誰かの名前が呼ばれる。
私はその中を歩きながら、ときどき、あの紺色のマグカップを思い出します。
人を助けるというのは、先にしてやることではなく、まだ望んでいいのだと、その人の手に返してあげることなのかもしれない、と。
そして、そのことを忘れそうになるたび、私は胸の中でそっと言うのです。
あの日、私の浅い優しさを、ちゃんと傷として教えてくれてありがとうございました、と。
その痛みのおかげで、私は少しだけ、誰かの希望を横取りしない人間に近づけた気がするのです。


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