弟とは、もう何年も、ちゃんと話していなかった。
喧嘩別れ、というほど劇的なものではない。
もっと鈍くて、もっとだらしのない断絶だった。
会えば話す。
連絡が来れば返す。
盆や正月には顔も合わせる。
けれど、肝心なところへ来ると、互いに少しだけ冗談めかし、少しだけ茶化し、そのまま本当のことを言わずに終わる。
そういう、兄弟にありがちな怠慢が、年を取るにつれて固まっていったのだと思う。
私は郊外の駅前にあるコンビニで働いている。
二十四時間営業の、どこにでもある店だ。
朝は通勤の会社員がコーヒーを買い、昼は工事の人が弁当を選び、夜は学生が菓子やカップ麺を抱えて笑いながら入ってくる。
レジの音。
フライヤーの油の匂い。
自動ドアの開閉。
宅配便の受け渡し。
公共料金の支払い。
コピー機の案内。
毎日はそういう細かい雑事で埋まっていて、気を抜くと、自分が何のためにそこに立っているのか、わからなくなる。
忙しい、という言葉は便利である。
忙しい、と言ってしまえば、大抵の遅れは許される気がするし、約束をひとつ二つ守れなかったくらいでは、まだ人として失格ではないような顔ができる。
私は長いこと、その言葉の陰に隠れて生きてきた。
弟は、駅の向こう側の整備工場で働いていた。
子どもの頃は泣き虫で、よく私のあとをついて歩いた。
体も小さく、喧嘩も弱く、何かあるたび「兄ちゃん」と呼んだ。
私はそれが少し煩わしく、少し誇らしかった。
兄というのは、たいてい未熟なくせに、守る側の役だけは早めに与えられてしまう。
上手に守れた記憶より、邪険にした記憶のほうが、あとから長く残るのは、そのせいかもしれない。
子どもの頃、弟は電車が好きだった。
駅前の古い歩道橋の上から、特急が通るのを何十分も見ていられるような子だった。
私は正直、そこまで面白いとは思わなかったが、弟が嬉しそうに線路の向こうを指さすので、たまには付き合った。
夕焼けのなかを電車が滑っていくたび、弟は目を丸くした。
そのたび私は、そんなに大げさに喜ぶほどのものか、と思いながら、でも少しだけ得意になっていた。
自分が連れてきてやった景色で、誰かが喜ぶのは悪くなかった。
母が亡くなった年の秋、弟が珍しく電話してきた。
店のバックヤードで、私は廃棄のサンドイッチを仕分けしていた。
夜の忙しい時間帯の少し前で、頭の中は揚げ物の補充とシフトの穴埋めでいっぱいだった。
「今度の金曜、夜、少し空かない?」
弟はそう言った。
「なんで」
「いや、たいしたことじゃないけど。兄ちゃん、前にさ、今度飯でも行くかって言ってただろ」
たしかに言った覚えはあった。
母の仏壇の前で缶ビールを飲みながら、たぶん軽い調子で口にしたのだろう。
私は、そういうことをよく言う。
そして、よく忘れる。
「ああ、悪い。その日たぶん遅いわ」
「そっか」
弟は少し黙ってから、あっさり言った。
「じゃあまたでいい」
その「また」が、ずいぶん長く使い古された言葉だということに、私はそのとき気づかなかった。
さらに二週間ほどして、弟がまた店に来た。
夜の十時過ぎで、駅前も少し静かになりはじめていた。
弟は作業着のまま、缶コーヒーと煙草を持ってレジへ来た。
首元にうっすら油汚れがあり、頬が少しこけて見えた。
痩せたな、と思った。
思ったのに、そこで終わった。
「おつかれ」
と私が言うと、弟は笑って、
「兄ちゃんこそ」
と言った。
本当なら、そのとき聞けばよかったのだ。
何かあったのか。
最近、顔色が悪いけど大丈夫か。
どうしてそんなに、私と飯に行きたがるのか。
どうして、前より少しだけ、話す声が柔らかいのか。
けれど私は、後ろに並ぶ客を見て、
「また今度な」
と言ってしまった。
また今度。
便利で、空疎で、いちばん信用ならない言葉だ。
弟は会計を済ませ、ポケットから定期券を落とした。
拾って渡すと、弟は「助かった」と言って少し笑った。
透明のケースに入った、擦れた定期券だった。
駅名の文字が薄くなっていた。
「それ、まだ使ってんのか」
「うん。毎日乗るし」
「もうぼろぼろじゃん」
「慣れてるから、これがいいんだよ」
弟はそう言って、定期券を胸ポケットにしまった。
そのしぐさが妙に子どもっぽく見えて、私は少しだけ昔を思い出した。
小さいころ、大事な切符を宝物みたいに握っていた手のことを。
それが、弟とまともに交わした最後の会話になった。
三日後、弟は事故に遭った。
工場からの帰り、駅前の交差点で、居眠り運転の車に巻き込まれたのだと聞いた。
病院へ駆けつけたときには、もう意識がなかった。
白いシーツの上の弟は、弟というより、弟の形をした静かなものに見えた。
私はその静けさが恐ろしくて、名前を呼ぶことしかできなかった。
けれど、呼んでも、返事はなかった。
それからのことは、あまり覚えていない。
通夜。
葬儀。
親戚の顔。
焼香の煙。
書類の手続き。
役所。
保険。
遺品。
悲しむには、現実は妙に事務的で、事務をこなすには、悲しみが妙に重かった。
弟の部屋を片づけることになったのは、四十九日を過ぎてからだった。
アパートの一室は、驚くほど整っていた。
脱いだ服は畳まれ、工具の本は棚に並び、流しに汚れた皿もない。
私はなんだか腹が立った。
几帳面に生きていた人間ほど、急にいなくなると、残された整頓がこちらを責める。
どうしてそんなにきれいにして行ってしまうのだ、と。
机の引き出しには、給与明細や領収書や、古い写真が入っていた。
子どもの頃、駅前の歩道橋で撮った写真もあった。
電車を指さしている弟の横で、私はいかにも退屈そうな顔をしている。
けれど、その写真の隅で、私の手はちゃんと弟の肩に触れていた。
あのころは、触れることに理由なんかなかった。
守るつもりも、償うつもりもなく、ただ兄だった。
机の隅に、古い携帯電話の充電器があり、その横にメモが一枚置いてあった。
『兄ちゃん 留守電、消さないで』
私はそこで手を止めた。
弟のスマホは、事故のあと警察から返ってきていた。
画面にひびが入っていたが、電源は入った。
私はそれを、なんとなく見ないまま引き出しに入れていた。
見るのが怖かったのだと思う。
知らないほうが生きやすいこともある。
けれど、それはだいたい、生きやすいだけで、正しいわけではない。
充電して起動すると、通知がいくつも出た。
その中に、私の番号からの着信履歴が一件もないのを見て、胸が鈍く痛んだ。
私は弟からの連絡を待つばかりで、自分から探しに行くことを、ずいぶん長いことしていなかった。
留守番電話が二件残っていた。
一件目は、工場の同僚からの短い連絡だった。
二件目を再生した瞬間、私は椅子に座り直した。
『兄ちゃん? 俺。いま駅前。たぶん仕事終わる頃かなと思って』
弟の声だった。
いつもの、少し遠慮がちな声。
『今日さ、別に大した日じゃないんだけど、母さんの命日近いじゃん。だから、その……飯でもどうかなと思って』
そこで、小さく笑う気配がした。
『まあ、急だし、忙しかったらいい。兄ちゃん忙しいもんな』
数秒、雑音が続いた。
駅のアナウンスらしい声が遠くに流れている。
私はその駅の音で、弟がどこに立っていたかを、妙に具体的に思い浮かべてしまった。
改札の横の柱のあたりだろうか。
冬になると風の吹き込みが強い、あの場所だろうか。
『あとさ、これ言うの変だけど、この前の約束、俺、わりと本気だったんだよ』
私はその言葉で、息が止まった。
約束。
たぶん、あの夜だ。
母の仏壇の前で、私が軽く言ったのだろう。
「今度ちゃんと飯行くか」
その程度の、酒のつまみみたいな言葉だった。
けれど弟は、それを覚えていたのだ。
『兄ちゃん、昔っから、すぐ忘れるけどさ』
留守電の向こうで、弟はまた少し笑った。
『俺は覚えてるんだよ。子どもの頃も、駅前でアイス買う約束とか、キャッチボールするとか、電車見に行くとか。兄ちゃん、結構忘れてたけど』
そこで、喉の奥がひりついた。
忘れた約束ばかりではなかったはずだ。
守った約束もあったはずだ。
けれど、人は不思議なくらい、取り返しのつかないほうだけを、あとから鮮明に思い出す。
『でもまあ、今回はまたでいいや。またで。定期、今日で切れるし、駅前来る理由も減るから、その前に顔見れたらって思っただけ』
少し間があった。
その数秒が、やけに長く感じた。
『兄ちゃん、元気でやれよ。無理すんなって言っても、たぶん無理するんだろうけど』
最後に、ひどく静かな声で、弟は言った。
『今度は忘れんなよ』
そこで録音は切れた。
私はしばらく動けなかった。
人が本当に壊れるとき、声は出ないものらしい。
泣くとか、叫ぶとか、そういう劇的な崩れ方ではなく、まず呼吸が下手になる。
私は弟の机に肘をつき、口を押さえたまま、何度も留守電を聞き返した。
忘れていたのは、約束だけではなかったのだと思う。
弟がもう、昔みたいに私のあとをついてくる子どもではないこと。
弟にも、会いたい理由や、言えない寂しさがあること。
私が思っていた以上に、弟はずっと、私との時間を大事にしていたこと。
兄だからといって、いつまでも相手が待ってくれるわけではないこと。
そういう当たり前を、私は忙しさの陰で、ずいぶん長いこと見失っていた。
遺品の箱の底に、あの擦れた定期券があった。
事故の日まで使っていたものだ。
透明ケースの角は白く濁り、裏には小さな油染みがついていた。
何気なく裏返すと、中に小さく折りたたんだ紙が挟んであった。
開くと、子どもの字で、
『にいちゃんと えきまえで でんしゃみる』
と書いてあった。
私はその文字を見た瞬間、椅子から立てなくなった。
たぶん、ずっと昔のものだ。
幼稚園か、小学校に上がる前か、弟が自分で書いたのだろう。
丸くて、危なっかしい字だった。
けれど、その危なっかしい文字のほうが、立派な遺書よりも、私には残酷だった。
覚えていたのだ、あいつは。
駅前で電車を見る約束を。
きっと、果たせなかった約束も、果たした約束も、ごちゃまぜのまま、ずっと持っていたのだ。
大人になってから使っていた定期券の中に、子どもの頃の約束を挟んだまま。
私は何をしていたのだろう、と思う。
コンビニのレジで、誰かの公共料金を受け取り、誰かの荷物を預かり、誰かの弁当を温め、そのたびに「ありがとうございました」と頭を下げながら、いちばん受け取るべきものを受け取り損ねていた。
弟がいなくなってから、私は少しだけ変わった。
大きくではない。
人間はそんなに急には立派になれない。
ただ、約束をするとき、前より慎重になった。
会える相手には、会えるうちに会うようにした。
忙しいから、を、前ほど便利に使えなくなった。
店長に頼まれても、月に一度だけは、夕方のシフトを断る日をつくった。
はじめは気まずかったが、じきに慣れた。
世界は、私がひとつ断ったくらいでは止まらなかった。
止まらないくせに、大事なものだけは、簡単に置いていくのだと思った。
何より、駅前を見る目が変わった。
夜勤明けの朝、店の前を掃いていると、始発がホームへ滑り込む音がする。
学生が走り、会社員が俯き、誰かが定期券を改札に当てる。
そのたび私は、胸のどこかで、あの留守電を聞く。
『今度は忘れんなよ』
だから私は、月に一度、休みの日の夕方に駅前へ行く。
コンビニで缶コーヒーを二本買って、一本は自分で開け、もう一本はベンチに置く。
電車を見るためだけに、少しぼんやり座っている。
傍から見れば、暇な中年に見えるだろう。
実際、半分はそうだ。
けれど、残り半分は、ちゃんと弟との約束を守っている。
この前、小学生くらいの兄弟がホームを指さして笑っていた。
上の子が得意そうに電車の名前を教え、下の子が何度も聞き返していた。
私はそれを見て、少し笑い、少し泣きそうになった。
ああいう時間は、渦中にいるときには、ただの退屈な付き添いに見える。
けれど過ぎてしまえば、それだけで、人は一生あたたまれるのだ。
約束というのは、守れたか守れなかったかだけではないのかもしれない。
誰かが覚えていてくれたこと。
その記憶に、自分があとから追いつくこと。
そういう遅い約束の果たし方も、たぶんある。
弟の定期券は、いま私の財布に入っている。
改札はもう通れない。
ただの期限切れの薄いカードだ。
それでも私は捨てられない。
ぬくもりなんて、とっくに消えているはずなのに、ときどき掌の中で、あの日レジ越しに返した温度を思い出す。
また今度、ではなく、今度こそ。
私はいまも、ときどき胸の中でそう言い直す。
言い直したところで、もう弟は返事をしない。
けれど、しないからこそ、人は残された約束を抱いて生きるのだろう。
郊外の駅前は、今日も明るすぎるくらいに明るい。
自動販売機の灯りも、改札の電子音も、電車のブレーキのきしみも、あの日とたいして変わらない。
変わったのは、そこを通る私のほうだ。
私は夜勤の帰り、ホームを見上げて小さく思う。
今度は忘れない。
忘れないから、どうか向こうで、もう少しだけ、呆れた顔で待っていてくれ。


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