祖母が見ていたのは、私の仕事だった

掃除しているところ 泣ける話

祖母が入院したとき、私はその病院で清掃員として働きはじめて、まだ三か月しか経っていなかった。

 三か月というのは、仕事に慣れたふりだけがうまくなって、中身はまだ空っぽ、という、いちばんみじめな時期である。

 モップの持ち方も、汚れの見つけ方も、先輩の真似をしてそれらしくやっていた。

 けれど、床の曇りは拭き取れても、自分の胸の中にある濁りまでは、どうにもならなかった。

 病院は、朝が早い。

 まだ空が白みきらないうちから、正面玄関の自動ドアが低い音を立てて開き、冷えた空気がロビーに流れ込む。

 私はいつも、その風の冷たさで目が覚めるような気がしていた。

 消毒液のにおい。

 ぬれたモップの重さ。

 ゴム手袋の内側にたまる汗。

 遠くで鳴るナースコール。

 そういうものに囲まれて働いていると、人間はだんだん、自分も備品のひとつみたいな気分になる。

 そこにいて、黙って、汚れたところをきれいにする。

 私は、そういう仕事をしていた。

 祖母は六階の東病棟にいた。

 肺を悪くしたのだと母は言ったが、詳しい病名は私は聞かなかった。

 聞かなかったというより、聞くのが怖かったのだと思う。

 名前を知ってしまうと、病気は急に輪郭を持ちはじめる。

 それが嫌だった。

 曖昧なままでいれば、まだ何とかなるような気がしていた。

 そういう卑怯さは、昔から私の中にある。

 私の担当は一階の外来と二階の待合、それから階段とトイレの応援だった。

 本当なら、勤務中に六階へ行く理由はない。

 けれど同じ建物の中に祖母がいると思うだけで、私は落ち着かなかった。

 バケツの水を替えるたび、頭のどこかで「六階」という数字がひかっていた。

 祖母は、私が子どものころからずっと、私を「まことちゃん」と呼んだ。

 その呼び方が、若いころは少し嫌だった。

 友だちの前でそう呼ばれると、子ども扱いされているようで、私はわざと無愛想にした。

 けれど社会に出て、職を転々として、うまくいかないことばかり増えてからは、その呼び名が妙に身にしみるようになった。

 祖母だけは、私が何者にもなれない日にも、昔と同じ声で呼んでくれたからだ。

 中学のころ、熱を出して寝込んだ私の枕もとに、祖母は氷枕を何度も替えに来た。

 高校受験に落ちた夜、父が不機嫌に黙りこんだ食卓で、祖母だけが「落ちたって、ご飯は食べられるよ」と笑って、焼き海苔を私の茶碗にのせてくれた。

 あの人は、慰めるのがうまいわけではなかった。

 ただ、私がみじめなときに、みじめなままで居させてくれる人だった。

 だから私は、祖母には本当のことを話せなかった。

 就職が続かなかったことも。

 前の会社を辞めた理由の半分が、自分の怠け癖にあることも。

 清掃の仕事に決まったとき、母は「よかったじゃない」と言ったが、私は「仕方なく受けただけ」と答えた。

 仕方なく、なんて嘘だった。

 採用の電話を切ったあと、私は台所でひとり、少しだけ泣いた。

 やっと働ける場所が見つかったことが、嬉しかったからだ。

 でも、その嬉しさを誰かに見せるのは、負けるみたいで嫌だった。

 情けない男である。

 入院して一週間ほどして、私は休憩時間にこっそり六階へ上がった。

 祖母はベッドを少し起こして、窓の外を見ていた。

 冬の日差しは薄くて、病室の白さをいっそう寒々しくしていた。

「よう」

 私がそう声をかけると、祖母はゆっくり振り向いた。

 そしてすぐ、私の顔ではなく、胸元を見た。

 病院名。

 外部委託会社のロゴ。

 私の名字。

 青いストラップについた、安っぽい名札だった。

 祖母は、それを見て、「まあ」と言った。

 それから、少し笑った。

 たぶん、ほんのわずかに目を細めただけだったのだろう。

 けれどそのときの私は、その表情をうまく受け取ることができなかった。

 見下された、と思った。

 清掃員なんて、と思われたのだと。

 今考えれば、そんなふうに決めつける根拠はどこにもない。

 ただ、自分で自分を低く見ている人間は、人の沈黙まで侮辱に聞こえることがある。

 私がそうだった。

「そんな顔しなくてもいいだろ」

 思ったより強い声が出た。

 祖母は驚いたように目を見開いた。

「え」

「清掃員だからって、笑わなくてもいい」

 言ってしまってから、病室の空気が変わった。

 遠くでナースコールが鳴った。

 廊下を点滴台の車輪が転がっていく音がした。

 祖母は何か言いかけて、口を閉じた。

「まことちゃん」

 その呼びかけが、かえって私をいら立たせた。

 子ども扱いされているような気がしてしまったのだ。

「俺、仕事中だから」

 私はそれだけ言って、逃げるように病室を出た。

 エレベーターの鏡に映った自分の顔は、腹を立てているくせに、どこか泣きそうでもあった。

 情けない。

 腹を立てる資格なんて、ほんとうは私にはないのに。

 それから私は、勤務中に六階へ行かなくなった。

 祖母も、面会に来た母には何も言わなかったらしい。

 ただ、「まことちゃん忙しいのねえ」とだけ言っていた、と母が教えてくれた。

 忙しい。

 便利な言葉である。

 会えない理由にもなるし、謝らない理由にもなる。

 私はその言葉の陰に隠れた。

 隠れたまま、年末の慌ただしい病院の床を黙々と拭いた。

 外来の椅子の下から丸まったティッシュを拾い、トイレの鏡についた水滴を拭き、階段の手すりについた指の跡を消した。

 仕事は途切れなかった。

 病院という場所は、誰かの悲しみがあっても、きちんと朝になり、きちんと昼になり、容赦なく動きつづける。

 そういうところだった。

 祖母が亡くなったのは、雪の降りはじめた朝だった。

 夜勤明けで更衣室に戻った私は、母からの着信が三件続いているのを見た。

 嫌な予感というのは、胸より先に手に来る。

 指先が急に冷えて、うまく画面を押せなかった。

 電話の向こうで、母の声は妙に静かだった。

「おばあちゃん、さっき」

 その先は、よく覚えていない。

 私は六階に上がった。

 上がったけれど、病室の前で足が止まった。

 もう間に合わないことがわかっていたからだ。

 生きているあいだに言わなければならなかったことは、死んだあとでは、どこにも届かない。

 私はそれを知っていた。

 知っていて、何もしなかった。

 その事実だけが、鉛みたいに重かった。

 通夜のあと、母が小さなビニール袋を渡してきた。

「これ、おばあちゃんの荷物。あんたに、って」

 中にはハンカチと、眼鏡拭きと、飴玉が二つ。

 それから、二つ折りの小さなメモが入っていた。

 病院の売店のレシートの裏だった。

 祖母らしいと思った。

 昔から、広告の裏も、封筒の空いたところも、なんでもメモにした人だった。

 私は台所で、その紙を開いた。

 線香の匂いが、まだ指先に残っていた。

 丸くて小さな祖母の字が、少し震えながら並んでいた。

 

 まことちゃんへ

 この名ふだ、よくにあっていました

 はたらく人の顔でした

 わたしはうれしくて見てしまいました

 わらったんじゃなくて、ほっとしたのです

 えらいねえと、言うとまたおこると思ったので

 言えませんでした

 名ふだのうらに、小さいころのまことちゃんのしゃしんでも入れたら

 まよわないかな、と考えていました

 へんなことを言ってごめんね

 また見せてください

 

 私は、その場でしばらく動けなかった。

 泣く、というより、胸の奥に硬いものが落ちて、その波がゆっくり全身に広がっていく感じだった。

 祖母は笑ったのではなかった。

 あれは、安堵だったのだ。

 ようやく私が、どこかで働き、誰かの役に立つ場所に立っていることへの、ほっとした顔だったのだ。

 えらいねえ。

 その一言を、私は自分の思い込みで、聞こえなくしてしまった。

 名札の裏に、小さいころの写真でも。

 あまりに祖母らしくて、私は泣きながら少し笑ってしまった。

 泣きながら笑うのは、みっともない。

 でも、祖母の前の私は、いつもそういうみっともない孫だった。

 祖母の家に行くと、いつも台所から煮物の匂いがしたこと。

 夏になると、凍らせたゼリーをガラスの皿に出してくれたこと。

 私が大人になってからも、帰りぎわにこっそり千円札を握らせようとして、私に叱られていたこと。

 そんな細かなことばかりが、あとからあとから思い出された。

 大事なものは、なくなってから数を増す。

 困った話だ。

 翌週、私は仕事に戻った。

 誰も私の事情なんて知らないし、知っていたとしても、病院はひとりの悲しみに長く付き合ってくれる場所ではない。

 外来の床には靴跡が伸び、待合の椅子の下には飴の包み紙が落ち、トイレの鏡には新しい水滴がつく。

 拭く。

 拾う。

 替える。

 生活は、そうやって続いていく。

 朝、更衣室で制服に着替えた私は、名札を首にかけた。

 それから透明なケースの裏に、小さな証明写真を差し込んだ。

 小学校の入学式の日のものだった。

 髪が変にぺたんとして、口もとだけが強ばっている。

 母が古い引き出しから見つけたのを、黙ってもらっておいたのだ。

 鏡の前で見ると、名札の裏に、小さな私がいた。

「迷わないかな、ってか」

 言ってみると、少しだけ笑えた。

 その日、六階の廊下の応援を頼まれた。

 私はモップを持って、窓際の長い床をゆっくり押した。

 祖母のいた病室の前を通るときだけ、足が止まりそうになった。

 でも、止めなかった。

 ドアの小窓の向こうでは、見知らぬ患者の家族らしい人が、静かに荷物を整理していた。

 それでいいのだと思った。

 誰かが去った場所には、ちゃんと別の誰かの時間が入ってくる。

 悲しみだけを保存しておける部屋なんて、どこにもない。

 病院も、町も、たぶん人の暮らしそのものも、そういうふうにできている。

 こぼれたものを拭きながら、それでも昼になれば腹は減る。

 夜になれば眠くなる。

 朝になればまた制服を着て、名札を下げる。

 私は窓の外を見た。

 雪はもうやんでいて、駐車場の隅にだけ白さが残っていた。

 薄い陽が、それを少しずつほどいていた。

 祖母はもういない。

 けれど、いないということは、全部なくなるという意味ではないらしい。

 私の首もとで名札が揺れるたび、その裏の小さな私もいっしょに揺れる。

 そしてたぶん、祖母が見たかったのは、立派な肩書きではなく、逃げずに今日を働く私の顔だったのだと思う。

 昼休み、私は売店で飴を二つ買った。

 一つをポケットに入れ、一つを口に放り込む。

 甘さはすぐに消えた。

 でも、そのあとに、どこか懐かしい匂いだけが残った。

 生活を再開するというのは、たぶん、こういうことだ。

 大げさに立ち直ることでも、きれいに忘れることでもない。

 名札の裏に小さな写真をしのばせて、今日の床をきちんと拭くこと。

 それだけのことを、ちゃんとやること。

 私は巡回表を折ってポケットにしまい、廊下へ戻った。

 ワックスの乾いた床に、窓の光が細く伸びていた。

 その上を、今度はまっすぐ歩けた。

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