商店街の朝は、いつだって少し早すぎます。
八時前だというのに、魚屋はもう氷を打つ音を響かせ、豆腐屋は白い湯気を吐き、向かいの惣菜屋のおばさんは、まだ半分しか開いていないシャッターの内側で、誰かと笑っています。
私はその中を、保育園へ向かうために毎朝歩きます。
園に着くころには、もう一日ぶんの気配を吸い込んでしまっている町です。
商店街の真ん中あたりに、小さな文房具屋がありました。
――ありました、という言い方になるのは、いまはもう店が閉まってしまって、少し傾いた看板だけが残っているからです。
青い文字で「たちばな文具店」と書かれた看板を見るたび、私はほんの少しだけ歩く速度が落ちます。
べつに、泣くほどのことではありません。
恩師の店だった、というだけの話です。
立花先生は、小学校のときの担任でした。
熱血でもなく、冗談を飛ばすタイプでもなく、教壇に立っていても、どこか遠慮がちに見える先生でした。
いつも少し猫背で、声が小さくて、黒板の字だけが妙にきれいだった。
忘れ物をした子を怒鳴らない代わりに、「君、きょうは手がさびしいね」と言う。
そういう言い方をする人でした。
ああいう言葉は、子どもには、うまく届かないことがあります。
少なくとも、あのころの私は、先生が少し苦手でした。
先生は学校を辞めたあと、実家の文房具屋を継いだと聞きました。
私は大人になって保育士になり、この商店街のはずれにある園で働くようになってから、何度か店に寄るようになりました。
色画用紙、クレヨン、折り紙、のり。
園というのは、紙と色と、少しの工夫でできている場所です。
先生はレジの奥から、昔と変わらない小さな声で「保育士さんか。えらいね」と言いました。
私はそのたび、なんだか胸の奥が落ち着かなくなって、「先生こそ」と曖昧に返して、用事だけ済ませて店を出ました。
名前を呼ばれないことが、少しさびしくて、でもそのぶん、先生らしくて、困るのです。
あの冬の夕方も、私はかなり疲れていました。
園の発表会が近くて、子どもたちは落ち着かないし、保護者からの連絡は重なるし、同僚は一人休みで、教室の空気がずっとざわついていた。
私は絵本の読み聞かせをしながら、自分の声が少しうわずっているのに気づいていました。
笑っているつもりなのに、笑えていない顔をしている、あの感じです。
帰り際、製作で使う四つ切り画用紙を切らしていたことを思い出して、私は鞄を抱えたまま、たちばな文具店へ駆け込みました。
店の奥で、先生は黒い手帳を開いていました。
昔から、なんでも書きつける癖のある人でした。
授業のことも、子どもの口ぐせも、町内会の回覧の順番まで、たぶんあの手帳に入っていたのだろうと思います。
「すみません、四つ切り画用紙、まだありますか」
「あるよ。白でいいかい」
「はい。急ぎで」
先生は棚から紙を出しながら、私の顔を見て、ぽつりと言いました。
「君、ずいぶん、いい顔になったな」
その一言を、私はなぜか、皮肉に聞いてしまいました。
たぶん、本当に疲れていたのです。
疲れていると、人は他人の言葉を、少し意地悪に翻訳してしまう。
私は自分でも驚くくらい冷たい声で、言っていました。
「それ、どういう意味ですか」
先生は少し目を瞬いて、「いや、その」と言いかけました。
でも私は、止まれませんでした。
「昔の私、そんなにひどい顔でした?」
店の空気が、すっと冷えました。
奥で鉛筆を削っていた手が止まる気配がして、私はそれでも引き返せなかった。
先生は黙って画用紙を茶色い紙で包み、輪ゴムをかけて、私に渡しました。
「言い方が悪かった。すまない」
私は「別に」とだけ言って、お金を置いて、店を出ました。
商店街の角を曲がるころには、もう後悔していました。
私は昔から、後悔だけは早いのです。
言うのは早いくせに、謝るのは遅い。
大人になっても、その順番だけは、どうしても直らない。
次の日も、その次の日も、私は店に行けませんでした。
――行けない、ではなく、行かなかった、が正しいのだと思います。
謝るには、あのときの自分の言葉が、あまりにもはっきりしすぎていました。
喉の奥に、細い骨みたいに引っかかって、飲み込めなかったのです。
そのうち、店のシャッターは閉まったままになりました。
商店街の人に聞くと、「立花さん、少し体を悪くしてね」と言われました。
私はお見舞いに行けませんでした。
いや、これも違う。
行かなかった。
自分で言った言葉が、自分の足首をつかんで離さなかったからです。
春の終わり、園長から「立花先生、亡くなったんだって」と聞きました。
園長も昔の教え子で、葬儀に参列したそうです。
私はその日、園の遠足の引率で、園庭で子どもの帽子を数えていました。
青い帽子が足りない、赤い水筒がない、そんなことを言いながら、頭のどこかで、先生の名前だけが鳴っていました。
行けませんでした。
その言葉を口にしたとき、自分の声が妙に軽く聞こえて、嫌でした。
四十九日を過ぎたころ、園に一本の電話がかかってきました。
昼寝の時間で、部屋がようやく静かになり、子どもたちの寝息が、教室いっぱいにひろがっていたころです。
受話器の向こうで、女の人の声が言いました。
「たちばな文具店の者です。先生の手帳のことで、少し」
私は、え、という間の抜けた返事しかできませんでした。
手帳。
レジの奥で、先生がいつも開いていた、あの黒い手帳。
それが、なぜ私に。
その日の帰り、私は商店街へ寄りました。
たちばな文具店のシャッターは半分だけ開いていて、店の中は薄暗く、紙とインクのにおいがまだ残っていました。
そのにおいだけで、喉の奥が少し熱くなりました。
先生の奥さんは、小柄で、物腰のやわらかい人でした。
私を見ると、少し笑って、「園の先生さんね」と言いました。
その呼び方に、胸が詰まりました。
先生も昔から、私のことを「保育士さん」と呼んでいた。
名前を知っているくせに、役目ごと呼ぶ人でした。
たぶん、照れくさかったのだろうと、いまは分かります。
奥さんはレジの下から、黒い手帳と、白い封筒を取り出しました。
「これ、あなた宛て」
私はすぐには受け取れませんでした。
封筒の表に、先生の字で私の名前が書いてある。
小学校の連絡帳で、何度も見た字でした。
細くて、まっすぐで、少しだけ急いで書いたような字。
「先生ね、亡くなる少し前に、手帳を見ながら『あの子に渡して』って言ってたのよ」
「何のことか分からなかったけど、手帳に園の名前がいっぱいあったから」
奥さんは手帳を開きました。
日付ごとに、細かい字がびっしり書かれている。
仕入れの数、町内会の用事、配達の時間、店番の交代。
それはもう、手帳というより、小さな店の一日一日そのものでした。
何ページか先に、私の勤める園の名前が出てきました。
色画用紙二十冊。
折り紙十箱。
のり三十本。
私はそれを見て、先生がただ文房具を売っていたのではなく、園の季節の行事まで一緒に回してくれていたのだと、いまさら知りました。
遠足の前に画用紙が増えることも、運動会の前に赤白ひもが減ることも、先生は全部知っていたのです。
奥さんが、あるページを指で押さえました。
発表会の準備で、私が店に駆け込んだ、あの日の日付でした。
そこに先生の字で、短く書いてありました。
「園の○○さん来る。顔つかれている。よく働いている顔。ことば気をつける」
私は、その場で封筒を開けるのが怖くなりました。
もし責めることが書いてあったら、と思ったのです。
責められて当然なのに、責められるのが怖い。
人間というのは、ほんとうに勝手です。
奥さんが、「読んでいいよ」と言って、小さな丸椅子を勧めてくれました。
その椅子は、小学生のころ、消しゴムを選びながら足をぶらぶらさせて座ったことのある椅子でした。
私は座って、封を切って、便箋を開きました。
紙の擦れる音だけが、妙に大きく聞こえました。
便箋は一枚だけでした。
「この前は、いやな言い方をしてすまなかった。
君が怒ったのは、君がまじめだからだと思う。
『いい顔』というのは、きれいになったという意味ではなく、
人のために疲れられる顔になった、という意味でした。
小学校のとき、君はよく泣いた。
くやしいときに泣く子だった。
あれは、いいことです。
子どもの前で、どうか、無理に立派な先生にならないでください。
君はそのままで、もう十分、先生です。
ことばは、よく失敗する。
だから、手で渡せるものを持つ仕事はいい仕事です。
立花」
読み終わっても、私は便箋を折れませんでした。
指に力が入らない。
胸の奥で、遅れてきたものが、いくつもぶつかっている感じがしました。
謝れなかったこと。
会いに行かなかったこと。
先生が私の疲れた顔を、ちゃんと見ていたこと。
その全部が、一枚の紙に収まっていて、私はその重さに追いつけませんでした。
奥さんは何も言わず、レジの上に湯のみを置いてくれました。
湯のみのふちが少し欠けていて、私はそれを見て、急に泣きそうになりました。
たちばな文具店は、昔からそういう店でした。
少し欠けたものも、芯の短くなった鉛筆も、使えるあいだはちゃんと使う。
完璧でないものを、すぐには捨てない店。
先生自身が、そういう人だったのだと思います。
私は「すみません」と言いました。
何に対する謝罪なのか、自分でも分からない「すみません」を、何度も言いました。
奥さんは、しばらく黙ってから、静かに言いました。
「先生、あなたのこと、好きだったのよ」
好き、なんて言葉で片づけてほしくない気もしました。
でも、その雑さに、救われる気もしました。
たぶん、先生もきっと、そういうふうに言ったでしょう。
細かく説明しないで、大事なところだけ置いていく人でしたから。
店を出ると、商店街は店じまいの時間でした。
魚屋が水を流し、惣菜屋が値札をはがし、どこかで自転車のベルが鳴る。
その音の中を、私は先生の手帳を借りて帰りました。
奥さんが「そのページだけじゃなく、ほかも見ておいで」と言ってくれたからです。
家で手帳をめくると、私の園の名前が、思っていたよりずっと多く出てきました。
「遠足前 画用紙多め」
「運動会 赤白ひも」
「○○さん(私)来る 急いでる顔」
「つり銭多めに用意」
「のり、手につくと言っていた。新しいの試す」
「七夕前 金の折り紙よく出る」
「冬 手あれる。やわらかい紙すすめる」
私は、そこで笑ってしまいました。
手帳にまで、そんなふうに書かれているなんて。
先生は、私が気づいていないところで、ずっと先回りしてくれていたのです。
言葉が足りない人だと思っていたのに、先生は、言葉じゃないところで、こんなにたくさん渡してくれていた。
笑ったあと、私は泣きました。
泣くのは昔から下手で、変な呼吸になります。
三十を過ぎても、そこはあまり成長しないらしい。
けれど、あの夜は、泣けてよかった。
泣かないと、先生の手帳を閉じられなかったと思います。
次の月曜、私は園の製作棚を少し片づけました。
古い色紙を分けて、足りないものを数えて、在庫を書き出して、帰りに文具店で新しい手帳を一冊買いました。
たちばな文具店で買えないのが、すこし悔しかった。
でも、先生ならたぶん、「どこで買っても、使えば同じだよ」と言う気がしました。
その手帳の最初のページに、私は先生の手紙の言葉を写しました。
「ことばは、よく失敗する」
書いてから、私はその下に、もう一行足しました。
「だから、先に渡す」
それから私は、子どもたちにきつい言い方をしてしまった日の帰り、商店街を歩きながら手帳を開くようになりました。
今日、泣いた子の名前。
泣いた理由。
笑った顔。
明日、先に渡せるもの。
折り紙一枚でもいい。
絵本でもいい。
膝の上の場所でもいい。
言い方を直すのは、たぶん時間がかかる。
でも、先に渡せるものなら、いまの私にもできる気がしました。
先生みたいな人には、きっとなれません。
あの人は黙っていても、ちゃんと伝わる人だった。
私はしゃべっても、よく失敗する。
けれど、まあ、それでもいいのだろうと思います。
失敗する人間にしか書けないメモも、たぶんある。
子どもの前で立派でいようとして、息が詰まっていたあのころの私より、いまの私は少しだけ、先生の言葉を信じられます。
今朝も商店街を通ると、たちばな文具店の前に、小さな鉢植えが置かれていました。
奥さんでしょう。
看板の青い字は、まだ少し傾いたままです。
私は立ち止まって、鞄から手帳を出しました。
園で使うクレヨンの本数。
折り紙の残り枚数。
それから、先生の店のことを一行だけ書きました。
「朝の商店街、インクのにおい。まだ、ある」
書き終えて手帳を閉じると、園から預かった折り紙の角が、鞄の中でかすかに鳴りました。
あの音は、紙の音というより、たぶん、返事です。


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