弁当屋の私に届いた恩師の手紙|商店街で泣ける感動短編

夕暮れの小道と弁当屋 泣ける話

商店街の朝は早い。

 早いくせに、どこか寝ぼけている。

 魚屋のシャッターが半分だけ上がり、八百屋の親父がまだ青い声で欠伸をし、うちの弁当屋の前には、昨日の風に飛ばされてきた枯葉が二、三枚、妙な遠慮をして残っている。

 私は毎朝、それを箒で集める。

 集めながら、この町はずいぶん小さくなった、と思う。

 子どもの頃は、もっと大きかった。

 大きいというより、出られないものだったのかもしれない。

 高校を出たらここを離れるのだと、私はずっと思っていた。

 この商店街の、みんながみんなのことを知っている空気から抜け出して、誰にも「弁当屋の娘」と呼ばれない場所へ行くのだと。

 けれど結局、私は三十二になって、この商店街で弁当を詰めている。

 母が腰を悪くし、店に人手が要るようになった。

 それだけの話である。

 夢が破れたとか、大きな悲劇があったとか、そういう立派な事情ではない。

 ただ、家にちょうど人手が要ったとき、ちょうど私がいちばん動ける年齢だった。

 人生というのは、志より事情のほうが強い。

 それを認めるまでに、私はずいぶん時間がかかった。

 いまでも、ときどき認めきれない。

 昼休みに制服の高校生が笑いながら通るのを見ると、まだ少し胸が痛む。

 もし別の町へ行っていたら、と。

 もし大学へ行けていたら、と。

 そういう「もし」は役に立たないくせに、雨漏りみたいに、忘れたころに心へ落ちてくる。

「おはよう、結衣」

 暖簾を出していると、聞き覚えのある声がした。

 振り向くと、向かいの薬局の角を曲がって、杖をついた老人が歩いてくるところだった。

 白髪が増え、背は少し縮んだように見えたが、その声だけは昔のままだった。

「……先生」

 森山先生だった。

 高校時代の担任で、国語教師だった。

 生徒からは、怖いとか、面倒くさいとか、でもなぜか忘れられないとか、そういう種類の人だった。

 私は、苦手だった。

 たぶん、嫌っていたと言っていい。

 あの人は言葉がまっすぐすぎた。

 若い頃の私は、まっすぐな言葉に向かって素直に立っていられるほど、丈夫ではなかった。

「ここで働いてるって聞いてはいたが」

 先生は店先を見上げ、それから私を見た。

「似合うじゃないか」

 私は曖昧に笑った。

 似合う、という言い方が少し嫌だった。

 まるで最初からここに収まるような人間だった、と言われた気がしたからだ。

 先生はそれから、週に二、三度、昼前に弁当を買いに来るようになった。

 いつも同じ、鮭弁当だった。

 代金を払い、「助かるよ」とだけ言って帰る。

 それだけだ。

 それだけなのに、私は妙に落ち着かなかった。

 先生は昔からそうだった。

 余計なことは言わない。

 言わないくせに、こちらが隠しているつもりのものだけは、妙に見えているような顔をする。

 高校三年の秋、進路面談で私は「東京の大学に行きたいです」と言った。

 本当は行きたい、というより、行かなければならないと思っていた。

 ここに残ることは負けることだと、その頃の私は本気で思っていたからだ。

 先生は調査書を見ながら、しばらく黙っていた。

 それから言った。

「逃げるのは悪くない。でも、どこへ行っても自分からは逃げられないぞ」

 私は、その言葉が大嫌いだった。

 何も知らないくせに、と思った。

 父が商売で失敗して、家の空気がぴりぴりしていたことも。

 母が夜なべで仕込みを増やしていたことも。

 進学なんて口にするだけで、家計のどこかが軋むことも。

 何ひとつ知らないくせに、先生は、私の「行きたい」を浅い逃避みたいに言ったのだ。

 しかも、そのとき先生は、少し疲れた顔をしていた。

 私はあの表情まで、見下されている証拠だと思った。

 若い人間は、自分が傷ついたとき、相手の事情まで想像する余裕がない。

 家に帰って泣いた。

 泣きながら、奨学金の案内を机に伏せた。

 その年の冬、私は進学を諦めた。

 父の借金が表に出て、母は何も言わずに働きに出て、私は受験の話を二度としなかった。

 母は「ごめんね」と一度だけ言った。

 私は「別に」と答えた。

 別に、の中には、娘の見栄と、子どもの絶望と、少しの優しさが雑に詰め込まれていた。

 先生は何も知らなかったくせに、あんなことを言った。

 私は長いこと、そう思っていた。

 だから卒業以来、会いたくなかったのである。

 なのに人間は、会いたくない相手ほど、狭い町ではよく会う。

 冬のはじめ、店がいちばん忙しい時間だった。

 から揚げが上がり、コロッケの注文が重なり、電話が鳴り、私はレジと盛り付けを行ったり来たりしていた。

 そこへ先生が来た。

 少し顔色が悪かった。

「鮭弁当、一つ」

「はい」

 私は惣菜を詰めながら、ふと見た。

 先生の手提げ袋の中に、古いアルミの弁当箱が入っていた。

 四角くて、角が丸く擦り減っていて、蓋に細かな傷がたくさんついている。

 学校給食の頃みたいな、もう今ではあまり見ない弁当箱だった。

「それ、先生のお弁当箱ですか」

「ああ、これか」

 先生は少し笑って、袋を引き寄せた。

「昔から使ってる」

「へえ」

「丈夫だからな」

 それきりだった。

 だが次に来たときも、その次に来たときも、先生はその弁当箱を持っていた。

 ある日、私は見てしまった。

 店を出たあと、向かいの薬局の脇で立ち止まり、先生がうちの弁当の中身だけを、そのアルミの箱に移し替えているところを。

 その瞬間、胸の奥に、古い棘がまた立った。

 うちの弁当が恥ずかしいのか、と思ったのである。

 店の名前が入った容器のまま持ち歩くのが、どこか気に入らないのかと。

 いや、ほんとうはそうではなく、私は先生が何をしても悪く受け取る準備ができていたのだろう。

 昔からそうだった。

 まっすぐ言われて傷ついた記憶があると、人はその人の沈黙まで敵意に見えてくる。

 その夜、私は母にその話をした。

 母は煮物の味を見ながら、「昔の人はそういうの好きながやない」と言った。

「でも、わざわざ移し替えんでもいいやん」

「そうやねえ」

「なんか、感じ悪くない?」

 母はそこでようやく私を見た。

「結衣、あんた、先生のことまだ怒っとるん」

 私は返事をしなかった。

 母は少し笑った。

「若いころに傷つけられた言葉って、長持ちするもんねえ」

 そう言われると、私はますます腹が立った。

 傷つけられた、という自分の気持ちを、子どもの古傷みたいに言われた気がしたからだ。

 でも実際、その通りだったのかもしれない。

 私は先生のことを、大人になってからもずっと、高校三年の教室に置きっぱなしにしていた。

 年が明けて、雪の降る日だった。

 商店街は客足が鈍く、昼を過ぎると道の色までぼんやり白く曇った。

 先生が来ないな、と思っていたら、夕方近くに商店街の会長がふらりと顔を出した。

「森山先生、倒れられたらしいよ」

 私は思わず聞き返した。

「え?」

「自宅でな。救急車で運ばれたって」

 その瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた気がした。

 別に親しいわけではない。

 今さら心配する義理もない。

 そう自分に言い聞かせながら、その夜、私はろくに眠れなかった。

 翌日も、その次の日も、店の前の通りを見るたびに、杖の音がしないか耳がそちらへ向いた。

 数日後、先生の姪だという女性が店に来た。

「叔父が、こちらのお弁当をいつも楽しみにしていたそうで」

 そう言って頭を下げ、ひとつの包みを差し出した。

「これ、もしよければ……結衣さんに渡してほしいと」

 包みの中には、あの古いアルミの弁当箱が入っていた。

 それと、封筒が一通。

 表に、私の名前が書いてあった。

 私は店の奥で、その手紙を開いた。

『結衣さんへ

 こんな形で渡すのは卑怯かもしれないが、面と向かって言うと、君はきっと嫌な顔をするだろうから手紙にする。

 私は昔、進路面談で君にひどいことを言った。

 逃げるのは悪くない、などと、わかったようなことを言った。

 あれは半分は本当で、半分は間違いだった。

 本当だったのは、どこへ行っても自分の弱さはついてくるということだ。

 間違っていたのは、あのときの君が逃げようとしていたのではなく、立ち向かおうとしていたことだ。

 その後、君が進学しなかった理由を、人づてに知った。

 家のことを背負ったのだなと思った。

 教師というのは、卒業した生徒のことを案外あとから知る。

 そして、知ったころにはたいてい遅い。

 私は君に謝りたかった。

 だが謝るのもまた、教師の自己満足かと思って言えなかった。

 だからせめて、弁当を買いに通った。

 君の作る卵焼きは、昔、私の妻が作っていた味によく似ていた。

 鮭の塩加減も、きんぴらの甘さも、年を取った舌にちょうどよかった。

 あの弁当箱は、妻のものだった。

 妻は亡くなる前、毎朝これに弁当を詰めてくれた。

 からっぽになって帰すことが、私の礼儀だった。

 君の弁当を店の容器のままではなく、この箱に移していたのは、恥ずかしかったからではない。

 ちゃんと、からっぽにして返したかったからだ。

 誰かが手をかけて作ったものに対して、私にできる礼儀はそれくらいしかなかった。

 それからもう一つ。

 教師をしてきて、私が最後までよくわからなかったのは、教えるということだ。

 知識を渡すだけなら本でもできる。

 叱るだけなら誰でもできる。

 では、教師は何を残すのか。

 今になって思うのは、生徒の中に一つでも、自分以外の誰かのために生きる形を見つけられたなら、それで十分だったのかもしれないということだ。

 君はたぶん、自分の人生を諦めたと思っているだろう。

 しかし、商店街の朝に立ち、誰かの昼を支え、母上を支え、店を守っている姿を見ていると、私はそうは思わない。

 立派だ、などというと君は怒るだろうが、私は教師として少し誇らしかった。

 この町にも、ちゃんと人の暮らしをつなぐ者がいるのだと知れたからだ。

 もしこの弁当箱が迷惑でなければ、使ってほしい。

 中身は変わっても、からっぽになって戻ってくるものがある限り、人はまだ誰かに生かされている。

 森山』

 読み終わるまでに、私は三度、手紙を持つ手を膝に置いた。

 文字が滲んで読めなくなるからだった。

 私はずっと勘違いしていた。

 先生は私を見下していたのではなく、不器用なまま見ていたのだ。

 そして私は、見られていることが怖くて、先に相手を嫌っていたのである。

 あの進路面談の日、本当は私は東京へ行きたかったのではないのかもしれない。

 いや、行きたかったのは本当だ。

 でもそれ以上に、「ここに残るしかない自分」を誰かに否定してほしかったのだろう。

 先生の言葉が刺さったのは、図星だったからだ。

 けれど図星は、ときどき残酷すぎる。

 教師も人間だから、正しいことを正しい温度で言えるとは限らない。

 そんな当たり前のことを、私は長いこと許せなかった。

 その夜、私は家で古い弁当箱を洗った。

 水に濡れると、細かな傷がいっそう浮いた。

 何十年も、誰かの昼を入れてきた箱なのだろう。

 先生の妻の手。

 先生の昼休み。

 からっぽになって返された夕方。

 その繰り返しが、この傷の数だけあったのかもしれない。

 私は台所で、声もなく泣いた。

 母が隣で黙って皿を拭いていた。

 しばらくしてから、ぽつりと言った。

「先生、あんたのこと、ちゃんと見とらしたんやね」

 私はうなずいた。

「嫌やった」

「うん」

「ずっと、嫌やった」

「うん」

「でも……」

 その先が言えなかった。

 母は布巾をたたみながら、静かに言った。

「人に見られるのって、若いときは腹立つもんよ。見透かされた気がして」

 私はそこで、少し笑ってしまった。

 泣きながら笑うと、自分がいちばんみじめに見える。

 でも、そういう顔を母には何度も見られてきたのだろう。

 翌朝、私はいつもより少し早く店に出た。

 まだ薄暗い商店街で、シャッターの音だけが響いていた。

 炊きたてのご飯の湯気が上がり、卵焼きの甘い匂いが狭い厨房に満ちた。

 私はその弁当箱に、自分で作った鮭弁当を詰めた。

 ほんの少しだけ、卵焼きを丁寧に巻いた。

 きんぴらの色も揃えた。

 誰が食べるでもないのに、どうしてもそうしたかった。

 詰め終えて蓋を閉めると、不思議に胸の中の何かが少し静かになった。

 昼前、母が奥から出てきて、それを見た。

「それ、先生の?」

「うん」

「きれいに入れたね」

 私はうなずいた。

「からっぽにして返したいから」

 母は何も言わなかった。

 何も言わなかったが、その沈黙は、たぶん少しだけ笑っていた。

 春になって、私は店先に小さな黒板を置くことにした。

 日替わり弁当の内容と、ひとことを書いておくためのものだ。

 最初の日、私は少し迷ってから、こう書いた。

 「今日も、からっぽで帰ってくる弁当をつくります。」

 自分でも照れくさい文句だと思った。

 けれど、その日、いつも無口なクリーニング屋の奥さんが「いいねえ」と言ってくれた。

 午後には、部活帰りらしい学生が二人、弁当を買いに来た。

「これ、うまそう」

「また来ようぜ」

 そう言って笑いながら去っていく背中を見て、私は少しだけ思った。

 先生も昔、教室でこんな背中を何百も見送ってきたのだろうか、と。

 夕方、レジを締めてから、私は奥の棚に置いた弁当箱に触れた。

 冷たい金属の感触が、妙にたしかだった。

 継ぐ、というのは大げさなことではないのだろう。

 店を継ぐとか、家を継ぐとか、名前を継ぐとか、そういう見えやすいものばかりではない。

 誰かが大事にしていた礼儀を、別の誰かが受け取ること。

 誰かが信じていた仕事の静けさを、次の誰かが少し丁寧に引き受けること。

 そのくらい小さくて、誰にも気づかれないことを、継承というのかもしれない。

 私はたぶん、相変わらずこの商店街で生きていく。

 派手な夢はないし、取り戻せなかったものもある。

 それでも朝になれば暖簾を出し、湯気の上がるご飯をよそい、誰かの昼を包む。

 昔なら、そんな人生を地味だと思っただろう。

 負けた人生、とさえ思ったかもしれない。

 けれど今は、地味なものほど簡単には壊れない気がしている。

 商店街の夕方は、朝より少しだけやさしい。

 魚屋が売れ残りを片づけ、八百屋が値札を外し、うちの前の道を、自転車の学生が笑いながら通っていく。

 私はシャッターを下ろす前に、店の明かりの中で、あの弁当箱をもう一度見た。

 からっぽの箱は、不思議と寂しくなかった。

 むしろ、次に何を入れようかと待っている顔に見えた。

 人も、たぶん同じだ。

 失ったあとでさえ、まだ何かを受け取り、誰かに渡していける。

 先生はもういない。

 けれど、あの不器用な礼儀だけは、いま私の手の中にある。

 だから明日も私は、少しだけ丁寧に弁当を詰めるだろう。

 誰かの昼が、ちゃんとからっぽになって帰ってくるように。

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