中学教師の私が恩師の手紙で知った進路の本音|郊外の駅前で泣ける感動短編

日の入りの駅舎と憩いの時間 泣ける話

駅前というものは、どこの町でも少しだけ寂しい。

 人がいるから寂しいのか、いなくなる場所だから寂しいのか、そのへんはよくわからない。

 うちの町の郊外駅もそうだった。

 朝は制服の群れと会社員の靴音で騒がしいくせに、昼を過ぎると急に影が薄くなる。

 ロータリーの脇に小さなパン屋があり、色褪せた学習塾の看板があり、古いベンチの塗装がところどころ剝げていた。

 私はその駅前を、毎日、職場へ向かうために通っている。

 中学教師になって八年目になる。

 教えるのは国語だ。

 国語教師というのは、言葉を扱う仕事のように見えて、実際には言葉にならないものの近くにいる仕事だと思う。

 生徒の黙り方。

 作文の妙な空白。

 返事の早さ。

 そういうもののなかに、言葉より先にほんとうのことが出る。

 だから私は、教壇に立ちながら、いつも少し怯えている。

 見えてしまうことと、見逃してしまうことの両方に。

 その怯えの元をたどれば、結局、ひとりの先生に行きつくのだと思う。

 沢村先生。

 私の中学時代の担任だった。

 国語教師で、進路指導も担当していた。

 厳しいことで有名だったが、怒鳴る人ではなかった。

 静かに、逃げ道のない言い方をする人だった。

 私はその人が苦手だった。

 いや、苦手というより、見透かされるのが怖かったのだろう。

 当時の私は、進路を誰にも言わなかった。

 周りには県内の進学校を受けると言っていたし、母にもそう話していた。

 でも本当は、県外の師範系の学校へ行きたかった。

 先生になりたかったからではない。

 この町を出たかっただけだ。

 父の機嫌と母の沈黙が同じ食卓に並ぶ家から、できるだけ遠くへ行きたかった。

 夜になると、居間の空気が少しずつ重たくなる家だった。

 父は仕事で疲れていて、母も疲れていて、その疲れが互いへの思いやりになる日もあれば、ただ黙るしかない壁になる日もあった。

 私は食卓で味噌汁をすすりながら、早く大人になって別の場所へ行きたいと思っていた。

 けれど、その願いを口にすると、自分の薄情さがそのまま形になる気がした。

 家を出たい、は、この家が嫌だ、に聞こえる。

 そんなことを言えば、母を裏切る気がした。

 だから私は黙っていた。

 願いというものは、ときどき口にした瞬間、わがままに見える。

 沢村先生は、そのことにたぶん気づいていた。

 進路面談のとき、先生は私の志望校欄を見ながら言った。

「ほんとうにそこへ行きたいのか」

 私は「はい」と答えた。

 先生は少しだけ黙って、それから言った。

「人は、行きたい場所より、逃げたい場所の反対を選ぶことがある」

 その言い方が、私は嫌いだった。

 正しいようでいて、体温がないと思った。

 まるで私の事情も痛みも、全部「よくあること」の棚に入れられたみたいで、腹が立った。

 私は結局、その面談でも何も言わなかった。

 県内の高校へ進んだ。

 安全な進路、というやつだった。

 母はほっとし、父は「それがええ」と言った。

 私はその晩、自分の部屋で定期券を何度も裏返した。

 これで三年間、またこの町の駅から、この町の高校へ通うのだと思うと、胸のあたりがひどく狭くなった。

 定期券の薄い板は、小さな切符というより、生活の許可証みたいだった。

 ここからここまで。

 それ以上は、行ってはいけないみたいに思えた。

 そのころからだ。

 沢村先生を、私は勝手に「わかってくれなかった大人」の代表にしてしまったのは。

 ほんとうは、わかってほしかったのだと思う。

 黙っていても見抜いて、それでも責めずに、どこか別の場所へ押し出してくれるような、都合のいい大人を。

 そんなものがいないから、人はだいたい自分で決めるしかないのだが、十代の私はそれを認めるほど素直ではなかった。

 大学に入って教職を取り、結局、地元へ戻った。

 自分でも笑ってしまう。

 あれほど出たかった町に、職を得て帰ってくるのだから。

 でも帰ってきてわかったこともある。

 逃げたいと思った場所と、戻ってこられる場所は、ときどき同じである。

 それを知るには、少し遠回りが要った。

 教師になって三年目の春、駅前で沢村先生を見かけた。

 定年後らしく、背が少し縮み、白髪が増えていた。

 それでも立ち方だけは昔のままだった。

 私は会釈だけして通り過ぎた。

 先生も「久しぶりやな」と言ったきり、それ以上は追ってこなかった。

 それがかえって腹立たしかった。

 なにも言わないなら、見つけないでほしい、と身勝手なことを思った。

 それから何度か、駅前で会った。

 朝のパン屋の前、改札横の売店、雨の日のロータリー。

 先生はそのたび、私の胸元の校章をちらりと見て、「忙しそうやな」とか「顔色が悪いぞ」とか、そんなことだけ言った。

 私は「まあ」とか「はい」としか返さなかった。

 昔と同じである。

 大事なことほど、あの人とは話せない。

 秋の終わり、教え子のひとりが進路希望調査を白紙で出した。

 私はその紙を見た瞬間、ひどく嫌な気分になった。

 白紙というのは、何も書いていないくせに、たいてい何かがぎっしり詰まっている。

 放課後、その子を呼んで話を聞いたが、彼は「まだ決まってない」としか言わなかった。

 その言い方が、昔の自分そっくりで、私は胸の奥がざらつくのを感じた。

「決めないと何も始まらないよ」

 私はそう言った。

 言ってから、沢村先生の顔が浮かんだ。

 正しいことを、正しいまま言う顔だった。

 私は自分がいちばんなりたくなかった大人に、少し似てきている気がして、ひどく落ち込んだ。

 その晩、駅前のベンチで少し長く立ち止まった。

 帰宅ラッシュがひと段落して、風だけがロータリーを回っていた。

 そのとき、改札の向こうから沢村先生が歩いてきた。

「珍しいな。先生が黄昏れとる」

 そう言って笑った。

 私は初めて、少しだけ本音に近いことを言った。

「生徒に、昔の自分を見ました」

 先生は立ち止まった。

 私は、そこから先は言わないつもりだったのに、不意に続けていた。

「進路のこと、なにも言わない子がいて」

 先生はベンチの端を見て、「座るか」と言った。

 私たちは並んで座った。

 夕方の駅前は、電車を待つ人の顔がみんな少し遠い。

 私は、なぜかわからないが、その遠さに少し助けられていた。

「私、中三のとき、ほんとは県外へ行きたかったんです」

 先生は黙っていた。

「でも言えませんでした。家のこともあったし、出たいなんて言うの、ひどい気がして」

 そこで一度、言葉が切れた。

「先生、気づいてましたよね」

 先生は少しだけ息をついて、「気づいとった」と言った。

 私は笑ってしまった。

 笑うところではないのに。

「じゃあ、なんで何も言わなかったんですか」

「言うたやろ」

「ぜんぜん足りませんでした」

 先生はしばらく黙って、それから、小さく笑った。

「そうやろな」

 そのあまりにあっさりした認め方に、私は逆に言葉を失った。

「すまんかった」

 と先生は言った。

「おまえ、あのころ、押したら壊れそうやったからな。下手に背中押したら、家にも学校にも居場所なくす気がして、怖かった」

 私は先生の横顔を見た。

 夕方の光で、頬のしわが深く見えた。

「ほんとは、県外の学校の資料も取り寄せとった」

「え」

「渡そうと思ってた。けど、おまえ最後まで言わんかったやろ。こっちも、踏み込むのが正しいのか迷うた」

 私はその言葉を、すぐには飲み込めなかった。

 先生にも迷いがあったことが、なんだか不思議だった。

 あの人はいつも正しい側に立っているのだと思っていたから。

「この前、家を片づけとったら出てきた」

 先生は鞄から茶封筒を出した。

 角のつぶれた、古い封筒だった。

「本当はもっと早う渡すつもりやったが、今さらやなと思ってな」

 私は封筒を受け取った。

 中には、黄ばんだ進学資料が一枚と、便箋が入っていた。

 便箋は新しいものだった。

「読んでいいですか」

「どうぞ」

 駅前のベンチで、私は手紙を開いた。

『三浦へ

 いまさらこんなものを渡しても困るだけかもしれんが、困らせるのも教師の仕事のうちかもしれんので書く。

 中三のとき、おまえは進路を黙っていた。

 黙っていた、というより、黙ることで自分を守っていたのだと思う。

 あのころのおまえは、行きたい場所を言うと、誰かを裏切る気がしていたのだろう。

 若い人間はよくそういう勘違いをする。

 出発を、裏切りと混同する。

 私も、それを正しくほどいてやれんかった。

 進路指導の教師としては失格やな。

 ただ、一つだけ言うなら、おまえがあのとき外へ出たかったのは、薄情だったからではない。

 ちゃんと生き延びようとしていたからや。

 人は、出ていくことでしか守れんものもある。

 結局おまえは地元へ戻って、教師になった。

 それを知ったとき、私は少しほっとした。

 町を出る願いも、町へ戻る選択も、どちらもおまえ自身の足で決めたのだと思えたからや。

 駅前でおまえを見かけるたび、定期券の範囲しか世界がないと思っていたあの子が、ようここまで来たと思う。

 教師は、子どもの出発を見送る仕事や。

 せやけど、ときどき出発の時刻表を読み違える。

 あのときはすまんかった。

 いま目の前にいる生徒に、私の失敗を少しでも活かしてくれたら、それで十分や。

 出発は遅れても、なくなりはせん。

 沢村』

 読み終わるころには、駅前の光が少しにじんでいた。

 私は手紙を閉じたまま、しばらく顔を上げられなかった。

 先生は黙ってロータリーを見ていた。

 私はずっと、沢村先生に「わかってもらえなかった」と思っていた。

 でも本当は、わかられていたからこそ、踏み込めなかったのかもしれない。

 それが正しかったのかどうかは、今でもわからない。

 けれど、あのとき先生にも先生の迷いがあり、臆病さがあり、失敗があったのだと知ったら、長く持っていた棘が少し湿るのを感じた。

「私、まだあの駅の定期券、覚えてます」

 そう言うと、先生は笑った。

「範囲は狭かったか」

「息が詰まるくらい」

「今はどうや」

 私は少し考えてから答えた。

「まだ狭い日もあります。でも、前よりは、自分で改札を出られる気がします」

 先生はうなずいた。

「それでええ」

 その「それでええ」は、中三のときに聞きたかった言葉とは違っていた。

 でも、違っているから届くこともあるのだろう。

 帰りの電車がホームに滑り込んできた。

 風が起きて、手紙の端が少し揺れた。

 私は立ち上がって、先生に頭を下げた。

「ありがとうございました」

「礼を言われることでもない」

「でも、受け取りました」

 そう言うと、先生は少しだけ目を細めた。

 私はその夜、家に帰ってから、財布の透明な定期券入れに、もう使っていない古い定期券を探して入れた。

 高校三年間、使っていたものだった。

 印字は薄れていたが、たしかにあの区間が残っていた。

 その裏に、沢村先生の手紙を折って小さく挟んだ。

 範囲の狭かった頃の私と、そこからようやく出発しなおした今の私を、いっしょに持っていたかったのだ。

 翌日、私は白紙の進路希望調査を出した生徒をもう一度呼んだ。

「まだ決まってないなら、それでもいい」

 私はそう言った。

「でも、言えない理由があるなら、そこから一緒に考えよう」

 その子はすぐには顔を上げなかった。

 けれど前より少しだけ、沈黙の質がやわらいだ気がした。

 私はその沈黙を急かさずに待った。

 出発というのは、たぶん、駅のベルみたいには鳴らない。

 誰かの心の中で、聞こえるか聞こえないかの小ささで始まる。

 そして、昔の私がそうだったように、その時刻を自分でも言えないことがある。

 夕方、職員室を出ると、郊外の駅前はまた少し寂しかった。

 人がいるから寂しいのか、いなくなる場所だから寂しいのか、やっぱりよくわからない。

 でも今日は、その寂しさのなかに、ほんの少しだけ風通しがあった。

 私は改札を抜ける前に、財布のなかの古い定期券に触れた。

 薄い板のはずなのに、あのころよりずっと広いものを持っている気がした。

 出発は遅れても、なくなりはしない。

 その言葉を、今度は自分の生徒にも渡していけたらと思う。

 電車が来る。

 扉が開く。

 私はひとつ息をして、前より少しだけ軽い足で乗り込んだ。

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