2026-03

泣ける話

母さん、小学校は今日も開いています

私が小学校の用務員になったのは、子どもが好きだったからではありません。  こういうことを言うと、だいたい二種類の顔をされます。  一つは、「ああ、この人は少しひねくれているのだな」という顔。  もう一つは、「そんなことを言って、本当は子どもが好きなんでしょう」という、勝手に救おうとする顔です。  どちらも、少し外れています。  私はただ、人と正面から向き合わなくていい仕事に就きたかったのです。
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忘れるな

祖父は、約束を忘れたのだと思っていた。 忘れた、という言い方が正しいのかどうか、今になると少し怪しい。 人は年を取ると、約束そのものを忘れるというより、約束の置いてあった場所へ辿りつけなくなるだけなのかもしれない。 けれど若い私には、そんな面倒な言い換えをする余裕がなかった。 ただ、忘れられた、と思った。
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帰る場所の守り

祖母が、お守りを捨てたのだと思っていた。 捨てた、というより、隠したのかもしれないし、あるいは最初から私に返す気などなかったのかもしれない。 けれど十七の私は、そんなふうに丁寧に考えることができなかった。 ただ、奪われた、と思った。 それで十分に傷つけられたし、十分に祖母を恨めた。
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終電のあとで、白い紙は残る

終電のあとというのは、駅がようやく人間の顔をやめる時刻である。 さっきまで改札を抜けていった無数の靴音も、ホームに吸われていったため息も、きれいに引いてしまって、残るのは蛍光灯の白さと、線路の冷たい匂いばかりだ。 私は駅員である。 地方都市のはずれにある、小さな駅で夜勤に入って七年になる。
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春を待つ便箋

雪国の朝は、明るくなるまでに、少し時間がかかる。 空はいつまでも灰色で、町はまだ眠ったままのように静かだ。 私は郵便配達員で、冬になるたび、朝の冷たさにいまだ慣れきれない。 手袋の中で指をこすりながら、赤い配達用バイクのエンジンをかける。 白い息がふっと立って、それだけが、私がちゃんと生きている証拠のように見えた。
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遅れて届いた礼

父が死んだのは、春の終わりだった。 住宅街の街路樹は、何ごともなかったように若い葉をひらいていて、その青さが、かえって腹立たしかった。 人がひとり死んだくらいで季節のほうが立ち止まってくれるわけもないが、それでも私は、そういう当たり前のこと...
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改札の外へ

父がいなくなって、三か月が過ぎた。 いなくなった、という言い方は、少し卑怯かもしれない。 死んだのだ。 ちゃんと、死んだ。
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雪の中の練習曲

祖母が死んだ朝、私は雪かきをしていた。 この土地では、誰かが死んでも雪はきちんと降る。 いや、きちんと、という言い方は少し違うかもしれない。 雪はこちらの事情など知らぬ顔で、いつも通りに空から落ちてくるだけである。
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未送信

母が倒れたと連絡を受けたのは、三者面談の最終日だった。 午後六時を少し回っていた。 職員室の窓の外はもう暗く、校庭の端にある桜の枝だけが、街灯にうすく照らされて白く浮いていた。 私は中学校で国語を教えている。
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潮騒の圏外

離島の夜は、思っているより静かではない。  波の音があるし、風があるし、港に繋がれた船が、眠りの浅い獣みたいに時々きしむ。  それに加えて、民宿というものは、消灯したあとも意外と気配をやめない。  廊下のきしみ、洗面所の蛇口、二階で寝返りを打つ客の布団の音、どこかの部屋で閉め損ねた窓が、風に押されてかすかに鳴る気配。