祖母が死んだ朝、私は雪かきをしていた。
この土地では、誰かが死んでも雪はきちんと降る。
いや、きちんと、という言い方は少し違うかもしれない。
雪はこちらの事情など知らぬ顔で、いつも通りに空から落ちてくるだけである。
人が一人いなくなったくらいで、天気のほうが遠慮してくれるほど、この世は親切には出来ていない。
私は雪国の町で、小さな音楽教室をしている。
子どもにピアノを教えている。
教室といっても大げさなものではない。
古い家の一階を少し改装して、防音を入れて、アップライトピアノを一台置いただけだ。
冬になると窓の外はすぐ白く塞がり、夕方四時には夜の気配が降りてくる。
生徒たちは赤い頬をしてやって来て、手袋を脱ぎ、冷たい指をこすりながら鍵盤に触れる。
私はその指先に、「ちがう、そこは急がない」「もう一度」と言う。
仕事としては、静かなものだ。
だが人に何かを教える仕事というのは、案外、自分の未熟さを日に何度も見せつけられる。
私は褒めるのが下手で、待つのも下手だった。
上達の遅い子を見ると、つい先回りして答えを言ってしまう。
それでは教えているようで、相手の時間を奪っているだけだと分かっていても、私はつい急いでしまう。
祖母は、そんな私と正反対の人だった。
ゆっくりしていた。
何事にも、少し遅いくらいだった。
朝の支度も、味噌汁をよそう手つきも、洗濯物をたたむ時間も、みんなこちらを苛立たせるほど慎重で、静かで、のろかった。
私は子どものころ、その遅さが嫌いだった。
母は働いていて、私はよく祖母に預けられていた。
学校から帰ると、祖母は炬燵のそばで縫い物をしていたり、大根を煮ていたりした。
そして、決まって言うのである。
「おかえり。手、冷たかったろ」
私はそれに、ろくに返事もしなかった。
祖母の声はいつも小さく、少し掠れていて、雪に吸われるみたいに静かだった。
父も母も忙しい人だったから、祖母のそういうゆっくりした時間は、私には古くさく、頼りなく見えた。
祖母は昔、ピアノを弾いていた。
それを知ったのは、私が小学校に上がる少し前だった。
居間の隅に、長いこと誰にも触られていない古いピアノがあった。
黒い塗装はところどころ曇っていて、蓋の隅には細かな傷があった。
私はその鍵盤を気まぐれに叩いて遊んでいた。
すると祖母が、「その音はかわいそうだ」と言った。
妙な言い方だと思った。
音がかわいそう、だなんて。
祖母は私の隣に座り、節くれだった指で、ゆっくり和音を鳴らした。
冬の夕方だった。
窓の外には雪が降っていて、部屋の中だけがあたたかかった。
あのとき鳴った音は、今でも覚えている。
うまいとか下手とか、そういうことではなかった。
ただ、音が一つひとつ、消えながらちゃんと残ることに、私は少し驚いたのである。
私はそれでピアノを始めた。
祖母に教わったのが最初だった。
ただし、祖母は教えるのも遅かった。
指番号も、拍の数え方も、ひどくまどろこしかった。
右手だけでいいところを、祖母はすぐに左手を足させようとはしなかった。
一小節進むたび、私の顔を見て、まだ大丈夫かどうか確かめるように待っていた。
私はその待ち方が、じれったくて仕方なかった。
「先生みたいに教えてよ」
そう言ったこともある。
祖母は少し笑って、「先生じゃないもの」と答えた。
いま思えば、ずいぶん残酷なことを言ったものである。
けれど当時の私は、祖母の遅さを、才能のなさだと思っていた。
私は町の先生につき、本格的に習うようになった。
中学へ上がるころには、もう祖母から教わることは何もないと思っていた。
いや、思いたかったのだろう。
人は自分が前へ進むために、誰かを古いものにしてしまうことがある。
祖母はそれでも、発表会のたびに前の席へ座っていた。
背中を丸め、膝に小さな鞄をのせ、終わると決まって「よかった」とだけ言った。
私はそれも、少し不満だった。
もっと何か言えばいいのに、と思っていた。
テンポがどうとか、あの和音が濁ったとか、もっと細かく。
言葉の少ない賞賛ほど、若い人間には伝わりにくい。
けれど伝わりにくいだけで、なかったことにはならないのだと、私はだいぶあとで知ることになる。
祖母が倒れたのは、一昨年の冬だった。
雪かきのあと、玄関で転んだのだと近所の人が教えてくれた。
入院してからは、体が弱って、家へ戻ることはなかった。
私は見舞いに行った。
けれど、あまり長くはいなかった。
何を話していいか分からなかったのである。
祖母は耳も少し遠くなっていたし、私も大人になってからのやさしさというものを、うまく扱えなかった。
「生徒は元気かい」
祖母はそう聞いた。
私は「まあね」と答えた。
「ちゃんと食べてるかい」
「食べてるよ」
そんな会話ばかりだった。
本当は、聞きたいことがあった。
昔、どうしてピアノをやめたのか。
どうしてあんな古い曲ばかり知っていたのか。
あの音は、誰に習ったのか。
どうして、あんなに静かな顔で、私の演奏を毎回聞いていられたのか。
けれど私は、そういう肝心なことほど、いつも後回しにする人間だった。
あとでいい。
今度でいい。
そのうち聞ける。
そう思っているうちに、人は黙っていなくなる。
祖母の葬儀が終わってから、しばらくして、母が言った。
「あんた、これ持っていくかい」
古い菓子箱を渡された。
中にはカセットテープが何本か入っていた。
透明のケースは黄ばんで、ラベルには祖母の字で曲名らしいものが書いてあった。
ノクターン。
ワルツ。
雪。
練習。
そういう言葉が、青いインクで細く残っていた。
私は少し驚いた。
祖母がそんなものを持っていたとは知らなかった。
「昔の録音じゃない」
母は台所で湯呑みを洗いながら言った。
「若いころ、家でよく録ってたって」
「聞いたことなかった」
「おばあちゃん、あんたには言わなかったかもね」
その言い方が少し引っかかった。
言わなかった、かもしれない。
私は菓子箱を持ち帰った。
教室の押し入れを探すと、昔、生徒の教材用に買ったカセットデッキがまだ残っていた。
埃をかぶっていたが、なんとか動いた。
夜、雪の音しかしない部屋で、私は一本目のテープを入れた。
最初は雑音ばかりだった。
しゃあ、という、古い雪みたいな音。
そのあと、ぽつりと鍵盤の音が落ちた。
祖母の演奏だった。
私は思わず背筋を伸ばした。
うまかった。
いや、うまいという言葉では少し足りない。
音がこちらを急がせないのだ。
遅いのではない。
待っているのである。
一つの音が消えるのを、次の音がちゃんと待っている。
祖母の話し方に似ていた。
台所を歩く足音に似ていた。
煮物の火加減を見る後ろ姿に似ていた。
私はしばらく、目を閉じて聞いた。
何本か聞くうちに、気づいたことがある。
祖母は録音の途中で、自分の声を残していた。
曲名や日付を、ぽつぽつと話すのだ。
「二月二日。雪」
「うまく弾けなかった」
「左手、だめ」
それだけのこともあった。
けれど最後の一本だけ、様子が違った。
ラベルには、ただ一言、「灯」と書いてあった。
私はその字を見たとき、なぜだか少しこわかった。
祖母は無闇に題名をつける人ではなかったからだ。
再生すると、しばらく雑音が続き、それから祖母の声がした。
「これは、真帆ちゃんが大きくなったら聞くかもしれないから、残しておきます」
私は息を止めた。
自分の名前を、そんな古びた機械の向こうから聞くのは、妙な気持ちだった。
祖母は少し咳をして、また話し始めた。
「言わなかったことが、あるからです」
雪の夜だった。
窓の外では風が鳴っていた。
テープの向こうでも、どこか戸の鳴るような音がしていた。
「わたしは昔、音楽学校へ行くつもりでした」
私は、そこで手を止めた。
ピアノの先生になりたかったのだろうか、とすぐ思った。
だが祖母の声は、その先をゆっくり開いた。
「試験も受かりました」
胸の奥が、小さく鳴った。
「でも、行きませんでした」
私は次の言葉を待った。
待ちながら、ひどく嫌な予感がした。
秘密というものは、たいてい美しい話ではない。
聞かなければよかったと思うことのほうが、多い。
「父が病気で、家のお金が足りなかったのです」
祖母は静かに言った。
「妹たちもいたから、わたしが働きました」
それは、よくある話なのかもしれない。
昔ならなおさら。
珍しくもない不運。
ありふれた断念。
けれど、そのありふれたものの上に、私はいままで平然と立っていたのだと思うと、胸が苦しかった。
「だから、真帆ちゃんに教えたとき、少しだけうれしかった」
私はそこで、とうとう顔を覆った。
祖母は続けた。
「でも、言いませんでした」
「言うと、重くなるから」
「夢をあげるようで、取り立てるみたいになるから」
私はその言葉で、昔の自分を思い出した。
「先生みたいに教えてよ」
あの日の、あの言い方。
私はたしかに、祖母を傷つけたのだろう。
だが祖母は、その理由を一度も言わなかった。
自分がどれだけ弾きたかったかも。
何を手放したかも。
教えるたび、どんな気持ちで私を見ていたかも。
何も言わなかった。
ただ、待っていたのだ。
私が自分で音を好きになるのを。
押しつけではなく、継がせるのでもなく、ただ音のそばへ戻って来るのを。
テープの向こうで、祖母は少し笑った。
「真帆ちゃんは、急ぐ子だから」
その一言で、私は泣いた。
急ぐ子。
まるで昔から、全部見抜かれていたようだった。
「でも、音は逃げません」
「待てるようになったら、前よりもっと、いい音を出せる」
「もし先生になるなら、上手に教えるより、待ってあげてください」
そこで少し間があった。
祖母の息づかいだけが聞こえた。
私は子どものころ、冬道を祖母と歩くのが嫌だったことを思い出した。
祖母は滑らないように、一歩ずつ、靴の裏を確かめるみたいに歩いた。
私は先へ行っては振り返り、まだなの、と何度も言った。
祖母は怒らなかった。
ただ、「雪は急ぐと転ぶから」と言った。
その言葉の意味を、私はずっと冬道の話だと思っていた。
たぶん、違ったのだろう。
それから最後に、ほんの小さな声で祖母は言った。
「わたしのぶんまで、ではありません」
「あなたの音を、弾いてください」
テープはそこで切れた。
機械の回る空虚な音だけが、しばらく続いた。
私は泣きながら、その音を止められなかった。
祖母の秘密は、私が勝手に想像していたような、立派な遺言ではなかった。
もっと静かで、もっと切実だった。
夢を託すのではなく、重荷にしないために黙っていた人の、最後のやさしさだった。
雪は一晩中降っていた。
翌日のレッスンで、小学四年の女の子が何度弾いても同じところでつまずいた。
私はいつものように、「ちがう、そこ」と言いかけた。
けれどやめた。
祖母の音を思い出したからだ。
一つの音が消えるのを、次の音が待つ、その遅さを。
「だいじょうぶ」
私はそう言った。
「急がなくていいよ」
その子は少し驚いた顔をした。
それから、もう一度弾いた。
前より、ほんの少しだけ、やわらかい音だった。
私はその音を聞いて、胸の奥で何かが静かにほどけるのを感じた。
教える、ということは、うまく直すことではないのかもしれない。
その子が自分で次の一音へ行けるまで、待っていることなのかもしれない。
私はレッスンのあと、古いピアノの蓋を開けた。
祖母の家から引き取った、あの曇ったピアノだ。
調律は必要だし、鍵盤も少し重い。
それでも私は、そのピアノで新しい生徒を迎えることに決めた。
雪国の冬は長い。
春は遅い。
だが遅いものには、遅いものの良さがあるのかもしれない。
すぐ芽吹かないからこそ、土の下で育つものもあるのかもしれない。
私はようやく、そう思える年になった。
夜、教室の灯りを消す前に、祖母のテープをもう一度かけた。
雑音の向こうで、あの人のピアノが鳴った。
消えそうでいて、消えない音だった。
私はその音を聞きながら、楽譜棚の一番上に、カセットテープの箱を置いた。
教材ではない。
遺品でも、もうない。
これから先、私が誰かを待ち損ねそうになった夜に、何度でも聞き返すための、小さな先生である。
そしてたぶん、いつか私の教室で育った子が、自分より遅い誰かにやさしくなれたなら、そのとき初めて、この音は本当に受け継がれるのだろう。
窓の外には、まだ雪が降っていた。
けれど私は、その白さの向こうに、少しだけ、次の季節の気配を感じていた。


コメント